掛け違えたボタン


「望美、タオル!」
「はい、将臣くん!」
 最近、将臣の趣味であるスキンダイビングに付き合うことが増えている。
 こうして、将臣がダイビングをするサポートをしたり、見学をしたり。時には、練習に付き合って貰ったりしている。
 ダイビングが好きだというのもあるが、やはり本音は将臣の傍にいたいからだ。
 望美を幼なじみとして、大切に思ってくれているが、将臣は恋愛対象として見てくれてはいない。
 それが切なくて、少し苦しい。
 ダイビングも終わり、帰る仕度をしていると、将臣は背の高い、綺麗な女性と話していた。
 近付かないで、お願い…。
 いくら望美が強く祈っても、将臣は楽しそうに笑っている。どこか嬉しそうにも見えた。
「…ああいう、趣味の合う綺麗なひとが、将臣くんは好きだもんね…」
 見ているだけで、明らかに自分と扱いが違う。
 望美はあくまで幼なじみで、男友達と同じレベルだ。
 ぼんやりと見ていると、将臣がこちらにやって来る。
「望美! みんなでラーメン食いに行こうぜ?」
「うん! ラーメンと餃子は定番だよね!」
「ちゃんと匂い消しをしろよ?」
「解ってるって!」
 望美は屈託なく笑いながら、将臣と子供っぽいふざけあいをする。
 今はまだ良い。
 こうして将臣と一緒にふざけあうことが出来るから。
 馴染みになった将臣のスキンダイビング仲間と、ラーメン屋に入る。将臣が先ほどの美女の横にさりげなく座ったところを、望美は見逃さなかった。
「望美、お前はチャーシュー麺と餃子でいいよな」
「うん」
 将臣に頷きながら、望美は、ふたりの様子が気になってしょうがない。将臣は横の女性にも、ラーメンの注文を聞いていた。
 ラーメンが来る間、将臣はずっと女性と話していて、望美はほったらかしだ。すると同じ世代の男の子が、話しかけてきてくれた。
「望美ちゃんは、いつ、ダイビングデビューするの?」
「将臣先生の許可が出てからだよ。もうすぐ独り立ち出来ると思う」
独り立ち。
 なんて寂しい響きを持つ言葉だと、望美は思わずにはいられない。
 独りでダイビングが出来るようになれば、今よりも一緒にいる機会が増えると思っていたのに、それは幻に終わりそうだ。
 きっと将臣にとっては、他の仲間と同じはずだ。
 ラーメンが来て、望美はそれを黙々と食べる。いつもなら美味しいと感じるのに、今日はゴムを食べているみたいだ。
 餃子も殆ど食べられずに、横にいる男の子に食べて貰った。
 その間も、将臣は隣の女性と喋るのに夢中になっている。
 嬉しそうにしている将臣に、望美は心が沈むのを感じた。
 ラーメンを食べ終わり、そこでお開きになる。
 まだ明るいので、ひとりで帰られそうだ。
「望美、俺、これからちょっと用事をしてからバイトだけれど、ひとりで帰るのは、構わないか?」
「うん平気だよ。ここから歩いて直ぐだし…」
 想像通りのことが起こり、望美は自分に必死に納得をさせながら頷いた。
「サンキュ。その代わり、明日のダイビング練習、マンツーマンで付き合うから」
「うん! 有り難う!」
 ふたりきり。
 それだけで望美は嬉しくて、笑顔で答える。やはり、将臣の近くにいられるだけで、幸福なのだ。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
「うん」
 将臣に見送られて、望美は上機嫌で家路に急ぐ。スキップをしながら、明日の幸福な時間を夢見ていた。

 将臣とふたりきりで、マンツーマンのダイビングレッスンが始まる。
 まだまだ望美は初心者なので、しっかりと準備をする。基本を疎かにしないのも、将臣のルールだ。
「よし、しっかりやらねぇと事故に繋がるからな」
「うん!」
 ここからは将臣は先生なので、望美は神妙な顔つきになる。
 将臣に付いて浅瀬から潜り、時には手を繋いでもらう。その触れ合いが、望美にはかけがえのない素敵な時間に思えた。
「随分良くなってきたな。午後からは少し深いところに潜るか」
「うん、楽しみ!」
 望美はすっかり気分をよくして、ランチの準備を始める。母親に教えて貰いながら、一生懸命に作ったものなのだ。望美からのささやかな御礼でもあった。
 ふたりで仲良くアウトドアランチをすると、ときめく。
 きっと誰から見ても、恋人同士に見えるかもしれないと、楽しい予想をしていた。
「望美、今後はマンツーマン出来づらくなるかもしれねぇ。時間がねぇんだ」
「どうして? バイトでも増やすの?」
 将臣の心苦しげな顔に、望美はきょとんとする。
「バイト増やすんじゃねぇんだよ。女が出来たんだよ。だから時間が中々取れなくなる」
 望美は頭の中が、一瞬にして真っ白になった。胸の奥がズキズキする。ショックで頭が痛くて、望美は気分が悪い。だが、それでも踏ん張った。そうするしかなかったからだ。
「そうなんだ…。この間一緒だったあのひと?」
「ああ。ダイビングしているうちに気があった」
 決定的だ。今度こそ、将臣は真剣に付き合うことになるだろう。
 今までのように短い時間では終わらないはずだ。
「うん、良かったね、将臣くん…!」
 どうして本当に泣きたいときに、笑顔が零れるんだろうか。望美は、自分の感情に正直になれない自分を呪った。
「さて、美味かったぜ。飯食って、少し休憩したら、潜るか」
「うん、総仕上げだもんねー」
 わざと軽口を叩き、望美は軽くストレッチを始める。
 真剣にやらなければならないのに上の空で、望美は何度も自分にかつを入れた。
「よし、潜るぜ?」
「うん!」
 将臣と一緒に海に潜るものの、午前中のように軽やかに出来ない。
 直ぐに呼吸が苦しくなるのは、胸が痛いからだ。
「どうした? 急に調子が出なくなっちまったみてぇだが、大丈夫かよ?」
「大丈夫だよ。きっと潜ったら平気だと思うよ」
「だったらいいんだけれどな」
「うん、大丈夫」
 望美は将臣にきっぱりと宣言すると、海中散歩をするために、深く海に潜った。
 ひとりで大丈夫だと、強がりな気持ちと一緒だったのがいけなかったかもしれない。
 少し深く潜っていると、不意に足が痺れるのを感じた。
 吊るような感覚で、足の自由が利かなくなる。
 そのままどんどん意識が遠退いていく。陰る意識の向こうに、将臣に似た王子様が見えた。

 次に感じた感覚は、唇に冷たい感触だった。
 優しく温かな空気が、肺の中に送られてくる。
 心地良さに目を開ければ、将臣が人工呼吸をしてくれていた。
 事実が明らかになり、望美は真っ赤になって跳び起きる。
 いつか、ファーストキスは将臣だとは思っていたが、まさかこのような状態で実現するとは思わなかった。
「将臣くん…、有り難う…。ごめんね」
「気分が悪いとかはないかよ?」
 将臣は怒ったように言うと、望美を睨んできた。
 将臣が怒るのは当然だ。それに相応しいことを、自分はしてしまったのだから。
「…大丈夫だよ」
「そうか…。今日はもうお開きだ。家に帰ってゆっくり休め」
 将臣に冷たく宣言されてしまい、望美はうなだれるように頷くしかなかった。
 帰り道も、将臣とは殆ど口をきかなかった。きいてもらえなかったと言っても、過言ではない。
 家の前で別れるときも、最低限の挨拶しか交わしてはくれない。
 完全に将臣に嫌われてしまったことを、望美はようやく悟っていた。


「望美、タオル!」
 いつもの調子で言っても、望美はタオルを手にかけてはくれない。
 あの軽い事故から、望美はスキンダイビングの現場に、現れなくなってしまった。
 それからというものの、将臣はイマイチ調子が出ない。
 ぼんやりとしていることも多くなり、彼女に呆れられる気分になった。
 そのうえ、苛々する。
 どうしようもない、我が儘を言いたくなった。しかしそれは赦されないことだと解っていた。
 望美の笑顔だけが脳裏に宿る。
 ただ側で話がしたい-----
 そんな気持ちが色濃くなり、将臣は授業が終わるなり、帰ろうとする望美の腕を取った。
「話があるんだ-----」
 
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