*感情のゆくえ*

前編


 将臣を見ているだけで、最近、ドキドキする。
 今までは空気のような存在だったはずなのに、何故だか側にいてその存在感を感じるだけで呼吸が上がる。
 自分でも理由が解らない。
 ただの幼馴染みなのに。
 まるで兄妹のように育ってきたのに。どうしてなのか、自分でも解らなかった。
 理由を知りたくて、横にいる将臣を熱心に観察したくなる。
 だからこんなにも見つめたことはありませんとばかりに、しっかりと見つめてしまう。
 将臣を改めて見てみると色々な発見がある。
 例えば、将臣の横顔のラインがしっかりして精悍であることや、やはり男のひとだと思う顎あたりのラインや綺麗だけれどもうっすらと髭のあとがあったりもする。
 今までじっくりと観察をしたことなんてなかったから、乗り遅れてしまったのではないかと、ぼんやりと考えてしまう。
「何を見ているんだよ?」
 余りに望美がじっと見つめたからか、将臣は怪訝そうに見つめてきた。
「な、何でもないよ」
「お前の何でもないは、かなり怪しいからな。俺の顔を見ても、アイスぐれぇしか出ねぇからな」
「えっ、あっ! アイス奢ってくれるの?」
「やべぇこと言っちまったな。まあ、昨日は給料日だったから、アイスぐれぇは奢ってやる」
「相変わらずケチだなあ」
 いつものように軽口をたたくと、将臣に軽く頭を小突かれた。
 何気ない仕草で、いつもの戯れあいの筈なのに、どうしてこんなにもときめいてしまうのだろうか。
 ドキドキし過ぎて、アイスだけでは足りないぐらいに喉がからからに渇いた。
 暫くじっとして、ドキドキが収まるのを待ち構えていると、将臣に頭をはたかれてしまった。
「行くぞ! ほら、ぼんやりすんな」
「あ、うん、行くよ!」
 将臣がスタスタと歩いていってしまうのを必死になって追いかけながら、いつものようにその背中を軽く叩いて横に並ぶ。
 心臓が痛いぐらいにドキリとした。
 そのまま固まってしまいどうしようもなくなってしまう。
 触れた背中はとても硬くて、胸がそれこそ“きゅん”と鳴ってしまうほどにときめく。
 こんな感情を、今まで感じたことなど一度もなかったものだから、望美はどうして良いか解らずにうろたえてしまう。
 鈍感だったのだろうか。
 今初めて芽生えた感情なのかも、ずっと抱いていてようやく今更のように気付いた感情なのかすらも、望美にはサッパリ解らなかった。
 この何とももどかしい感情の名前すらも何か解らない。
「おい、何、固まってるんだよ」
 将臣が呆れかえるように言い、眉を寄せて望美を見つめて来る。そんな瞳で見つめられると、余計におかしな気分になった。
「何でもないです…」
「何でもねぇようには見えないけれどな」
「本当に何でもないんです。はい」
 何だか妙な敬語で話した後、望美は将臣の背中から手を外した。
「…ったく、いつも以上にヘンなヤツだぜ」
 将臣は溜め息を吐くと、再び歩き始める。望美もその後ろを緩やかに歩いた。
 溜め息を吐きたいのは本当は望美自身なのかもしれない。
 こんなにも不甲斐ないことは今まであり得なかったから。
 学校の校門を出ても、一緒にいるだけでそわそわしてしまい、全くと言って良いほど落ち着かなかった。
「アイスは販売機の100円ので良いよな」
「給料貰ったのにケチだよ」
「俺は財テクに命をかけてるんだ。ちゃんと計算して、未来を見据えてるの」
 大雑把な将臣のことだから、大きな計画はしっかりと立て、プロセスは大まかなのだろう。弟の譲ならばきっと計画までもかなり緻密に立てるだろうが、将臣は目標にさえ達すれば、行き当たりばったりでも良いようだ。
「将来かあ…。そう言えば、一回目の進路希望表を提出しないとダメなんだよね…。なかなかさ、これっていうのがなくて…」
「将来は何をしてぇんだよ?」
「将来ねえ…」
 考えてはみてもなかなか良いビジョンが浮かばない。皆、周りが次々に進路を明確にしていくのを目の当たりにしながらも、なかなか浮かばない。
 将臣をちらりと見て、不意にドキリとした。
 輝く将来のビジョンが一瞬見え、何故か将臣の妻になった映像が脳裏に飛び込んできた。
 一番の将来の希望が将臣との結婚?
 余りにハッキリとした生々しいビジョンに、望美は自分自身にうろたえた。
「何焦ったような顔をしているんだよ」
「…何でもない…」
 将臣の顔をまともに見ることが出来なくて、望美は誤魔化すように下を向いた。
「ホント、マジで今日はへんだぜ」
「…へんじゃないもん」
「そうか。へんはいつものことか」
 将臣の軽口に望美は思い切り背中を叩く。
「…って…! バカ力で叩くなよ!」
「だって、将臣くんが悪いんじゃないっ!」
 望美が口を尖らせていると、背後から車のクラクションが派手に鳴らされた。
「おいっ、こっち!」
「…あっ…!」
 将臣にとっては、いつも通りの何気ない仕草だったのかもしれない。だが望美にはたまったものじゃなかった。
 逞しい腕に抱き寄せられて、車を回避する。
 心臓がいくらあったとしても足りなくなるような甘い行為に、このまま窒息してしまうのではないかと思った。
「ったく、今日はぼんやりとし過ぎだぜ」
「…だって…」
 将臣に叱責をされても、全く仕方がないことをしているので、反論のしようがない。
 望美はうなだれるとまた足下を見た。
「ったく、そういう風にするから、余計に周りが見えなくなるんだろうが。ったくいつまでも危なっかしくてしょうがねぇな」
 将臣は呆れ返るように望美に悪態を吐くと、不意に手を繋いで来た。
「……っ!」
 いつもなら何でもないことだと、さらりと受け流すことが出来るというのに、今日に限ってはそれが出来ない。
 脈拍がどんどん早くなり、顔中に熱い血液が巡って真っ赤になってしまった。
「手を繋がないと歩けねぇなんて、お前は幼稚園児以下かよ」
「…そんなことないもん」
「アイスでも食って落ち着け」
 駅まで来ると、将臣は何もなかったかのように手を離した。
 将臣の力強い温もりが離れてしまい、望美は胸の奥が痛くなるのを感じた。
 あんなにドキドキしていたのに、いざ離されると泣きそうになるぐらいに哀しい。
「お前、何食うんだよ」
「マンゴーシャーベット…」
「俺は抹茶金時だな」
 将臣は自動販売機で二人分のアイスを買い求めると、望美にマンゴーシャーベット味を渡してくれた。
「あ、有り難う…」
「どう致しまして」
 望美がアイスを不器用に剥いて食べるのを、将臣は愉快そうに見ている。それが何だか恥ずかしかった。
「何、見てるの?」
「相変わらず不器用だと思ってな」
「ほっといてよー」
 望美が唇を尖らせると、将臣は苦笑いを浮かべていた。
 そんな笑みを見るだけでもまたドキドキしてきてしまった。
 この感情の名前は何というのだろうか。甘酸っぱいマンゴーシャーベットは答えてはくれない。
 江ノ電に乗り込んだ後も、望美は悶々とひたすら答えを探す。けれども見つからない。
極楽寺で下車した後、家までの坂道を登りながら、望美は将臣をじっと見た。
「何だよ?」
「どうして将臣くんを見るだけでもドキドキするのかなって思って…」
「はあ!?」
 将臣は最大級の呆れ顔をすると、溜め息を吐きながら望美を見る。
「マジで解らないのかよ」
「うん」
「ったくしょうがねぇな」
 一瞬何が起こったか解らなかった。
 将臣の顔が近付いたかと思うと、唇がかする。
 キス。いや違うかもしれない。
「後は自分で考えろ」
 将臣の意地悪な声に、望美はどうして良いか解らずに呆然としていた。





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