*濡れ髪の君は別人のよう*


 これはデートじゃない。
 自分に言い聞かせているのに、ときめきとドキドキは止まらない。
 幼馴染みだからと自分に言い聞かせても、増していく美しさは、将臣の恋心を一気にヒートアップしていく。
 望美の姿を視界に入るだけで、呼吸が上手く出来なかった。
 物心がついた頃からずっと一緒なのに。毎日顔を合わせているのに。
 なのに、朝も昼も夜も逢いたい。
 今日も適当な理由をつけて外に連れ出した。
 なのにデートじゃない。
 ただ、一緒に出掛けるだけだ。
 なのに。
 うきうきとドキドキで心臓が煩いことになっていた。

 これはデートじゃない。
 そんなことは解っているのに、夢を見ずにはいられない。
 将臣とふたりで恋人同士のようにふたりで手を繋いで、甘いひとときを過ごせたら。
 ただ出かけるだけの筈なのに。
 様々な期待をせずにはいられない。
 物心がついた頃からずっと一緒なのに。毎日顔を合わせているのに。
 なのに、朝も昼も夜も逢いたい。
 いつも同じ空気を吸っていたいと思う。
 これはデートじゃないと解っていても、期待をしてしまう。
 いつもよりも念入りにお洒落をして、望美は出掛けた。

 たまたま映画のチケットが手に入ったという将臣の誘いに乗り、横浜へと出掛けた。
 楽しみにしていたアクション映画。
 将臣とは趣味が合うので、映画を見るのには最適なパートナーとも言える。
「今日の映画楽しみにしていたんだよ。見たかったから」
「俺も。見たかった映画のチケットを貰えてラッキーだったよな」
 望美は将臣の笑顔を見つめながら、自然と微笑んでしまう。
 何もない土曜日。
 温かくて明るい冬の土曜日は、出掛けるにはうってつけだ。
「映画見たら、元町とかみなとみらい辺りをゆっくり見て帰ろうぜ」
「そうだねー、ゆっくり遊ぼう!」
 将臣の提案に、望美は内心ドキドキする。
 今日はまるっきりデートコースだ。
 まだ初々しい恋人たちにはピッタリなコースだと言える。
 望美はときめきが爆発してしまいそうなのを何とか抑えながら、将臣に笑いかけた。

 映画館のシートにふたり並んで腰を下ろす。意識をし過ぎてしまい、そのせいで何度も指先が当たった。
 何とも思ってはいない女だと平気なのに、望美が相手になるとどうしようもないほどに全身が熱くなった。
 望美と映画を見るのは初めてじゃないのに。それこそ、最も一緒に映画を見ている相手なのに。
 何度も触れ合う指先に、欲望が生まれる。
 もっと触れたい。
 映画を真剣に楽しく観ている望美の横顔を何度もちらちら眺めているのが、一番楽しかった。
 暗闇に浮かび上がる望美の横顔はとても綺麗で、将臣を夢中にさせた。
 映画の内容は面白かったのかもしれない。
 かもしれないだなんて思うぐらいに、望美の百面相を夢中になって観ているほうが良かった。

 暗い映画館で指先が触れ合うだけで、その場で暴れてしまいたくなるほどにときめいてしまう。
 映画の爽快なアクションなんかよりも、余程ドキドキしていた。
 暗闇に浮かび上がる将臣の横顔は、精悍さと丹精さが交差して、とても素敵だ。
 それこそ呼吸も、瞬きも、何もかも忘れてしまいそうなぐらいに素敵だと思う。
 少年の面影が殆どなくなり、大人の男へと脱皮をはかっている顔は、望美のこころを強く捕らえて離しはしない。
 映画なんかよりも、将臣を見ているほうが余程楽しかった。
 あんなに楽しみにしていた映画の内容が総て飛んでしまうほどに、将臣だけを見ていた。
 映画は恐らくは期待通りの面白さだっただろうが、望美のこころには少しもとどまることはなかった。

 映画館を出て、だらだらとふたりで歩き始めた。
「映画、楽しかったよね」
「そうだな」
 これ以上、会話は続かない。
 いつもならこのシーンが良かったとか、このアクションが良かっただとか言い合うのに、今日は全くそれもなかった。
 内容なんて殆ど覚えていなかったから。
 覚えていることと言えば、望美の綺麗に整った横顔だけだ。
 歩いているとふたりの指先が何度も触れ合う。
 そこしか感覚がないように、何度も何度も触れ合う。
 手を強引に繋いでみたかった。
 いつもならごく自然に出来るはずなのに、今日は意識をし過ぎて上手くいかない。
 ただ手を繋ぎたいだけなのに…。

 横浜の街は、湘南とはまた違った潮の香がして、心地が良かった。
 ふたりでみなとみらい地区に向かってだらだらと歩くだけなのに楽しい。
 将臣の横顔以外は殆ど覚えてはいない映画の話は、早々にお互いしなくなってしまった。
 ただ指先がまるで会話でもするかのように、何度も触れ合う。
 ほんの少し触れ合うだけで、それこそ使い古された表現のように『全身に電流が流れる』
 言葉通りの感覚なのだと、望美は今更ながらに知った。
 指先しか感覚がない。
 そこばかりを集中してしまい、それ以外の細胞は死んでしまったような気になった。
「わっ!」
 余りに上の空だったからか、望美はそのまま躓いてしまった。
 何もない場所のはずなのに、頭から道に突っ込んでしまいそうになる。
「おいっ!」
 将臣の腕が抱き留めてくれなければ、確実に顔に擦り傷を負っていた。
 胸に腕が食い込んで恥ずかしくてたまらなくなりながら、顔を上げた。
「有り難う」
「ああ」
 将臣の声が一瞬はにかんだような気がした。
 瞳を照れたように潤ませたままで、将臣は望美の手をぎゅっと握り締める。
「これで大丈夫だろ」
「あ、有り難う」
 ずっと手を繋ぎたいと思っていたからか、将臣の指がしっかりと絡んできたのを受け入れる。
 温かくてこころまで染みてくる。
「お前の手、凄く冷たいな」
「手は冷たくてもこころは冷たくないからね」
「解ってる」
 こうして手を繋いでいるだけで楽しくて、温かくて、掛け替えのない時間を過ごしているように思えた。
 みなとみらい地区の直前まで来たところで、頬に大粒の雫を感じる。
「…雨だな」
「ホント! 雨宿り出来るところまで走ろうよ!」
 ふたりが走り出して直ぐに、大粒の雨が激しく落ちて来た。
 濡れないようにケアをする暇などないままに、激しさを増す。
 雨の勢いが強くて、呼吸が出来ないほどになる。
 直ぐに全身がずぶ濡れになってしまった。
 息を切らせて屋根のある建物に入った頃には、もう施しようがないほどに濡れてしまっていた。
「ホント凄い雨だったね」
 雨に濡れた髪をかきあげながら、将臣を見上げる。
 将臣は恨めしそうに空を見上げながら、艶やかに濡れた長めの前髪をかきあげていた。
 一瞬、心臓が壊れてしまうかと思うほどにドキリとした。
 艶やかな横顔は、鳥肌が立ってしまいそうなほどに色気がある。
 全身の血液が逆流してしまいそうになるぐらいに、将臣への思慕が強くなった。
 好きだ。
 好き過ぎてどうして良いかが解らないほどに。
 将臣に魅入られる余りに、望美は肌を震わせた。

 望美に声を掛けられて、将臣は視線を下げた。
 長い髪を濡らしてかきあげる姿に、躰の奥から欲望が湧き上がる。
 余りにもの早いスピードで血液が巡るものだから、心臓が一気にヒートアップした。
 見ているだけでおかしくなってしまうほどに、望美の色香が将臣を狙い撃ちする。
 好きだ。
 好きだという感情が、全身の細胞を震え上がらせた。
 ふと望美を見ると、小刻みに震えている。
 子犬が寒そうに震えるような仕草に、将臣は小さく囁く。
「温めてやろうか?」
 キラキラとひかりの粒よりも綺麗に輝く望美に、将臣は腕を伸ばす。
 返事を聞く前に、背中から抱き締めていた。
「ま、将臣くんっ!?」
 幼馴染みの想像外の行動に、望美は明らかに驚愕していた。
 だが嫌がってはいないのは、抵抗しないことで理解出来た。
「み、みんなが見てるよ…」
 声が恥ずかしそうに震えている。
 だが止めたくはなかった。
 将臣は誰の視線も気にしないままて、ずっと望美を抱き締めていた。

 こんなに将臣の熱を間近に感じたことなんて、今までなかった。
 心地好くて魅力的な温もりに、望美は涙が零れてしまうぐらいに嬉しい。
 官能の余りに望美が震えると、将臣は腕に力を込めた。
 この瞬間、きっと将臣は恋をしてくれている。
 望美がニッコリと笑うと、将臣も笑い返して、更に深く抱き締めてくれる。
「他にどこが冷えているんだよ…?」
「唇…かな」
 まるで好きだと謎をかけるように呟く。
 すると将臣は微笑み顔を近付けて来た。
「そこなら俺も温めあえる…」
 唇が重なったとき、もうここがどこだろうとどうでも良かった。
 一瞬のキスに永遠を見出す。
 唇を離した後のふたりには、もう憂いなんかなかった。
 これで恋が出来る。





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