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先ほどの話を聴かれていたと思うだけで、穴に入りたくなる。 望美は動揺と恥ずかしさで、心臓を激しく打ちながら、将臣の様子を伺った。 どこか苛々しているように見える。 怒ったように見える顔は、眉間に綺麗なシワが刻まれていた。 手をギュッと握り締められたままで、裏庭に引っ張られる。その強引さに、ほんの少しときめきを感じたりもした。 何も喋らないままで裏庭まで来ると、将臣はピタリと動きを止める。 望美に向き直ると、将臣は真っ直ぐとこちらを見つめて来た。 お互いに視線を絡ませあい、息を乱す。 話してもいないし、走ってもいないのに、ふたりの呼吸中枢はバランスを崩したように乱れていた。 「…望美…、さっきのキスの話…」 将臣は上手く言葉に出来ないらしく、考え込むかのように語尾を澱ませている。 「…あれ…お前のマジの気持ちかよ…?」 まるで頼りのない小さな子供のように視線をしているくせに、その表情は男そのものだ。 驚くほどの落差に、望美は息を呑むほどに惹かれてしまう。 「…私の気持ちだよ」 聴かれた以上は、もうごまかしなどきくはずはない。望美は堂々と言い切るしかなかった。 「だったら…俺とのキスは安売りしているって、思わないのか?」 将臣はこころの奥にあるもやもやを吹き出すように、言葉を噛み締めながら呟いた。 もやもやはどこかどす黒いのに桃色のきらめきがあちこちである。 望美は将臣を見上げ、将臣もまた望美を真っ直ぐと見つめている。 互いにまるで瞳が話しているかのように、睫毛がちらちらと話をしているように瞬いていた。 重いくせに何だか白いきらめきのある沈黙が、ふたりの間を漂っている。 息苦しいのに、重い苦しさはなく、代わりにあるのは、薔薇色の重苦しさだけ。 まるでお互いの出方を見るように、ふたりは視線を絡ませていく。 「…将臣くんは…、誰とでもキス出来るような気がするけれど…キスの安売りはしないの?」 逆に将臣に率直なところを訊いてみた。 将臣は一瞬、目をスッと細めると、望美を眩しそうに見つめる。 「さあな。薄利多売ってやけじゃねぇよ。安売りは俺的にしているつもりはねぇよ」 将臣は視線を逸らすことなどなく、ただ望美だけを見つめてくれている。 将臣は望美を探るように見つた。その瞳が危険なほどに甘い。 「…俺は誰彼構わずにキスをするタイプじゃねぇぜ」 「解っているよ。将臣くんは、確かに薄利多売なタイプじゃないというか、そんなことは出来ないよね。だけど…」 では自分にした数々の気sの意味は何だろうか。それを考えるだけで、こころが甘酸っぱく跳ね上がった。 「私にはキスしたよね…」 「ああ」 改めて事実を確認して、望美はドキドキの余りに、頬を赤らめた。 ひょっとして期待をしても良いのだろうか。 息苦しい言葉を、望美はようやく舌に乗せた。 「私も器用なタイプじゃないから、キスの安売りなんて出来ない…。とっておきのキスは、置いていかなくっちゃならないから…」 脈拍を意識しながら、望美は恥ずかしくて俯く。 将臣は繋いだ手を握り締めると、望美を真直ぐに見つめた。 「キスにこころが篭っていねぇと意味がないだろ? お前とのキスは、ちゃんと、その…思いは入っていた。俺的にな」 「う、うん」 「だから。こころの篭ったキスをさせろよ…」 将臣は目を閉じると、望美にゆっくりと近付いてくる。 間近に見つめると、なんて精悍な美しさを持っているのだろうかと思わずにはいられなかった。 ドキドキしてときめいて。ズッシリ将臣の素敵さがこころに広がる。 ずっと見つめていたいのに、瞳はごく自然に閉じられてしまった。 将臣の少し硬くて心地よい唇が、しっとりと重なってくる。 うっとりとしっとりする感覚に、望美は世界が瞬く間に煌めくものに変化があったことを思わずにはいられなかった。 こんなキスは決して安売りしたりはしない。 望美は将臣がくれるキスの魔法に溺れながら、いつしかしっかりと精悍な肩に抱き付いていた。 今までのキスよりもより熱くて、生々しい。 将臣の舌が、望美の総てを奪い尽くすように、甘く激しく愛撫を続ける。 唾液が唇からこぼれ落ちればそれを追い掛け、ごく当たり前のように飲み込んでくる。 望美も何の抵抗もなく、将臣の唾液を素直に受け入れた。 リアル過ぎるのに、妄想していた時よりは遥かにロマンティックで、言葉に出来ないぐらいに素敵に思える。 ここが学校だろうとも、どこだろうとも関係ない。 ふたりがキスをしているという事実だけが重要で、他はどうでも良かった。 将臣の大きな手が、いつしか望美の背中を捕らえるようにしっかりとはい回る。 熱情と男らしい逞しさに、望美の背中は快感に震えて、溺れて行った。 将臣の大きな手のひらは、ただ無造作に動いているだけだというのに、何故だから蕩けてしまうぐらいの刺激を望美に与えてくれた。 ロマンティックに、そしてリアルで素敵な世界に、望美は引き込まれて行く。 今までいた世界が偽りにさえ思えてきた。 頭のなかまでが酸欠になるぐらいに深いキスをされた後、ようやくふたりの唇は離れた。 名残惜しくて泣けて来る。 潤んだ瞳を将臣に向けると、思い詰めたような瞳とぶつかった。 「…世界は変わったか?」 一瞬、沈黙が走り、将臣は辛そうなまなざしを向ける。 こちらも同じように胸がきゅんと痛む。答えを言った後で、将臣に小バカにされるのが怖くてたまらなかった。 「…将臣くんは? 世界が変わった?」 聴くのが怖いから、逆に訊きかえしてみた。 将臣は一瞬、言葉に詰まったように息を呑むと、薄く微笑む。 「…変わったって…言ったら?」 すとん。 音を立ててダイヤモンドよりも輝く恋のきらめきが落ちて来る。 嬉しいのに。暴れてしまいたいぐらいに嬉しいのに。 どうして瞳の奥が燃えるように熱くなるのだろうか。 「…お前は?」 将臣の声を聴くだけで、涙が滲んで姿を変えた世界を見せつけられる。 「…世界が変わったに決まっているじゃないっ!」 望美はこころの奥底から声を滲ませると、将臣に思い切り抱き付いた。 キスから望美の世界は変わった。 なかなか言えなかったひとことを、こうして言えるのは、キスの魔法にほかならない。 将臣の腕のなかで見上げると、眩しそうに照れくさそうに笑っている大好きなひとがいる。 将臣の顔がゆっくりと下りてくると、望美の唇にこの上なくない優しいキスをくれた。 触れるだけの砂糖菓子のようなキスも、確かにリアルなキスだ。 望美は瞳に涙を浮かべると、何度もふふっと笑みを浮かべた。 「あの時…私にキスしたのはどうして?」 「…ずっとキスしたかったから」 将臣はキッパリと言い切ると、ゆっくりと望美の唇を見つめる。 「きっかけが欲しかった。お前を俺の女にするのに。お前は?」 「私もきっかけが欲しかったんだよ。将臣くんを自分のものにするのの」 思わず微笑むと、将臣もまた微笑み返してくれる。 「…ちゃんと言ってなかったな…、好きだぜ、望美」 「ううん。ちゃんと言ってくれていたよ…。だって唇がお喋りだったんだもん…」 望美が甘えるように将臣に抱き付くと、強く抱き返してくれる。 甘い甘いキスがふたたび下りて来る。 夢見るキスは何よりも甘くて、そしてリアル。 世界を変えてくれたキスを交わしながら、望美はリアルな幸せを噛み締めていた。 |