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ゆらゆらと漂っている。 決して不快な漂い方ではなく、とても心地が良い漂い方だ。 優しい指で顔のラインや躰を撫でられると、幸福の海に浮かんでいる気分になる。 「アンジェ」 名前を呼ばれるだけでも、ほわほわとした気分になりアンジェリークは、ゆっくりと目を開けた。 目を開けると、幸せの象徴が見える。アリオス。アンジェリークにとっては総てだった。 吸っていた煙草を灰皿で揉み消すと、アリオスはアンジェリークを抱き起こす。自分の腕に閉じ込めて、放れないようにされる。 「…大丈夫か?」 「…なんか違和感があるけれど平気よ…」 アリオスは満足げに笑うと、更に腕の力を込めてくる。心地良い強さに、アンジェリークは満足の溜め息を吐いた。 「…男のひととこんなことが出来るなんて、私は想わなかったの…。一生ないかとさえ想ってたし、それはそれでいいとすら想っていたの…。アリオス、あなたのおかげで、私はまた殻を破ることが出来たみたい…。あなたがいるから、私はこうやって頑張っていけるんだって、改めて想ったの。スモルニィ賞なんて、正直どうでも良い…。あなたがいるから頑張っていられるのよ。男のひとへの嫌悪感だとか、アリオスのおかげで治まってきたし…。有り難う…」 アンジェリークはアリオスの温もりを感じながら、とても幸せな気分だった。同時に、アリオスが幸せならば、自分も幸せだと、改めて感じた。 「…私、今、どこにでも飛んでいけるぐらいに、幸せよ」 アンジェリークは屈託なく笑うと、真っ直ぐと前を向く。アリオスのお陰で、もっと前を見て歩くことが出来るような気がしたから。 ふとアリオスの抱擁が強くなり、アンジェリークは息が詰まるような気がした。アリオスの力がアンジェリークの肌を通して強くなる。 「…アリオス…っ!」 アリオスはアンジェリークを離さないとばかりの力で抱きしめ、喘いでも離さない。 「…おまえの男性恐怖症は治らなくていいんだ…。おまえは俺さえ恐くなかったら、それでいいんだ…」 アリオスの低い声が情熱を産む。アンジェリークは切なく甘い幸せに満たされて、涙が出た。 アリオスが好きだ。 ”好き”だなんて言葉では足りないぐらいに、アリオスが好きだ。どんな言葉で紡いだとしても足りないぐらいに、アンジェリークはアリオスが好きだった。 「…アンジェ、俺がずっとおまえを護ってやる。どんなやつからも、おまえを護ってやる…! だから俺を離すな。ひとりで飛んでいくな」 「アリオス…。アリオスと一緒に飛んでいきたい…」 「何時までも飛んで行こうぜ、ふたりでな…」 アリオスが手を握り締めるように抱きしめてくれる。手の強さと皮膚の熱さで、アリオスを感じる。 こうしてずっと傍にいてくれる。それだけで、アンジェリークは至極の幸福を感じていた。 「好きだぜ、アンジェ…」 「アリオス…」 「今までの俺は色々あったが、これからはずっとおまえを見守っていきてえ。俺がいれば、おまえの”男性恐怖症”は克服しなくても構わねえ。むしろそっちのが大歓迎かもしれねえけれどな」 「アリオス…。有り難う…。大好きっ!」 「俺もだぜ? 愛している」 アリオスはそのままアンジェリークを押し倒すと、唇を白い肌に落とし始める。 「あっ! アリオス…!」 「おまえをたっぷり頂いて、教えこまねえとな? おまえは俺の女なんだって。俺はおまえだけの男なんだってな」 「…アリオス…っ!!」 幸せなシーツの海に溺れながら、ふたりで愛を確かめ合う。 男女の性愛の素晴らしさをまたアリオスから学び取った。 これからはきっと、いつものボーイズラブだけではなく、男女のきめ細やかな世界も描き出せるだろう。 アリオスの愛に包まれて、また新しい世界に船出が出来る。船乗りがポーラースターを目印に航海を続けたように、アリオスはいつまでもアンジェリークの”ポーラースター”して、航海を導いてくれるだろう。 叶う幸せに、アンジェリークは瞳を閉じた。 これからはヤキモチを妬かずに、ずっとアリオスを信じて行こう。 そう決めた頃、アンジェリークに素晴らしい知らせが飛び込んできた。 勿論、アリオスからだ。連絡を聞いた時、正直信じられなかった。 「おまえの小説、今夜のスモルニィ賞の最終選考に上げられる。受賞をすれば最年少だ。マスコミも注目しているぜ? 選考会当日はは出版社の会議室で待つことになる」 「…有り難うございます…」 賞が欲しいだとか、そんなつもりで書いたわけではない。アリオスへの純粋な想いが、アンジェリークに物語を書かせただけなのだ。 電話を持つ手が震える。正直、賞なんてどうでも良いと思っていたので、小説の副産物として賞がくっついてきた恰好になる。 アリオスと作り上げた恋のお話が一定の評価を受けるというのは、とても幸せなことだった。 「制服のままで構わねえから、出てこい」 「解りましたっ!」 携帯を切り、アンジェリークは深呼吸をする。 やはり権威のある賞の発表を待つのは緊張するものだ。鼓動を速めながら、アンジェリークは出版社へと向かった。 「失礼します」 ノックをして指定された会議室に入ると、そこにはジュリアがいた。睨みつけてくる瞳は炎のよう。 「…こ、こんにちは」 「あなたがスモルニィ賞の大本命らしいわね。覚えておきなさい、賞を取ればアリオスは離れていくわよ。あなたはまもなく棄てられる運命なんだから…!」 向けられるジュリアの瞳はそれが真実であることを物語っている。それ故にアンジェリークは胸が軋むのを感じた。 「あなたは棄てられるの!」 そこまで言った瞬間、会議室のドアが開く。 「…おまえ、俺に殴られてえのかよ…」 現れたアリオスは言葉では言い表せないほどの怒りをたぎらせている。こんなに恐ろしいアリオスを、アンジェリークは見たことがなかった。 「…アリオス…」 ジュリアの顔色は蒼白になり、表情を失ったままアリオスを見つめている。 「俺の女に色々あることないこと吹き込むんじゃねえ。解ったら、いけ!」 アリオスは全く堂々としていた。どこも疚しい所などないとばかりに。 「この小娘よりも、私の方が…!」 ここまで言いかけてジュリアは言葉を飲み込む。アリオスの視線が総てを雄弁に語っていた。 ジュリアはふっと笑うと、アンジェリークに向き直る。その眼差しはどこか寂しかった。 「…あなたも私の二の舞にならないようにね」 たったひとことの言葉なのに、とても重みのある言葉のようにアンジェリークには思えた。 愛の始まりと終わりが凝縮されている。そんな言葉と眼差しが、アンジェリークには哀しかった。 ふたりきりになっても、アリオスは余り変わらない。煙草を吸いながら、缶紅茶を差し出してくれた。 「ほら、これを飲んで落ち着いてろ」 「有り難う…」 アンジェリークはそれがとても大切な物のように受け取り、軽く会釈をする。 「座って飲めよ」 「…うん」 アンジェリークが座ると、アリオスもその横に腰掛けてくる。何だか目が合わせられなくて、アンジェリークは真っ直ぐと前を落ち着かない眼差しで見る。 「軽蔑したか?」 「…軽蔑はしていない…。誰にでもああいうことはあると想うし…。だけどやっぱり切ないかな…」 アンジェリークはなるべく言葉を選ぶようにして、アリオスに話をする。 「過去は過去、今は今だから」 本当に素直に言葉を紡ぐと、アリオスは背中に手を置いてくる。 「おまえにだけは嫌われたくなかったからな。有り難う」 アリオスの温もりが、心にじんわりと浸透してくる。アンジェリークは今の瞬間が大切であることを知った。 ただ、待つだけというのは、どうしてこんなにも緊張をするものなのだろうか。 僅かに手が震えているのをアリオスが察し、手を握り締めてくれる。それがまた嬉しかった。 「おまえの書いた小説に自信を持ってやれ。きっと上手く行く」 「有り難う」 連絡があるまでふたりきりなせいか、アリオスはアンジェリークを膝の上に乗せる。 「きゃあ!」 「こうやってたら落ち着くだろう?」 「アリオス以外はこんなこと出来ないわよ…っ!」 胸の鼓動を烈しくドキドキさせていると、アリオスは余計に抱きしめてくる。 「大歓迎だ」 アリオスが躰を密着させてくるものだから、アンジェリークは違う意味でドキドキしていた。 「ずっとこうやって、傍に居てやるから…」 不意にノックをする音がし、アリオスは仕方がないとばかりに躰から離れた。 「誰だ?」 「ルヴァですよ! アンジェリークがスモルニィ賞を取ったと今連絡がありましてね!」 アリオスとアンジェリークは思わず顔を見合わせる。そんな奇跡が起こるはずなどないと想っていたのに、現実におこっている。 アリオスはアンジェリークを膝から直ぐに下ろすと、会議室のドアを開けた。 ルヴァが満面の笑みを浮かべて立っていたが、背後には多くのマスコミがアンジェリークの登場を今かと待ちかまえているのが判る。 「皆さん待っていますよ、アンジェ」 アンジェリークは戸惑いの眼差しをアリオスに向けると、彼は憎らしいほど素敵な笑みを浮かべて、親指を立てる。 「行ってこい。俺はずっとここでおまえを見守っていてやるから。これからもずっと」 これからもずっと…。 そうだ、ずっとアリオスに見守られて、生きていくのだ。 アンジェリークは笑顔で頷くと、眩しすぎるフラッシュの中へと飛び込んでいた。 新しい一歩がまた始まる------ |
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