素直になれなくて


 もうすぐ夏休みも終わる。夏の終わりは、いつもノスタルジックでけだるい。祭の後の寂しさが漂っている。
 将臣と来年の夏に、沖縄に行くと約束したから、望美はお金を貯める為に、アルバイトを始めることにした。
 家からも歩いてでも通えるケーキ店。一日少しの時間だけだということと、勉強を疎かにしない、三年になればすっぱり辞めることを条件に、両親に認めて貰った。
 半年間、アルバイトをして、お小遣をセーブすれば、沖縄には充分に行ける金額を貯められるはずだ。
 望美は拳を振り上げて、アルバイトに励むことにした。

 可愛いメイドタイプの制服が有名な望美のアルバイト先は、いつも甘い香りで溢れかえっている。
 店員は女性ばかり。ただしオーナーパティシエだけが男性。
 こんな雰囲気だから、のびのびと働ける。
 働く前は、お客様は女の子が多いと思っていたが、以外に男性客も多いことには、望美もびっくりしていた。
 彼女に買ってあげるのか。はたまた元から甘党なのか。そんなことも想像するのが楽しかった。
 木製の可愛いドアが開き、望美はニッコリと微笑んだ。
「いらっしゃいませ!」
 元気よく挨拶をしたまま、望美は口をぽかんと開けた。
 スウィート系のショップに来るとは、とうてい考えられない人物が現れたからだ。
「将臣君…!」
「よお、しっかりバイトしているのかと思ってな。見に来た」
 将臣は望美に笑いかけながら、冗談塗れた疑いの視線を向けてくる。
 幼なじみだけに赦される、表情だ。
 将臣は、鍛えられた胸のラインが透けるぐらいに、眩しい白のTシャツに、黒いジャケットを羽織り、脚の長さを強調するジーンズを穿いている。
 幼なじみながらも、完璧だと思ってしまう。
 見つめているだけで、全身が熱くなり、鼓動が速くなる。望美は喉が渇く程の焦燥を感じた。
「珍しいね、将臣君が甘いもののお店に来るなんて。ケーキ買うの?」
「俺じゃなくて、アイツ。ほら、この間、うちの店で夕飯奢ってやった時に逢っただろ? バイト先が一緒なんだ。スキンダイビングの仲間でもあるんだよ。平良慶子。俺より四つ上」
 将臣の視線を追うと、焼き菓子コーナーをじっと見ている女性がいた。
 長いストレートな髪は日に焼けたのとカラーリングで、綺麗なブロンズ色になっている。キャミソールとショートパンツスタイルで、惜しみなく晒された肌は、艶やかな小麦色だ。
 指先の赤いマニキュアが、望美よりも大人びていることを、物語っている。
 焦れる心を隠しながら、望美は笑顔を繕った。
「将臣、ゼリーかプリンはない?」
 ハスキィな声は、背中がぞくりとするぐらいにカッコイイ。
 望美は自分の精神状態が、どんどん下がっていくのを感じた。
「このマンゴーのフルーツジュレって美味しそう。頂ける? 二つ」
「はい。かしこまりました」
 動揺し過ぎて、トングを持つ手が震えてしまう。マンゴージュレを取ろうとした時に、爽やかな声が響いた。
「いらっしゃいませ!」
 振り返ると、そこには若きオーナーシェフである北条がいた。
 北条の腕と爽やかな接客で、ここの店は大きくなった。
「望美ちゃん、僕がするから、レジをお願い出来るかな?お客様がお待ちだ」
「はい!」
 助け舟を出してくれたオーナーに感謝をしながら、望美はレジに立つ。
「いらっしゃいませ。焼き菓子セットで、840円です!」
 ホッとしながら、元気よくレジをうち、望美は笑顔を客に振り撒く。
 だが、慶子の精算になると、笑顔が引き攣ってしまった。
 後ろにいる将臣を見ると、先ほど見せてくれた笑顔のかけらはどこにもなく、代わりに眉に深いシワが刻まれている。
 かなり機嫌が悪いようだ。
 望美は余計に心を萎縮させてしまい、笑顔が消えていくのを感じた。
 慶子にお釣りと商品を渡すまで、自分で何を考えていたのか、全く解らず終いだった。それほどに、パニックになっていた。
 お釣りを渡すと、ホワイトピンクリップで彩られた、慶子の唇があだめいて動く。
「ありがと。じゃあ将臣、行きましょう」
 真紅のネイルに彩られた指が、将臣の腕を掴む。悔しかった。
「じゃあな望美! 仕事ガンバレよ」
「ありがと」
 軽く手を上げて、望美は将臣と慶子を見送る。ふたりの背中が、切なく憎らしい。見ているだけで、胸にナイフを突き立てられたみたいだ。
「有り難うございました!」
 望美はわざとばか丁寧に挨拶をする。すると将臣が振り返り、一瞥を投げ掛けた。
 嵐のようにふたりが去った後、望美は、遠くなる背中に槍のような眼差しを突き刺してしまう。
「望美ちゃん、今のはカレシじゃないよね?」
「はい。幼なじみです」
 幼なじみのテリトリーから脱却出来ない自分が恨めしくて、望美は曖昧に笑う。
「そうなんだ。お似合いのカップルだったね」
「そんなこと!」
 望美は強く否定せずにはいられなかった。眼差しが自然と鋭利な刃物のようになる。
「さて、仕事しようか」
「はい」
 オーナーは望美の背中をポンと叩くと、キッチンへと戻っていく。
 望美はカウンターに着いたが、虚ろな瞳に笑顔の炎を点すことは出来なかった。

「今日は悪かったね。いつもより1時間も長く働いて貰って。これ持って帰っていいよ。ザッハトルテ」
「有り難うございます!」
 オーナーに箱ごと人気のザッハトルテを贈られて、望美は残業をしてラッキーだとつくづく思う。
「また無理を頼むかもしれないけれど、宜しくな」
「はい! 勿論です!」
 今日は様々なことがあり胸が痛い一日だったが、とろけるようなザッハトルテで、そんな辛いことも溶け出すような気がした。
「では、お疲れ様でした!」
「お疲れ!」
 ほくほく顔で、望美が店を出ると、バッタリ将臣と出会った。
「将臣君!」
「今、バイトから帰りかよ?」
 将臣はいつもよりもかなり刺々しい声で、言ってくる。眉根を寄せ、険しい顔をこちらに見せている。
「そうだよ。1時間余分に働いたらご褒美って、ザッハトルテを貰っちゃった!」
 将臣が機嫌が悪くても、こちらが明るくすれば、きっと解ってくれる。望美は屈託なく、将臣に自慢げに言った。
「甘ったるいケーキか」
「将臣くんはケーキ嫌いだったよね。だけど、譲君やおばさんは食べるから、おうちに置いて行くよ」
「ああ」
 望美が一生懸命話しても、将臣の機嫌は一向に良くならない。それどころか、シワは深くなる一方だった。
「望美、行くぞ。一緒に帰るぞ」
 将臣は強引に手を引くと、力ずくで望美を引っ張っていく。その引力に、望美はみせられる。
「お前もイチオウは女なんだからな。夜道は危ない。あんまり残業するな」
「うん、解っているよ。心配してくれて有り難う、将臣君!」
 望美が礼を言うと、少しだけ将臣の緊張は緩む。
「だけどね、一生懸命働いてお金を貯めたら、将臣君との沖縄旅行実現に近づくでしょ! だから、頑張れるんだよ」
 望美がアルバイトを始めた理由は、これ以外にはないのだから。
 素直に言うと、将臣は更に優しく甘い顔になる。
「サンキュな。俺も一生懸命金を貯めて、お前との約束を果たさねぇとな!」
「うん」
 夜道をこうして手を繋いで歩いていると、自分たちが恋人同士と錯覚するから不思議だ。幼なじみのテリトリーにいれば永遠に訪れることのない関係だ。
「今日な、お前残業してたろ? あれはあのオーナーとふたりだけでか?」
「そうよ。アルバイトの交代要員が来れなくて、私が1時間だけ残ったのよ」
 正直に言うなり、将臣は仏頂面になった。あんなに整えられた容姿をしているせいか、やはり迫力はある。
「お前は残業するな。女なんだから、夜遅くに道を歩くな。こうやっていつも俺が一緒だというわけじゃねぇんだからな」
 手と手がしっかりとボンドでくっついたように、ふたりは離れない。
「ヘンな虫はつけるなよ。望美」
「つけてないよ。将臣君みたいに」
 望美は昼間に見た女性を思い出しながら、望美もまた仕返しをする。
「俺が変な虫をつけているって言うのかよ」
「…だって、今日、一緒に来たいた綺麗な女性は?」
「あいつは関係ねぇ」
 将臣は、さらりと言い放つと、更に早く歩き始める。望美を話すことなく、しっかり手で繋がれたままで。
「将臣君、痛いよ」
「力加減なんか出来るかよ」
 将臣は苛立ちを隠せなかった。
「あんな男と一緒にいて、媚びたりするな」
 完全に怒っている。将臣を見ると、頭の上から湯気が沸いていた。
「将臣君だって、あんなきれいなひとに、鼻の下を伸ばしているし、おあいこじゃない!」
「おあいこなんかじゃねぇ…。俺は慶子のことなんとも思っちゃいねぇし、鼻の下なんか伸ばしちゃいねぇ」
「でも…! 腕を組んで帰ったじゃ……!!」
 きつい調子で言った後、唇を何かでかりりと噛まれた。
 血がじんわりと滲んでくる。
 舌先で唇をなぞると、血の味がした。
 キスではなく、将臣が噛んだのだ。
 涙がにじんだ瞳を将臣にっむける戸、怒ったように手を乱暴に離してくる。
「勝手にしろ!」
 将臣は感情を抑えきられないように、望美の先を歩いていく。
 離された手の温もりと、頬を撫でる秋を告げる風が、冷たかった------
 
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名前に源平を意識しました。




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