*乱暴に頭を撫でる指先*


 今までは側にいるのが、当たり前だと思っていた。
 まるで空気みたいに自然で、意識をしなくてもそこにいるものだと思っていた。
 手が掴めなくて、時空を隔てたところで生きなければならなくなった時から、空気の大切さを感じさせられた。
 それを吸わないと生きていけない空気。
 将臣がいないと空っぽになる自分に似ているような気がした。

 庭から誰かが剣を振るう音がする。
 知っている誰のものでもないことが解ったのは、太刀筋に緊張と厳しさが、他の誰よりも感じられたから。
 こころの奥を切なく萎縮させる太刀筋に誘われて、望美はふらふらと庭に誘われた。
 縁をゆっくりと歩き、中庭にたどり着くと、そこには将臣が孤独に鍛練しているのが見えた。
 望美ももう剣に関しては素人ではない。
 ただ太刀筋を見れば解る。
 将臣の太刀は、他の誰よりも自己流でありながら、実践向きな強さがある。
 優雅さなどかけらもない。
 力と技倆は誰よりも荒々しくて豪快だ。
 戦場しか知らない太刀だと、望美は思わずにはいられなかった。
 将臣の太刀には命が掛っているようにしか思えない。
 朝日に汗を散らして鍛練する姿に、いつしか望美は泣きそうになっていた。
 誰かを守り、自分自身を守るための剣は、綺麗ごとでは済まされない緊張が漲っている。
 望美は、真直ぐに将臣を見つめた。
 きちんと見つめて上げなければならない。見届けて上げなければならない。
 望美はただ将臣だけを見つめていた。
「…望美…?」
 将臣は不意に太刀を振るうのを止めると、視線を緩やかに望美に合わせた。
「いたのか? いつから?」
「さっきから見ていたよ。将臣くんの太刀筋が綺麗だなって思っていたんだ」
「そうか? 綺麗なら九郎のが綺麗だろう? 俺は師匠もいねぇ、全くの自己流だからな」
 将臣は汗を弾きながら、ゆっくりと縁にやってくると、置いていた竹筒から水を飲む。
 将臣がどっかりと縁に腰を下ろしたので、望美もゆっくりと腰を下ろした。
「将臣くんは、どうして太刀を手にしたの?」
 何気ないふりをして訊いた望美の言葉に、将臣の瞳が揺らぐ。
「…恩返し…、いや…、生き抜くためだな…。どうしても生き抜かなければならねぇって思った」
 将臣は空を真直ぐ見上げると、遠くて切ないまなざしになる。陰る光には、優しさ・焦躁・哀しみ…。ありとあらゆる感情が湛えられていた。
「そうだね。こんな戦乱の世界なんだもんね。戦わなければ、大切なひとが奪われてしまうような世界だもんね…」
 望美は自分の手をじっと見て、泣きそうになる。
 胸が締め付けられて、きゅうきゅうと音を立てて啼いている。
 将臣もまた生きるために太刀を手にし、誰かを守るために太刀を手にしたのだ。
「…将臣くんは、生き抜くために大切なひとを守るために…だよね」
「…そうだな…。本当は…、お前と再会出来るまでは、絶対に死ねないって思ったからかもしれねぇな…」
 将臣はふと寂しげな表情をすると、望美の視線を避けるように空を見つめた。
「…将臣くん…」
「再会したからって、マジでどうこうなるっていうのはねぇのに…、お前を当たり前のように側に置くことも出来ないことは解っているのに…」
 将臣は苦々しく呟くと、八方破れの笑みを浮かべる。
 空しさと哀しみを映し出す笑みに、望美は思わず洟を啜っていた。
 感情が、喉の奥から通り抜けて来る。
 感きわまる余りに、望美は呼吸困難になった。
「危険が伴うところに、お前を連れてはいけねぇんだよ。それこそ命懸けだ。それに…」
 将臣は言葉を澱ませると、黙り込んでしまった。
「…しょうがないよ…。私以上に守らなくちゃならない存在があるんだから…」
 本当はそんなことは認めたくはない。
 だが認めなければならないほどに、将臣の決意は硬い。
 望美がいくら挑んだとしても、きっと跳ね返されてしまう。
 そう思うとどうしようもないぐらいに泣けて来た。
 だが、将臣の前では泣き顔を見せたくなんてない。
 望美は必死になって涙を堪える余りに、顔をくしゃくしゃにさせる。
 将臣は目をスッと細めると、望美を切なそうに見つめた。
「…お前以上に守りたい存在はねぇさ…」
 将臣の優しいヴェルヴェットのような声が望美のこころに下りて来て、余計に切なくさせる。
「…だが…ひとりずれた時空に飛ばされた俺を、拾ってくれ助けてたのは…、今の仲間だ…。恩は報いないと駄目だろう…」
 将臣はまた寂しげなまなざしをすると、髪を無造作にかきあげる。
「…解っているよ。ホント…解っているつもりなんだ…。だけど、どっかで我が儘な自分がいて…」
 溢れ出す熱い涙をどうしようも出来なくて、望美は誤魔化すように額に手のひらで庇を作った。
 涙をいくら飲み込もうとしても胸がひくついてしまい、どうすることも出来ない。
「…泣くな…」
「泣いてなんかいないもん。汗だもん。汗がへんなところから滲んでいるだけだもん…」
 望美が強がるのを、将臣は黙って聴いている。その表情はひどく大人びている。
「…望美…」
 これ以上切ない顔をする将臣を見たくはない。望美は涙が出ているにもかかわらず、わざと笑顔を零した。
「…将臣くんがそばにいられないのは解ってるよ…。だから、なるべく笑顔で待ってるから…。だから、全部終わったら、その時は…」
「ああ。そばにいてやるから…」
 将臣は深く頷くと、望美の頭の上にぱふりと手を置く。
 大きな手のひらでわさわさと撫でられる感覚は、無造作なのにとても優しい。
 望美のこころの深いところにしんみりとした温かさが舞降りてきた。
 不思議な指先。
 荒々しくてゴツゴツとしたそれは、力強くて男らしいのに、どこか繊細さを秘めている。
 まるで将臣のようだ。
 指先から感じる愛情を感じながら、望美の胸の奥は、涙が滲むぐらいに痛んだ。
 いつか、いつかきっと。
 この指先までもを独占出来る日が来ることを、望まずにはいられなかった。





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