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高校に入ったら、新しい世界が広がるだなんて、誰がそんな夢見がちなことを言ったのか。 とにかく、俺についてはそれが当てはまらないのは確かだ。 中坊の頃とさして変わらない、かったるい毎日が続いている。 鎌高を選んだのも、どうしても行きたいというわけではなく、ただ望美も行くし、俺のヘンサチにあったからだけ。 入るには、県下ではハイレベルの学校だが、オーシャンビューののんびりとした綺麗な光景と環境が、何故か俺たち生徒たちをのんびりさせてしまい、卒業する頃には、同じレベルの高校よりも圧倒的に六大学や国 公立大学への進学率が低くなる。 そんなところも、俺にあっていると思っていた。 入学して最初の体育の授業は、体力測定。正直言ってだるい。 んなもん、測定してどうするんだと思った。 だるさ満開でグラウンドに出ると、望美たち女子も体力測定に挑んでいるのが見えた。 望美とは今年も同じクラスだった。 幼馴染みが同じクラスなのは、ある意味面倒臭くて、ある意味便利だ。 だが最近、面倒臭さは陰を潜めている。 つい望美を見るのが、最近の癖になりつつある。 望美の姿をつい目で追うのは、きっと知り合いを探してホッとするためだと。 そんなことを言い訳にして、俺はまた望美を見ていた。 最近、綺麗になったと思う。 相変わらずのガキだし、すぐ暴力を振るうようなところは全く変わっていないのに、時折見せる表情が、ひどく色っぽい。 そんな色っぽさを見つけては、どうしようもないほどにドキドキしてしまう。 望美を見るだけで、俺は盛りのついたオス猫のようになっていた。 スンナリとした脚が伸びて、とても瑞々しくて綺麗だ。 陽の光だけが似合う、健康的で透けるような美しさに、俺はしばしば見とれてしまう。 「やっぱ春日がピカイチだよなあ」 だらしないデレッとした声に、俺のデリケート(自己申告)な神経が障る。 「なあ有川、お前、春日と同中だってな? なあ、アイツってカレシいるかなあ?」 「知らねぇ。自分で訊け」 俺は、望美を助平な視線で見ている野郎どもを抹殺するような気分で呟いた。 「ケチ」 こんな捨て台詞を吐いているレベルじゃ、望美は落とせないし、落とさせない。 俺はバカどもと離れて、気怠くグラウンドに腰を下ろした。 「おい、五十メートルのタイム測定有川からだぞ!」 「はい、はい」 俺は適当に走る前らしい運動をしてから、スタートラインに立った。 最近、タケノコみてぇに背がニョッキリ伸びたせいか、どうも関節が痛い。 出来れば昼寝をしたいと思いながら、俺はスタートラインに立った。 走るのは嫌いじゃない。 ただだるい授業で走るのが嫌だ。 小学生のガキみてぇにスタンディングスタートで、五十メートル測定が始まる。 貧乏臭い先生のホイッスルで、タイム測定。 ムキにならず軽く力を抜いて走る。 五十なんてあっという間だから、俺はすぐに走り終えて、適当に休憩をしようとした。 「おいっ! 有川!」 ストップウォッチを片手に、先生が忙しなく走って来る。 たかが走るだけなのに、俺がヘマするはずねぇ。 そんなことを思いながら、先生に向かって振り返った。 「何ですか」 「お前、陸上部に入れ」 先生は半ば興奮している。授業中に言うことかよなんて思いながら、俺は話半分で聞いていた。 「お前のタイム凄いぞ! これは陸上部のエースでもなかなか出せないタイムだ! 五十メートルを5秒6なんてタイムで走るなんて、お前は化けもんか!?」 俺は陸上なんかには全く興味はないし、それがどれぐらいのレベルなのかも解らない。 「是非、陸上部に入って、その才能を伸ばせ!」 こんなところでクラブ勧誘なんてバカらしい。 それに俺は、面倒臭いことが嫌いだ。 あまり熱くなったこともねぇし、第一飽きやすい。 それに汗まみれの青春って考え方自体が、そもそも苦手だ。あんなのは、勝手にヤレって感じだ。 「先生、みんな待ってますよ。それに俺、陸部にも、汗まみれの世界にも興味が全くないんで。申し訳ねぇですが、そういうことです」 「おい、有川」 俺は先生に軽くあしらうように言うと、次の体力測定に合わせて、休憩を取った。 少し向こうでは、望美が踏み台昇降をしているのが見える。 何処か真面目くさって同じ動きを繰り返す姿は何処か滑稽で、そしてとてつもないぐらいに綺麗に思えた。それはもうこころのシャッターを切りたいぐらいに。 マジで好きなんだと、改めて思った。 授業がはねて、何となく望美と肩を並べて帰る。 駅までの坂の景色は、とても爽やかで綺麗だ。確かに、こんな風景ばかりを見せられていては、脳やこころがほけほけするのは間違ない。 「将臣くん、今日の五十メートル、ものすごく速かったよねー。女子はみんな驚いてたよー」 望美はまるで自慢でもするかのように、喜んでくれている。 こういう無邪気な素直さが、こいつの一番良いところだ。 「さあな、ダルいから適当に走っただけ」 「だけど体育の先生がね、残念がっていたよ。それだけ走れるのに、もったいないって」 「汗まみれも、陸部にも興味ねぇし」 「将臣くんらしいね」 望美はいつも俺の意思を尊重するようにしてくれている。それがいつも有り難い。 俺はかなり身勝手なところもあるのに、こいつだけはちゃんと解ってくれる。 だから一緒にいて、最も心地好い相手だった。 「お前は部活入るのか?」 「そうだね、取りあえずは、日坂を下校時に眺める会にでも入ろうかな」 「要は帰宅部だろ?」 「バレた?」 「俺も同じようなもんだからな」 望美はにっかりと笑うと、深く頷いた。 俺たちふたりとも、まだ、何をすべきかを決めてはいない。 望美を見ていると、そんなに焦る必要もないような気もしてはいる。 「これからだからな」 俺がひとりごちた意味を、望美は直ぐに解ってくれたのか、ただ一度、頷いてくれた。 江ノ電が来るまでに時間があるから、そしてヒマだからか、俺たちは海岸に下りて時間を潰すことにした。 「こんなさ、灰色の砂なのに、ほら、こんなに綺麗な貝殻があるよ」 歩いていて、ふと望美が拾いあげたのは、薄紅色をした愛らしい桜貝だ。 「ホントだな。マジで綺麗だ」 「こんなさ、綺麗な貝がまだ生きていける世界は、綺麗なのかな…」 望美がぼつりと言った言葉に、何故か俺のこころは大きく動いた。 「綺麗じゃねぇのか? こんなに綺麗な姿をしているんだから」 「そうだよね。湘南の海って、お世辞にも綺麗だなんて言えないけれど、こうして貝殻だけを見ていると、まだまだ綺麗なところはあるのかなあって、何となく思うんだ」 「海のなかとかか?」 「そうだね。潜ってみたいな」 「泳げないお前には無理だろ?」 「そうだね〜。だけど、将臣くんはやってみたら? ダイビング。きっと向いてると思うよ」 望美の何気ない一言が、俺のこころを強く動かした。 見てみたいと思った。 故郷の海を。 汚れた海水浴場の代名詞のように言われる故郷の海を、俺はちゃんと見てみたくなった。そして、その美しいところを探してみたくなった。 「…だけど…。見てみてぇな。この海の綺麗なところ…」 「そうでしょ?」 陽の光が溶け込んだ海の世界。 そこがどのような美しさがあるのか、俺は知りたくてたまらない。 望美が腕時計を見る。 「そろそろ時間だよ」 「ああ」 望美と一緒に駅に戻りながら、俺は海を見た。 海に呼ばれているような気がしてならない。 なによりも望美が言ってくれたのだから、やってみようかと思う。 さり気ないひとこと。 だが、強く思った相手のひとことが、世界を変えてくれることを、俺が知るのは、もう少し後のこと。 |