後編
「しっかり掴まってろよ。直ぐに家に着く」 将臣の言葉に、望美は無言のまま将臣の背中に掴まった。 「ったく、意地っ張りだな、相変わらず」 将臣は呆れているように、苦笑いを滲ませていた。 将臣は望美の腕を取って背中にしっかりと結ばせると、ヘルメットを渡す。 悴んだ手でヘルメットのベルトを固定していると、将臣が業を煮やしたように指先を伸ばしてくる。 指先が肌に触れて、心臓が波立った。 「うちまではすぐだから、もう少しだけ我慢しろよ」 「うん」 将臣の背中にギュッと掴まると、全身から強がりが抜けてくる。 望美はこころを癒すように、将臣に総てを預けた。 予想外のツーリング。 汐風を楽しむ余裕なんて全くない。 なのにこうしていつまでも、七里ヶ浜の海岸線沿いを走っていたかった。 冬の早い夕陽はとても優しい。 何もかもがちっぽけな存在になるような気がしてしまうほどに、雄大で美しかった。 それ以上に、将臣の背中が温かくて広いのが、望美にとっては一番感激したこと。 このままじっと将臣に掴まっていられたら良いのに。 想いを背中に託した。 バイクだと極楽寺までは直ぐで、家までも今までの半分ぐらいの時間で到着した。 「ほら着いた」 このままずっとすがりついていたかったがそれも叶わず、望美はしょんぼりと将臣の背中から腕を下ろした。 鼻と目がしょぼしょぼする。本格的に風邪を引いてしまったのは確実だ。 バイクから降りて、のろのろとヘルメットを取り去った後、よろよろと自宅に向かう。 「有り難う将臣くん、助かったよ」 望美は顔を合わせないままで硬い声で礼を言うと、よぼよぼと門扉に手をかけた。 「おいっ! ったく危なっかしいな」 将臣は望美の腕を支えるように取ると、部屋に引きずって行く。 「おばさん、望美のやつ風邪を引いたみてぇだから頼みます」 将臣は望美の母親に声を掛けたあとで、二階にある部屋まで連れて行こうとした。 「大丈夫だよ、自分で出来るから」 「んなふらふらで出来るわけがねぇだろ?」 「出来るもん」 昨日のタンデムシートの恨みからか、望美は上手く素直にはなれない。 将臣は睨み付けると、強引に望美を抱き上げた。 「ちょっ…!? ま、待ってよっ!」 「言うことを聞かねぇやつは、こうして強引にするのが一番なんだよ」 将臣は苛々を隠さずに抱き上げたまま、階段をスタスタと上がっていった。 「ほら、早くベッドに入れ」 将臣は強引にベッドに腰をかけさせるが、望美は首を横に振った。 「…嫌だよ」 「ったく、今日はずって反抗的だな」 将臣の眉間には深いシワが刻まれ、明らかに爆発寸前だ。 「…何が気に入らないんだよ?」 「嘘つきは嫌いなんだよ」 望美はボソリと呟くと、熱で滲んだ瞳で将臣を睨み付けた。 「嘘つき呼ばわりされるいわれはねぇよ」 「だって…!」 声を荒げようとして、頭に鈍痛が走った。 「…もう寝るよ…。将臣くんがいるとパジャマを着られない」 「あ、すまねぇ」 将臣は息を軽く呑んだ後、望美の部屋から出ていった。 望美はドアの向こうにいる将臣の気配に、ソファを投げ付けてやりたくなる。 鼻を啜りながら、鼻水だが涙だか解らない水分を出してパジャマに着替えた。 「望美、パジャマに着替えたの?」 母親の声に、望美が小さく「着替えた」と答えると、将臣が部屋に入ってきた。 「ちゃんと将臣くんにお礼を言うのよ。風邪薬を置いておくから、ちゃんと飲んで早く治しなさい」 母親は望美の勉強机の上に、薬とミネラルウォーター、スポーツドリンクを置くと、先に部屋から出て行ってしまった。 「ったくご機嫌ナナメな姫さんだな。薬を飲んで早く治せよ。俺は帰るからな」 帰ると宣言されてしまうと、そばにいてもらいたくなる。 望美は将臣の手をギュッと握り、返さないとばかりに束縛をした。 「おい」 「…帰ったら嫌だよ」 「ったく、お前はどっちなんだよ」 将臣は呆れてように溜め息を吐くと、望美の手を強く握りしめた。 「帰って欲しいくせに、どうして引き止めるんだよ…。お前、マジでわけがわからねぇ。なあ。何が気に入らないんだよ?」 将臣が困り果てたような声を出したので、望美は溜め息を漏らした。 「…だって…、将臣くん、私を一番にバイクに乗せてくれるって言ったのに…、他の女の子を乗せたじゃない」 望美が恨みごとを零すと、将臣は直ぐに気付いて、甘い苦笑いを浮かべた。 「…そっか、ごめんな。困ってたみてぇだったからな。だが、俺は女として認めているヤツを乗せたのは、お前が一番だって思ってるから」 将臣は望美の額を撫で付けながら、前髪を柔らかくくしゃくしゃにする。 「今日はとんだツーリングになったが、ちゃんとふたりでツーリングしようぜ。お前の風邪が治ったら。送り迎えはツーリングじゃねぇからな」 将臣の指先が優し過ぎて、望美のかたくななこころを溶かしてくれる。 「あのヘルメットだってお前の頭に合わせて買ったんだからな」 照れとわざと怒った表情がとても魅力的で、望美は魅入られたように笑う。 「風邪がちゃんと治ったら、ツーリングに行こうぜ。小田原あたりに日帰りで湯治に行くのも良いな」 「ツーリングぽくないよ」 「お前、最近、疲れてるみてぇだったからな。こころも躰も」 将臣は優しい表情で望美の総てを包み込むように笑った。 将臣はちゃんと気付いてくれていたのだ。 望美のこころの疲れと空洞を。 泣きそうになる。 「…気付いていてくれたんだ…」 「気付かないはずがのぇだろ? ずっとお前だけを見ているんだから」 さらりとごく当たり前のことのように言ってのける将臣に、望美のこころは素直になっていく。 「…最近、特に大変そうだったから」 「…寂しかったんだよ…」 「寂しい? 確かにみんなあっちに帰っちまったからな」 将臣も懐かしさと寂しさを感じているかのように、ふと遠くを見つめた。 「…確かにみんながいなくなって凄く寂しかった…。だけど、だけど、将臣くんや譲くんが、時間を進め始めて、私だけが取り残されたような気分になったのが…、ホントは寂しかったんだよ…」 素直に気持ちを吐露すると、将臣は頷いてくれた。 「お前を何処にも置いていかねぇから、心配するな…」 どこか贖罪の響きがする将臣の言葉は、冬の日の炬燵よりも温かい。優しくてふんわりとした温かさだ。 額に手のひらを宛てられると、柔らかい幸せがほかほかに包み込む。望美は安心するあまりに溜め息を吐くと、将臣を見上げた。 「温泉へのツーリング、絶対に約束だよ。一緒に行こうね」 「ああ。風邪が治ったら行こう」 「うん、早く治すよ」 望美はようやく訪れた安堵の眠気にとろとろとしながら、将臣に笑いかけた。 「風邪は誰かに移すと早く治るぜ」 「ダメだよ、ひとになんか移したら。ちゃんと自力で治すよ」 望美は優しい眠りに引きずり込まれてくる。 そっと目を閉じると、夢の世界に意識を委ねた。 「ったく、試してみねぇと解らないじゃねぇか」 将臣の呟きが遠くに聞こえる。 幸せな空間にふわふわと漂いながら、冷たくて素敵なものが唇に下りてきたのを感じた。 「将臣くんが治るまで、ツーリングには行けないね」 「…ゴホッ!すまねぇ」 数日後、風邪を引いた将臣を、望美が殊勝にも看病する姿が見受けられた。 |