*感情のゆくえ*

後編


 もし将臣が本当に違う女の子と付き合ったらどうしよう。
 その子がどうしようも出来ないぐらいに魅力的だったとしたら? 勝ち目がないぐらいに、将臣がその子を愛しいと思っていたとしたら?
 想像するだけで、胸がズキリズキリと痛んだ。こころから血が流れるとしたら、本当はこのような感じなのかもしれない。
 将臣は彼女のことを受け入れたとしたら。
「おい、どうしたんだよ望美」
 背後から将臣に声を掛けられて、焦る余りに背中を震わせてしまった。
「ま、将臣くんっ!」
 振り返ると、将臣が呑気な顔をして立っている。
「あ、あの! 有川くん、話がありますっ!」
 女の子は、望美を無視してその後ろにいる将臣に話し掛ける。
「話? ここじゃムリか?」
「ムリです」
「…しょうがねぇな…」
 ふたりのやり取りをキョロキョロしながら見つめる。ドキドキして、将臣の瞳に心許無い視線を送った。
 どうかイエスと言わないで。
 こんなことは自分勝手なことだと望美は充分に解っている。だが、素直に言い出すことが出来ない。
「いいぜ」
 将臣があっさりと言ったものだから、望美は不安でこころがざわざわとしているのを感じた。
 勇気を振り絞った女の子が本当に嬉しそうに笑うと、将臣に軽く頭を下げた。OKを貰ったわけではないのに、眩しいと思う程に輝かしい表情をした。
 こんな表情をされると、余計に落ち込む。
 自分は将臣に恋心を伝える勇気はないというのに、女の子は勇気を持っている。
 それだけで、負けた、と望美は思った。
 唇を噛み締める。
 なんて自分はヘタレな人間なのだろうか。
「…あっち行こうぜ。ここで話すのはなんだから」
「そ、そうだね」
 将臣が一瞬自分を見たから、望美はドキリとした。
 クールなまなざしは怒っているようにしか見えなかった。
 ふたりが行ってしまった背中を見つめながら、胸が張り裂けそうになる。
 望美はふたりが消えてしまうギリギリのところを見計らって、その後をつけた。
 こんなことは本当はしてはいけないことぐらい、ちゃんと解っている。だが、ふたりの気持ちの行方を確かめな ければ、このもやもやとした気分が治まりそうにないことぐらいは解っていた。
 ふたりは中庭に出ると、端に向かって歩き始める。
 中庭に出たところで、望美の足は止まってしまった。
「…バカだな…。こんなことをしてどうにでもなる問題じゃないのに…」
 望美は溜め息を吐くと、将臣たちを残して教室へと向かった。
 足取りがいつもよりもかなり重いような気がする。
 トボトボとゆっくりと歩いていたものだったから、教室に戻るのに時間がかかってしまった。
 席について、望美は大きな溜め息を吐くと、机を抱き締めるように突っ伏した。
 あんなことをしたらきっと将臣は軽蔑するだろうから。いや、もう軽蔑をしているかもしれない。
 また溜め息を吐くと、机をトントンと叩く音を聴いた。
 顔をほんの少し上げると、そこには将臣が怪訝そうにこちらを見ているのが解る。
「どうしたんだよ?」
 将臣の問い掛けに、望美は慌てて飛び起きた。
「な、何でもないよっ! 何でもないっ!」
 慌てる余りにかなりの早口で言うと、望美は背筋をわざとらしく伸ばした。
「な、何でもないよ。嫌だなあ、将臣くんはっ!」
「ったく、相変わらずおかしなヤツだぜ」
 将臣は呆れ返るように眉根を寄せると、望美の机をもう一度ポンと叩いた。
「放課後、一緒に帰ろうぜ。話したいことがある」
「う、うん」
 将臣が事前に帰る予約をしてくることなんて珍しい。
 望美は余計に不安な気分になった。
 昼からの二時間の授業内容なんて、全く頭のなかに入らない。
 将臣に何を言われるのだろうか。
 ひょっとして彼女が出来ただなんて言われてしまうのではないかと考えて、望美は暴れ出してしまいたくなった。
 心臓が嫌なリズムを刻む。こんなリズムなんていらない。
 望美は全く落ち着くことが出来なくて、また溜め息を吐いた。
 ようやく授業が終わったものの、チャイムが地獄の門が開門する合図のようにすら聞こえてくる。
 担任の終了の号令に、いよいよ逃げ出したくなってしまった。
「望美、帰るぞ」
「あ、うん」
 ドキドキしながら慌てているものだから、いつもよりも手際悪く帰る準備をする。動揺しているのが丸分かりだ。
「お、お待たせ」
「行くぞ」
 目の前の将臣の白いシャツと広い背中が眩しくてしょうがない。
 ドキリとしながら、甘酸っぱいときめきに、呼吸がおかしくなりそうだった。
「ほら、行くぞ」
 将臣はさり気なく、真っ直ぐと手を差し出してくる。
 手を繋いで構わないという合図なのだろうか。恐る恐る手を伸ばすと、将臣に手をしっかりと取られてしまった。
「ま、将臣くん」
 強く握り締められ、もう離してくれそうにない。だがその強さが心地よくて、こころが夏の空よりも眩しくて明るい色に染め上げられた。
 手を繋いだまま下駄箱に行き、靴を履き替える。その間も、手を離す事はなかった。
「眩しいな」
「そうだね」
 ふたりで日坂を下りながら、望美は新鮮なのに懐かしい痛みをこころに覚える。
 あの子とはどうしたのだろうか。
 訊こうとしたところで、将臣が口を開いた。
「これからは俺の独り言」
 将臣はそう前置きをすると、夏の陽射しに輝く湘南の海を見つめた。
「…断っちまったよ、昼間の女の子…」
 将臣の言葉に、こころを曇らせていたもやもやが一気に晴れていくのを感じた。
 安心して、ホッとして、躰から力がゆるゆると抜けて行く。
「よ、良かった…」
 素直に出てしまった言葉だった。同時に涙がポロポロと零れ落ちる。
 しょっぱくて甘い。
「何、泣いてるんだよ」
「わ、解らない」
 望美は将臣にくしゃくしゃの顔を見せながら、声を裏返す。
「解れよ。いいかげんに」
「え…?」
「お前が泣き出した本当の理由は、何なんだよ? よく考えろよ」
 将臣は望美に向き直ると、真摯なまなざしを向けて来た。
 こんな真剣味に溢れた将臣を、望美は今まで見た事がなかった。
 肩に手を置かれて、ただ見つめられる。
 目の前江ノ電ののんびりとした通過音が聞こえてきた。
「あ、あの、その…」
 誤魔化そうとして、将臣のまなざしがこころに突き刺さる。
 そうだ。ここで誤魔化すことなんて出来ないのだ。将臣への気持ちを、今までと同じように誤魔化すことなど、本当はとても失礼なことだと、今更ながらに気が付いた。
 どれぐらい見つめていただろうか。
 本当はほんの短い時間だったのかもしれない。
 江ノ電はまだ通り過ぎてはいないから。
 あの子のように。勇気を持つ時が来たのかもしれない。
 望美は胸に大きく息を吸い込むと、将臣の瞳と向き合った。
「…将臣くんが…、世界で一番好きだから…」
 反対側から江ノ電がまた通り過ぎる。
 時間が止まる。
 高校二年生の貴重な時間が。
 将臣の大きな手が頬を包み込んだかと思うと、深くて親密な角度で口づけられた。
 恋人のキス。
 時間が動き出す。
 将臣はゆっくりと望美から離れると、切なく甘い笑みをくれた。
「よく出来ました」
 将臣の言葉に、望美は自分のなかに眠っていた“好き”を開放させる。
「もうっ! バカっ!」
 悪態を思い切り吐くと、将臣にギュッと抱き着く。
 恋の季節はこれから始まる。





Back Top