優しい時間

前編


「だるまさんがころんだっ!」
「将臣君! 動いたっ!」
「動いちゃいねぇよ! 嘘つき望美!」
「動いたもんっ! わーん! 将臣くんのバカーっ!」
「兄さんっ!また望美ちゃんを泣かせて!」
「ったく。しょうがねぇな」
 ”だるまさんがころんだ”を近所のみんなでやると、決まって私は鬼になった。
 決まって動いてもいないのにすぐに将臣君に「動いた」と言って強情を張る。
 だって、将臣君と手を繋ぎたかった。
 ただ、それだけだった-----

 突然の激しい雨に、望美は軒を探して走った。幼い頃、よく遊んだ公園の大きな木が見える。雨宿りには絶好の場所だ。
 同じように雨にやられて、雨宿りをする将臣を見つけ、声をかけようとしたところで立ちすくむ。
 将臣の横には最近付き合い始めた、隣のクラスの可愛いコがいた。所謂、”お姉系グループ”に所属する、発展家の綺麗な女の子。将臣同様、いつも横にいる異性は違う。だが、ずっと将臣が好きだったらしく、今度は恋する女の子の特有の可愛い雰囲気を持っている。
 ごくあたりまえのように、将臣の横にいる彼女は可愛いらしい。
 将臣の隣。
 それは望美の特等席のようで、特等席でない場所。決して、ただの幼なじみでは赦されない神聖な場所のように、望美には思えてならなかった。
 じっと雨に打たれて見ている。この場所を離れることが出来ない。
 望美はただじっと将臣と彼女を見つめるだけ。
 雨に濡れて躰がびしょ濡れになるというのに、そこにおらずにはいられない。
 ふたりは恋人同士の親密さを醸し出しながら、楽しそうに雨宿りをしている。
 想い出の詰まった木。そこにふたりがいる。それだけで哀し過ぎて胸がきゅんと音を立てる。
 頬に伝う雫が、雨のせいなのか、それとも自分の瞳から流れ落ちたもののせいなのか、望美には解らなかった。
 ふたりがふと真剣な眼差しになる。そのまま唇が近付き、お互いのそれに触れ合う。
 端から見ていればなんてロマンティック。だが幼なじみの望美にとっては耐え難いものがあった。
 小さな頃、”だるまさんが転んだ”で遊んだ木。幼い頃、いつも一緒だった想い出が、セピア色のガラスになり、音を立てて脆く崩れ去るような気がした。
 その後、ふたりはじゃれるように抱き合い、楽しそうにしている。
 胸も躰も、総てが冷え切ってくる。
 寒くてこの場に居られなくて、望美はとぼとぼと歩き出し始めた。
 家に帰り、濡れた躰のままでそっと自室へと向かう。
 暫くは躰すらも温めることができずに、ただぼんやりとしていた。

 そのつけがまわったのか、翌日やはり酷い風邪を引いた。
 鼻がくずくずとして、声もおかしい。軽く寒気もするが、学校には気力で行くことにする。
 いつもより顔色が悪いことを気にして、色付きのリップクリームをほんのりとつけた。
 途中で気分が悪くなると嫌なので、いつもよりも早目に学校に向かう。
 遅刻しそうな時には、将臣の自転車に乗って駅まで行ったりしていた日々が懐かしかった。あんなシーンを見せつけられた以上は、もう一緒になんか行けない。望美はまだ比較的空いている電車に乗って、ゆっくりと学校に向かった。
 教室に一番乗りに入り、自分の席に着くとくったりとする。
 次の誰かが来るまでは、机に突っ伏して眠る。
 そうすれば、気分の悪さを、幾分か解消できるような気がした。
 だが、時間が経つにつれて躰が熱くなる。気持ちも悪くなり、寒気もする。
 だが、望美は意地で何とかその場を持ちこたえようとする。
 何の意地なのかは解らないが、今はここにいて、普段通りの事をしていたい-----それが望美の希望だった。
 クラスメイト達が教室に姿を集め始め、望美は背筋を伸ばして雑誌を読むふりをする。本当は視界がぼんやりと熱で煙ってしまっていたのに、必死になって雑誌を読み続けた。
 チャイムが鳴ってギリギリのところで将臣が教室に入って来て、望美の席の前に立ちはだかった。
 気がつかないふりをしていると、教科書で机をとんとんと何度か叩かれる。
「何…?」
 熱のせいで真っ赤になった頬をして将臣を見上げると、明らかに機嫌が悪い。
「お前のお陰で、今日は遅刻しそうになった。何か、用事でもあったのかよ?」
「…うん、ごめん。用事があったから、先に行ったの」
「ふうん」
 将臣はあからさまに鋭い視線を向けてきた。眼差しのナイフの先端のような鋭さに、望美はドキリとする。
「そう言う時は、ちゃんと言え」
「うん、ごめん。これから気をつけるよ」
 望美が俯いて呟くと、将臣はそのまま自分の席に着いた。
 今日は、1時間目からLHRがあり、担任の気まぐれで席替えにと相成った。くじ引きで望美の席は間が悪いことに将臣の横。見事な「ご当選」だった。
 こんな時期に、将臣と一緒にならなくても良いのにと、望美はつくづく思う。今は、将臣の隣なんて、苦しいだけだというのに。
 望美はその後の授業を、体調不調の中で受け、昼食もロクに食べられないまま午後の授業に突入しようとした。
「おい、おまえ、気分かなり悪いんじゃねえの」
 突然、将臣が額をつけてくる仕草をしたために、望美は慌てて躰を引く。そんなことをされたら、余計に熱も上がってしまうから。
「…何だよ。最近おかしいぜ、おまえ」
「おかしくたっていいんだもん…」
 望美がうつむいて拗ねるように言うと、不意に将臣の大きな手が額を覆った。
「…おまえ、すげえ熱いじゃねえか…!」
 将臣はかなり強い調子で怒ってくる。望美は顔を合わせられなくて、唇を噛んで俯いてしまう。
「…熱なんかない」
「大いにあるだろうが、このバカ! すぐに早退しろ」
「いやだっ! 早退なんかしないもん。ちゃんと最後まで授業は受けるんだもん!」
「ったく頑固にもほどがあるぜ」
 将臣は呆れたように言うが、望美はそれでも引きたくはない。なんだかとことんまで将臣に抵抗してしまいたくなった。
「ったく、昔からその強情は治らねぇな」
「強情でいいもん」
「わがままで泣き虫で、おまえにはほとほと呆れるぜ」
 将臣があきれ果てたとばかりに大きなため息を吐くと、望美は見捨てられたような気持ちになり、切なくなった。
「----いいもん…」
 まるで負け惜しみをするかのように言うと、望美は将臣に顔を合わせようとしない。するとどこからかあきらめに似たため息がこぼれ落ちてきた。
「それじゃあ、しょうがねえから、その中間を取るしかねえな」
「え!?」
 顔を上げると将臣にいきなり抱き上げられた。
 周りのクラスメイトたちは騒然となり、女子なんかは望美に羨望の眼差しを向けている。
「…あ、あの…、将臣君…!」
「わがまま女には保健室が適当だ。行くぞ」
「あ、あの…」
 抵抗しようとしても、頭がくらっときて、何もできない。
「帰らせたい俺と帰りたいおまえ。保健室はその中間で丁度いいだろうが」
 将臣はまるでフェアリーテールに出てくる王子様のように、望美を軽々と保健室に運んでしまった。
「先生、こいつ気分が悪くて熱もあるみてえだから、休ませてやってくれ」
「あらあら、こんなに顔色を悪くして。春日さん、いくらボーイフレンドだからって、有川君を困らせてはだめよ」
 保険医はほほえましい風に笑っているが、望美は妙に居心地が悪い。
「先生、有川君に悪いよ、それ。ちゃんと彼女がいるんだから。私は単なる幼なじみだから…」
 望美がぼおっとした頭で必死に弁解していると、将臣が冷たい表情で睨んでくる。整った顔立ちのせいか、かなり凄みがあった。
「んなこと、おまえはイチイチ心配するんじゃねえ」
「あらあら、春日さん、有川君を怒らせちゃったわね」
 のんびり言う保険医に全く腹が立つ。将臣を怒らせたきっかけは、いったい誰が作ったと思っているのだろうか。
 将臣は若干荒っぽい形で望美をパイプベッドに寝かせ、一際きつい睨みをきかせてから、離れた。
「先生。授業が終わったらこいつを迎えにくるから、それまで頼みました」
「はい。わかりました。有川君はちゃんと授業を受けていらっしゃいよ」
「はい」
「将臣君…一人で帰れるから…」
 あくまで望美が抵抗すると、将臣はさらに不機嫌な顔になった。
「おまえはそんなことを言う資格はねえよ」
 ただそれだけを言い捨てられて、将臣は行ってしまった。
 望美は背中を向けて、ベッドの中で小さくなる。
 真っ白な上掛けを頭からかぶると泣けてきてしまう。
 いつしか熱に完全に支配され、望美は深い眠りの縁に落ちていった-----

 夢を見ていた。
 望美が目撃した、将臣とガールフレンドのロマンティックなキスシーン。
 将臣と彼女は夢の中でも幸せそうにしている。
 望美はふたりの幸せな表情に、胸が詰まり、魘されていた。
「…ん…・・んっ!」
 苦しい声が無意識に漏れる、すると冷たい手が頬を引かし、少しずつ夢の縁から脱却できるような気がした。
「…望美、望美…!!」
 何度か名前を呼ばれて目を開けると、将臣が心配そうにこちらを伺っていた。
「…大丈夫かよ!? かなり魘されてたみたいだぜ…」
「…うん、大丈夫…」
 望美は力なく言いながら、何とか気力で体を起こす。
「もう、授業が終わったんだ」
「ああ。もう3時すぎてるぜ」
 上掛けを取ると、寒気がしてふるえてしまった。
「寒いのかよ」
「うん…」
「しょうがねえな…」
 将臣は苦笑すると、優しい表情のまま、望美に制服の上着を掛けてくれた。
 すっぽり覆う将臣の上着は、望美にはかなりぶかぶかで、改めて将臣の体躯の良さに驚いてしまう。
 183センチの将臣と、160センチの望美。
 やはりふたりが違う性であることを、意識せずにはいられなかった。
 ほんのりと香る将臣の匂いは、男のそれだ。胸の奥を焦がしてくる。
 こんなに胸を騒がす香りで、彼女を包み込んでいるのだろうか。
 こんなに逞しい腕で愛する彼女を抱きしめているのだろうか。
 望美は心の奥が焦れるような気がした。
「立てるか?」
「何とか…」
 将臣はまるで望美がかけがえのないお姫様のように扱ってくれる。
 しっかりと支えながら保健室を出てくれたとき、なんだか泣きたくなってしまった-----

 こんなに好きなのに…。
 こんなに愛しているのに、どうしてあなたは振り向いてくれないの…?

 
コメント

幼なじみものです。
望美が将臣の服を着るのは、先日わしが研修中に寒気をしたときに、一緒に研修を受けていたスタッフにジャンパーを借りたエピソードから生まれた話です。そのスタッフは182センチ。わしは160センチなので、これは使えると思ってしまいました(笑)




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