*旅の甘い香り*

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 沖縄旅行の当日になると、流石にドキドキが治まらない。
 空を見れば、まさに絵の具では表現できないほどの綺麗なスカイブルーが、光の粒を纏ってきらきらと輝いている。
 天気予報を見ると、全国的に晴れると書いてある。
 将臣と初めての旅行には、ぴったりの日だ。
 僅か3泊4日なのに、望美の荷物は、トランクいっぱいになっている。
 それを下ろして朝食を食べていると、インターフォンが鳴り響いた。
 まるで旅に向けてのファンファーレのように聞こえる。
 ばたばたと玄関先に出ると、シンプルに荷物をまとめた将臣が立っていた。
「おはよう、準備はバッチリみてぇだな」
「うん、準備は出来てるよ。荷物持ってくるね」
 望美はバタバタとダイニングルームへと戻る。
 ドキドキが止まらなくなっていく。
 今日の将臣は、余りにも精悍で艶やかだったから。
 甘い甘い初体験旅行だから。
 様々なことが交差して、望美の喉はからからになってしまった。
「お待たせ」
「じゃあ行くか」
 将臣はしっかり手を繋いで、駅までゆっくりと歩いてくれる。
 いつもよりも頼りがいのある将臣に、望美はドキドキさせられっぱなしだった。
 江ノ電、横須賀線、京急線と乗り継いで羽田空港に到着する頃には、緊張はピークに達していた。
 とうとう飛行機に乗り込むと、その緊張が更に熱くなる。
 甘い期待とがっかりさせてしまうかもしれない不安に、望美は指先を震わせた。
「これから、楽園に行くんだぜ? 何、緊張してるんだよ」
 将臣は苦笑いを浮かべながら、カチカチになった望美を面白そうに見ている。
「…旅行は楽しいんだけれど…、その、あの…」
 曖昧に言葉を紡ぐ望美に、幼馴染みの恋人は直ぐにピンと来たようだ。
「お前、すげぇスケベ?」
 小さな声で誰にも聞こえないように、将臣はからかってきた。
「もうっ! そ、そんなんじゃないんだからっ!」
 将臣のからかうようで的の得た指摘に、望美は耳を真っ赤にさせながら怒った。
「そんなに怒れるところを見ると、大丈夫だな」
 薄く微笑んだ将臣の瞳には、望美をからかうような光はなく、逆に慈しみに溢れていた。
「…うん。有り難う」
 からかうようでいて、きちんとフォローしてくれる将臣が、望美は頼もしく思えた。
 優しいんだね。
 こころのなかで呟きながら、望美は将臣に笑顔を浮かべる。
「将臣くん、沖縄、めいいっぱい楽しんで、沢山、沢山、思い出を作ろうね!」
「ああ」
 望美は誰の視線も構うことなく、将臣に思い切り甘える。
 この沖縄旅行が、ふたりにとって、新たな一歩になることは間違いはない。
 運命の旅行。
 望美は、妙に気取らずに自分らしく行こうと、こころに強く決めた。

 沖縄に入り、ホテルまではチャーターバスが来ていた。
 バスで更に揺られて、穴場で静かな自然が残る海にたどり着いたのは、昼をとうに回ってからだった。
 バスの車窓から見える、どんな写真よりも映像よりも美しい碧に、望美はすっかり魅せられていた。
 こころが海に総てを奪い尽くされてしまったような気分にすらなった。
「ホント、綺麗だね…」
「本格的に潜るのは明日からだから、今日は海水浴と決め込もうぜ」
「う、うん」
 今夜の心配ばかりしていた望美は、肝心なことをすっかり忘れていた。
 泳ぎは余り得意じゃない。
 今更ながら気がついて、背筋に冷たいものが流れ落ちた。
「あんまり泳ぎは得意じゃないんだよ…」
「だったら、これから特訓してやるよ。俺はマジで厳しいからな。覚悟をしろよ」
 将臣はひとに教えるのはかなり上手い。
 将来の職業は、教師が向いているのではないかと、望美は指摘したことがあるが、向いていないと、一蹴されてしまった。
 だが本当に向いていると思う。
「しっかり泳ぎの練習してもらうからな? 沖縄から帰る頃には、海女になれるぐらいにしっかりと特訓をしてやるよ」
「いくらなんでも無理だってー」
 望美はくすくす笑いながらも、将臣にお願いしますと頭を下げた。
 ホテルにチェックインした後、いよいよ運命のダブルルームに案内される。
 オーシャンビューの素敵にロマンティックな部屋で、望美は大好きなひとのものになるのだ。
 部屋にたどり着くまでの間、望美は再びカチコチになりながら、まるでロボットのようにギクシャクと歩いた。
「こちらでございます。良い時間をお過ごしくださいませ」
 ベルボーイに案内された部屋は、望美の想像以上に美しい部屋だった。
 白を基調にした部屋は、外国の高級リゾートを思い起こされる。
 白く上質なレースのカーテンが揺れて、その向こうには海を一望できるバルコニーがある。
 そのうえベッドは大きなリゾート風の可愛いものだし、バスタブは白い陶器のようなもので出来た外国のようなものだ。どこにもかしこにもロマンティックが沢山並んでいた。
「将臣くん! 凄いよっ! こんなところで泊まれるなんて、むちゃくちゃ嬉しいよ!」
 望美は、特に意識することなくベッドの上に腰をかけると、何度も弾力を確かめた。
「寝心地が良さそうだよ。うちのベッドじゃオオ違いだよ」
「ったく、ガキみてぇだな。お前は」
 優しい笑みを浮かべながら横に腰を下ろした将臣に、望美は飛び上がってしまうかと思うぐらいにドキリとした。
 キスしてほしい。
 そんな欲望が頭をもたげて来る。
 このベッドはなんかヘンだ。望美を熱くてどうしようもないほどのやるせない気分にさせてしまう。
 このまま抱き合ってみたい。キスしたい。
 これが欲情というものなのだろうか。
 考えれば考えるほど、望美の欲望は更に燃え広がった。
 震えながら真っ赤になっている望美に気付くと、将臣はふと微笑んで、立ち上がった。
「さてと、泳ぎにいく準備をするか。水着のままで、ビーチに行けるからな」
「う、うん」
 水着は、将臣が選んでくれたものだから、きっとサイズは大丈夫なはずだ。
「俺のが着替えが早いから、先にバスルームで着替えておくぜ」
「うん、解った」
 将臣が水着に着替えている間、鼓動が奇妙なリズムを刻んでくる。
 将臣の水着姿なんて、子供の頃から馴れているはずなのに、最近は妙に意識をしてしまっていた。
 将臣は流石に直ぐに着替え終わってしまい、パーカーを着て、バスルームから出てくる。
 パーカーの隙間からちらちらと見える、鍛えられた美しい肉体に、望美は言葉では表現出来ないほどの欲望を感じる。
 あの筋肉質な胸にじかに触れると、どれぐらい気持ちが良いのか。
 などと考えるだけで、躰の奥が沸騰してきた。
 凝視していると、将臣が奇妙な顔でこちらを見て来た。
「そんな顔をせずに、とっとと着替えてこい」
 将臣の大きな手が、望美の頭を押さえ付けた。
「ふあい」
 気のない返事をした後、望美はバスルームに入っていった。
 水着に着替えながらも、肌がピリビリしてくる。
 望美はなるべく意識をしないようにと自らを言い聞かせたが、全く上手くいかなかった。
 将臣にどう思われるだろうか。この水着姿を。
 気に入ってくれるのならば、それだけでも嬉しかった。
 背筋を伸ばした後、望美は深呼吸をしながら、何度も自分の水着姿をチェックした。
「望美、まだかよ」
「う、うん。今、行くっ!」
 バスルームのドアをゆっくりと開けると、将臣が顔を真っ赤にしながら、ぶっきらぼうに立っている。
「俺たちの旅の始まりだな」
 差し出された手を、望美はしっかりと握り締めた。





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