Leave Yesterday Behind

THE First CHAPTER


「私は人殺しです」
 アリオスに言えば満足して貰えるだろうかと、アンジェリークはぼんやりと考えた。
 きっと答えは否だ。
「そんなことを認めて何になる。エリスは戻って来ないんだぞ!!」
 いつもよりも、強く非難をされてなじられるのが関の山だ。
 ならばもう少し大人しくすれば良い。
 看護科の実習を兼ねた”お礼奉公”はもうすぐ終わり、アンジェリークは立派な看護士になることが出来るのだから。
 独り立ちをすれば、もうアリオスがいる病院にいる必要もない。
 それにもうすぐ、目的も達成されるのだから。


 アンジェリークは白衣に着替えると、いつものように補助に入る。
 まだ准看護士なので、主に補助が目的だ。
 今日は一週間のなかで一番憂鬱な木曜日。それは、アリオスが大学病院から、派遣医師としてやって来る日だからだ。
 なるべく顔を合わせたくはないが、毎週木曜日を狙い打ちで休むのには、まだまだアンジェリークにはキャリアが足りなかった。
 アリオスは「神の手を持つ」と囁かれる心臓外科医で、かなりの名声を持っている。
 確かに腕は良いが、心を伴ってはいないアリオスを、アンジェリークは認めるわけにはいかなかった。
 幸い、アンジェリークは内科なので、あの視線に曝されるのは僅かで済んでいる。
 忙しく廊下を早足で歩いていると、アリオスが向こうから歩いて来るのが見えた。
 途端にアンジェリークは萎縮する。俯いて目を合わせないようにした。
 よそよそしく会釈をする。
 これで今日の拷問はおしまいだ。
「おい。アンジェリーク」
 声をかけられて、アンジェリークはビクリと躰を震わせた。
「何でしょう。アリオス先生」
「お義父さんの誕生日パーティーに、お前は呼ばれたのか?」
「いいえ。伯父さんは私の顔を見たくないでしょうから。プレゼントだけを渡すつもりですが、それも受け取って貰えるかどうか…」
「だろうな」
 アリオスが皮肉げに言うのを聞きながら、アンジェリークは終始強張った顔をしていた。
「用件はそれだけですか?」
「ああ。お前が行くんなら、パーティーを遠慮しようと思ってな」
 アンジェリークはもう厭味には慣れてしまっていたせいか、さらりと聞き流した。
「だったら、伯父さんと伯母さんと安心して、パーティーを開いて下さい」
 アンジェリークはほんの一瞬だけアリオスを見ると、強い視線で睨みつけた。
 その勝ち気な視線に、アリオスは眉間にシワを寄せる。
「…だな。ここで引き止めた俺が悪かった。お前相手に議論をしようというのが、土台、間違っている」
「でしょ? では急ぎますから」
 アンジェリークは深々と頭を下げると、さっさと歩き始めた。
 全くいけ好かない男だと、アンジェリークは思う。
 昔はあんなんではなかった。アリオスは兄貴格として、アンジェリークをよく可愛いがってくれたものだ。いつも屈託なく笑って、からかわれて、遊んでくれた。
 アンジェリークにとっては、理想の男で、まさに初恋のひとだったのだ。
 それが、変わってしまった。
 長い恋を実らせて、アンジェリークの従姉エリスと結婚した頃は、精神的にも充実した医師であったのに。
 エリスの死が完全にアリオスを変えた。
 気管支炎が酷くなり呼吸困難になったエリスは、呆気ないぐらいにあっさりと亡くなった。
 魂の底から愛していた妻を奪われてしまい、アリオスは嘆き哀しんだ。
 柩に抱き着いたと聞いている。
 その葬儀に、アンジェリークは出席を赦されなかった。
 アリオスも、伯父、伯母もアンジェリークが殺したと思っているから。
 それは否定はしない。
 エリスの容態が急変したとき、共にいたのはアンジェリークだったのだから。直ぐに医者に知らせに行こうとした矢先、不幸な出来事がアンジェリークを襲い、それがエリスの死に繋がってしまったのだから。
 だから、自分のせいで死んだのだと、アンジェリークは思っている。
 幼い頃に両親が亡くなり、エリスの両親にアンジェリークは引き取られた。伯父、伯母は仕方がないとばかりに、アンジェリークを引き取ってくれたが、態度はずっと冷たいままだった。
 そんな過酷ななかで、優しくしてくれたのは、エリスとアリオスだった。
 アリオスはアンジェリークの初恋のひとだが、エリスなら喜んでアリオスとの仲を祝福することが出来た。
 アンジェリークにとっても、エリスはかけがえのない従姉だったのだ。
 なのに自分のせいで亡くなった。
 この十字架は一生、背負い込むつもりだ。
 あれから、アリオスや伯父伯母の態度が急変した。その気持ちも痛いほど解る。だからこそ、非難も甘んじて受け入れてきたのだ。
 だが、そんなダークな生活も間もなく終わる。
 正式な看護婦になって、人生をやり直すことが出来るのだから。
 そんなに悪くないと思っていた。

 憂鬱な木曜日をやり過ごせば、休みが待っていた。
 今日は、伯父のバースデープレゼントを買い、エリスの墓参りにいくつもりだ。時間が赦す限り、アンジェリークは優しかった従姉の墓参りに出掛けていた。
 きっと、伯父や伯母、アリオスよりも来ているかもしれない。
 この場所は、アンジェリークにとっては何よりもの心のよりどころになっていた。
 デパートで、なけなしのお金で、精一杯のプレゼントをアンジェリークは選んだ。
 クリスタルの灰皿だ。
 煙草をよく吸う伯父がどこででも吸えるようにという、気遣いだ。
 受け取って貰えるかどうかは解らなかったが、今、アンジェリークが出来る精一杯のプレゼントだった。
 墓地に行き、エリスの墓を綺麗にする。大好きだったカスミソウの花束を飾り、ふたりきりで話す。
 姉妹のようだったふたりの秘密の時間のようだ。
 アンジェリークが看護士になりたいと思ったのも、元々はエリスが看護士だったからだ。エリスが好きで、その仕事ぶりを見ていたからだ。
「ようやく夢が叶いそうだよ、エリスお姉ちゃん。計画通りにいけば、半年後には看護士として、この街を出ていけるんだ。となりの州にあるこども病院に行くか、発展途上国に行くつもりなの。お姉ちゃんには余り会えなくなるけれど、風になって毎日見守っていてね」
 不思議なことに、エリスの前だけでは素直になれる。
 アンジェリークは心を平静にしながら、従姉に取り留めのないことを、言って聞かせた。

 のんびりとした後、アンジェリークは伯父夫婦の家に向かった。
 心なしか、足取りが重いような気がする。心を込めたプレゼントを拒否されたら、それこそ泣きたくなる。
 拒絶されるのは解っているのにも関わらず、プレゼントをせずにはいられなかった。
 自分が育った家に訪れても、少しも感慨はない。それどころか、悪魔の家に来ているかのような気分になる。
 呼び鈴を押し、名前を名乗ると、明らかに不快感を示した伯母がやってきた。
「何の用かしら? アンジェリーク」
 面倒なように言う伯母の顔を見ずに、アンジェリークはプレゼントを差し出す。
「伯父さんの誕生日だから、プレゼントを持ってきました」
「そう、有り難う」
 素っ気なく言い、何か汚いものに触れるかのように受け取ると、伯母はドアを閉めた。
 アンジェリークは仕方がないと思いながら、背を向けて歩き出す。すると、遠くで何かが割れる音がした。
 中身を見て、きっとぞんざいに扱ったのだろう。
 どうせそんなところだ。
 アンジェリークは溜め息をつくと、次の目的地である病院に向かった。

 心臓内科医と心臓外科医双方の診察を受ける。
 心臓外科医ヴィクトールは、アンジェリークの命の恩人であり、心臓内科医のフランシスは、とても有能な医師だった。
 診察が終わり、ふたりの医師はしっかりと頷く。
「これなら、三週間後の手術も大丈夫だろう。少し困難な手術だが、命に別状ないものだからな」
 ヴィクトールはざらざらとした声で、強く太古判を押してくれた。
「よかった…」
 アンジェリークはホッとする。これだと、計画通りに街を出られるはずだ。
 ろくな思い出なんてない古里を。
「ただ、危なくなるギリギリまでほっておいたリスクは大きいですよ。アンジェリーク。解っていますね? これで大きな発作がきたら、命に関わる可能性だってあるのですから…」
 いつもは穏やかで紳士なフランシスも、この時ばかりはキッパリと厳しいことを言い切る。
「解りました。気をつけます」
「そうですよ。手術後も無理をされないように。これだけは釘をさしておかないとね」
 やはり繊細な内科医なだけはあり、ニッコリと笑いながら厳しいことを言った。
「では、ヴィクトール先生、フランシス先生さようなら」
「あ、アンジェリーク」
 アンジェリークが立ち上がったところで、フランシスに声をかけられた。
「あなたのお勤めになっている病院に、アリオス医師がいるらしいですね」
「週一だけ来ています」
 アリオスの名前を聞くだけで、アンジェリークの顔は強張った。
「アリオス医師が同じ職場だと、見破られませんか? 病気のこと」
「いいえ」
 これだけははっきり言えた。
「…そうですか…。あなたの今の顔つきや顔色は、心臓病患者特有のものがありますから…」
 それが出ていたとしても、アリオスは気付かない。
 アンジェリークの顔を、ずっと見たことなどなかったのだから。
コメント

秋になりおなじみの愛の劇場がスタートです!
宜しくお願いします。




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