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いつも死は特別なものじゃなかった。 隣にいてごくごく自然なものだった。 私はそれを普通よりは敏感に感じているだけ…。 だから、私にはバースデイケーキのろうそくの揺らめきも、青空に輝く太陽の一瞬の煌めきも、夜空に瞬く流星の堕ちる瞬間も、…私にとっては掛け替えのないものだった。 そう、どんな瞬間もかけがえのないもの…。 決してそれは二度と巡り来ることがないことなのだから。 私たちはみんな限られた時間の中で精一杯生きている。 だからどれもかけがえのないものだって、いつも考える。 残された時間や死について、私が他の人よりよく考えるのは、きっと、私が誰よりも命を大切にしているから…。 アンジェリークは大きく深呼吸をした。久々な制服がとてもくすぐったい。校門前にある見事に咲く桜に気分を良くして、今日からの新学期を迎えた。 全く新しい学校。二年生に編入することになったとは言え、アンジェリークは希望の高校にようやく行くことが出来てとても嬉しかった。 ゆっくりと校門を潜っていると、つい桜の美しさに目を奪われる。自分が何処を歩いているのか…。そんなことは気にも止めていなかった。 気付いた時にはもう手遅れ。 「きゃあっ!!」 足元に何かがひっかかる。アンジェリークはそのままけつまずいてしまい、バランスを崩した。 そのまま不恰好にも転んでしまい、大きく尻餅を着く。 折角の新調した制服が見事に白くなってしまった。 「あたたたた…」 桜の美しさに感動し過ぎてしまった結果、無惨にも躓いた。アンジェリークは些か悔しい。 「普通は真っ直ぐ前を見ていたら、俺なんかに引っ掛かって転ぶことはないだろうが」 低く少しだけぶっきらぼうなテノールに、アンジェリークは驚いて振り返った。 「あ…」 そこには白衣を着た、銀の髪の不機嫌そうな青年がいる。 まったく朝寝を邪魔しやがってと言った感じで、とても不機嫌だ。 「普通、真っ直ぐ前を見ていたら、俺なんかを踏んずけることなんかなく、ちゃんと行けるはずなんだがな」 「あ…」 とりあえず、自分が歩いたルートを見ていると、アンジェリークは青年の言ったことを少しだけ理解した。確かに正規のルートからはかなりズレている。 だが、毛虫が落ちてくるかもしれない桜の木の下ど寝ている人間も凄いと思う。 「おまえ見掛けない顔だが、新入生か?」 「いえ、編入です。二年生に」 答えると青年がじっと見つめてきたので、アンジェリークはひどくドキリとした。 「あ、あの…」 「だったら俺が知っているわけはねえな…。一応こな学校の保健医だからな。生徒は把握しているからな」 青年は自分自身で納得しているように頷く。 「しかしおまえみたいに二年になってからの編入生もかなり珍しいな」 青年はそう言って煙草を口にくわえる。その仕草が妙に大人びていて、アンジェリークはドキリとした。 「…あの」 「何だ?」 「校内って禁煙じゃないんですか?」 普通のところだとそうだろう。アンジェリークは恐る恐る聞いてみた。 「ん? 携帯用灰皿を持っているからな、かまわねえよ」 「そ、そういう問題じゃないんじゃ…」 アンジェリークはおろおろとするが、目の前の保健医は平気そうだった。 「でも、先生、桜の下で良く眠ることが出来ましたよね? だって毛虫とか…、恐くないですか?」 「クッ、大の男が毛虫なんか恐がってどうするんだよ?」 保健医は喉を鳴らすと大胆にくつくつと笑った。先程まで鋭さが纏わっていたのに、それが総て無くなり、とても素敵な笑顔になる。無邪気さが加わったと言っても過言ではない。 アンジェリークは虚を突かれた笑顔に、いつしか夢中になっていた。 「桜ってのは一世に咲き乱れ、散り際も潔い。春のひと時にしか咲かないが、その貴重さと潔さ故に美しい…。桜の咲いている時期は、たとえ一瞬であっても俺は見逃したくないからな…」 見上げた保健医の横顔は整っているからか、非常に美しくも精悍にも見えた。 桜の影と太陽の光を交互に受ける横顔が本当に綺麗で、アンジェリークは感動すら感じていた。 「桜って命の営みを象徴しているような、理想的な生き方を示してくれているような気がする。年に一度しか見ることが出来ないからだろうな。また来年になり、四季を越えなければ見ることが出来ないから、美しいかもしれない…」 「…そうですね…」 光に花びらを透かされ、きらきらと宝石のように輝いている満開の桜を、アンジェリークはじっと見上げる。瞳はとても陰りがでる。だがこの美しさには感動してしまう。 「…おまえさんもこれだけ熱心に桜の花を見るわけだから、相当桜が好きなんだろうな」 「桜は好きです…。一瞬で満開になり精一杯の力で花を咲かせた後に散っていく…。潔いから美しいのかもしれないですね…。この瞳に、この美しい桜をしっかりと焼き付けておこうと思っています。一瞬の光から貰える命の煌めきですらも…」 アンジェリークは桜だけを真っ直ぐと見つめ、透明に呟いた。 「…おまえ、まだ若いのに悟り切ったことを言うんだな…」 アンジェリークはドキリとする。目の前の青年の不思議な瞳で見透かされれば、総てのことを白日に晒されるような気がして、少し恐かった。 「受け売りですよ。人生を悟った人の…」 アンジェリークはわざと明るく笑ってごまかしてみせる。だが、そんなことが目の前の青年に通じるとは、到底思えなかった。 青年は僅かに皮肉げに笑うと、雲ひとつない青空に紫煙を大きく吐き出す。その姿はどこか刹那的で、アンジェリークの心を酷く動かした。 ふと、青年は時計を見ると立ち上がる。 「そろそろ生徒がぞろぞろとやって来る頃だ。おまえも職員室に行ってきちんと手続きをしにいった方がいいぜ」 「はい」 保健医は白衣を翻すと、一度振り返る。 「おまえ、名前は」 「アンジェリーク・コレットです」 「アンジェリーク…、”天使”だな…」 低くしみじみと呟いたかと思うと、静かに青年は行ってしまう。 青年の後ろ姿をただ見つめることしか出来なかった。 「さてと、行かなくっちゃ」 アンジェリークは青年の姿を見えなくなるまで見送った後、くすりと微笑む。 「…やっと会えたね…」 職員室に向かってアンジェリークはゆっくりと歩き出した。 「あ〜、コレットさん、あなたの担任をさせて頂くルヴァと申します。新学年の新学期からですから、皆とも仲良くなりやすいかと思いますよ〜」 「有り難うございます」 担任のルヴァはとてものんびりとして、アンジェリークは安心した。とても良さそうなクラスのような気がする。 アンジェリークは残りの学生生活がとても楽しくなるような予感がしていた。 教室に入り、アンジェリークは一瞬立ち止まる。何だか懐かしくも温かく切ない香りがする。新学年を迎えて、まだ空気がはにかんでいるようだ。 この一瞬がとても好きだ。深く深呼吸をするのがとても気分が良い。 「さて、コレットさん、こちらへいらっしゃい」 「はい」 アンジェリークは呼ばれて中央に行く。どこかくすぐったいが心地良い。これもまたかけがいのない一瞬だ。 「アンジェリーク・コレットです。宜しくお願いします」 ぺこりと頭を下げると、誰もが拍手をしてくれる。歓迎されている気分になり、アンジェリークは嬉しくなった。 「席はレイチェルとティムカの横になりますからね」「はい、有り難うございます」 アンジェリークは指し示された席に移動し、両隣のふたりに声をかけた。 「宜しくお願いします」 「宜しく、アンジェリーク!」 「宜しく、アンジェリーク」 明るい雰囲気のレイチェルはとてもはきはきと挨拶をくれ、きまじめそうなティムカは穏やかに返事をしてくれた。 この場に溶け込むだけで、何だかとても幸せだ。アンジェリークはそんな想いを込めて精一杯の笑顔を送った。 新学年最初のホームルームが終わり、アンジェリークはあの青年保険医を探しに保健室に行こうと立ち上がる。 「どこ行くの?」 声をかけてきてくれたのはレイチェルだった。 「え…、学校の中を探険しようかと思って…」 「だったらさ、案内してあげるよ」 「有り難う!」 思いがけなかった優しさに、アンジェリークは嬉しくなる。こういったさりげのない優しさもとても掛け替えのないもののように思える。 「さあ行こうか、アンジェリーク」 「うん、レイチェルさん」 「”さん”は要らないって。レイチェルでいいよ〜!」 レイチェルの屈託のない微笑みを見ていると、アンジェリークもまた笑みが零れてくる。 「じゃあ、レイチェル、お願いね」 「うん! 行こう!」 レイチェルに連れていって貰い、学校の色々な場所を案内してもらう。 アンジェリークにとってはとても新鮮で、どの場所も楽しくてしょうがなかった。 そして…。いつ保健室を紹介してもらえるかを、ドキドキの中期待していた。 「次はね、メインコーナーの…」 そこまで言われてほんの少し期待する。 「化学室〜!!!」 アンジェリークは何だとばかりにがっかりとする自分に苦笑する。だが何故メインの教室かは直ぐに理解できた。 「エルンスト先生!」 そこの準備室にいたのは、きまじめそうな教師。レイチェルを見るなり、無機質な表情が僅かに緩んだ。 「今日は化学部はありませんよ、レイチェル」 「違うって、先生! ワタシは編入生を連れて来たんだよ。各場所を案内しているんだ」 「そういえば、編入生が来ると、職員会議で言っていましたが、彼女ですか?」 目線がエルンストと合い、アンジェリークはお辞儀をして形式張った挨拶をする。 「アンジェリーク・コレットと申します。レイチェルと同じ、ルヴァ先生のクラスです。宜しくお願いします!」 「宜しくお願いします、アンジェリーク」 無機質な挨拶をすると、エルンストはレイチェルを見る。 「しっかりと案内をしてあげなさい」 「解ってるって。じゃあまたね、センセ」 化学室を出て、レイチェルの頬がほんのりと紅いことをアンジェリークは気付いた。 なるほどとばかりに、総てが理解できたような気がした。 「次は保健室! うちは保健室はふたつあるんだ。精神科医のフランシス先生が担当の第二保健室と、外科医免許を 持ったアリオス先生が担当の第一保健室」 ”アリオス”。その名前にアンジェリークは胸が甘く軋むのを感じた。 「先ずはフランシス先生担当の第二保健室。まあ、別名”癒しの部屋”だよ」 レイチェルはドアをノックして部屋の中に入っていく。 「失礼します」 「やあ、ようこそ…。私の診察室へ…。レディレイチェル」 紫の薔薇が飛び交いそうな優雅な雰囲気に、レイチェルは苦笑しているようだ。 「編入生を連れて来ました」 「アンジェリーク・コレットです。宜しくお願いします!」 頭を下げて挨拶をした後、フランシスに不思議そうな眼差しを浮かべられた。 「レディアンジェリーク…。心がどうしようもなく闇に支配されたら、何時でもここにおいでなさい」 「はい…。有り難うございます」 礼を言うと、フランシスは非常に嬉しそうだった。 「さてと、次の第一保健室は、主にケガとかした時に診てもらうとこ。別名”手術室”だけど、保険医がいい加減なヤツだから、ワタシはあんまり使わない」 レイチェルはきっぱりと言い、アンジェリーク眉根を上げる。あの保険医がいい加減な保険医だとは思いたくはなかった。 「アリオスセンセ、入りますよ!」 レイチェルが保健室のドアを開けて、アンジェリークは息を呑む。 そこには、教師らしき女とアリオスが抱き合っていた。 …あの一瞬を、お前の記憶から抹殺したいと思うのは、俺の我が儘なんだろうか…。 TO BE CONTINUED |
| コメント 久々に登場の「愛の劇場」の新作連載です。 またまた暗く切なく頑張ります。 宜しくお願いします。 |