3
甘いキスは、時にして罪深いものになる。 こころと躰に幸せをもたらしてくれるが、望美にとっては苦しみも同時に与えられた。 小さな頃から、運命のひとは誰かを解っていた。 約束の指にリングを貰って有頂天になっても良いはずなのに、そうすることが出来ないのは、きっとこころのなかで何処か負い目があるからなのだろう。 将臣には付き合っている女の子がいるのに、それを取りあげるようなかたちになるなんて。 それが何よりも痛い。 ひとりで暗くなっていても仕方がないとは思うが、やはり将臣にはこんな気持ちを言うのが辛かった。 まるで将臣を非難しているようにしか見えないだろうから。 嫌われたらどうしようだなんて、そんなことばかりをひたすら考えていた。 人前でリングをするのが後ろめたくて、小さな頃に貰ったリングと、今回貰ったリングを、チェーンネックレスに通して身につける。 それでも嬉しかったが、いつか左手の薬指にリングが出来る日を夢見ていた。 「望美、帰るぜ」 「うん」 以前と変わったことは、偶然に任せて一緒に帰るのではなく、こうしてちゃんと示し合わせて帰ることになったことが、明らかな変化だった。 「今日は、ちょっと寄り道していかねぇか?」 「うん。バイトは大丈夫なの?」 「今日は休み」 将臣にしっかりと手を握られて、下校する。将臣は堂々としていたが、望美は内心ビクビクしていた。 将臣の彼女に見つかってしまったらどうしようだとか、修羅場になってしまったらどうしようだとか。泣きそうな気分になりながらぐるぐると考え込んでいた。 将臣と江ノ電に乗り込み、稲村ガ崎で下車をする。 「何か、お前と海でも見ながら話したくなった」 「…うん」 何を話すというのだろうか。 彼女と別れられない、とでも言うのだろうか。それとももっと切ないことを言われてしまうのだろうか。 キスをしてからというもの、将臣のことをもっと好きになってしまい、少しの衝撃や波で、ぶくぶくと沈んで溺れてしまうような気がして、望美はとても怖かった。 将臣の視線が、望美の指に止まる。 「…リングはしねぇのかよ?」 「リングはペンダントにしてネックレスに通しているんだよ」 望美が将臣にちらりと見せると、ホッとしたように笑った。 「今は校則だとか、そんなことは関係ねぇだろ?しろよ」 「うん、そうするよ」 望美がペンダントを外そうともたもたしていると、将臣が業を煮やして手伝ってくれた。 ひんやりとした将臣の指先が首筋に当たって、きゅんとした切なさが全身を駆け巡る。 甘くて熱い感覚が、切なさを緩やかに溶かしてくれた。 「ほら、取れた」 「有り難う…」 将臣にペンダントを手のひらに乗せられる。軽いものの筈なのに、こころのような重さを感じてしまった。 「懐かしいの大事に持っていてくれてんだな…。有り難うな」 将臣は目をスッと柔らかく細めると、望美を眩しげに優しく見つめてくれた。 「だってとっても大切なものだったんだよ」 「ああ。解ってる」 望美がリングをネックレスのチェーンから抜くと、将臣は手を出した。 「はめてやるから、出せよ」 「うん、有り難う…」 まだドキドキする。 おずおずと左手を将臣に出している間、甘いときめきが全身を巡って、息をすることも、時間を刻むことも、望美には出来なかった。 将臣に左手薬指に指環をはめられて、また泣きそうになった。 信じたい。 けれども本当は、リングをはめたい女性が他にいるのではないか。リングをはめた女性が他にいるのではないか。 そんなことばかり考えてしまう。 恋とは不思議なものだ。 喜びとときめきを運んできてくれて、とても幸せにしてくれる半面、切ない苦しみも容赦無く押し付けてくるのだから。 「望美、お前、この間からちょっと変だぜ? いつも思い詰めているって言うか…。泣きそうな顔をしているっていうか…。何があるんだよ?」 将臣は、望美のこころをも見透かしてしまうかのようなまなざしを送ると、その手を握ってきた。 「…お前、いつも不安そうな顔をしてるから、何か気になることでもあるのか?」 「…そ、そんなことないよ。気になることなんて、ないよ…」 明るく笑って、上手く誤魔化せたような気がしたというのに、将臣は益々厳しい表情で望美を捕らえてきた。 「…嘘を吐くなよ?」 「え、嘘なんか吐いていないよ…」 「そんなことを言うヤツは、ちゃんと確かめなくてはならねぇからな」 将臣の精悍で綺麗な顔が、ギリギリのところまで近付いてくる。 しっかり肩を捕らえられて、望美は身動きが取れなくなっていた。 思わず視線を逸らせてしまう。 「それが何よりもの証拠だろ? 望美」 「…あ、でも、その…」 言葉を曖昧にしていると、将臣の機嫌は更に悪くなる。 眉間にシワを寄せて、まるで望美を攻め立てるかのように見つめてきた。 「…俺をちゃんと見ろ…」 「見られないよ…」 咄嗟に出た一言に、将臣は更に不快そうに眉を寄せた。 「俺には言えねぇようなことを思っているってことか?」 「そんなことは…」 「あるんだろ? だったらお前からは聞き出すまでだぜ」 将臣は望美に更に近付いてきて、唇ギリギリのところで顔をピタリと止める。 「…言え」 将臣は唇の端にキスをした後、望美の瞳や頬にキスをしてくる。 本当にこれこそが甘い拷問だと、望美は思わずにはいられなかった。 「…言えよ」 将臣の優しい刺激に、涙が零れそうになる。こんなに甘いお仕置を与えられたら、胸の奥が切なさの余りにどうしようもなくなる。 「言うまで続けるぜ」 続けて欲しいのか、そうでないのか、望美にもよく解らない。 ただ甘い刺激は、悶々としたこころを素直に解きほぐしてくれた。 「…だって…」 「ようやく言う気になったか?」 声を掛ける将臣の声は、あくまで優しい。 「…だって…将臣くんは…ペンダントの彼女がいるじゃない…。私の他に大切な女の子がいるじゃない…。 あの指環の意味を考えるだけで…、何だかむちゃくちゃに切なくなって、将臣くんの好きなひとが傷付いたら…だとか考えたら…」 そこまで言ったところで、望は泣けてくるのを感じた。その涙を、将臣の唇が吸い上げるようにして拭ってくれる。 「…バカ…。お前は優し過ぎるんだよ…」 「将臣くん…」 将臣は声を掠らせながら呟くと、望美の細い躰をそっと抱き寄せた。 「…ペンダントは、女にやったのはやったが…、…結婚祝いも兼ねて、スキンダイビング仲間にやった」 「そうなんだ…」 望美は俄かに信じることが出来なかった。 将臣はかなりモテるし、彼女も安定しないながらもいつも居たのだ。 まだ不安は拭い去れない。 「そんな顔をすると思ったから、今日はここに連れてきた」 将臣が海を見つめて手を上げると、ダイバー姿の名か良さそうなカップルがこちらに手を繋いで走ってやってきた。 「将臣!」 男性も女性も、ふたりよりは一回りほど年上に見える。 「こんにちは、将臣。さっきからベタベタしている高校生がいると思ったら、まさか将臣だとは思わなかったよ」 女性は楽しそうに笑いながら、視線を望美に向ける。綺麗なひとだと思った。 「ペンダント、こいつと選んだんだ」 「有り難う、凄く気に入ったわ」 女性はニッコリと微笑むと、望美を優しいまなざしで見つめてくれた。 「こちらこそ、気に入って下さってとても嬉しいです」 素直に言える。 安堵と嬉しさがごちゃまぜになりながら、望美は満面の笑顔を浮かべた。 「お会い出来て良かったわ。今度はスキンダイビングをしに、将臣とふたりで来てね」 「はい、解りました」 望美が張り切って返事をすると、将臣も目の前にいる仲が良いカップルも、とても嬉しそうに笑ってくれた。 「…じゃあお邪魔しました。また会いましょうね!」 「あ、はい。有り難うございます」 望美が深々と頭を下げて挨拶をしたあと、ふたりは仲良く海へと走り出した。 「…心配損だっただろ? お前は堂々と指環をしていれば良いんだよ」 「うん、有り難う。ねぇ、いつから私を意識し始めたの?」 望美がダイレクトな質問をぶつけると、将臣は照れ隠しをするように立ち上がる。 「甘味食いに行こうぜ。腹減ったからな」 手を繋がれると、将臣は強引な強さで望美を引っ張っていく。 「ちょっとはぐらかさないでよー」 望美の抗議に将臣は振り返ると、言葉を塞ぐように口付ける。 「お前が俺のことを好きでいてくれているってことに、気付いたから」 「だ、だったらどうして気付いたのよ」 望美の甘く不貞腐れた言葉に、将臣は魅惑的な笑みを浮かべて、不敵に頷いた。 「瞳が話していたから」 |