夏の憂鬱


 夏休みは、受験の天王山だ。
 沖縄旅行に行ったあと、望美も将臣も、その体制に入りつつある。
 学部こそ違えど同じ大学を目指すふたりは、オープンキャンパスに来ていた。
 将臣も望美と一緒に夏期講習に参加しているが、ペースを落としたとはいえアルバイトを続けているし、ストレス解消のスキンダイビングも続けている。
「楽しみだね、オープンキャンパス! 春から学生生活を謳歌出来ると思うと、凄く嬉しい」
「そうだな。ま、その前に、猛烈に勉強しねぇといけないからな」
「それは言わないでよー」
 望美が溜め息をつきながら言うと、将臣は明るく笑いかけてきた。
「頑張ろうぜ」
「うん!」
 ふたりはキャンパスに入り、それぞれの学部のガイダンスに参加する。後で中庭で落ち合おうと約束をして、そこで別れた。
 望美は友人と合流し、文学部のガイダンスに参加する。
「有川くんは政経だっけ?」
「うん、そうだよ」
「頭が良いもんねー」
 友人はほほえましいとばかりに、笑いながら呟いてくれる。
 将臣を褒められると、まるで自分が褒められたような気分になり、望美は嬉しかった。
「将臣くんは、頭が良いし、顔もいいからねー」
「もう、また望美の自慢が始まったー」
 くすくすからかうように友人は言い、思いきり伸びをした。
「望美、こうやってさ、彼とこのキャンパスで待ち合わせが出来るように、春にはここにいたいよね」
「うん!」
 望美は明るく答えながら、先ほどから大人しい友人に視線を落とす。
「…どうしたの?」
「…うん、女の子になっちゃって苦しい感じがするんだ。暑いときって、余計に痛くなっちゃうからね…」
 汗は汗でも冷や汗をかいている友人を気遣いながら、望美は汗を拭ってくれた。
「望美、最近、あんまり女の子の日にしんどいって言わなくなったよね。有川くんと付き合い始めてから」
「そうだね」
 確かにそうだ。正確には将臣と躰を重ねるようになってから、生理痛は軽くなった。
 以前のように、痛みが全身を貫くということがなくなっている。
「呼吸するだけで痛いなあ。だけれど、今日は折角のオープンキャンパスだからさ…」
「そうだね」
 望美は友人を見つめながら、柔らかく笑った。
 何かがひっかかる。
 胸騒ぎがして、ドキドキする。
 望美は言いようのない焦燥に喉がからからになる。
 後で手帖を見てみよう。
 そうすればすっきりはっきりするはずだから。

 望美は言いしれない不安に怯えながら、ぼんやりとした気分でガイダンスを聴く。
 大学生になったなら、こうして大教室で、ぼんやりと授業を聴くのが夢だった。
 それが叶うのか、それとも叶わないのか。
 叶っても何かを失うなら、そんな夢は必要としない。
 望美はただぼんやりと聴いていた。

 中庭に出た後、望美は友人たちと別れた。
 古びた青春が染み込んだベンチで、直ぐに手帖を開けた。
「…沖縄とかで大騒ぎになっていて、全然気がつかなかったな…」
 手帖を開けると、望美の予感は的中していた。
 生理が来ていない。
 いつもなら、まるで印鑑を押したようにきちんとした周期でやってくるというのに、今回はまだ来ていない。
 沖縄旅行で、将臣を深く愛しているが故に、はめを外してしまったからだろうか。
 子供自体は出来ても構わない。
 だが持つべき時期はちゃんとあるのではないかと、望美は思っている。
 今はまだ学生だ。
 そんな時期に子供が出来てしまえば、きっと将臣に迷惑をかけることになる。
 確かに将臣は来月で十八になり、法的には結婚が可能な年齢になる。
 だが、そんなことでこれからの将臣の人生を無茶苦茶にしてしまって良いのだろうかと、望美は思い悩んだ。
 手帖を何度食い入るように見ても、事実は変わらない。
 もし本当に子供が出来ていたらどうしようか。
 堕胎だけは絶対に嫌だ。これだけは妥協することなんて出来やしない。愛するひととの愛の営みで芽生えた命を、自分の本位で失いたくはなかった。
「望美、待たせたな」
声をかけられて望美はびくりとする。顔を上げると、そこには将臣がいた。
「将臣くん…」
「何だよ、浮かない顔して。気分でも悪いのか?」
 大きな手に包み込まれるように頬を触れられて、望美はビクリと肌を震わせた。
 息が出来ないほどに心臓が不安のメロディを奏でる。
「…マジで気分が悪そうだぜ? 帰るか?」
「ううん、大丈夫だよ。将臣くんとこのベンチで、春以降もこうしていられたらステキだと思っただけ」
「そうだな。お互いに志望学部が受かれば、こうやってキャンパスライフをエンジョイ出来るんだよな」
「そうだね。それは凄く楽しいことだなあって、思っているよ」
「そうだな」
 将臣は望美の横に腰掛けると、長い脚をだらりと向こうに伸ばす。
「こうやってお前と過ごせたら、最高だけれどな」
 将臣は、楽しそうに行き交う同世代たちを見つめながら、髪をかきあげる。
 その横顔を見ると、希望に溢れていた。
 望美は言えないと思った。
 こんな横顔を見せられてしまうと、将臣にはどうしても言えない。
 妊娠しているかもしれないとは。
 確かにお互いの責任だとは思うが、それでも望美は将臣に必要以上の負担をさせたくはなかった。
 これまで、ずっと、重いものを背負ってきたのだから、望美は無理強いすることなど出来やしなかった。
「望美、行こうぜ」
「あ、うん!」
 将臣は望美の手首をしっかりと握り締めると、そのまま引っ張っていく。
「こうして、お前の手を引いて歩くのが、俺の夢かな」
「うん」
 しっかりと手を握りながら、将臣は自分がこの大学で何をしたいのかを、語った。
 幸せそうな横顔を見せ付けられてしまうと、望美は益々自分の不安を内側に篭らせてしまう。
 子供が出来たかもしれないだなんて、言えない。
 もしそうなってしまったら、堕胎したくないとは言えない。
 だから…だから…。
 切なくのしかかる事実に、望美は胃の奥がキリキリと痛むのを感じた。
「どうしたんだよ? すげえ気分が悪そうだぜ? マジで鎌倉に帰るまで持つか?」
「…大丈夫…」
 ふと貧血のようなものに襲われる。眠気と怠さに襲われてしまい、膝から力が抜けた。
「望美!」
 声をかけられて、僅かに呼吸を乱す。
 将臣は本当に心配そうに望美の肩を抱えた。
「肝心なことはもう聞いたし、見た。だから帰るぞ」
「ま、将臣くん? ホントに大丈夫なんだよ?」
「お前のその顔色を見ていたらそうは思えない。帰るぞ。帰ったら直ぐに眠って、ゆっくりしろ。いいな? 念のために病院に行ったほうが良い」
 病院。その一言に望美は躰を震わせると、将臣を切なく見上げた。
 ちゃんと言えれば良かったのに…。
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ED後のふたりです。





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