6
アンジェリークの容態は日に日に良くなってくる。頬はばら色になり、食欲も出ている。 ただアリオスに対する態度だけは、頑なだった。 アンジェリークのいる病室の前を通ると、楽しげな声がする。明るくて、元気がいっぱいで、今すぐにでも退院出来そうな雰囲気だ。 アリオスはノックをすると同時にドアを開けた。 「具合はどうだ?」 アリオスが声をかけるなり、今までは華やいだ春みたいな笑顔を浮かべていたアンジェリークが、急に厳冬のブリザードを背負った。 春から冬へ、それはまるで温帯な亜熱帯気候から、ツンドラ気候に一気に変わったと思うぐらいのものだった。 「アリオス先生、この通りに元気だわ。もう立派な病室にお世話にならなくていいぐらいに」 アンジェリークは、折角の個室だというのに、余り気に入らないかのように肩を竦めた。 担当の看護士とはこんなに早く打ち解けたと言うのに、アリオスへの冷たさは日ごとに強くなるばかりだ。 そうされても仕方がないことをしたぐらいは、解っている。 だが、もっと友好的でいてくれてもいいのではないかとすら思った。 ふたりの雰囲気を察したのか、看護士は間に入っておろおろしている。 何だかその態度に苛々した。好きでこんな雰囲気になっているわけではない。アンジェリークが一方的に冷戦を仕掛けているのだから。 「仕事につけ。アンジェリークだけが患者ではねぇはずだ」 アリオスは軽く看護士を窘めると、病室から出してしまった。 「彼女が悪いんじゃないわ。私が引き止めて色々お喋りをしたんだもの。だからあんな風にはしないで下さい」 アンジェリークは笑顔すら見せない。それがアリオスの胸をちくちくと突いてくる。 「看護士が患者を疲れさせてはいけねぇんだよ」 アリオスは一般論を振りかざし、アンジェリークに牽制をかけた。 「だけど患者には心の潤いが必要なのよ。だって、こんな白い空間にずっといるなんて、不安で気が狂いそうになるわよ」 アンジェリークも看護士だ。こちらも正論を振りかざしてくる。 いつからこんな風になってしまったのだろうか。 逢ってもいがみ合うことしか今はない。 こんな関係は、医師と患者だと最悪な組合せになる。 何時もなら内科医に押し付けてしまうのに、今回はそれが出来なかった。 「アリオス先生、私はとても元気です。術後も順調です。だから私を転院させて下さい。…そのほうが…、私にも先生にも良いはずです」 アンジェリークは唇を噛みながら俯く。 「何度言っても同じだ。お前は心臓の手術を受けたばかりだ。術後の経過はしっかりと見極めねぇといけねえからな」 アリオスはこれが言い訳であることは、十二分に解っていた。だが、言わずにはおられない。 「アンジェリーク、横になれ。診察をする」 「もう外科医は関係ない領域だよ」 普段のアンジェリークでは考えられないぐらいのつっけんどんな態度を無視しながら、アリオスは叱るように睨み付けた。 「いいから寝ろ。心臓疾患を軽視するな。後で苦しむことになるからな」 「…私は看護士だから、だいたいの状態は解るわ。オスカー先生も、悪くないと言ってくれているし」 「外科医としては、まだ観察が必要だ」 アリオスは感情なく言うと、アンジェリークに聴診器を宛てた。 聴診器ごしに聞こえるアンジェリークの鼓動は、かなり力強いものになっている。時折、人工弁の無機質な音が響くが、それはアンジェリークの心臓の中で、アリオスの技術が息づいている証拠でもあった。 緊張しているのか、鼓動は少し早い。だが、それは正常の範囲内であることはすぐに解った。 聴診器を宛てると、いやがおうでもアンジェリークの白い肌が垣間見える。まるでミルクのような滑らかな肌が眩しくて、アリオスは自分の鼓動もピッチが上がっているのを感じた。 「問題ねえな」 「でしょ?」 「だが、心臓ではなくて、心に問題がある。治療するぞ」 「治療!?」 アリオスは、ベッドの横にある簡易車椅子を組み立てると、アンジェリークを支配するように見つめた。 「アンジェリーク、カーディガンを羽織れ。治療に行くぞ」 「治療って!?」 突然言い渡され、アンジェリークは訳が解らないように眉を寄せる。 「いいから早く支度をしろ」 アリオスの勢いに圧されたのか、アンジェリークはいつもとは違い素直に、カーディガンを羽織った。 アンジェリークが準備が出来たことを確認すると、アリオスはその躰を抱き上げる。 余りにも華奢で軽い躰に、アリオスは息を呑んだ。だが、そんなことを忘れさせてしまうぐらいに、アンジェリークは暴れる。 「な、何をするのよっ!?」 「治療だ。大人しく着いて来い」 すぽんと車椅子に乗せると、アリオスは強引に病室から出ていく。 「治療って、変なところに連れて行くんじゃないでしょうね…」 「とっておきの場所だ。お前には最高の場所だ」 アリオスはアンジェリークが乗る車椅子を引いて、中庭に出る。その間も、アンジェリークは躰を頑なに強張らせたままだった。 「風なんてちゃんと感じるのも久しぶりだろ?」 「うん」 アンジェリークの強張る顔が何度も崩れそうになっている。 以前から、自然に触れ合うことが大好きだったことを、アリオスは覚えていた。 どんなに強張るような顔をしても、嬉しさは込み上げてくる。 やがて、患者の心を癒すために飼っている犬と猫がいる広場に来ると、アンジェリークの顔から、強張りは消えた。 「可愛い!」 アンジェリークは興奮ぎみに叫び、アリオスに車椅子を近づけてくれと、視線で懇願する。初めて出会った頃と同じような、屈託のない純粋な笑顔だった。 一匹の柴犬と白い雑種の猫が近づいてきた。 「撫でてやれよ。お前に撫でて欲しいと待っているぜ」 「うん」 アンジェリークは震える手を伸ばすと、小さな命を抱きしめるかのように撫でた。 犬も猫も喉を鳴らして喜んでいる。 アンジェリークの眼差しはとても優しいものになり、慈愛に溢れている。母親のような眼差しに、アリオスはドキリとした。 「…可愛い…。うちにも、私の子供同然の可愛い子猫がいるんだ。友達に頼んでおいたけれど、今はどうしているんだろ…」 まるでひとりごとでも言うかのように、アンジェリークは呟いた。まるで寮に入った子供を心配する母親みたいだ。 「…可愛いがっているんだな?」 「それはそうだわ。あの子は私の子供同然だもの。あなたには解らないでしょうけれど、小さくても癒してくれるパートナーだわ」 動物の前だからなのか、アンジェリークはいつもよりもかなり素直に話してくれた。 動物のおかげて、心を開いてくれたのだ。 「…いや。俺にも解るぜ」 「解らないわよ。聞く耳を持たなかったあなたに解るはずはないわ」 アンジェリークにキッパリと言われても、アリオスは首を振った。 「そんなことはねえさ。命は命だ」 アリオスが事実を打ち明けると、アンジェリークは息を飲む。そんなことは信じられないとばかりに、眉間にシワを寄せていた。 「あなたが? 冷徹なのに?」 「どうとでも言えよ」 「ぢうとでも言えるもの」 アンジェリークは感情をいくらか高まらせながら、アリオスを睨みつけた。 「早く退院してあの子も世話をしなくっちゃ! もう大丈夫だから、退院させて下さいっ!」 アンジェリークの強い口調に、アリオスもまた冷静な医師の眼差しになる。 不意に妙案が浮かんだ。 「アンジェリーク、退院させてやっても良いだろう。ただし条件がある」 「条件?」 どれほどのものかと、アンジェリークは眉寝を寄せる。 「退院した後、暫くは療養の為に、猫と一緒にうちにいろ。それが条件だ」 アリオスが突き付けた条件に、アンジェリークは顔色を変えた。 |
| コメント 秋になりおなじみの愛の劇場がスタートです! 宜しくお願いします。 |