Saturday is long in coming!
〜土曜日が待ち遠しい!〜

14


 松葉杖をつきながらも、アンジェリークは学校に復帰を果たすことが出来た。
 アリオスのスパルタな家庭教師とレイチェルの完璧なノートのお陰で、アンジェリークは難無く授業にも着いていける。これは非常に有り難いことであった。
 復帰後、初めての土曜日がやってくる。アンジェリークはいそいそと大学の食堂へと向かった。
 松葉杖の上に附属高校の制服姿となればかなり目立つ。だがアンジェリークはアリオスに逢いたかった。
 空いている席に松葉杖を置いて、何時ものようにうどん定食の食券を買って並ぶ。
「おや、久し振りだね!」
 顔見知りの食堂のおばちゃんに声をかけられて、アンジェリークはにこやかに微笑む。
「怪我して、入院してたから!」
「そうかい! あんたが来ないからアリオス先生も全く姿を表さなかったからねえ、どうしたかと思ってね!」
 アリオスのことを指摘されると、ついつい真っ赤になってしまう。アンジェリークははにかんだように俯いてしまった。
「おい、いらねえことは言うなよ」
 大好きなテノールが聞こえて顔を上げると、アンジェリークの直ぐ後ろにアリオスがいた。
「アリオス…っ!」
 彼は何時ものようにほんの少しだけ意地悪な笑みを浮かべると、アンジェリークの隣にやってくる。
「先生のくせに、横入りはダメだよ!」
 威勢の良い調理係の声に、アリオスは苦笑した。
「俺はこいつの定食を取りに来たんだ」
 むすっとしたアリオスの不機嫌な声に、アンジェリークはくすくすと笑う。
「有り難う」
「しょうがないね。この娘の退院記念にあんたも一緒に注文していいよ。ほら、食券寄越しなさい」
「サンキュ」
 結局、アリオスはアンジェリークの分も一緒に席まで運んでくれた。
「有り難う、本当に」
「無理すんなよ。今度は俺が来るまで、ちゃんと待っているんだぜ?」
「はいっ!」
 こうやって、また蟠りなくアリオスとこの場所で会えるのが嬉しくてしょうがない。
 アンジェリークは幸福と美味しさに浸りながら、昼食時間を過ごす。
「勉強はどうだ? ちゃんと着いていけてるか?」
「うん、大丈夫! アリオスがしっかり教えてくれたお陰で困っていないわ」
「そいつは良かったな。おまえが頑張ったからだぜ、アンジェリーク。しっかりと勉強した成果がきちんと出ている証拠だ」
「有り難う…」
 アリオスとこうしてまた一緒に食堂で昼食が出来ることに感謝しながら、アンジェリークは久し振りのうどん定食を噛み締めていた。
 このひとときがずっと続けば良い。だがそう思えば、想うほど上手くはいかないものだ。
「アリオス先生? お食事中申し訳ありません。少しだけご相談したいことがあって…」
 女を感じる艶やかな声に、アンジェリークは思わず顔を上げる。そこには美しいあの女がいた。アリオスと噂になり、アンジェリークが拗ねる原因となったあの女が。
 女は値踏みをするような眼差しをアンジェリークに向けてくる。蔑まれたような気がして、胸が痛かった。
 アンジェリークは祈る。どうかアリオスが素直に応じませんように。ここにいて、せめて昼食時間だけは一緒にいてくれますように。
「時間はかかるのか?」
「5分程度のお話です」
 アリオスは一瞬、考え込むような眼差しをアンジェリークに向けてくる。
 アリオスが彼女にどんな答えを言うのか、アンジェリークは胸をドキドキさせながら待つ。
 沈黙が走った。
 アンジェリークはアリオスがここにいてくれると節に願う。
 だが。
「解った」
 アリオスは意外にあっさりと同意をすると、そのまま立ち上がる。
「アンジェリーク、少しだけ待っていてくれ。直ぐに戻ってくるから」
 アリオスはまるでアンジェリークを捕らえるかのような眼差しを向けた後、更に付け加える。
「逃げるなよ」
 たった一言で、アリオスがアンジェリークの行動を熟知しているのは明らかだった。
 アンジェリークは嬉しさとそれを上回る嫉妬に苦しめられながら、ふたりを見送るしかなかった。
 アリオスが行った後、変なことは考えたくはなくて、アンジェリークはひたすらうどん定食を食べることに専念する。
 ずるずると音を立てて笊のように食べると、直ぐに完食してしまった。
 5分は経っていたが、アリオスが帰ってくる気配はない。
 このまま、アリオスのうどんを置いていても延びてしまうので、アンジェリークはアリオスのものに手を付けた。
 これぐらいの腹いせは許されるだろう。
 アンジェリークはひたすら黙々とうどん定食を食べ続けた。
「ふうっ! 完食!」
 きれいに二人前を食べ切っても、アリオスは戻っては来なかった。
 入り口を見ても帰ってくる気配すらない。
 それどころか、午後の講義が始まるようで、ひとも疎らになる。
「…やっぱりね…。こうなるって思ってた…」
 アンジェリークは不自由な足で、二往復をして食器を片付けた後、一応、アリオスに向かってメモをつらつらと書き残す。
 ”アリオスさんへ! うどん定食はアンジェリークが総て頂いた! ばいばい 怪盗アンジェリーク”

 それだけを書くと、何だか涙が込み上げてくる。
 アンジェリークはそれを何とか堪えて、食堂を後にした。

 やっぱり、怪我の前も後も何も変わらなかったってこと。
 私がいくらあがいても頑張っても、アリオスの”すぺしゃる”にはなり得ないんだ…。

 涙で視界が煙ったが、アンジェリークは必死になって大学部を後にした。

 次の土曜日も、アリオスに逢いには行かなかった。行けなかったと言ったほうが正しいかもしれない。
 行ったところで、またアリオスがどこかに行くのは嫌だったし、また女との仲を見せ付けられるのも嫌だった。
 アリオスからは一切連絡がなかったので、それをアンジェリークへの気持ちだと受け止める。
 やはり状況が好転したと思ったのは、間違いだったのだ。
 よくよく考えてみれば、アンジェリークが事故に遭ったことに責任を感じて、アリオスが優しく接してくれていたかもしれないのだ。
 考えば考えるほど、その答えが一番近いように思えてしまう。
 アンジェリークはどん底まで堕ちていくような気分だった。

 アリオスと逢わなくなってから、食欲は落ち、また食べられなくなっていった。
 ダイエットになるからと思ったのもつかの間で、マイナス思考は続く。
 今日は病院での診察があったので、アンジェリークはだらだらと受けた。
 こんなに胸が苦しくて切ないと言うのに、怪我の治り具合は順調だと言う。何だか、それがアンジェリークには虚しく響いた。
 アリオスとの唯一の繋がりになってしまったかもしれない怪我が、快方に向かっている。何とも皮肉な話だと思った。
 診察も終わり、玄関先に向かう。すると、見慣れた影を見つけた。
「待っていた」
 暗い場所に光が差し込んで誰かが解るようになる。
「……!!!」
 眩しい姿のそのひとは、やはりアリオスだった。
「久し振りだな、アンジェリーク」
「…こんにちは」
 どこかよそよそしい挨拶になってしまう。直ぐにアリオスの顔色が変わるのが解った。
「行くぞ、着いてこい」
 アリオスに手首を掴まれたが、アンジェリークはその場でどこにも行きたくなくて踏ん張る。
 アリオスの力強さが今は辛い。アンジェリークは切なさで胸がいっぱいになるのを感じて、瞳に涙が滲んでくる。
「アンジェ?」
 アリオスにいくら引っ張られても動けないし、動きたくもなかった。
「行くぞ。来い」
 だがアンジェリークは踏ん張り、いやいやと幼子のように首を横に振る。
「…いや…」
「アンジェリーク!!」
 怖くて、アリオスの顔をまともに見ることが出来ない。
「ったく、強情なヤツだな!」
「え…!?」
 いきなり躰がふわりと浮く。目を開けた時には、既にアリオスに抱き上げられていた。
「嫌っ!」
「良いから、来い」
 抵抗しても無駄だったので、むすっと不機嫌になりながらもアリオスに縋り付くしかなかった。
 車の助手席に、乱暴と優しさの間ぐらいの強さで乗せられて、シートベルトをされる。
 アリオスは運転席に乗る間も、むすっとしていて、不機嫌なのは目で見て明らかだった。
 車が走り出して暫くして、ようやくアリオスが口を開く。
「おまえ、何でも勝手に判断しようとする悪いくせがあるな」
 アリオスの声は凍り付くぐらい怖い。
「でも、アリオスは…、あの時5分で帰ってこなかったじゃない。わたしが二人分のうどん定食を食べ終わっても、帰ってこなかったじゃない!」
「あの生徒との話は直ぐに済んだが、教授に呼び止められてな、エライ目にあった」
 アリオスは苦笑しながら言うが、アンジェリークはただ黙って聞いている。正直、それが真実かどうかは、上手く信じることは出来ない。それはアンジェリークの嫉妬心がそうさせていた。
 何も言えずにいると、アリオスが口を開いてきた。
「アンジェリーク、俺は神なんか信じねえ。奇跡だとか何もかもな。だが、俺はおまえとなら教会で誓うことが出来た。おまえだからこそ、意味があった。それって、どういうことか解っているよな?」
 アンジェリークは曖昧にすることは出来ずに、動けないでいる。
「あいつはただの生徒だ。それ以上でも以下でもねえ。俺は女を天秤にかけられるほど、器用じゃねえよ」
 アンジェリークはただアリオスの言葉を聞いていた。
 信じたい。
 本当に心から彼を信じたいと思っている。だが、頑固な部分がそうはさせてくれない。
「…見せたいものがあるから連れて来た。それでも、おまえが俺の事を見限りたいと言うなら、仕方ねえからな」
 アリオスは淡々と話すが、アンジェリークにはある意味ショックだった。
 アリオスを見限る。
 そんなことは有り得ないと言うのに。
 アンジェリークは複雑な気持ちになったまま、上手く言葉で表すことが出来なかった。

 どうして、私は素直になれないんだろう…。

「着いたぜ」
 車が着いたのは、閑静な住宅街だった。前には大きな土地がただあるだけ。
「降りろよ」
「うん…」
 アンジェリークが戸惑いながら車から降りると、直ぐにアリオスに抱き上げられる。
「きゃっ!」
 そのままアリオスは何もない土地に入っていく。
「この間、この土地を買ったんだよ」
「ここに家でも建てるの?」
 アンジェリークが聞くと、アリオスは彼女を土地に下ろしながら頷いた。
「ああ」
 誰とどんな家を建てるんだろうか。アンジェリークは切なく想いながら、アリオスの土地を見て回る。
「いい所だろ?」
「うん…」
 返事をした瞬間、アリオスに背後から抱きしめられる。余りに突然に起こった甘い行為に、アンジェリークは息を呑む。
「俺と一緒に、ここに家を建てて、暮らさねえか?」
 アンジェリークは胸の奥を幸福でわしづかみにされるような気がした。
 胸の鼓動が烈しく高まっていく。アンジェリークは浅い呼吸をしながら、いつしか涙を零していた。
 頑なになっていた心がじんわりと解けていくのが判る。
「…いいの?」
「それはこっちの台詞だぜ、アンジェリーク! おまえは本当にいいのか?」
 アリオスに顔を向かい合わせにされる。
 顔を近付けられて、アンジェリークは潤んだ瞳でアリオスを見つめる。
 沈黙がふたりを包み、刹那。
 アンジェリークは答えの代わりに、アリオスをぎゅっと抱きしめた。
「それは、俺とここに住んでいいってことか? アンジェ」
「…解ってるくせに…」
「ちゃんと言葉にしてもらわねえと解らないぜ? アンジェリーク」
 アリオスがじっと瞳を覗き込みながら答えを迫る。
「…一緒に、暮らしたいわ…」
 やっとのことで言えた。
 アリオスの顔を見ると、穏やかな微笑みが湛えられているのが解る。
「これからは、ふたりの家を設計していこう。最高の家にしようぜ?」
「うん…!!」
 ふたりはしっかりと抱き合って、誓いのキスを交わし合う。甘くて、そして愛が篭ったキスを。
「ここからまた新しい一歩だな…。これからは、毎日が土曜日だ」
「うん…。さっきは拗ねてごめんね…。あなたが嘘をつかないのは解っている癖に、二度も同じ間違いをするなんて…」
「誤解が解けたんなら、かまわねえよ」
「アリオス…」
 再びふたりはキスを交わし合う。
 これからはふたりずっと一緒。
 だから、毎日が待ち遠しい…。

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最終回です。
無事大団円を迎えられました。




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