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昼下がりのカフェでは、ひたすらけたたましい笑い声が響いていた。 豪快な笑いの主は、アンジェリークの親友レイチェルだ。 「キャハハ、担当編集を殴っちゃうなんて、アンジェらしくないよ。だけど、アナタには必要な刺激かも。アナタにそこまでさせる編集もいるのねえ。意外に相性が合うかもよ?」 「止めてよ、レイチェル! あんな、ボーイズラブ小説に理解のない分からず屋、担当に必要ないわよ!」 アンジェリークは不機嫌に目の前のパフェをぱくつきながら、眉間にシワを寄せている。 「アンジェ、そんな顔をしてたらさ、シワが本当に出来ちゃうわよ!」 「だって、こんな顔をせずにはいられないじゃない! あんなに嫌な男が担当なんだから…」 「でもさ、うちのエルから聞いたけれど、アリオスって相当やり手の編集者らしいよ。彼が担当した作家は総て大成してるって。しかも、ヤングアダルト小説の分野を手掛けるのも初めてらしくて、かなり期待できるかも。新鮮な何かをアナタに運んでくれるよ! これはチャンスだよ! アンジェ!!!」 レイチェルはアンジェリークに期待を込めた眼差しを送ってくる。ここは我慢をしろということなのだろうが、アンジェリークは出来そうにない。 あんな”俺様男”は正直言って願い下げだし、何よりも担当が”男”だというのが、アンジェリークには一番気に入らない。 アンジェリークは大きな溜め息を吐くと、パフェの山をがしがしとスプーンで崩す。苛々しているのは明らかだ。 「とにかく、ボーイズラブに理解のない人は嫌なの!」 レイチェルに理解を求めるべく、アンジェリークは視線を送る。同じ世代の作家なら解ってくれるような気がしたから。 だが、レイチェルの答えは求めるものではなかった。彼女は少し困ったような表情を向けてくる。 「アンジェ、アナタは”ボーイズラブ”に無理解な担当が嫌なのではなくて、アリオスが”男”だから嫌じゃないの?」 本当の所を突かれてしまい、アンジェリークは俯く。作家であり親友であるレイチェルには、全く嘘なんてつけない。 無言でいるのは図星な証拠。それをレイチェルは良く知っている。 「…やっぱりね…。ね、アンジェ、これをチャンスと思って利用する手はないよ? だってね、辣腕編集だよ? 彼に担当してもらうだけで、アンジェの描く小説の世界が広がるかもしれないのよ?」 レイチェルの言うことは解っている。だが、男性とマンツーマンで仕事をするには、まだ心の傷は大きすぎるのだ。 「……やっぱり、男の人は怖いわ……」 ぽつりと答えたアンジェリークの声は、全ての感情が凝縮されている。 「アンジェ…」 レイチェルは優しい微笑みを浮かべ、髪をくしゃくしゃと撫でてくれる。親友の手は、アンジェリークにとっては一番安心出来るもののひとつだった。 「…ゆっくりさ、編集さんに慣れていけばいいじゃない? ”男”だと思うから、アンジェは萎縮しちゃうんじゃないかな? 石ころだとでも思っておけば良いんじゃない?」 レイチェルのウィンクは本当に安心させてくれ、アンジェリークはようやく笑みを零すことが出来た。 「編集の力が加わることによってさ、作品の幅が広がるのは確かだよ。現に、私もエルンストが担当になることで、作品の深みが増したって思っているしね?」 レイチェルの言葉は本当に説得力がある。彼女自身、担当がSF界の敏腕編集者エルンストに交代してからというもの、めきめきと 頭角を顕してきている。先日は、最年少でSF小説の最高峰である”ネヴュラ・チェーン”賞を受賞したのだから。 「まあさ、アリオスに担当してもらって、アンジェ自身が成長するのもひとつの方法だよ。きっと上手くいく! 上手くいかなかったらさ、アリオスを担当から外して貰えばいいだけの話だしね。もっとアンジェも力を抜いて考えても良いと、ワタシは思うよ?」 親友にこれだけ言われるならしょうがない。アンジェリークはとりあえずはやってみようという気に、少しだけなっていた。 親友の言葉にほだされて、アリオスに一作ぐらいは担当してもらっても、経験だろう。と、何とか思えるようにはなって来た。 とは言え、アリオスとの初の打ち合わせは、かなりの労力が必要となりそうだった。 男性に会う。それだけで、アンジェリークには一大決心がいる。 まず、家を出るのに労力がいる。学校の帰りに編集部に行く予定ではあるが、その学校に行くまでの間で、アリオスが男だということを思い出してどんよりとなる。 女性専用車両の導入で、何とか電車で通学出来るようになったが、それでも、まだまだ男性と密着する満員電車は乗ることが出来ないし、男に触れるだけでも鳥肌が立つ。特に、アリオスの世代の男は尚更だった。 アンジェリークは何とか学校に行き、授業を受けたが、放課後アリオスに逢うというだけで、かなりのプレッシャーにかかってしまっていた。 そんなこんなで、アリオスと約束の時間に編集部にたどり着く頃には、ぼろぼろになっていた。 「…こ、こんにちは…、アンジェリークです」 震える声で挨拶をして、編集部の中に入る。ここの男性は、アンジェリークが比較的大丈夫だったが、やはり新参者のアリオスは別だ。探したくても、何だか探したくない。そんな気分だ。 だが、アリオスはすぐに見つかった。雑誌を顔に被せて、長い脚をだらんとだらしなく出して寝ているのだ。この編集部にこんなふざけた態度の男は、一人しかいない。 「あ、アンジェリーク、こんにちは」 あいも変わらずなのんびりや編集長ルヴァが声をかけて来てくれて、アンジェリークはしっかりと会釈をした。 「アリオス…、コレットさんが来ましたよ〜!」 ルヴァが困ったような表情でアリオスに声をかけると、ようやく雑誌を取って、目を開ける。その動作は、いかにも面倒臭そうで、またまたアンジェリークの気に障った。 「こんにちは、アリオスさん」 「ああ。もうそんな時間だったんだな。昼寝時間はおしまいだな」 アンジェリークにとっては信じられないことをアリオスはほざくと、思い切りのびをする。全く空いた口が塞がらなかった。 「アンジェリーク、打ち合わせは外に行くぜ」 「え、編集部じゃないんですか!?」 「外のほうがおまえは落ち着くだろうからな」 アリオスは椅子から立ち上がると、そこに引っ掛けていたジャケットを肩にかける。普通の男がこんなことをすれば、全然絵にはならないが、やはり俳優やトップモデル並の容姿を持つアリオスなら、スマートに絵になる。 現実な男の動きに、アンジェリークはしばし視線を奪われていた。 「ほら、とっととしろ」 「はいっ!」 強引過ぎるアリオスに、アンジェリークは着いていくしかなかった。 黙って何も話さずに、アリオスの後を着いていく。何だか、気まずい。 アリオスは一歩の幅がかなり広いので、アンジェリークは着いていくのに必死だ。 「アリオスさんっ、ちょっともう少し、遅く歩けませんか?」 アリオスがぴたりと止まり、振り返る。 「恋人同士みてえに、横に歩いて欲しいのかよ?」 少しからかいの含んだ笑みに、アンジェリークは不快の余りに口を尖らせる。 「…そんなわけ、ないじゃないですか…」 「だろ? だったら着いてこい」 アリオスは結局歩くスピードを遅くしてくれず、アンジェリークはずっと早歩きを強要されてしまった。 ぶんすかと怒っていると、アリオスは小さなカフェの前で立ち止まる。 「ここのマンゴー丸ごとパフェは美味いらしいぜ。ブラックタピオカとかも入っていて良いらしいぜ?」 「ホント!」 食べることが大好きなアンジェリークは、にんまりと微笑む。 「初めて笑ったな? アンジェリーク」 指摘されて、アンジェリークは真っ赤になる。別にアリオスに向かって笑った気は全くなかった。 「私は、食べるのが楽しいから、笑っただけです。別にあなたに笑いかけたわけではないです」 ぷいっと技と顔を背けると、アリオスが喉を鳴らして笑う。 「ほら、行くぜ」 「あ、待ってください!」 アリオスがスタスタと歩くものだから、アンジェリークはおたおたと追い掛けるしかなかった。 美味しいものを食べられるのは嬉しいので、アリオスに着いていくが、本当は男性編集とは編集部以外で打ち合わせしたくないアンジェリークだった。 カフェに入り席に着くが、迎え合わせといっても、なるべく遠くなるように座る。余りに露骨なアンジェリークの態度に、アリオスは苦笑しているようだ。 「そんなに嫌か?」 「…だって、男の人の近くにいるだけで、息苦しくなる…」 「そうか」 それ以上アリオスが追究しなかったので、アンジェリークはほっとした。 「注文しろよ」 「はい…。えっと…、じゃあ、”具だくさんマンゴーパフェ”をください」 「解った」 アリオスが直ぐに店員を呼んでくれ、注文してくれる。 美味しいパフェが食べられるのは嬉しいが、アリオスの傍にいるのが、辛い。 パフェが直ぐに来たので、アンジェリークは沈黙に気を揉まずに済んだ。 「食えよ」 「いただきます!」 アンジェリークがパフェを頬張っている間、アリオスはコーヒーだけを飲んでいる。 アリオスが勧めてくれたパフェは、本当に美味しくて、アンジェリークはぱくぱくと食べていた。 「アリオスさんはパフェは食べないんですか?」 「俺は甘いもんが苦手だからいい」 「そうですか。結構人生を損してますよね? こんなに美味しいのに!」 「そうかもな」 アリオスは苦笑した後、アンジェリークをじっと見てくる。その異色に瞳はなにを考えているか、アンジェリークにはつかみ所がなかった。 「おまえの著作は全部見せて貰った」 「はい…」 それは仕事が早いとアンジェリークは思い、仕事ぶりは感心せずにはいられない。あくまで仕事ぶりだけだ。 「まず雑誌”あまから日記”の『アンジェリークの食いしん坊万歳!』あれは、コラムとしては秀逸だ。あんたはコラムニストとしても一流だ」 アリオスは感情を含まずに、ただ、淡々と褒める。白地らしくない彼の態度は、アンジェリークには嬉しかった。 「有り難うございます…」 素直に嬉しいと思ったから、礼を言えた。 「おまえさんの小説は、確かに構成は上手いし、テーマも秀逸だ。だが、リアリティのかけらもねえんだよ…。砂糖菓子に包まれた絵空事だ。どんな種類の愛を扱っていても良い。ただ、共感が得られるような、そんなリアリティを追究しろ!」 アリオスにきっぱりと言われ、アンジェリークは固まってしまうぐらい、ショックだった。 |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 しかし『ネビュラチェーン賞』(笑) 何なんだよ、それ。 「兄さんやっぱり来てくれたんだね!」(笑) |