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リュミエールが部屋から去ってしまってからも、アリオスは悶々と考えていた。 腕の中で安心しきって眠っている本物の天使をしっかりと抱きしめながら、アリオスは円やかな頬を撫でた。 アンジェ…。おまえにとっては…、天界の方が幸せに暮らせるのだろうか…。 時期女神として、将来を嘱望されているおまえならば…。 「…んっ」 僅かに瞼が動き、アンジェリークが瞳を開ける。 「…アリオス…」 目を擦りながら、汚れの識らない深い青緑の眼差しを向けられ、アリオスは胸が詰まった。 純粋過ぎる美しさに、思わず強く抱きすくめてしまう。 「…アリオス、苦しいわ…」 「アンジェ…」 今、この温もりを魂に刻み込んでおきたかった。確かにアンジェリークが自分の前に現れ、深く愛してくれたことをアリオスは刻みつけたかった。 切ないまでのアリオスの魂の叫びは、アンジェリークの心にもしっかりと刻み付けられる。 強い叫びに、アンジェリークははっと顔を上げた。 「…天界から…、誰かに来たの?」 余りにもの洞察力に、アリオスは驚かずにはいられない。 「…どうして解った…」 「…あなたの心が叫びを上げているもの…! あなたの心が壊れてしまいそうだもの…!」 アンジェリークは肩を震わせて号泣しながら、アリオスにしっかりと縋り付く。 「帰りたくないの…! もう天国になんか行きたくないっ! ずっと、ずっと、あなたの側にいたい…。どうして私は普通の女の子として、あなたと出会えなかったんだろう…! どうして…」 最後は言葉が声にならなかった。ただ掠れて、切ない想いだけが遺る。 「…リュミエールって天使がきた…」 「リュミエール様が…」 「おまえを見守ってきた天使だな…。あの時、おまえが転んだときにも、俺の代わりに手を差し延べた…」 アリオスは心が軋むような傷みを覚えながら、あの時の光景を思い出していた。 「…うん。リュミエール様は心配性で、私を良く面倒を見に来てくれたから…」 アンジェリークは懐かしそうな笑みを浮かべるが、その横顔がやけに透明感に溢れて澄んでいた。純粋に美しいとアリオスは想う。 「アリオス、あなたの側にずっといたい…! 天使なんかでなくていいから、普通の女の子として、あなたの側にいたいだけなの! 他のものなんか何もいらないのに…!」 「…俺も、名声なんかいらねえ。おまえがいれば幸せだ。どんなことがあっても、おまえと愛し合うことが出来れば、乗り越えてみせる」 ふたりはしっかりと抱き合い、遺された時間の少なさに切なく想う。 この時間が無限に続けばと思わずにはいられない。 「アンジェ…、おまえへの気持ちにもう少し早く素直になっていたら…」 「…アリオス、そうだったとしても…、私たちが切なく感じるのは変わらなかったわ…。ずっと、あなたの側にいられれば、こんな気持ちにならなくて良かったのにね…」 アンジェリークの艶やかな栗色の髪を指で梳きながら、アリオスは総てを奪いたい衝動に駆られる。だが、今天使であるアンジェリークのことを考えると、些か踏み出すことが難しく感じられた。 「…アンジェ、ずっと一緒にいよう。おまえを取り戻そうとする輩がいたら、俺が追い返してやる…!」 「有り難う…」 「一緒に頑張ろう」 返事の代わりに、アンジェリークはアリオスにしっかりと抱き着いた。 たとえ…、たとえ誰であろうとも、私達を誰も引き離すことなんて、出来やしないから…。 そう女神様であったとしても…。 その日から、アリオスはオフに入り、アンジェリークの為だけに時間を費やす。 彼女を想って作った曲は、CDリリースされるや否や、空前の大ヒットを飛ばしていた。 様々な人々がアリオスの曲を聴いて癒され、元気になっていくことが話題になっていたが、当のアリオスはそれよりも、アンジェリークが側にいてくれることのほうが重要であった。 ふたりは一緒に暮らし始め、何気ない日常生活の中に、幸せを見出だしていた。 「アリオス、やっぱり凄いね歌の力って…。あなたの曲でみんなが癒されているもの」 「俺にしてみりゃ、おまえの力のほうが凄いって想うぜ。天使様」 アリオスはアンジェリークを背後から抱きしめると、じっとその温もりを感じている。 「きっとみんな、アリオスの生の歌声を聞きたいって思ってるわ…」 「俺はおまえのそばにいたい…。ファンには待ってもらうことになるが…、仕方がねえ…」 アリオスの愛のある我が儘に、アンジェリークは苦笑した。 「有り難う、アリオス。私、ちゃんとリュミエール様に言うね、どうしても下界にいたいって。天使より時間が短くても、ちゃんと人間として生きたいって…」 穏やかながらも、アンジェリークには明確な意思が感じられる。それがアリオスには嬉しかった。 「ずっと一緒だからな。おまえわ離さない。天国だろうが地獄だろうが、どこまでも付き合ってやる」 「…アリオス…。私も、たとえ”堕天使”と罵られても、どんな罰を受けても構いやしないわ」 ふたりはお互いの絆と想いを確かめるかのように、しっかりと抱き合う。 もう誰も、自分たちを引き裂けやしないと、感じて。 「いかがですか…。これほど愛し合っているふたりを、私達愛の遣いである天使が、壊していいとお考えでしょうか!?」 リュミエールは水晶球に映し出されたふたりを指差し、天使長ジュリアスに問うた。副長のクラヴィスはただじっと水晶球を見ているだけだ。 「アンジェリークは、次期女神に選ばれた逸材であることを、そなたも十二分に解っているだろう」 ジュリアスの瞳は厳しさを増してリュミエールを捕らえた。 「それはよく存じ上げております。しかし…! ふたりは素晴らしい愛を育んでいます。アンジェリークを愛することで得た想いを、アリオスは歌に託し、多くの人々に感動を与えています! そんな素晴らしい愛を潰してまで、天の平安が生じると、本当に女神様はお考えなのでしょうか! ふたりは、今、愛の奇跡を起こしております! それを消してまで得る平穏など、ないものと同じではありませんか!」 いつも穏やかなリュミエールが完全に熱くなっていた。アンジェリークとアリオスの愛を見せ付けられ、自分たちがどれほど愚かなことをしているか、気がついたからである。 「当初から、アンジェリークはアリオスを癒して、人々に彼の曲を通して、愛と癒しを与えるのが目的で、下界に遣わしたはずだ。それが成功するしないに関わらず、アンジェリークは時間が来たら、天界に戻ってくる筈ではなかったか。あくまで、これは女神への修行の一環だということを、そなたも良く解っていた筈」 「解っています…! 解っておりますジュリアス様! しかし、ここは曲げてお願いしたいのです! アンジェリークを普通の人間の少女に戻してやって下さい! 人間に戻しても、あの子はアリオスと愛し合うことで、愛の奇跡を産み続けます」 リュミエールは心から頭を下げ、ジュリアスに頼み込む。その姿は真摯であるがゆえに美しい。そこには何の見返りも受けるつもりのない、天使そのものの本来の姿がある。 「ジュリアス…、私からも頼む…」 穏やかな声で頼み込んだのは、副長のクラヴィスであった。 「…クラヴィス様…」 クラヴィスは口元に柔らかな微笑みをただ湛えるだけだ。 「…クラヴィス、そなたまでもか…!」 ジュリアスは苦渋の表情になる。そこには、天使としての本来の気持ちと、女神が決めた事への忠実の板挟みがあった。 「女神様がなんとおっしゃるか…。お許しが降りても、もう手遅れかもしれん…。アンジェリークの生身の躯は消えてしまうのだ…。そのように期間限定の生身の躰を与えたのだから…」 その言葉に、クラヴィスたち息を飲んだ------- アンジェリークの具合が悪くなったのは余りにもの突然の事だった。 「…アリオス…、ちょっと…気分が悪いの…」 「アンジェ!?」 アリオスの腕の中で抱きしめられていたアンジェリークの躰から力が抜け始める。 「アンジェ…、アンジェ!!!」 ぐったりとしたアンジェリークの表情から顔色が無くなる。 アンジェリークは、生身の人間としての役割を、今、終えようとしていた。 |
| コメント 「愛の劇場」の新しいシリーズです。 今回は、天使と男の恋愛物語。 今までとは少し毛色の違う物語です。 切ないアンジェリークとアリオスのシーンを展開していきます。 いよいよクライマックス! リュミエールの奇跡をお楽しみに |