1
子供の頃は、嫌いな季節などなかった。 春は柔らかな陽射しがうきうきさせてくれ、夏は楽しいイベントと躍動感のある陽射し、秋は高くて綺麗な空とカラフルな葉が色に優しく、冬は澄み渡った低い空と肌を突き刺すような冷たい空気が心地良かった。 季節特有のシーンが何よりも素敵だと思っていたのに、今は素直に季節のきらめきを喜べないでいる。 特に夏は嫌い。 ベタベタした湿気を孕んだ暑い空気が嫌で、ヒトゴミも嫌だ。だけど本当はいつも誰かさんの隣には、綺麗な夏女がいるから。 どこから道が間違ったのかは解らないが、誰かさんの特別にはいつもなれない。小さな頃は確実に、特別であったはずなのに。 久し振りに逢う幼なじみは、また、逞しくなっていた。 ブロンズのように煌めいた肌と、鍛えられた肉体が、望美を苦しくさせる。 うっかり出会ったのは、極楽寺の駅だった。 幼なじみの肌とは正反対の、抜けるような白さを持つ肌。湘南の明るい夏には、とてもでないが似合わなかった。 「将臣くん、実家に帰って来たんだ」 「夏休みの間、少しだけな。こっちのがダイビングに行き易いからな。バイトも海岸近くで見つけて来たしな」 「そうなんだ…」 将臣はからりと何の蟠りもないような笑みを浮かべると、望美を見つめてくる。 スッと目を細めると、将臣は皮肉げな笑みを浮かべた。 「お前は?」 「私は今から大学なんだ」 「夏休み中に勉強か?」 「うん、ちょっとね」 望美は淋しい笑みを浮かべると、将臣から視線を逸らした。 手を伸ばしたら届く近さにいるのに、幼なじみを遠く感じる。 時空に運ばれて、お互いに闘ってから、小さな歪みが産まれた。戻って来てからも、それを埋めることが出来ないまま、月日を重ねていた。 将臣に素直になれないままでいると、望美は気を逸してしまっていた。幼なじみは綺麗な女性と付き合い始め、同棲をしていると聞く。 きっと今度も綺麗なひとと一緒なのだろう。 「じゃあな、方向は反対だろ?」 「そうだね」 望美はコクリと小さく頷くと、鎌倉ゆきの電車に乗り込んだ。 久し振りに将臣と話せるのは嬉しい。望美は電車に乗り込むと、ドアにもたれて、ひとりごちるように笑った。 だが、車窓に映し出されたのは、将臣と、同じように綺麗に日焼けをした、おとなびた女性だった。ふたりは肩を並べて、楽しげに話している。 現実は望美に夢を見せてはくれない。夏の陽射しは、望美を嘲笑っているかのように輝く。 夏がベストシーズンだときらきら輝いているふたりと、夏を不機嫌に過ごす望美。この時点で、ふたりの間は分かたれたのかもしれない。 最後に水着になったのは高校三年生の夏。 あれから海に入らないのは、将臣の横に誰かさんがいるから。 望美は、深呼吸をすると、俯いた。 海をまともに見られなくなったのは、将臣が他の女性と付き合うようになった大学生になってからだ。 大学に行き、望美は師事をしている教授に声をかけられた。 「イングランドへの留学話、あなたに本決まりになりそうよ! 良かったわね。一生懸命勉強をしたかいがあったわね!」 望美は笑顔で教授に対応したが、何故か心は晴れ上がらない。 一番ほしい夢でないことを、一番自分が解っているからだろう。 「有り難うございます」 望美は頭を深々と下げると、やり切れない気分に唇を噛んだ。 あんなに頑張って勉強してきたというのに、気持ちが晴れ上がらない。 土砂降りでもなく、梅雨時の湘南の空のように、ひたすらグレイだ。 嬉しい識らせが、こんなに切ない影を落とすとは、望美は思いもよらなかった。 廊下を歩いていると、聞き慣れた足音を耳にした。 時折、ランチをしたり、お茶を飲んだりする、幼なじみの譲がこちらに向かって走って来た。 「先輩! 今のは浅井教授ですよね! ひょっとして、イギリス留学が本決まりになったんですか?」 「多分大丈夫だと聞いたの」 望美は譲に落ち着いた笑みで話しかけられるように努力をしながら、答えた。 「…良かった…と、一応は言っておきます…」 「有り難う」 望美は素直に頭を下げて、礼を述べた。 譲はどこか切なそうに眉根を寄せると、望美を思い詰めるような眼差しで見つめる。 「…あなたはいつも俺の手が届かないところにいます。今回も文字通りそうなんですね・。本当に手の届かないところに行ってしまう」 「譲くん…」 譲の真っすぐな気持ちは識っているし、それは有り難いとも思っている。だが、望美はその手を取ることが出来ない。出来ないくせに、利用してしまう愚かな部分があり、本当に狡いと思う。 だがそうしなければ心の均衡を保つ事が出来なかった。 だから利己的だと解ってはいても、譲を利用してしまう。あの人と同じ血を持つ譲を。 それを振り切りたくて、自分を変えたくて、イギリス行きの切符を取ろうとしていた。 行きたいひとがいるのに、なんて自分勝手だと思う。 きっとこんな部分が、将臣から愛想を尽かされた理由だと思った。 「あ、先輩、俺、行きます」 「うん、しっかりね」 譲を見送った後、望美はとぼとぼと廊下を歩いた。 何時になったら心が晴れ上がるのだろうかと、ぼんやりと思いながら。 夕方、極楽寺の駅に降り立つと、見慣れた人影を見つけた。 将臣だ。 今朝一緒だった女性と腕を絡ませて歩いている。 「…現実だな…あれが」 現実にきちんと立ち向かわないままで来たから、今はこうして欲しいものが掌に何もない状態になってしまっている。 本当に欲しいものは、もう届かない。 目が酸っぱくて開けられない。やがて涙が頬を伝った。 素直になりたい。 なのになれない。 望美はまた溜め息をつくと、家までの坂をみしりと上っていく。 ふたりで見た、日坂からの夕日を思い出しながら。 闇が下りるなり、海が見たくなった。 最近、近づいたことすらない海。 七里ヶ浜であんなに遊んでいた高校生の頃が懐かしくて、望美は夕食後、ぶらりと家を出た。 「おい、何処に行くんだよ」 ばったりと出会ったのは将臣だった。 「海が急に見たくなったんだ」 「じゃあ、連れていってやろうか?」 将臣は優しい瞳でこちらを見てくれている。これは幼なじみとしての優しさだ。恐らくは。 「…有り難う」 「ひとりで出掛けたら物騒だからな。チャリで連れていってやるよ。七里ヶ浜。ガキの頃みてぇに」 「うん」 七里ヶ浜。余りに想い出が詰まりすぎていて、妙に感傷的になる。 「だったら、ちょっと待ってろよ」 将臣は慌てて家の中に入ると、自転車を出してきた。通学に使っていた、懐かしい自転車だ。 「これに乗って行こうぜ。乗れよ、昔みたいに」 「うん!」 まるで高校生の頃に戻った気分を味わいながら、望美は荷台に跨がる。 「じゃあ久し振りに日本新記録を目指すか!」 「やめてよー」 あの頃と同じように素直に笑うことが出来る。望美は懐かしい温かな痛みを思い出しながら、将臣の背中に抱き着く。 ドキリとした。 あの頃よりも数倍逞しくなった背中は、あの時空にいた頃の将臣を思い起こさせる。 ぎゅっと独り占めをするように抱きしめた。 だがそれは望美のものではない。 泣きたいぐらいに苦しくて、息が出来そうになかった。 |
| コメント 想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら? のコンセプトの、パラレル的な物語です。 |