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「兄さん、先輩はあまり遅くなっていないだろ? そんな顔で怒るな」 譲は明らかに将臣を威嚇するように言う。将臣はいつものおおらかさはなく、ただ冷酷な眼差しを向けている。まるで還内府が還ってきたみたいだ。 「…バスボム買ってきたんだ…。電車のなかで譲くんに逢ったんだよ」 「最近は物騒だからな、今は譲がいたから良かったものの、ひとりで暗い夜道を歩くな」 まるで叱責する兄か親のようだ。望美は小さくうなだれる。 「…うん、気をつけるよ…」 「帰るぞ」 将臣が一歩先を歩き、その後を望美と譲が続く。 とぼとぼ歩いているのは、まるで闘いに敗れて、失意のどん底に突き落とされてしまった気分になった。 家までたどり着くと、ふたりのおさななじみは、望美が家のなかに入るまで、ちゃんと見守ってくれている。 「ふたりとも有り難う。また明日ね」 「ああ。これから遅くなる日は、俺がバイトのねぇ日にしろ。解ったな」 まるで噛み含めて言われている気分になり、望美は少しだけしゃくに障った。 返事もせずに背中を向けるのが、せめてもの抵抗。 家に入ると、無性に駆け出したい気分になるぐらいに苛々して、部屋まで駆け抜けた。 部屋に入り込むと、ようやく自分のテリトリーになったような気がして、肩から力が抜けた。 窓を開けて、空に張り付いた脳天気なまでに丸い満月を見上げる。 何だか泣けて来た。 翌日の放課後も、あの子はやってきた。またきらきらを躰に纏わらせて、今度は堂々としている。 彼女に自信を持たせるだけの何かが、きっとあったのだろう。そう思うだけで、じりじりと灼けつく想いを感じた。 「有川くん、一緒に帰ろう!」 将臣がクールな瞳でこちらを伺ってくる。 将臣の視線が痛く、女の子の媚びた声に苛々し、望美は自分ではどうすることも出来ないいらつきに、どうなかなりそうだと思った。 「将臣くん、帰りなよ。私は図書室で勉強して帰るし。これでも受験生だからね」 望美は鞄を持って立ち上がると、将臣と女の子の横を駆け抜ける。 きらきらが憎らしい。きっと自信が持てる何かがあったのに違いないと、望美は思わずにはいられなかった。 ひとり図書室に行き、やる気もないのに参考書を机に広げる。志望大学は将臣と同じところにしたから、勉強はしっかりとしなければならない。 だが、最近思う。 将臣と同じ大学に行ったところで、自分がただの幼なじみであることを、かえって見せ付けられてしまうのではないかと危惧する。 「本当は、”ただの幼なじみ”が私たちの関係なのかもしれないな…」 そう思うと、余りに冷たい関係に感じて涙が零れた。 視界が滲んで、参考書に書かれた文字が上手く読めない。これでは勉強にならないだろう。 望美は潔く諦めて参考書を直すと、気分転換に海に出ることにした。 譲を待って一緒に帰るのなら、将臣は怒らないだろう。だがそれでは、譲を利用をしているような気分になり、胸が痛んだ。 海岸に出て、ただっぴろい海を眺めれば、自分がいかに小さな存在かを感じさせられる。 譲を利用するなんてもっての他だ。自分への好意を頼るなんて、最低の女がすることだろうと思った。 海を見ながら、望美は無心になった。嫉妬がさらさらと零れ落ちる。 「こんなところにいたのかよ? 図書室で勉強するんじゃなかったのか?」 非難するような雰囲気はまるでなく、むしろからかうような声が背後から聞こえて来た。 大好きでいつまでも聞いていたい、低く響く声。 ひょっとして隣にあの子がいるかもしれない。それを思うと、望美は上手く振り向くことが出来ずにいた。 「受験勉強には、気分転換が必要だから」 「それにしては気分転換が多くねぇか?」 苦笑する声には、きらきらしたあの子の甲高い声は聞こえてこない。 ひょっとしてひとりなのかもしれない。 恐る恐る振り返ると、将臣がひとりでぶっきらぼうに立っていた。 「あの子と一緒に帰らなかったの?」 「ああ、駅でばいばいだ。俺も真面目に図書室で勉強しなくちゃならなかったからな」 将臣はまるで遠い日に忘れ物をした少年のような顔をする。あどけなさとおとなびたところが同居し、望美の心を大きく掻き乱していく。 「将臣くんは勉強あんまりしなくても要領が良いから…」 「だからこうやって息抜きにきた」 横にぴったりと並ばれて、望美はどぎまぎする。生まれてからずっと、よくよく見られた光景であったのに、何故か今日は、心臓が駆け出してしまうかと思うぐらいに、鼓動が跳ね上がる。 こんなに背は高かった? 鞭のようなしなやかさと、誰かを護ることが出来るかのよいな頑健さが、バランスを取れた躰をしていた? こんなに心を騒がせるような大人の甘い香を、躰から発していた? 今までどうして気付かなかったのだろうと思ってしまうほどの、艶を帯びた将臣のイメージが、怒涛のように脳裏に張り付いて来た。 こんなに男だというのを、望美は今更ながらに気付いてしまった。もっと別の意味で、将臣を意識して、好きになる。 ドキドキする余りに睫毛が小刻みに揺れて、望美は甘い痛みに心を焦がす。 あまりにもあまりにも好き過ぎて何も言えなかった。 「…まさか、譲を待っているとかはねぇだろうな…」 声が威嚇をして、真っ直ぐと望美の心を突いてくる。痛いはずなのに、この気持ち良さは何なのだろうかと、望美は思わずにはいられない。 「違うよ。確かに暗くなったら…、譲くんと帰るのもありだとは思ったけれど…」 ポツリと本音を言えば、いきなり将臣に手を掴まれてしまった。 「お前には俺がいるだろ? 俺と一緒に帰れば良い」 手首を握る将臣の手が、信じられないぐらいに強い。息を呑んでしまいそうだ。 こんなに追い詰めないで欲しい。 「…だって…」 うるうると涙が滲んで来て、将臣の顔をまともに見ることが出来ない。 「…だって…何だよ…?」 「…私は、ふたりで帰りたいんだよ。誰かと一緒だと嫌なの…」 きっと軽蔑される。びくびくしていると、大きな手を肩に置かれた。 「だったらふたりきりで帰ったらいいんだな?」 「…うん」 顔が見られない。 「そのかわり条件がある」 将臣は、普段は見ることが出来ないような神妙な顔をして、望美を見つめてくる。真摯さとどこか照れが感じられた。 「俺はもうお前以外の女と帰らねぇ。だからお前も、俺以外の男と一緒に帰るな。たとえ譲でも駄目だ」 怒っているのか、照れているのか。その顔がかなり魅力的で、望美の心を掴んで離さない。 「解った。将臣くん以外とは一緒に帰らない」 覚悟をするほどのものじゃない。将臣とそうしたいのだから、むしろ喜んでする。 「有り難うな」 将臣はスッと目を細めると、望美の頬に手を伸ばしてくる。 「約束だぜ。どこかへ寄り道する時は、必ず俺に言うこと」 「うん、事前に言うよ」 「オッケ」 将臣に肩を抱き寄せられたかと思うと、目を閉じて顔を近づけてくる。 心の準備がままならぬままで、唇を奪われた。 触れるだけのキス。 だが望美にとっては、それは充分過ぎるほどに甘いキスだ。 触れたといっても、唇の先が触れ合う程度だったというのに、それだけでも失神してしまいそうだ。 「ま、将臣くん…」 「少しずつ、変えていかねぇか? 俺達の関係。幼なじみから、俺は脱却したい」 「脱却?」 「お前ともっと仲良くなりてぇってことだよ」 こんなにストレートに言われて、心が全速力で駆け抜ける。 「…私ももっと仲良くなりたい」 将臣はホッとしたように笑うと、望美をふざけるように抱きしめる。 「告るの、すげぇ緊張したんだからな!」 「あ、う、あ、有り難う」 自分で何を言っているのか解らないまま、望美は真っ赤になって呟く。 「…有り難う…」 「こちらこそ有り難うな」 湘南の空は薄紫に染め上がり、ふたりを祝福しているように思える。 「もっともっと仲良くなろうぜ?」 「急激はダメだからね」 「…努力はする」 幼なじみから恋人へとシフトを始める。 ふたりの恋の砂時計は、まだ動き始めたばかり。 |
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