月の蛍


 蛍は誰かに恋い焦がれているのかと、いつも想う。
 恋の炎に身を焦がして、切ない光を放出している。
 雨の季節に光るのは、泣いている心を隠しているのかもしれない。
 鎌倉はまだまだ水も綺麗で、自然が保護をされている古刹に行けば、まだまだ蛍を見ることが出来る。
 東京から1時間もかからないのに、こうして自然が遺っていること自体幸福な環境にいるのかもしれない。
「将臣くん、今度アルバイトがない日にね、一緒に蛍を見に行こうよ」
「…蛍か…。北鎌倉とか行くより、長谷あたりで歩いて行くのが無難だよな」
「だったら行ってくれるの!?」
 将臣の言葉に、望美の期待が高まる。やはり一緒にロマンティックな夜を過ごしたいと想うのは、切ない恋心だ。
「しょうがねぇな。行ってやるよ。金曜の夜で構わねぇか? 時間が取れるのはそこだけなんだよ」
 将臣がすまなそうにこちらを見ている。
 望美としては、一緒に行ければいつでも良かったのだ。
「夜に紫陽花を見るのも良いかもね!」
「まあ、昼間より綺麗じゃねぇだろうな?」
 ぱふりと頭の上に大きな手を乗せられる。心地は良いが、何だか子供扱いされるのが嫌だった。
「約束だよー」
「ああ。ヨーヨーと綿菓子を買ってやるから」
「私は子供じゃないよ」
 望美が拗ねるように睨み付けると、将臣は苦笑いを浮かべるだけだった。
「せいぜい、蛍に間違われねぇようにするんだぜ?」
「将臣くんは、ホント失礼だよねー」
 こうしてお互いにふざけられるのもいつまでなのだろうか。
 時々、その気安い時間や関係が失われるのを苦痛に感じる。
 望美は笑顔を浮かべ、将臣にもう一度念を押した。
「将臣くん、金曜日、絶対に約束だよ!」
「ああ、解った」
 こちらを見つめる眼差しは、まるで妹を見ているかのようだ。そんな眼差しで見つめて欲しくはない。ちゃんとひとりの女の子として見て貰いたかった。

 木曜日に、望美は偶然、将臣の母親に出会った。
「おばさん、こんにちは!」
「あら望美ちゃん、こんにちは!」
 将臣の母はテイクアウトの料理を沢山持っていた。
「お買い物ですか?」
「そうなのよ。将臣は蛍を見に行くって留守にするし、譲は予備校が遅くなるらしいし、お父さんは接待。だからテイクアウトで済ませようかと思ったのよ」
 将臣が蛍を見に行く。
 それは間違いだろうか。
 何だかそこしか耳に入らず、妙にドキドキする。
「おばさん、将臣くんが蛍を見に行くのは、明日じゃないんですか?」
「いいえ、今日と明日、両方って言っていたわよ。今日は北鎌倉、明日は長谷だって言っていたような気がするけれど…」
 間違いないだろう。ちゃんと場所がはっきりしているのだから。
 まだ女の子とデートだとは決まっていないのだから。
 暗く考えがちの自分を何とか押さえ込んで、望美はわざとらしい笑みを浮かべる。そうしなければ、何だかやり切れないような気がしたから。
「じゃあね、望美ちゃん」
「はい!」
 将臣の母親が家に入った後、望美も家の中に入った。
 どうしても悶々と嫌なことばかりを考えてしまう。そんな自分が嫌で、望美は気を紛らわせるため、外に出ることにした。
 明日のために、長谷の和モノ屋さんで、何か見繕いたいと思った。
 何時までも妹のようではなくて、ひとりの女として見てもらいたいというのは、我が儘に過ぎないのだろうか。
 和モノ屋に行くと、綺麗な紫陽花の髪留めがあり、望美は迷わずそれを買い求めた。
 一瞬、将臣がその髪留めを取り、髪をばさりと落とすシーンを想像してしまい、望美は真っ赤になる。
 最近の将臣はそんな仕種が似合うぐらいに、男としての色香が出て来た。
 少し機嫌を直して、極楽寺駅前まで歩くと、将臣が誰かと待ち合わせをしているかのように立っていた。
 声をかけようとして、現れた女の子にはっとする。
 きちんと浴衣を着こなす彼女は、見るからに将臣とデートするように見受けられる。
 ふたりは仲良く江ノ電に乗り込むと、そのまま鎌倉方面へと行ってしまった。
「デートなのかな…。私はやっぱり幼なじみから脱却出来ないのかもしれないな…」
 寂しく望美は呟くと、肩を落とした。

 翌日、蛍の鑑賞日、特にデートではないのだと、自分に言い聞かせているくせに、ついお洒落をしてしまう。
 シャワーを浴びた後、パヒュームパウダーをシッカロール代わりに付けて、どこか華やいだ気分になった。
 紺色の少しおとなびた浴衣を羽織り、髪は紫陽花の髪留めで結い上げる。
 どこか沈んだ気分でいても、やはり将臣と出掛けるのは華やぎがある。望美はリップグロスだけを唇に乗せて、幼なじみが来るのを待ち構えた。
「望美! 将臣くんが見えたわよ!」
「はいっ!」
 気に病むのは止めよう。
 今夜を愉しめばいいのだ。
 望美は将臣が待つ玄関先へと、まるで仔犬のように走って行った。
「おまたせ!」
 にっこり笑って挨拶をすると、将臣は一緒、ほうけた顔になる。だが直ぐに望美から視線を逸らした。
「…行くか。蛍狩りに」
「うん…」
 昨日はわりときちんとしたスタイルだったのに、今日の将臣はとてもラフだ。
Tシャツにブラックジーンズという何時もの出で立ちだ。
 地元だから余りお洒落をしていないのだろうが、昨日との落差があり過ぎて、望美は何だか寂しい気分になった。
「行くぞ!」
「うんっ!」
 長谷までは歩いてもそれほど距離がないのと、元来、締まり屋である将臣に合わせる形で今日は徒歩だ。
 足元が下駄ということだけが、些か、気になってしまう。
「今日はいやに風流だな。地元で蛍を見るだけだろ?」
「やっぱり恰好から入らないとね。蛍にうっとりするのは、やっぱり浴衣が似合うじゃない?」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ」
 少し距離が出てしまうのは、自分たちの今の関係をそのまま表しているような気がする。
 望美は、先、先、歩く将臣の背中を見ながら、こんなに遠くに感じたことはなかったと改めて思った。

 長谷寺近くまで来ると、流石にひとが多い。
「すげえ人だな…。望美、迷子にならねぇように気をつけろよ」
 またからかわれて、望美は唇を尖らせる。
「小さな子供じゃないもん!」
「小さな子供以下だぜ、お前は。小さい子は余程素直だ」
 将臣があまりにからかうものだから、望美は思わず肩を叩く。これも幼なじみだからこそ許される行為ではある。
「ってぇな! 小さな子供はお前みたいに暴力は振るわないぜ!?」
「私は小さな子供じゃないもん」
 ふと将臣が目を細め、視線を迷子になる。
「…確かにな…」
 その声が甘くて切なくて、望美は胸をときめかせた。
「きゃっ!」
 将臣に見とれていたせいで、望美は通行人にぶつかってしまった。
「ったく、学習機能がなさすぎ」
「だってー」
「ったく、行くぞ」
 将臣が思いきり手を握り締めてくる。その強さに、望美は胸が高まるのを感じていた。
 
コメント

蛍の季節なので〜




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