*旅の甘い香り*


 将臣としっかりと手を繋いで、ビーチへと出る。
 女性の視線を感じる。将臣の逞しくも美しい躰を舐めるように眺めている女性も少なくなかった。
 嫉妬の炎に焦がれそうになる。
 将臣の躰をわざと引き寄せると、何事かと眉をあげた。
「どうしたんだよ?」
「何でもないもんっ!」
 嫉妬をしています。だなんて、恥ずかしくて言えない。
 望美は態度で嫉妬をしていることを、ありありと示した。
 暫くくっついて歩いていると、ふと将臣が立ち止まる。
 顔を見上げると、明らかに不機嫌な顔をしていた。
「どうしたの?」
「何でもねぇよ」
 将臣は不快そうな声を上げると、望美を抱き寄せてきた。
「ま、将臣くんっ! み、みんな見ているよっ!」
「見せてやりゃあいいんだよ」
 普段は見られない将臣のあからさまな嫉妬。いつもならこんなにも熱く接近してくれない。
 なのに、将臣は望美に独占欲をあらわにして、ぴったりと密着してくる。
 それが嬉しくてしょうがなかった。
 ふたりはぴったりとくっついたまま、静かなビーチに立った。
 開放的な潮の香りに、望美は大きく深呼吸をした。
「綺麗だし、気持ちが良いよねーっ!」
「そうだな」
「こんなところで泳げるなんて最高だよ」
「スキンダイビングをしたら、マジで感動するぜ」
 将臣の熱の籠った言葉に、望美はしっかりと頷いた。
 視線を目の前に広がる大海原に向ける。
 余りに広大過ぎて、望美の思考の総てを吸い上げてしまいそうだ。
 透き通った海が太陽の光をたっぷりと吸い込んで輝く姿は、飾りがなく、何よりも綺麗だ。
 人間なんてちっぽけな存在だと思わずにはいられない。
 青い海に誘惑されるかのように、望美の魂は抜き取られたようになった。
「おい」
 将臣の声で、望美はようやく自分を取り戻した。
「あ、将臣くん」
 まだ海の美しさにこころを奪われて、望美はうっとりぼんやりとしていた。
「海に嫉妬しそうだな。お前のそんな顔を見ると」
 将臣は苦笑いを浮かべると、海に見せつけるかのように、望美を抱き寄せて来た。
「私こそいつも海には嫉妬させられっぱなしなんだからね」
 望美は思わず、将臣の肘を小突く。
「だったら俺は仕返しをされたのかもしれねぇな」
 将臣は困ったような顔をわざとしたが、その瞳は、あくまでも愉快そうだった。
「さてと海に入るか! その前にちゃんと準備運動しねぇとな」
「将臣くん、オヤジ臭いよー」
 望美はくすくすと笑いながら、将臣に続いて準備体操を始める。
「準備体操は大切なんだからな。しっかりとやれよ」
「ホントに世話好きなオヤジみたいだよ」
「うるさいっ」
 いつものようにふたりでいると、背伸びをせずにいられる。
 なのにしっかりと恋のときめきや緊張が得られるなんて、とても幸せな関係だと思う。
 一生、ふたり変わること無く、愛し合ってゆける。
 こんなことを確信出来るのは、相手が将臣だからだと望美は思った。
 体操のあと、ふたりは手を繋いで海に入っていく。
 こんなに澄んだ海だと、余計に怖い。
 慣れ親しんだ湘南の海ならば、深さだとかだいたいの目星はつくのだが、沖縄の海は初めて過ぎて見当もつかなかった。
 恐る恐る海へと入っていくと、流石に将臣も肩を揺らしてくつくつと笑う。
「お前、少しは泳げるのに、どうしてそんなにビビるんだよ」
「だって泳げるって言っても、二十五メートルがやっとなんだよ!? それもプールでの話なんだから、海とは違うもんっ! だって海は魔物だよ? 何処で深くなるかも解らないし、波も来るし…」
 望美が拗ねるように呟くと、将臣は首を反らしてバカ笑いをした。
「そりゃ当たり前だろ? 海は自然のもんなんだからな。だからこそ、プールなんかじゃ再現出来ねぇぐれぇにむ ちゃくちゃ綺麗なんだよ。お前も海の世界を見たら、考え方が変わるって」
「…私、将臣くんみたいに河童の血を引いていないもん」
「俺だって河童なんかじゃねぇっての。んな血なんか引いてねぇ」
「だけど河童だよ」
 望美はわざと将臣を上目遣いで見上げた。
「俺のどこが河童なんだよ」
 将臣はあからさまに不満げな声を上げた。
「…エロ河童…」
 意地悪にわざと言うと、将臣の頬はひくつく。
「ったく、んなことを言うヤツはお仕置だ!」
 将臣は望美の顔に、思い切り海水を浴びせかけてくる。
「きゃあっ! お代官様ー、ごむたいなー!」
「お前のほうが、余程オヤジ臭いって」
 まるで小さな頃に戻ったように、ふたりは海水をかけあって大騒ぎをする。
 沖縄の海は、こんな子供染みたことをするのも、何のためらいもなく出来る。
 これも自然のおおらかな美しさがあるからだろうと、望美は思った。
 ふざけあって全身がびしょ濡れになったところで、将臣に手首を掴まれた。
 男らしい力に、心臓が痛いほどに跳ね上がる。
 痛みは熱くてやるせない恋のときめきを生んだ。
「準備運動は終わりだ。もう少し深いところにいって、泳ぐ練習をするぜ」
「うん」
 将臣に手を引かれてもう少し深いところへと進んで行く。
 ドキドキする余りに、泳いでもいないのにも関わらず、酸欠になりそうだ。
 将臣の背が届いても、望美は頭しか出ないような深いところにいきなり連れていかれた。
「ちょっと!? こ、こんなに深かったら、怖くてたまらないよ」
「大丈夫だ。俺がついているからな」
「ま、将臣くんがついていてくれるのは嬉しいけれど、やっぱりなんか怖いような気がする」
「大丈夫だ」
 将臣は、空を照らす太陽よりも輝かしい笑みを浮かべると、望美の背中を推した。
「短い旅行の間にマスターしてスキンダイビングまでするには、スパルタで行くしかねぇからな」
「はあい」
「それに海のほうが、プールよりも浮き易いからな。試しに浮いてみろ」
「う、うん」
 望美は不安の余りに喉を鳴らしたあと、ゆっくりと顔をつけて、躰を浮かせた。
 本当に将臣の言うとおりに、プールに比べると簡単に浮き上がる。しかし、波も予測なくやってくるので、泳ぎ難い。
 ほんの数メートル進んだところで、苦しくなった。
「目を開けて、しっかりと息継ぎをするんだ」
 将臣に言われた通りにしようとしても、なかなか上手くいかなかった。
 苦しくて沈みそうになったところで、躰が逞しい腕にしっかりと支えられる。
 そのまま抱えられて、望美はようやく海から顔を出せた。
 息を乱しながら、将臣にしっかりとしがみつく。
 首に回した腕は、酷く心許無かった。
「大丈夫かよ!?」
 将臣はしっかりと望美の躰を支えてくれている。その腕の力強さに、望美は目まいを覚えるほどにくらくらしていた。
 逞しくて頼りがいのある将臣の腕。
 ずっとこの腕のなかに収まっていたいと思う。
 甘えるように将臣の肩に顔を埋めると、いきなり顔を上げさせられた。
 将臣が艶やかに濡れている。セクシー過ぎて、生唾を飲んでしまう。
 胸をドキドキさせながら将臣を見つめると、こちらが頭がおかしくなってしまった。
 将臣に直に触れたい。
 キスをしたい。
 濡れて額に張り付く前髪を、望美は指でそっとよけてやる。
 将臣の瞳に、欲望の煌めきが宿る。
 それに魅入られるように見つめていると、ふいに唇が重ねられた。
 激しく重なる唇は、潮の香りがした。





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