甘い誘惑の行方


 バレンタインが近くなれば、いつも近所のスーパーで、チョコレートをよっつ買う。
 父親、将臣、譲、ふたりの父親の分。
 今年はみっつだけを買う。
 残りひとつは、スーパーでは買えないような気がしたから。
 理由は解っている。特別なものを買いたいと思っているから。
 とはいえ、将臣が甘いチョコレートを沢山食べるタイプではないし、苦いビターチョコレートを捜すとなれば、鎌倉よりも横浜で捜したほうが賢いような気がしていた。
 だから地元では買わない。
 それに、将臣への本命チョコレートを買うところを、誰にも見せたくなかったから。
 望美はチョコレートを三つと自分が食べるチョコレートをカゴに入れて並んでいた。
「あら望美ちゃん!」
「おばさんっ!」
 声をかけられて振り返ると、将臣たちの母親がニコニコ笑いながら立っていた。将臣によく似た面差しを持つ母は、いつもながらとても綺麗だ。
「あら、バレンタインのチョコレート?」
「はい。おばさんの口に入っちゃうかもしれないけれど」
 望美が苦笑いすると、優しい笑みを浮かべてこちらを見てくれた。
「それはないわよ。三人とも、望美ちゃんから貰ったチョコレートだけはちゃんと食べるから。それ以外のチョコレートをご相伴に預かるのよ。将臣は私に丸投げだけれど、譲はひとかけだけは食べるわね。律義なんだから。今年も楽しい悲鳴を上げながらチョコレートを食べないとね」
 将臣たちの母親はくすくすと笑いながら、あっけらかんとしている。この辺りはとても将臣に似ていた。
「望美ちゃん、本命チョコレートは買わないの?」
 いきなり言われて、望美は思わずうろたえてしまう。それが全てを表していたのだが。
「あ、あの…」
「本命チョコレートは、こんなスーパーじゃ買わないか」
「スーパーでも良いチョコレートはあるかと…」
 望美があたふたしているのを楽しむように笑ってはいたが、ふいに寂しそうな顔をした。
「…そうか、うちの息子たちふたりは、望美ちゃんにとっては本命にはなりえないか…」
「そんなこと…っ!」
 実は将臣が本命なんですだなんて、母親の前では言えるはずがない。
「…無理しなくっていいよ。だけどうちのふたりの息子は、お買い得だと思うわよ。どっちも良い男に育っていると思うから。今のところ」
「そうですね」
 本当に心からそう思っている。特に将臣への恋心をずっと温めてきたから余計にそう思うのかもしれない。
「みんな楽しみにしているからね!」
「はい」
 少し胸が痛んだ。
 将臣はいつも望美のものだけは食べてくれていることを知っている。
 だがそれは、同じ歳なのに妹分のような自分を気遣っているからではないだろうかと、時折思うこともあった。
 レジを通って、将臣の母親とわいわい話しながら、家路につく。有川夫妻は、娘がいないこともあり、望美を実の娘のようにいつも可愛いがってくれていた。
 ふたりで家の近くまで来ると、将臣が女の子と一緒にいるのが見える。
 また違う子だと思うと、チクチクと心が痛んだ。
「お兄ちゃんは発展家よね。まあ、博愛主義なところがあるから、ああやって女の子と代わる代わる付き合ってしまうのよね。結局はいつも、友人だとか付き合いの長いひとを優先させてしまうから、女の子が耐えられなくなっちゃうのよね。実はちゃんと大切に思っているのに、それが伝わらないの。だから本当に将臣をちゃんと理解出来る子じゃないとダメだと思うわよ。そのあたりをきちんと理解してくれるひとはなかなかいないけれど…」
 ちらりと見つめられて、望美はドキリとする。胸がすくみあがりそうだ。
「どうかした? おばさん」
「いいのよ。さあ、行きましょうか」
 焦る彼女が可愛いくて、望美はくすりと笑った。
 ふたりで、将臣と女の子の隣をニコニコしながら通る。望美は自分の笑顔gふぁと手も不自然であることに、肝を冷やす。きっと、将臣は気付いているだろうから。
 ふたりが通り過ぎる将臣と視線が絡む。僅かに不機嫌な顔をした。


「今日のあの顔は何だよ」
 将臣は家に帰るなり、母親に噛み付いた。
 望美の脳天気な笑顔が、誰とでも付き合いなさいと囁いているようだったので、余計に気分が悪い。
「何にもないわよ。お母さんは望美ちゃんとおしゃべりをするのが、楽しかっただけよ」
「ふたりしてへんな顔して笑うもんだから、勘繰るだろ?」
「勘ぐるも何も。ねえ、将臣、あなた望美ちゃんのこと…」
 母親が探るような視線で見つめてくるものだから、腹が立つ。こちらの気持ちを探るなんて、親としてどうかしている。
「ふたりしてヘンな顔をしてたから、気に障っただけだ。珍しいな、お袋と望美が仲良く歩いてるなんて」
 将臣はさりげなくはなしの矛先を違う方向に向ける。
「望美ちゃんとスーパーで逢ったのよ。バレンタインのチョコレートを買いに来たんだって。それであなたがよくもてるからチョコレートをよく貰うって話をしていただけよ。で、女の子と一緒だったから、あんなふうになっただけ」
「納得いかねぇな」
 将臣は何故か動揺してしまい顔をしかめる。自分でもその理由が解らずに困惑していた。
「今年も望美ちゃんからは用意してもらっているから安心ね。チョコ」
「どうせ義理チョコだろ?」
 今年は、譲や父親と同じチョコレートは耐えられなくなっている自分に、将臣は気付く。望美からのものは有り難く貰うが、十把一絡げにはしてもらいたくなかった。
「望美ちゃんて、誰か本命の男の子がいるのかしらねえ…。お母さんはそれが気掛かり」
 溜め息をはきながら、母親は肩を落としている。将臣にだって解っている。母親が、自分か譲のどちらかが望美とくっついて欲しいと思っていることを。
 昔は欝陶しいと少しだけ思っていたが、今は自分がそうなればと、心のどこかで思っている自分がいる。
 それに気付いたのは少しだけ前。
 望美がどんどん綺麗になっているからかもしれない。あんな綺麗な幼なじみを、将臣は誰にも渡したくはなかった。
「さてと。今夜は寒いからシチューよ。席につきなさい」
「ああ」
 席についた後も、将臣の気分は晴れることがない。脳裏に望美の笑みが張り付いて、離れなかった。


 横浜で出会ったのは本当に偶然だった。
 将臣がたまたま通りかかったデパートのバレンタイン特設会場で、望美がチョコレートとにらめっこをしていたのだ。
 誰か本命がいるのだろうか。
 本命がいるならば、それはいったい誰なのだろうか。
 望美を見つめている間の数秒間、将臣は光速でぐるぐると考えていた。
 胸の中がじりじりと焼け付いて、このまま暴れ出したくなる。将臣は冷静を装いながら、望美をじっと観察した。
 望美はそのなかでひとつを見つけ、買い求めている。
 ジリジリと音が聞こえるぐらいに強い嫉妬を、将臣は感じていた。
「有川くん、こんなところでどうしたのよっ!」
 声をかけられ振り返ると、よく話す隣のクラスの女生徒がいた。
「有川くんはチョコレートを買いにきたの?」
「いいや。偶然通りがかっただけだ」
「ふうん」
 チラリとその娘の視線が、望美を見つけた。
「春日さんじゃない。ここで買うってことは、誰か本命でもいるのかなあ。本命チョコじゃないと、私たち高校生は、なかなかデパートには行かないよね」
 ということは、隣にいる女友達にも本命はいるということである。
「あ、春日さん気付いたみたいだよ。じゃあね!」
 望美が驚いたようにこちらを見ているので、将臣は近付いていく。
「将臣くんは買い物?」
「まあそんなとこ。お前は…」
 将臣が咎めるような視線で望美を見れば、直ぐにチョコレートが入った袋を、隠してしまった。
「なるほどな。俺はスキンダイビングの用具を見に来てた」
「そうなんだ」
 望美は少しだけ刺々しい視線を将臣に向けると。
「良かったの?」
「良かったのって、何が?」
「さっきの彼女…」
 この間の女の子とは違うと、視線で非難されているような気がする。
 「ああ。あいつは彼氏が俺と同じスキンダイビングをやっているからよく話すんだよ。あいつの彼氏も仲間だから、世間話ぐらいはな」
「そうなんだ」
 どこか納得がいかないと、望美の声のトーンが言っている。
「お前は、チョコレートでも買ったのかよ?」
「うん。自分用に美味しそうだと思って」
 望美の声は何気ない風で、あくまでさらりとしていたが、何かを隠している香りがする。
 ふたりの間に何故か気まずい雰囲気が流れていく。
「そうか。一緒に帰るか?」
 将臣の一言に、望美はさりげなく頷いた。




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