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ひとが見ている前でキスをするのは、これで二度目。 こんな恥ずかしいことは拒めば良いのに、望美には拒むことが出来ない。 キスが深まるにつれて、ここがどこかが気にならなくなる。同時に、こころがときめくような情景が繰り広げられた。 キス以外に何も感じない。多田夢中になっていれば良い。 熱いキスに、頭がおかしくなってしまいそうなところで、望美は唇を離された。 ぼんやりとした視界で将臣を見上げれば、艶のある凛々しい眼差しが飛び込んでくる。 望美は思わずうっとりと魅入ってしまった。 ふたりのキスを見ていた女の子は、何も言えないとばかりに黙り込むと、望美を睨み付ける。 「バカらしいわね…」 苦々しく呟くと、車両を移ってしまった。 将臣は望美の手をギュッと握り締めると、そのまま静かに前を見つめる。 好奇の目に晒されているのに、将臣を責めることが出来ない。望美はここがどこであろうとも、ときめいてしまったのだから。 キス。 それはある意味、ふたりが恋人同士であることを、様々な人々に宣伝しているようなものだった。 極楽寺の駅で降りて、狭い自転車置き場に向かう。 今朝はただの幼馴染みだった。 なのに、今はフェイクな恋人同士。 望美が黙ったまま、将臣にちょこちょこ着いて行くと、何だか思い詰めるような視線を向けられた。 「…望美…、怒っているのかよ?」 「怒ってなんかはいないよ…」 「余りに静かだからな…」 将臣は何処か苛々するように、自転車の鍵を開ける。 「…将臣くん、どうして、フェイクな恋人が必要なの?」 「さっきみてぇな女がちょっかい出してくるのが、いい加減に面倒臭いんだって、さっき話しただろ?」 「…うん…。だけど…ほかに、理由はないかなって…っ!」 将臣の唇が軽く望美の唇を塞ぐ。 まるで黙れと言っているかのようだ。 唇を塞がれて、望美は心臓が飛び出てしまうほどのドキドキを感じていた。 「…あ、あの…、将臣くん」 「うるさい口は塞ぐに限るだろ?」 「う、そ、そうなんだけれど…」 望美は将臣をまともに見ることが出来なくなる。俯いていると、将臣が苦笑いをして、頬に触れてきた。 「…理由はいずれ話してやるさ。だからそれまでは、恋人のふりをしていて欲しいんだよ」 「解った」 腑に落ちないが、望美は頷くしかなかった。 少なくても、望美にくれたキスは、情熱がたっぷりと含まれていた。 唇は瞳よりもモノを言っているのかもしれない。 望美はいつも通りに、将臣の自転車の後ろに乗り込み、その背中にしっかりと抱き着く。 キス。 あの情熱的なキスが嘘でないのなら、何よりも嬉しいのに。 キスが言葉よりも雄弁に語ってくれれば、嬉しいのに。 望美は将臣の背中に、自分のこころを乗せた。 将臣と望美が公認カップルだという事実は、瞬く間に学校中を駆け巡った。 将臣のファンや憬れている女の子たちからの、『告白ラッシュ』もピタリと止まってしまった。 本来はこれが目的であったはずなのに、将臣は一向に、恋人解消を言っては来ない。 望美はやんわりと真意を伺うように、将臣に訊いてみた。 「将臣くん、恋人解消とかは考えてはいないの?」 「お前は考えているのかよ?」 将臣の声が少し硬くなる。 「か、考えてはいないけれど…将臣くんにとっては、目的を達することが出来たんじゃないかなって…」 望美は不安げに将臣を見つめると、瞳を切なさで曇らせた。 「当分はこのままで良いって思っている。…お互いに本当に好きなひとが出来たときに、解消ってのはどうだ?」 本当に好きなひと。 本当は目の前のひとが一番好きだ。 だから本当に好きなひとはいる。 だからこの偽りの関係を終わらせたくない。 「まだ一番好きなひとは…いないよ」 「俺もだ。だから、一番が出るまで、こうしていねぇか?」 一番が出るまでと言われても、将臣が一番なのだから。 キスをする偽りの関係なんて、望美には有り得ない。だが、将臣外地版だから。 だが、その相手がほんものだから、従わずにはいられなかった。 昼休みはごく自然と恋の話になる。 特に女の子だけでわいわいとしていると、それしか話題がないぐらいに、恋の話ばかりだ。 「望美はカレシがいるからなあ。幼馴染みはやっぱりポイント高いもんねえ。今までさ、誰も有川くんに対しては望美に勝てなかったわけだしね」 「そ、そんなことないよ」 望美は曖昧に笑いながら否定をする。 誰にも言えない。 ましてや友達にさえも。 将臣との関係は未だ幼馴染みの枠からはみ出せないことを。 「キスとかさ…、有川くんクールに見えて熱そうだよね。だけどキスってさ、ひとによって違うと思うんだよね。望美はキスの指標とかある? 何人もしたほうが良いのかな?」 友人はあれこれ憧れを抱くように呟く。 女の子は誰もがキスには憬れる。 大好きなひととするロマンティックなキスを。 望美も将臣とロマンティックなキスをしたいと、いつも思っていた。 叶ったキスは、ある意味ロマンティックでドラマティックではあったが。 「望美、ロマンティックなキスってどんなのかな。色々試した据えに見つかるのかな?」 夢見るような友人の瞳に微笑みながら、望美はゆっくりと口を開いた。 「キスは安売りしないものだよ。大好きなひと以外は」 望美はまるで友人に言い聞かせるように呟く。 「本当にロマンティックなキスは、周りが気にならなくなるんだよ。何も聞こえなくて、ただキスをしてくれる大好きなひとのことだけを考えるんだよ…。キスって、ある意味、言葉よりも相手が何を考えているかがよく解るんだ…。正直なんだよ、キスって。大好きなひとの気持ちを感じているから、キス以外には何も感じなくなる。雑踏や人込みのなかでキスをされても、平気になっちゃう」 望美の甘い語りに、そこにいる誰もがうっとりと溜め息を吐く。 夢は余計に大きくなる。 キスが素晴らしいものだと、ロマンティックなものだと、甘く感じている。 「ねぇキスをした瞬間ってどんな感じなの?」 いつしか友人は身を乗り出して望美に答えを求める。その瞳には、憂いない憧れが滲んでいた。 「…キスをした瞬間から、周りの景色が変わるんだ。何の変哲もないいつも通りの景色も、とてもロマンティックに見えるんだよ。バラ色や春色に輝いているみたいに…」 望美は、数少ない将臣とのキスを思い出しながら、うっとりと呟いた。 こんなに話していて、温かくて心地よいことはない。 「望美、やっぱり愛し愛されているんだねえ。私たちと感じることは違うね」 誰もがうっとりと呟いてくれているなか、望美の胸は切なく痛んだ。 涙が滲むほどに胸が苦しい。 愛し愛されているわけではない。 本当は一方通行の恋なのだ。 その事実が望美を苦しめ、友人の望美に憬れるようなまなざしをさけるように、俯いた。 「だって! 有川くん! 散々ね惚気られたよ」 将臣の名前を言われて、望美は胸が痛くなるほどに驚く。 息を呑みながら顔を上げると、そこには険しい顔をした将臣がいた。 望美の背筋が凍る。 今までの話を総て聞かれていたら、きっと軽蔑をされる。 フェイクな恋にリアルを絡めるなんて、きっと将臣は不快に思うに決まっている。 望美が将臣の様子を伺うように見つめると、一瞬、指先が触れる。 「授業終わったら、じっくり話さねぇか」 「…解ったよ…」 この先に何が待っているかを考えられない。 望美はこころに重いおもりがのしかかったような気がした。 |