*バイクと恋とツーリング*

前編


「お邪魔しまーす」
 将臣の部屋に上がり込むと、珍しく参考書を広げて読みこんでいた。
「何を読んでるの?」
 ひょいと覗き込むと、自動二輪の免許取得のための参考書だった。
「バイクの免許を取るの?」
「どこ行くのも便利だろ? 来年には車の免許も取りてぇしな」
 将臣は珍しく視線を参考書から逸らさないままで、じっくりと読んでいる。
「免許取ったら乗せてよ」
「ああ、そのうちな」
 将臣は気のない返事をすると、参考書をパタンと閉じた。
「さてと、俺はこれからバイトだけど、用があるなら手短かに聞くぜ」
 将臣はライダースジャケットを羽織りながら、少し事務的に呟く。
「い、いいんだよ、ホントに。ちょっと戯れてみたかっただけだから」
 望美は誤魔化すようにあいまいに笑うと、立ち上がった。
「こっちに帰ってきてから、将臣くん、忙しそうだね。色々精力的に動いているね」
「まあな。金がいるからバイトに精を出さないとならねぇし、大学で勉強してぇこともあるし。やることはたんまりだ。だけど、大変なわけじゃねぇからな」
 ふと将臣の表情が切なそうに輝く。そこにはこちらのこころが詰まってしまいそうな影があった。
 望美は声を掛けようとしたが、言葉が詰まって上手くいかなかった。
「バイクも車も欲しいし、大学入ったらプチ自立もしてぇしな。まあ、これだけ頑張ってきたから、目標金額は貯まりそうだしな」
 ぱふりと望美の頭に手を乗せると、将臣はくしゃくしゃと髪を撫でた。
「じゃあ行くぞ。戸締まりしねぇとダメだからな」
「うん」
 将臣の後について、望美はゆっくり階段を下りていく。
 源平時代の時空と、鎌倉での怪異を解決をした後で、望美は何をして良いか、どうして良いか分からずにいる。
 幼馴染みたちが、まるで過去の出来事のように、前を向いて進んでいるのに比べて、望美はいつまでも子 供のように時空や仲間たちのことを思っては、寂しくなっている。
 時々、仲間たちが懐かしくて泣いてしまうことすらあるのだ。
 だが、将臣も譲も、そんなことなどないように、今を一生懸命生きている。
 鎌倉の怪異の時は、まるで愛してくれているかのように包みこんでくれた大好きな将臣も、何事もなかったかのように、望美に対して振る舞っている。
 あんなにも泣きそうなぐらいに切なかった恋心を、忘れてしまったのか。それとも最初から恋なんて幻想だったのか。
 そんなことは解らないが、将臣のこころも、日常に戻ってしまったかのようで寂しくてしょうがない。
 将臣が家の戸締まりをしている間、望美は心許無い子供のように、じっと突っ立っていた。
「どうしたんだよ。しけた顔をして」
 将臣はどこか心配そうに苦笑いを浮かべると、望美の髪を撫でる。
「何でもない」
 まるでわがままな子供のように、望美は視線を伏せた。
「何でもないはねぇだろ? ちゃんと埋め合わせはするし、お前がバイクに乗りたいって言ったらちゃんと乗せてやる」
「うん、絶対に乗せてよ! 一番乗りにね!」
「解ってる」
 困ったような表情を浮かべたまま、将臣は頷いてくれた。
 駅まで自転車を飛ばす将臣を見送りながら、望美は溜め息を吐いた。
 早く日常に回帰をしなければならないのは充分なほどに解っている。
 なのにその一歩がなかなか踏み出せないでいた。
 不安定でまだまだ時空の後遺症が抜けない。
 望美はまた溜め息を吐くと、自分の部屋に戻った。

 将臣がバイクを買った日、望美は免許が取れたことを知った。
「これで通学も楽になるよな」
 将臣は自慢そうにバイクを何度も撫でながら、爽快に笑ってみせた。
「学校はバイク通学禁止だよ」
「まあそのへんに停めて、いったらいいじゃねぇか。ダイレクトにバイトに行けるしな。それも楽だ」
「そうか。アルバイト先に行くには楽だよね」
 望美はバイクを眺めながら、タンデムシートを撫でた。
「ねぇ、いつツーリングに連れて行ってくれるの?」
「そのうちな」
 将臣は約束にならない約束を口にすると、ヘルメットを被った。
「これから新車でバイトに行く。ちゃんと安全運転で馴れたら、お前を乗っけてツーリングだろいが、買い物だろうが連れて行ってやるよ」
「有り難う! 絶対に一番乗りだよ」
「ああ」
 将臣は、まるで我が儘な妹の願いを聴いている兄のように目を細めて笑っている。
 男だとか女だとか、そこにはそのようなものなんてない。相変わらず家族のようなまなざしだ。
「いってらっしゃい。バイト頑張ってね」
「ああ」
 将臣はバイクに跨がると、親指を立てて、薄く笑った。
 将臣の後ろ姿をまた見送る。
 望美を置き去りにして、どんどん逞しくなる背中に、また涙がこぼれ落ちる。
 おいてけぼりを食らってしまったような、寂しい気分になった。

 将臣がバイクでそのままアルバイトに行くようになってしまってから、一緒に学校に行くことも、帰ることもなくなってしまった。
 たったひとつのよすがをなくしてしまったような気分だ。
 約束をしたのに、将臣はバイクに乗せてはくれない。
 運転に馴れるまでだなんて、それはただの言い訳にしか思えなかった。
「どうしよう!? クラブのみんなに頼まれたものを鎌倉駅前まで買いに行かないといけないのに、今日は四時に閉まるって忘れていたよ」
 クラスメイトの女子が困ったように溜め息を吐く。男子には人気のあるこで、誰もが助け船を出すために知恵を絞っている。
「俺はバイクだから、鎌倉駅前まで送ってやるよ。江ノ電ちんたら待つより早いだろ」
「有り難う! 有川くん!」
 将臣の優しくもクールな一言に、女の子は有頂天になって喜んでいる。
 だが、望美は嫉妬が燃え上がる余りに、痛い感情を抱いていた。
「とっととしろ」
「うん、有り難う」
 女の子は意気揚々と将臣の後に着いて行く。
 恨めしい気分でふたりの様子を眺めながら、望美は鼻を啜っていた。
 初めてタンデムシートに乗せてやると言ったのは将臣なのに、約束を反故をされて、この場で暴れ出したくなった。
 将臣も譲も、時間をちゃんと動かしている。
 なのに動かしていないのは自分だけだと思うと、望美はおいてけぼりを食らった気分になった。
 溜め息が出る。
 時間を早く動かすには、みんなを忘れてしまうのが一番なのだろうか。

 あれほどの経験をしたからなのか、望美のこころも躰も着かれやすくなっていた。
 何もかも空っぽのような気分にすらなる。
 もう自分のなかには何も残されていないのではないかと。
 今日は躰が重くて、歩くのもどこか億劫になる。
 だが学校には行かなければならず、何とかして向かった。
 熱があるからなのか頭はぼんやりとするし、熱くて何も出来ない。
 ただ空っぽのこころと躰で放課後までやり過ごした。
「望美、帰るぞ」
 珍しく将臣に声を掛けられ、ハッとして時計を見ると、既に三時を回っていた。
「もうこんな時間だったんだ…」
「ったく、今日一日、こんな状態だったんだろ? 休めば良かったんだよ。帰るぞ、家まで強制的に連れて帰るからな」
 将臣に脇を抱えられるようにして、バイクを置いている駐輪場まで引っ張られていく。
 将臣のバイクのタンデムシートを見るなり、腹が立って来た。
「…私を一番に乗せてくれるって言ったじゃない…」
「ったく、んなことを気にするのかよ。愚痴は家に着いてからだ」
 将臣にタンデムシートに乗せられる。
 硬い感触にまた腹が立った。





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