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月はいつも太陽に片思いをしていました----- 小さな頃、そんなフレーズの童話を読んだ。 私の名前は月を意味する。それも満月。生まれた日に見事な十五夜だったからと、父が付けたものだ。 じゃあ太陽は----- きっと一番近い異性。 ずっと、ずっと見ていた。 あなたをずっと見つめていたから、あなたが誰を見ているか、識っていたんだよ…。 叶わないと解っていた。 私はあなたにとって一番近くにいる存在で、だけど一番遠くて…。 まるで太陽に片思いをする月のように、あなたを見ていた。 鎌倉から見る月が一番綺麗だと思う。 それは大好きなひとが近くにいることを、識っているから。 だが、最近hがその月が望美にとっては遠く思える。幼なじみの横顔を見ながら、おとなびたと思った。 今日はふたりで鎌倉周辺に来て、親から頼まれた用事を済ませていた。性別を超えた親密さがふたりの中には漂っている。 だが、最近、望美はそれでは満足できなくなっていた。 こうして一緒に並んでいるときは特に。 「あ、絵梨さん…」 低い声で呟かれた名前に、望美は顔を上げる。視線の遠くにいるのは透き通る肌をした、かなり年上の大人の女性だった。 何処か愁いを感じる姿は、息を呑むぐらいに美しい。望美は横にいる幼なじみを盗み見る。 やる瀬ない横顔をした幼なじみは、切なさそうに目の前の女性を見ていた。 悔しいけれど本当に恋をする横顔だ。 自分には決してさせられない顔だ。 カノジョと将臣の接点はアルバイトだと聞いた。絵梨は研修医で、たまたま将臣がアルバイト先で気分が悪くなったところを、助けてくれたらしい。 そこから恋が始まったのだと。 そう、望美の識らないところで、恋は始まったのだ。 「行きなよ、話したいんでしょ?」 わざと笑いかけると、将臣は頷き、走っていく。 「ごめんな、また、埋め合わせする!」 「先に帰っているからね!」 将臣は手を上げて、絵梨に近づいて行った。暫く、ふたりの様子を見る。まるで監視するかのように。 将臣だけを見ていた。 本当に良い顔をする。艶めいているところと、まだ青い少年の部分がある。 「…何だかな…。悔しい」 余りにも良い顔をするものだから、嫉妬がせり上がってきて吐きそうになる。望美は、堪え切られない感情に、 逃げるように鎌倉カスターを買いに行った。 涙が滲んで先が見えなくなる。だが、ここで泣いてしまったらイメージが悪くなるから泣かない。 望美は慰めのために鎌倉カスターを買い求めると、それを片手に江ノ電に乗り込んだ。 「…もうすぐ梅雨なんだよね…」 厚い鈍色の空も、鎌倉には似つかわしい。車窓から見える空をのんびりと眺めながら、鎌倉カスターを頬張った。 頭も心もからっぽにしたいのに、将臣のことばかり考えてしまう。カノジョの横にいたときの嬉しそうな顔は、恋する男そのものだったのだ。 「私には、あんな顔をしてくれたことはなかったよね…」 また洟をすすり、カスターをパクりと一口。 いつもはとてもスウィートに思える味が、とてもしょっぱく感じられた。 極楽寺で降りると、偶然にも譲に出くわす。望美なもうひとりいる大切な幼なじみだ。 「先輩どうしたんですか? 兄さんは?」 「将臣くんはまだ鎌倉にいるよ。知り合いと会ったから、話して行くって」 「…絵梨さんですか?」 譲は不快そうに眉を寄せ、眼鏡を持ち上げる。明らかに兄への軽蔑が感じられた。 「…うん、そうだよ。よく解ったね」 「…先輩を見れば…」 言外に滲ませたニュアンスは、聞こえなかった意味まで感じとれる。 がっかりしていたから。 確かにそうだ。 いつも上手く隠せていると思っている。将臣にすらばれてはいない自信はある。 なのにこの幼なじみだけには隠すことが出来ないのだ。 本当の気持ちを。 「兄さんも好い加減報われない恋なんて止めればいいんです。人妻と不倫だなんて…」 胸が痛い。 将臣は年上の美しい女性に不倫をしている。研修医である絵梨には、学生時代に結婚をした医学博士の夫がいる。今、ドイツに留学中でほどなくして帰ってくる予定だ。 望美は譲に対して何も言えなかった。 報われない恋をしているのはきっと自分も同じだから。 妹ぐらいにしか見てもらえない幼なじみを、子供の頃からずっと好きだ。余りに一途過ぎて笑ってしまえるぐらいに。だから、将臣を非難する資格なんて自分にはないのだ。 望美は歩何する譲の眼差しに、自分も非難されているように思えて、息苦しくなる。 その時、タイミング良く電車が見え、正直、ホッとしてしまった。 「あ、譲くん、電車が来たよ。塾なんでしょう? 遅れるよ」 「はい、じゃあ」 譲は改札に入りかけて、振り返る。 「先輩、何か苦しいことがあったらいつでも俺に言って下さい! 先輩の傍にいます! 先輩を支える準備はしっかり出来ていますから!」 こちらの返事を聞く前に、譲は江ノ電に飛び乗っていく。 ストレートで熱い告白。 きっと将臣からは一生聞くことが出来ない言葉だ。 望美は涙を堪えると、泣かないように空を見上げた。 恋では泣かない。 そう決めたから。ちゃんと前を見てしぶとく生きて行くのだ。 この文学作品に、恋をし過ぎて嘆いて死んでしまうひとがよく出てくるが、自分は絶対そんなことにはならない。 きっとしぶとく生きて行くのだろうと思った。 朝、何時ものように将臣を起こしに行った。眠っている顔を見ると、小さな頃から何ひとつ変わらない。 なのに最近は、近づきがたく思うぐらいにおとなびた一面を持っている。 「もうっ! 早く起きなさいよ!」 上かけを剥がすと、望美は目を剥いた。将臣が上半身何も纏わずに眠っていたからだ。 いつの間にか筋肉が綺麗についていて、女の人を護れる躰つきになっていた。 触れたい。 手を伸ばそうとしてはっとした。 将臣の目がゆっくりと開く。 そうだ、この躰は自分が触れて良いものではない。触れていいのは、絵梨だけ。将臣が赦しているのはカノジョだけ。 「早く起きなさいよ! 遅刻しちゃうよ!」 「ああ…」 けだるそうに躰を起こす様はとても艶めいていて、望美の躰をどうしようもないぐらいに熱くさせた。 全身が脈を打ち、まるで総ての細胞が将臣のためだけに営みを続けているように思えた。 「…将臣くん、マジで遅刻しちゃうよっ!」 「ああ」 ベッドから起き上がった瞬間、将臣からはほんのりと香水の匂いがした。 絵梨が良く似合う香水、オードシャルロットだ。望美には背伸びをしても今は似合わない。 望美は冷水を浴びせかけられた気分になり、顔を強張らせた。 先程までは沸騰したお湯だったのに、今は冷たくなった水だ。 目が覚めて、頭の中が不快指数でいっぱいになる。 「早く着替えてよ。下で待っているから」 「ああ、望美」 部屋を出ようとしたところで、将臣に呼び止められた。 「何?」 「昨日はありがとうな」 呟かれた言葉を、望美は受け入れられない。本当は受け入れたくない。 なのに大好きなひとの前だから、つい笑顔で頷いてしまう。 「あんなのお安い御用だよ。下で待っているね」 階段を下りながら考える。 何時からだろう。 将臣に素直な気持ちをさらせなくなったのは。 「大きくなると複雑になっちゃうね…。子供のままでいられないのかな…」 ひとりごちた言葉が余りにも後ろ向き過ぎて、望美はから笑いをした。 「待たせたな」 「待ったよ」 「ったくひでぇ幼なじみ」 将臣が苦笑しながら自転車の鍵を開けているのを、望美はじっと見ている。 今だけ、今だけは。 「おし、行くぜ」 「うんっ!」 勢い良く返事をしたものの、絵梨ならば荷台に跨がることはないだろうとぼんやりと思う。 「どうしたんだよ?」 「あ、うん、遅刻しちゃうね!」 望美は何時ものように荷台に跨がると、強く将臣に縋り付く。 今だけは、将臣を独り占めさせて欲しい。 オードシャルロットの香りが似合うあの人から、将臣を取り戻したい。 望美は神に祈りながら、恋心を抱きしめていた。 |
| コメント パラレルな幼なじみです。 |