中編
しっかりと腕を捕まれて、くらくらししそうになる。 熱でどうにかなりそうになっているのに、望美が考えることと言えば将臣のことばかりだ。 あんなに小憎たらしい幼なじみはいないのに、気がついたらずっと目で追っていた。 なのに将臣はいつも半歩先を歩いている。手を伸ばしたら届きそうな距離だと言うのに、いつも届かなかった。望美のことなど、ただの”幼なじみ”としか思ってはいないようで、いても恋愛するなら”望美以外”と豪語していたのだから。 先日の将臣と恋人のキスを思い出し、泣けてくることをぐっとこらえる。 横にいる幼なじみの顔を見ないようにした。 将臣の隣----- いくら好きでも、手に入れる事が出来ない地位だった。 「ったく、おまえは昔から我が儘だよな」 躰の奥から出される低い声。いつこんなに魅力的な声が出せるようになったのだろうか。 自分よりもずっと声が高かった将臣が、いつしか大人の声になり、余計に望美の胸を焦がしていく。 ふと、将臣が鞄を持っているのが見えた。 「鞄…有り難う。持つよ」 「持ってやる」 どうしてこんなに冷たいのだろうか。いつも以上にクールな将臣の態度に、望美は小さな躰を縮めた。 「悪いよ」 「水くさいこと言っているんじゃねぇよ」 将臣は鋭い眼光で望美を睨みっぱなしで、生きた心地がしないほどだ。 きっと恋人との時間を邪魔した望美の事を、怒っているのだろう。 望美は自分の鞄を受けとろうと、そっと手を出す。 「何の真似だ!?」 「…鞄ちょうだい」 「しつこいぞ。望美。俺が家まで持って帰ってやる」 「大丈夫だよ。ひとりで何とか帰れるから…」 熱がかなり出て、舌がきちんと回らないのにも関わらず、望美は笑顔で将臣に言った。 「んな躰で帰れるわけがねぇだろう!」 将臣の怒りはかなり強いらしく、望美はあっさりと怒鳴られてしまう。その強さは舌を巻いてしまうほどだ。 「怒鳴らないで…。頭に響く…」 「すまねぇ…。おらな、俺が少しでも怒鳴ったぐれぇでそんなに苦しそうにするんだから、おまえはひとりじゃ帰れねぇよ」 そんな事は解っている。だが、つい意地を張りたくなる乙女心があるのだ。それは恋する女の子だけが持つもの。 「…将臣くん…、彼女はどうすんのよ…」 「あいつは先に帰って貰った」 将臣はあからさまに苛々しているように顔をしかめる。こうして幼なじみを面倒見なければならなくなった事を、 将臣は怒ってしまっているのだ。きっとそうにちがいないと、望美は思った。 「ったく、ごたごた言っている間に帰るぞ!」 「…あ、や、ちょっと!」 将臣はいきなり望美を肩で抱えると、軽々と運んでいく。 廊下を過ぎゆくほかの生徒が呆気に取られる中、将臣は望美を抱えて保健室から出ていく。 「お願い、ひとりで歩けるから、下ろしてよ」 「ったく、おまえが我が儘言いやがるからだぜ」 すっかり不機嫌になってしまった将臣は、少し歩いたところで下ろしてくれた。ほんの少しでもホッとする。あのまま担いでおられたら、心臓がいくらあっても足りないだろうから。 将臣は相変わらず鞄をしっかりと持っていてくれたので、ここはもう逆らわないほうがいいと、望美は思った。 下駄箱でスニーカーに履き代えて、とぼとぼと将臣の後を着いていく。 望美なりに気を遣って、将臣との距離を微妙に開けている。 「おい、とぼとぼ歩くな」 「えっ…!?」 顔を上げると、今度は将臣が手を繋いで来たのだ。こんなことをするのは幼い子供時代以来で、胸が激しくときめくことを止められない。 こんなに大きな手だったのだろうか。こんなに逞しかったのだろうか。 幼い頃、将臣と手をつなぎたくてわざとずるをした”だるまさんが転んだ”----あのころよりも数倍固くて、雄偉になっている。 ただでさえ熱で躰は凄いことになっていると言うのに、望美は更にヒートアップしてしまう。煙が出てしまいそうなぐらいに。 手をしっかり繋ぎあって電車に乗る。幸いなことに、直ぐに座れたので、望美はホッとした。 座席に座れば、将臣は手を離してくれると思っていたのに、離してはくれなかった。 じっと握り締めたままだ。 「将臣くん…もう手は握らなくてもいいよ」 将臣は眉を寄せて不機嫌を気取りながら、更に強く握り締めて来た。 「おまえは何をするか解らねぇからな。ちゃんと繋いでおく。鎖みてぇなもんだ。気にするな」 さらりと言われてしまったが、望美はそれが嬉しくてしょうがない。 見えない鎖にずっと繋がっていればいいのにと、思わずにはいられなかった。 ぼんやりと視界を掠める海が、いつもよりも輝いて見える。望美はじっと吸い込まれるように見ていた。 駅に着くと、ふたりは久しぶりに自転車で二人乗りをする。 「しっかりと捕まっておけよ」 「うん!」 将臣の背中にしっかりと捕まりながら、望美はこんなに広い背中だったのだろうかと、ぼんやり見ていた。 「飛ばすからな。おもいっきりつかまっていろよっ!」 「うん!」 今だけだからと自分に言い聞かせて、望美は将臣の背中に顔を埋める。華奢で柔らかな躰を密着させて、将臣の熱と香りを感じた。 以前、ふたりで自転車で揺られた時には、何だかんだと無駄話をしていた。だが今は、胸が切なくなり過ぎて、話すことも出来ないでいる。 望美は痛みの余り全身が収縮する感覚に、何だか泣きたくなった。 風に乗るように自転車が走り、通りの人々が流れるように過ぎる。まるで空を飛んでいるかのようだ。 「将臣君…。こうしていると、ETの自転車に乗っているみたいだね。小さい時、ビデオを見た後に、ETごっこをしたよね」 「おまえ、すげえ古いことを覚えているな。俺は忘れちまったぜ。んな昔の事はな」 「そう…」 自分が大切にしている幼なじみの想い出を将臣が簡単に否定するのが切ない。望美にとっては宝石のような想い出だというのに。 「将臣君は今が総て?」 「そこまでは言わねぇけれど、それに近いもんはあるな。今という時間が、かなり大事だ。過ぎちまったことはしょうがねぇだろ?」 「まあ、そうだけれど…」 望美はそれから以降何も話さなくなった。 熱が上がり苦しくなったのは確かだが、それ以上に、男性として意識し始めた将臣に、過去をあっさりと否定されたのがたまらなく辛かった。 自転車がブレーキを踏む音がして、望美ははっとする。暫く話さない間に、ぼんやりとしていたらしい。 「…着いたぜ?」 「有り難う、将臣君…」 望美は元気なく礼を言うと、自転車からゆっくりと降りる。いつもよりついもたつくのは、やはり熱のせいだろう。 「じゃあ、また…」 「しっかり休めよ。無理すんな。暖かくして、ちゃんと汗をかいて熱を下げるんだぜ?」 「…うん…」 望美は半ばぼんやりとしながら将臣に返事をした。 とぼとぼと自分の家に入り、部屋に向かう。途中母親と出くわし、顔色の悪さに驚ろかれた。 「望美! お医者様に来て頂くから、直ぐにベッドに入りなさい!」 往診を頼むレベルだと母親に判断され、そのまま部屋に連れて行かれた。 直ぐにパジャマに着替え、ベッドの中に入る。 「…油断しちゃったみたい…」 「明日はお休みをして、しっかりと休養するのよ!」 「ふあい」 望美は返事をした後、ゆっくりと睡魔に身を委ねた。 将臣の部屋と真向かいの窓は遮光カーテンで閉じられたまま。だが、空気の入れ替えに少しばかり窓が開けられたままで、僅かな隙間から風が吹き込んできた。 久しぶりに夢を見た。 ほんの小さな頃の夢だ。 今日と同じように望美が熱で寝込んだ日、いつも一緒に遊んでいる将臣とは遊べなかった。 将臣が心配の余り、僅かな隙間を乗り越えて、望美の看病に来てくれたことがあったのだ。冷たい水でお気に入りのハンカチを濡らして持ってきてくれた上に、額にぴっちりと宛ててくれたのだ。 あの気持ち良さを、望美は思い出していた。将臣の小さな手が額に宛てられて、熱を診てくれた。そのまま朝まで、同じベッドで手を繋いで眠った。幼いから出来たのかもしれない。それもまた素敵な想い出だ。 きっと将臣にとっては、どうでもいい過去なのかもしれない。どうでも良すぎる。 夢の中で、小さな将臣は、望美の熱を診てくれる。その手が大きくて冷たく、とても気持ちが良かった。 その冷たさに誘われるように目覚め、望美はうっすらと目を開けた。 一瞬、小さな将臣が目の前にいる錯覚に陥る。だが徐々に視界がはっきりしてくると、そこにいるのは今の将臣だった。 「…将臣くん…」 大きな手で熱を計った後、冷たい氷枕を頭に宛ててくれる。 「…気持ち良いか?」 「…うん、有り難う…。大丈夫…」 望美は熱で溶けてしまいそうな意識で答えながら、将臣に微笑む。 「風邪だろうな…。誰かに移しちまったら、治るかもしれねぇぜ」 「…そうかな…」 意識が深いところに沈みこんでいく。 また眠りを貧ろうとすると、将臣の顔がかすんでくる。 きっとここに将臣がいるのは夢なのだ。小さな将臣がただ大きくなっただけなのだ。 深い眠りの淵に堕ちようとした瞬間、唇が重なりあった。 望美の熱を覚ますかのように将臣の唇は冷たい。 唇が離れると同時に、望美の意識は途切れた----- あのキスは夢のようなキスだった。 きっと夢に違いない。 |
| コメント 幼なじみものです。 あと1回おつきあいをお願いいたします。 |