Leave Yesterday Behind


 やはり、アンジェリークは何らかの事情で、エリスの傍を離れざるをえなかったのだ。そう考えるだけで、心が安堵する。
 今まで無理をしてまで憎もうとしていたが、そんな無理はしなくてももういいのだ。
 だが、気は重い。
 アンジェリークへの罪を考えれば、冒してはいけないことをしてしまったのかもしれない。
 謝っても今更だろう。
 だが、謝りたくても謝ることが出来ない。
 謝り方が解らないのだ。
 事実を知って初めて、アリオスはアンジェリークのところに顔を出した。
「具合はどうだ?」
 アリオスの顔を見るなり、アンジェリークの表情があからさまに強張るのが解る。
 嫌われている。
 そんなことはかなり前から解っていたことなのに、どうしてこんなに胸が痛んでしまうのだろうと思った。
 馴れているはずなのに。
「もうすっかり良いです。オスカー先生にも言いましたが、早くここから出して下さい。私は働かなければならないし、もうすっかり良いですから」
 アンジェリークはアリオスの瞳を見ることなく、冷たい声で淡々と言い放つ。その声は、もちろんなげらいに刺々しい。
 それがアリオスを苛立たせた。こちらが下手に出ているというのに、どうしてこんなにも反抗的なのだろうか。
「いつ退院出来るんですか?」
 よそよそしい敬語なのも全く気に食わない。
 アリオスは心のなかで軽く舌打ちをした。
 アリオスが出会った頃のアンジェリークは、素直で明るい娘であったのに。エリスの死を境に、アリオスに対しては変わってしまった。
 変わるようなことをしたのはこちらなのだから、当然のことかもしれない。
 渦巻く様々な感情をどこかにやると、アリオスは冷静沈着な外科医であることに努める。
「退院は認めない」
 きっぱりとしかも強い意志を持って言い切った。
 アリオスのピシャリとした一言に、アンジェリークは更に交戦的な光を投げ掛けてくる。
「私はもう元気です。それに主治医は別にいます。先生たちのほうが私が落ち着いた療養が出来るんです」
 アンジェリークが拒否をしている理由は解らなくもないが、医師として、何よりもアリオスの罪の意識か、断固として認めない考えを構築していた。
「お前も看護士なら解るだろう。自分の病状については。確かにお前の手術は成功した。しかし心臓の手術だ。お前を  簡単に退院させるわけにはいかねぇんだよ」
 アリオスは自分の口調が次第に厳しくなるのを感じながら、言った。
「私は退院したいんです。早く治るように、最良の方法は、自分が一番良く知っていますから!」
 アンジェリークは少し興奮したせいか、疲れたように溜め息をついた。
「そんなに興奮するな。疲れると治るものも治らなくなる」
「…考えておいて下さい。退院のこと…」
 アンジェリークは議論をしても埒があかないとばかりに肩を落とした。
「退院は当分認めねぇ。退院した後も、しかるべき場所でお前は療養をしたほうが良い」
「しかるべき場所でって…伯父さんの家?」
 不安げなアンジェリークの瞳を見るだけで、アリオスは総てを悟る。
 当然だろう。あんな場所で、誰も療養したいと思わないだろう。アリオスも医師として認めたくはなかった。
「いいや。お前にとって、あまり環境が良くねえところは、医者として、推奨しない」
「…そう、良かった」
 初めて見せるアンジェリークのホッとした顔に、エリス両親との長年の確執を感じずにはいられなかった。
「とにかく、診察をさせろ。お前の容態をみて、しかるべき判断をする。療養をしっかりして完全な健康を手に入れてからだ。お前か復帰するのは」
「それだと食べていかれないわ」
「いいや。お前が働けない間、保険が下りることになっている。心配するな」
 アリオスはアンジェリークの不安を払拭させるために、医療保険申請をしてやろうと、今、決める。
 アリオスほどの医師であれば簡単に通る申請だった。アンジェリークの職場で入っている保険と自分のお金を混ぜて渡してやればいいと、不意に閃いたのだ。
「…有り難う」
 小さな声は、初めて聞いた感謝の言葉だった。
「だから、落ち着いて治せ。退院してからの暫くの療養も、こちらで何とかする」
「うん、有り難う。ねぇ、アリオス先生。私がひどい病状だったから同情しているだけ?」
 アンジェリークは低い声で、傷ついて殻のなかに入った子供みたいに言う。
 その声が心に響いて、ひどく切なかった。
 アリオスは間を開けると、静かに唇を開く。きっとアンジェリークは怒るに違いないと思いながら。
「…お前がどうして…、エリスを助けられなかったかを知った…」
 アンジェリークの表情が雪の女王のように強張る。
「…フランシス先生にでも、聞いたんですよね」
「ああ」
 アリオスは素直に認めると、アンジェリークをまっすぐに見つめた。
「…調べるなんて医師として最低ね」
 突き放すように言うアンジェリークに、ひどく苛立ちを感じる。
「医師として当然の権利だろ!?」
 アリオスは思わず声を荒げた。
「職権乱用よ…。だけど聞いたところで何もならないわ。だって過ぎ去ったことだもの。アリオス先生は私の言い分を少しも耳を貸さなかったじゃない」
 アンジェリークはまるで他人事のように言い、愛らしい青緑の瞳に攻撃的光を宿す。
 アリオスは反論出来なかった。総て事実なのだからしょうがない。
「そうだな。あったことなかったことにすることは、不可能だからな」
「そうだよ。記憶から消そうとしても消せないし、私が病気で倒れていたとしても、エリスお姉ちゃんを見放して死に追いやったのが私であることは変わりがないわ」
 アンジェリークは潔く言うと、曇り無き表情をした。
 覚悟を決め、総ての罪を受け入れたような表情だ。
「…確かに、あったことをなかったことにすることは出来ない。だが、傷を癒すことは出来る。お前の心をもっと和らげることも出来る。それには遅くはないはずだ」
「……そんなこと解らないわ」
 アンジェリークは投げやりに言うと、布団の中に潜り込んだ。
「あなたは、私がひどい病気だったから、同情しているだけよ」
「そんなことはねぇ」
「だってそんなことはあるよ。だから、もう、ひとりにして下さい! 私を早く転院させるか、退院させて下さい。私を本当に心配しているんてあれば」
「アンジェリーク…」
 アリオスがそれ以上言っても、もう何も聞かないとばかりに、アンジェリークはふて寝を決め込んだ。
「しょうがねぇな」
 アリオスは苦笑すると、とりあえずは病室から出ていく。
「いつまでも個室もいやだから」
 相変わらず悪態をつかずにはいられないようだが、アリオスはそれをうけ入れた。
「ゆっくり休め。個室は容態が安定するまで使っていい」
 アンジェリークは返事をすることはなく、アリオスに見送りの言葉もかけてはくれなかった。
「参ったな…」
 病室から出るなり、アリオスはドアにもたれ掛かり溜息をついた。
 今まで自分がしてきたことを考えれば、アンジェリークの態度は致し方がないところはある。
 気長に罪滅ぼしはするしかないのだ。
「しかし、俺もあんな女を気にすることは、ねぇはずなんだけどな…」
 どうしてもアンジェリークが気になってしょうがない。
 その理由が何かを、アリオスはまだ気付かなかった。
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