天使様お手柔らかに!


 華やかな衝撃は爽やかな昼間に音を立てずに下りて来た。
「えっ!? ホントですか?」
 いきなりの決定に、アンジェリークは青ざめて息を呑んだ。
 同時に頭に血が上ってくるのが解る。
 アンジェリークは自分自身に”落ち着いて”と何度も心の中で囁きながら、深呼吸をした。
「編集長、あれほど言ったように、私の担当は絶対に女性でなければなりません!」
 キツイ調子できっぱりはっきり言うアンジェリークに、編集長であるルヴァもたじたじの様子だ。
「あー、コレットさん、今度のあなたの担当になるアリオスは編集者としては非常に優秀な男でして…」
 しどろもどろなルヴァにアンジェリークは容赦のない視線を向けた。
「優秀だとか、そんなことは私には関係ないんです! 相手が男だから嫌なんです!」
 いくらルヴァが困ったような表情をしても、アンジェリークはいくらも引く気にはならない。それどころか、何とかこの暴挙を抑えたくて必死になる。
「もう社長が決めたことですしねぇ…。それに、彼が担当になったのも、社長があなたの並々ならぬ文学的センスに惚れこんだからですし…。今まで、彼が担当した作家は総て大物になっていますよ。スモルニィ賞を受賞とか…」
「少女向けのヤングアダルトボーイズラブ小説には、それを理解する感性が必要なんです! おもしろければいい! 読者の感性に響けばいい! そうでしょう? 編集長!」
 アンジェリークは、いかに自分にとってはそんな大層な編集者は必要ないと、懇々と説こうとしたが、ルヴァには全く通じない。のんびり 編集長はただにこにこと曖昧に笑うだけだ。
「それに彼はあなただけの為に、うちの編集部に来た人物ですから」
 それでもアンジェリークは曲げられない。このように沢山人のいる編集部なら何とかやり過ごすことが出来るが、問題は打ち合わせの時なのだ。
 今まで無理を言って、ずっと女性担当にしてもらっていたというのに。
 そう。アンジェリークは男性とふたりきりで過ごす事が出来ない、男性恐怖症なのだ。
「…とにかく、男はダメです。女性じゃないと…」
 アンジェリークは口ごもりながらも、はっきりとした意志をルヴァに突き付けた。
「…コレットさん」
 ルヴァは優しい声で名前を呼んでくれる。アンジェリークにとっては、数少ない大丈夫な男性のひとりだから、彼の言葉なら何とか聞ける。
「勿体ないですよ? 優秀な担当に皆付いて貰いたいと想っているのに、あなたはただ彼が”男性”であるだけで拒むんですから…。それだけの文学センスをお持ちなんですよ? あなたはうちの出版社で抱える作家の中でもホープなんですよ。だからこそ、優秀な編集者を付けようと決定したんですよ。この際、彼に担当をしてもらったらいかがですか? きっとあなたの文学センスが向上するのに間違いないですよ」
 ルヴァお得意の説教じみた言葉に説得されつつも、アンジェリークの心は頑なだ。
 男性が怖い。
 これはアンジェリークにとってはひとつのトラウマであったから。
 深く根ざした物は、なかなかぬぐい去ることは出来ない。
「アンジェリーク。もっと優しい顔をなさい。きっと上手く行きますよ」
 いくらルヴァの説得の言葉が下りて来ても、アンジェリークはなかなか首を縦に振ることは出来なかった。
「まあ、逢ってみて下さい。考えは変わるかと思いますよ?」
 ルヴァがニコリと微笑む。アンジェリークはその微笑みの影に何かがあると悟ったが、既に遅い。
「アリオス! アンジェリーク・コレットさんですよ。入って来て下さいっ!」
 天然編集長の罠に見事に嵌まった兎のような気分になり、アンジェリークは思わず舌打ちをした。背中にぞわぞわとした感覚が出てくる。
 心臓が緊張の余りにかなり早く打ち、その上、背中には冷や汗が下りて来た。
 どうしようもなく追い詰められた気分になる。
「アリオス、早く!」
 編集長に促されて、長身の男がダラダラとやってくる。
 着崩したスーツをだらし無く、だがとてもスマートに着こなし、整った薄めの唇には銜え煙草。
 馬鹿にしているような態度の男が、今、アンジェリークの目の前に現れる。
 銀色の髪は伸び放題だし、目線は冷たい癖にぎらぎらとしている。
 今までに見たことのない編集者の姿に、アンジェリークは呆気に取られて見つめていた。
 すっかり、自分が男性恐怖症ということを忘れて、アンジェリークはじっと男を観察をしてしまう。
「アリオス、こちらが、社長が言っていた、アンジェリーク・コレットさんです」
「ああ」
 アンジェリークはアリオスを目の前にして固まってしまっていた。
 男性恐怖症だからではない。今までに見ない、飄々とした失礼な態度に目を見張っていたのだ。
「社長直々の推薦か…」
 冷酷さとシビアさが含まれた眼差しで、ほんの一瞬見られる。
 それだけで、喉がからからに渇くほど、アンジェリークは緊張していた。萎縮してしまい、筋肉の全てがかちかちに固まってしまっているのではないかと思う。
「あんたか、オカマ小説で、しょんべん臭い女子高生どもに人気があるのは?」
 アリオスの物言いに、アンジェリークはムカッと来る。何と失礼な男なのだろうか。
 すっかり、男嫌いな事もなげ忘れて、戦闘開始。思い切りつっかかってやる。
「”ボーイズラブ”です! そんな変な呼び方はしないで下さい!」
「でも、男同士がくんずほぐれつやるんだろうが。それのどこが”オカマ小説”じゃねえと、言い切れるんだ?」
 アリオスは明らかに嫌悪感をあらわにして呟く。
 アンジェリークは本当にムカついていた。アリオスが宙に吐き捨てる紫煙ですらも、憎たらしい。
「”ボーイズラブ”のジャンルは大きな商業マーケットに既になっているんですよ! いいですか! それも出版社が無視出来ないぐらいにね!」
「んなことは、解っている。俺も業界の端くれだからな」
「なのにそんな言い方しなくてもいいでしょう! それに、私も女子高生だけれど、最近の女子高生はしょんべん臭くなんかないわ! 大人よりもイケてるんだから!」
 それこそアドレナリンを総て放出とばかりに、アンジェリークはいきり立つ。
 誰もがこの口喧嘩には驚いていた。口喧嘩と言っても、アンジェリークが一方的にまくし立てているだけだが、それでも編集部では驚きのことだった。
 あの温和なアンジェリークが、クールで厳しいアリオスを相手にまくし立てている。ふたりを知る人物には、到底信じられないことであった。
 その証拠に、編集長であるルヴァがふたりの様子におろおろとしている。
 アリオスは顔色ひとつ変える事なく、新しい煙草を新たに口にくわえ直すと、ライターで火を付けながら、平然と聞いている。
「だいたいな、そうやって感情的になるから、ションベン臭いガキだって言ってるんだ」
「おやぢにそんなことを言われたくはないわよ!」
 アンジェリークは相手が大人の男だとはすっかり忘れて、まくし立てている。
「おやぢで結構。俺はあんたよりかなり上だからな」
 クール過ぎるアリオスの態度が悔しくて堪らない。アンジェリークは思わず下唇を噛み締めた。
「そんなに怒るな。俺はホントの事を言っているまでだ。おまえだって、女同士の恋愛を”ガールズラブ”とか言われて、男どもに人気があったら引くだろうが」
 アリオスに真を突かれて、流石のアンジェリークも二の句を告げることが出来ない。
「…確かに、嫌かも…」
 複雑な心境のせいか、アンジェリークは僅かに口ごもらせた。
「だろ。それと同じだ」
 アリオスは近くの灰皿に煙草を押し付けると、視線でアンジェリークを捕らえる。
「あんたには最年少でスモルニィ賞を取れるような文芸大作を書いてもらうから、覚悟するんだな」
 アリオスの俺様的な偉そうな物言いに、アンジェリークの視線は益々挑戦的になった。
「私はあなたの指示なんかを受けないわ。私は書きたいものを書くわ」
「だから、その書きたい物を書かせてやるって言っている。あんたもライトレベルなものではなくて、もっと深いものを書きたいじゃねえのか? 男と男の愛だろうが、男と女の愛だろうが、そんなことは関係ねえ。もっと大きな愛の物語を書きたいって、思わねえかよ?」
 アリオスの眼差しに見透かされているような気がする。アンジェリークは思わず視線を逸らした。
「今日から、俺がおまえの担当だ。マンツーマンでしっかりと鍛えてやるから、覚悟をしておけよ」
 握手を求められたものの、アンジェリークは手を出せないでいる。
 アリオスの表情が不機嫌に変わった。
「おい、どうして、俺と握手出来ない!?」
「そ、それは…」
 アンジェリークは本当のことを言いたくなくて口ごもる。馬鹿にされるような気がしたから。
 アンジェリークが黙っていると、アリオスは益々不機嫌になっていく。
「あー、アリオス、アンジェリークは、男性が苦手なんですよー」
 編集長であるルヴァがおろおろとしながらふたりの間に入る。
「握手ぐらいは平気だろ?」
「あっ…!」
 突然、アリオスに強引に手を取られて、握手をされる。
 途端に、アンジェリークは硬直し、眼を見開いたまま動けなくなった。
 刹那。
「何をするのよ!!!」
 自然に手が出ていた。
 アリオスの頬を思い切り叩き、そこが真っ赤に腫れ上がる。
 銀の髪が僅かに乱れた。
 誰もが息を呑む沈黙。
「痛えな…」
 鋭い眼差しを向けられても、アンジェリークの怒りは納まらない。
 少しの沈黙の後、アリオスの厳しい表情が、無邪気な笑いに変わる。あっという間に気さくで魅力的な青年に変貌を遂げる。アンジェリークは余りの変わりように息を呑んだ。
 少しだけ夢中になって見つめていたが、直ぐにアリオス笑い声で現実に戻される。
 私はこの人が嫌いだった…。
 大嫌いだった…はず。
 だが、見つめずにはいられない。
 小説を書く時にも、いつも気をつけている事がある。様々な較差のある魅力的な漂今日を持った、人間味があり、深いバックボーンがある、素敵な人物を想像すること。
 それにアリオスが当てはまるような気が一瞬舌が、慌ててその考えを消し去った。
「クッ、気に入ったぜ、あんた」
 アリオスが喉を鳴らして太く笑う間も、アンジェリークは妙に拗ねて怒るふりをする。
 最悪な出会いだった。
コメント

アリコレ、新しいシリーズの開幕です。
BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。
楽しんでくださると幸いです。




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