月の蛍

後編


 肌と肌が触れ合い、そこだけが煮えたぎるほどに熱い。まるで触れる部分に総ての細胞が集まり、うごめいているようだ。
「今年の蛍は綺麗かなあ」
「普通だろ」
 将臣はさらりと言い、望美はちくりと針で心を刺されたように胸が傷んだ。
「まるで見たようなことを言うんだね」
「ダチと見た」
 将臣はまるで人ごとのように言うと、先を急いでいく。明らかに何かを隠している。そう感じると心が沈んだ。
「そうなんだ…」
 前が見られなくて、つい俯いてしまう。
「きゃあっ!」
 ぼんやりとしていると、望美は誰かにぶつかってしまった。
「ったく!」
 将臣は望美を抱き寄せると、更に密着して触れてくる。こんなに近づかれてしまったら、ドキドキして耳の下が痛くなる。
「ちゃんと俺にくっついとけよ。相変わらず鈍臭いんだからな」
「う、有り難う」
 将臣はスッと目を細めて笑うと、望美を護るように先を歩いてくれる。
 小さな頃、こうして手を繋いで参道を歩いていた。こんなに甘い感覚をあの頃は抱くことが出来なかった。今は、こんなに甘酸っぱい感覚に支配されている。
「あっ! 露店だよ! りんご飴がある!」
「お前は相変わらず色気より食い気かよ」
「色気もちょっとあるつもりなんだけれどな…」
 ちらりと将臣を見ると、どこか困ったように笑っていた。
 ふたりは地元ということもあり、穴場の場所まで歩き、そこで蛍を捜す。
「あ! 蛍だよ。やっぱり綺麗だね…」
「そうだな」
 将臣は心がここにあらずとばかりに呟き、望美をじっと見つめる。こんなに熱く見つめられてしまうと、うなじがほてった。
「蛍ってね、恋の炎で身を焦がしているから、ああやって綺麗な色で光るんだって聞いたよ。だからどこか物悲しい美しさを持っているのかな…」
 望美は蛍の光と自分の恋を重ねながら、胸が切迫するのを感じた。
 蛍と同じように、将臣に識って貰いたくて、恋の炎を燃やしている。
「…ホントに綺麗だね。この蛍は誰に恋をしているのかな…」
 望美がぽつりと恋心を滲ませながら呟くと、将臣が強く肩を抱いてきた。指が食い込んで痺れるように痛い。
「望美…、好きなやつがいるのか…?」
 確信を突かれて、望美は目を見開いた。顔色を変えるよりも解りやすいリアクションに、我ながら苦笑してしまう。
「…私も年頃だからね」
 目の前にいるひとが大好きだなんて言う勇気はまだない。ただ誤魔化すように、自分の気持ちには薄い幕を張った。
「…そうかよ」
 将臣の声が低い。横顔を覗き見ると、頬が僅かに強張っていた。自分できいてきたくせに、どうして怒るのか。望美は将臣に真意を聞きたくて、その目を見た。
「そんな目をするなよ。ただでさえコバエがいっぱいたかっているってのに、余計にたかられるぜ?」
 望美は辺りをキョロキョロと見回し、蝿がいることを確かめる。
 蝿と蚊が仲良くランデブーをしていた。
「ホント! 水辺の近くだから、蝿とか蚊がいっぱいいるね!」
 将臣は呆れ果てるように溜め息を吐くと、望美を更に強い力で引き寄せてきた。
「な、何!?」
 将臣がこんなに力任せで引き寄せてくるなんて、望美には思いも寄らないことだとた。それだけに心臓が激しく音を立てて煩い。
 息がしづらくなってしまう。
「…ま、将臣くん!?」
「いっぱい虫がいるから、虫よけをしてやろうか?」
「虫よけスプレーはふってきたよ」
「ったく、その虫よけじゃねぇよ」
 将臣はちらりと人だかりに鋭い視線を投げ掛けた後、望美のうなじに唇を寄せてきた。
「え…っ…!」
 髪をあげていたせいで、そこはいつもにも増して無防備だ。将臣の冷たい唇がそこに触れたかと思うと、そのまま強く吸い上げられた。
「まっ…!」
 もはや蛍を見ている状態ではない。望美こそが蛍のように真っ赤になって燃え上がってしまっている。
 強く音を立てられながら吸い上げられ、背筋がぞくりと華やいだ。
 将臣は唇を話すと、望美をこれみよがしに、腕のなかに抱き寄せる。
「…お前、無防備すぎだぜ? 沢山の男にエロい目で見られているぜ。あんなのは、俺がつけてやった虫よけで充分追い払えるからな。まあ、気をつけろ」
 将臣の行動に、まだ心臓が跳ね上がり続けて落ち着かない。
「あ、ありがとうって言うのかな…。ほ、他のひとにはこんなことはするの?」
 それだったら泣き叫びたいぐらいに嫌だ。望美は言葉尻を震わせながら、まるで臆病な子猫のような眼差しを向ける。
「他の女にするかよ、こんなめんどくさいこと」
「わ、私ならいいってこと?」
 期待のあわい光が、望美の心を明るく染め上げていく。
「そうだ。お前に変な虫がついたら困るからな」
「あ、それは幼なじみとして? それとも…」
 期待し過ぎて喉がからからになる。これが期待通りでなかったら、逆に心臓が止まってしまうぐらいに落胆してしまうだろうと、望美は思った。
「幼なじみじゃねぇって、言ったら?」
「す、凄く嬉しいかな?」
 声がひっくり返ってしまうのは、この際ご愛嬌だ。
「だったら幼なじみじゃねぇよ…。俺以外の変な虫は付けるなよ…」
「えっ…?」
 唇が近づいてきて、望美は目を閉じる暇も与えられずにキスをされていた。
 触れた後、どこか望美を気遣うように遠慮がちに舌が口の中に入ってくる。抵抗しないでいると、先程のぎこちない優しさが信じられない程に激しくなっていった。
「まっ…!」
 名前を呼ぼうとして僅かに開いた唇はすぐに将臣に塞がれる。
 舌は巧みに望美な口腔内をはい回って、ここがどこかを忘れさせるほどに激しく求めてくる。
 蛍のあわい光に照らされながら、望美は将臣の首に腕を回した。
 唇が離され、望美は我にかえる。自分たちのキスを多くの人達に見られてしまっていたのだ。
 それこそ蛍の明かりよりも、望美は顔を真っ赤にさせた。
「…もう、バカっ!」
「キスしてえぐれえに、お前が可愛いかったからだろ」
 恥ずかしくて目を臥せると、将臣は、望美を人々の視線から護るように立ってくれる。
「これで、悪い虫はつかねぇだろう?」
「だけどもっと悪い虫がついちゃったかも」
 望美が意味深に将臣を見ると、苦笑いを浮かべていた。
「確かにな。だけど悪い虫は一匹で充分だろ?」
 将臣に甘く爽やかに微笑まれると、望美は頷かずにはいられなかった。
「ねえ、ひとつだけ聞いていい?」
「ああ」
「昨日、一緒に蛍狩りに行ったのは誰かなって…。北鎌倉に一緒に行った子は? 将臣くん、今日と違ってお洒落していたし…」」
 嫉妬で声が震えてしまう。将臣が困るのは解ってはいたが、きかずにはいられない。
「あれは頼まれたんだよ。父親の転勤で関西に帰るから想い出を作りたいって。だけどふたりきりじゃなかったぜ。俺とその娘と後数人で北鎌倉に行った。告られたけれど、直ぐにお前が好きだって白状しちまった」
「え!?」
 望美は目を見張ると将臣を見る。
「私はまだ告白を受けてないよっ!」
「キスしたじゃねぇかよ…」
 将臣は目の回りを真っ赤にさせて照れまくっている。こんな将臣を見るのは珍しい。
「…ちゃんと将臣くんの言葉で、好きって聞きたい」
 甘えるように言ってみると、将臣が顔を近づけてくる。
「…好きだ…」
 耳元で囁かれた言葉に、望美は幸せな微笑みを浮かべる。
 ふたりの恋の鞘当てに、蛍が恥ずかしがって、真っ赤に光ったような気がした。
コメント

蛍の季節なので〜




back top