1
様々な夢を見ていたけれど、結局は短大を卒業し、普通のOLになった。 景気は上向いてはいるものの、まだまだ厳しい就職状況の中で、大企業の平物産の社員になれた自体、ラッキーだ。 地味なベージュの制服を着て、自慢の髪もシニヨンにして、目立たず毎日を過ごしている。 ボーナスもあるし、望美の場合は残業もほとんど無い。恵まれていると言っても良かった。 会社の本社は京都にあり、望美は横浜支店に勤めている。通勤もそんなに長くない理想的な職場と言えた。 ただし、満員電車に乗るという事実以外は。 今日も何時ものように、満員電車に乗り込んで、ペッタンコになりながら職場に向かうのだ。 新しい上司との顔合わせがあるために、いつもより一本早い電車にした。そのせいか今日は何時もにまして込む予感がする。大船駅のホームでも、電車を待つ人でごった返している。 列に並んでいると、不意にお尻に嫌な感触を感じた。持ち上げるように撫で付けられる感じがする。 背筋がゾワゾワとした。 こんなこと耐えられない。 望美は、目を吊り上げながら、痴漢の手を握ると、思い切りその手首を捩りあげた。 「何をしているのよっ! この馬鹿男っ!」 オトコマエにも痴漢を捩伏せ、望美は簡単に退治してしまった。 騒ぎを聞き駆け付けた駅員に、さっさと引き渡す。 「この男痴漢の現行犯です!」 突き出すと、駅員は困ったように溜め息をついた。 「…またあんたか。手癖は治らないようだな…。駅長室まで来て貰おうか」 望美が捕まえた痴漢は常連らしく、駅員も呆れ返っている。 望美も呆れ果てたかった。 「それじゃあ、私はこれで」 そろそろ行かなければ間に合わない。望美は一仕事を終え、駅員に託そうとした。 「ちょっとお待ちになって下さい。貴女からも色々とお聞きしたいことがございますので。ご同行頂けますか?」 親切にニッコリと微笑んだ駅員が悪魔に見える。 「ち、遅刻するんですけれど…」 「大丈夫です。ちゃんとこちらで一筆書かせて頂きますから」 もう腹を括るしかない。 「解りました。参ります」 望美は凛と背筋を伸ばすと、駅員に着いて行くことにした。 「…クッ……面白い…女だ……」 遠くに聞こえた声を、冷たく無視しながら。 結局、事情聴取に時間がかなりかかり、望美は大幅な遅刻を余儀なくされた。 急いで行ったとしても、もう間に合わない。望美はのんびりと会社に向かうことにした。新しい上司には、説明をすれば解って貰えるだろう。 望美は最寄りの駅を下りて、オフィスまでのんびり歩くことにした。途中、気が向いたので近道をしようと、植え込みに足を踏み入れ渡ろうとした。 「…ん!?」 足元に何故だか硬い感触を感じたと思ったが最後、望美は硬い障害物に引っ掛かってしまう。 「あ、あ、あ〜っ!」 大きな声を上げても、どうにもならない。望美は足を引っ掛けてしまうと、そのままバランスを崩す。 見事に枯れた芝生の上に顔から着地をしてしまい、じんじんとした痛みを感じた。 「いたたぁ! 誰よっ! こんなところに丸太ん棒を置いたのはっ!」 望美は、障害物に八つ当たりをするように、大きな声を上げて怒鳴ってしまった。 「…丸太ん棒か……。クッ、道路には……丸太以外がいてはならない…なんてことは……ない…はずだが…。…お嬢さん……」 低い独特の間を持つ声を聞いて、望美は竦み上がる想いをした。 まさか、オフィスの庭の植え込みに人間が寝ているとは思わなかった。セキュリティも万全な望美の会社で、それは有り得ないような気がする。 「…ら……」 何を言っていいのか、パニックになってしまい望美には解らない。 丸太ならぬ寝転がっていた声の主は、ゆっくりと大きな躰を起こした。 「……お嬢さん…、ここに人が寝てはいけない…という…、ルールはない…はずだが…?」 望美を見つめてきた男は、冷たい炎を持ち合わせた瞳を持っていた。焦燥と冷徹が同居したような危うい眼差しを持っている。 そんな瞳で見つめられてしまえば、蛇に睨まれた蛙のような気分になった。 フッと笑う仕草は、冷たいのにどこか甘い。 「あ、あの、失礼しましたっ!」 望美が立ち上がって、頭を下げ、謝ろうとした時だった。 「……!!!」 いきなりスカートをめくられ、望美は目をむく。全く、今日は痴漢日和だろうか。 「……毛糸……柄は……くまちゃん…」 冷徹な声で指摘されると、恥ずかしさは頂点に達する。 頭に血が一気に上るのを感じながら、望美は言葉よりも手が先に出ていた。 綺麗なラインの頬には、望美手形が大きな紅葉のようにクッキリとつく。 我ながら良い音が鳴ったと、半ば感心せずにはいられなかった。 男は一瞬驚いたように眉根を寄せたが、直ぐにからかうような危ない微笑みを浮かべた表情に変わった。 「……クッ…! 中々…俺を……楽しませて…くれる……」 表情が強張る望美を、男は愉しむかのように見ている。 余計に頭に血が上る。 「ったく! なんてことをするのよっ!! チカンっ! バカっ!!」 望美はもう一度男の顔を思い切り叩いた。 「…サイテー!!」 望美は悔しくてたまらずに、立ち上がり足早に走り去る。 悔しくて悔しくてたまらずに、泣きそうになった。 「……中々……、楽しませて…くれるじゃないか……」 男が快楽的な笑みを浮かべながら、見送ったのことを、望美は気付いてはいなかった。 「望美! 珍しいわよね! あなたが遅刻をするなんて!」 「…今朝は二回も痴漢騒ぎに巻き込まれて、もう散々だよ!」 望美は、遅刻届けを書きながら、不快感をあらわにした。 「それは大変だったよね」 「で、新しい上司の紹介は終わったの? 初日に遅刻だなんて、印象悪いなあ」 今日はなんて厄日なのかと思いながら、望美は諦めに似た溜め息を吐いた。 「それがね、上司の挨拶がまだなのよ」 「まだ?」 そんなことがあるのだろうかと、望美は驚いて眉根を寄せた。 「…それがさ、ここだけの話なんだけれどね。どうも出勤はしているらしいんだけれど、何処を捜してもいないらしくてね。みんな大慌てらしいよ」 「そうなんだ」 彼女の”ここまでの話”は、既に望美の部署では全員の耳に入っていることだろう。それどころか、会社の全部署にも知れ渡っているのかもしれない。 「で、準備が出来次第、挨拶があるらしいんだけれど、会長の息子らしいから、みんな対応が大変みたい」 「そうか。大変だね…」 望美は対岸の火事のような気分で呟く。 上司と言っても、いくつか飛び抜けた上司なので、影響は少ないと思っていたのだ。 「チーフに出して来るよ。遅刻届けと証明書」 「了解。また後で!」 望美はチーフに届け書を出しに向かった。 望美がデスクに戻ると直ぐに、オフィスがざわめいた。 「平マネージャーが着任をされました。皆さん、ご挨拶を!」 チーフの一声に、望美たちは立ち上がる。 ふとその奥に現れた、銀の髪をした影に、望美は息を飲む。 そこには、望美が先ほど脇腹を蹴飛ばした男がいた。 憎らしいほど好戦的な眼差しを、望美に向けている。 背筋がぞっとした。 何かが起こる------そんな予感がした。 「皆さん、平知盛マネージャーです!」 夢だと思いたかった。 |
| コメント パラレルな知望です。 書いていて楽しいです(笑) |