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既にアンジェリークの躰は衰弱を止めることが出来ない状態だった。 冷たさと信じられない熱が交互にやってくるアンジェリークの躰を、アリオスは抱きしめずにはいられない。 「アンジェ!! しっかりしろ!? 俺が付いているだろ!? 大丈夫だからな? おまえは大丈夫なんだからな?」 アリオスは華奢な愛する者の躰をさすらずにはいられない。 「…アリオス…解ってたの…。天界に戻らないと決めたら…、どうなるかって…」 つい先程まで元気だったアンジェリークが、急に衰弱が烈しくなり、消え去ろうとしている。 アリオスは諦めたくなかった。 ようやく手に入れることが出来た珠玉の魂を持った少女を、もう放したくはない。 しっかりと抱きしめ、躰を摩ってやることで、アンジェリークそのものの存在感を確かめたかった。 「…アンジェ、地獄だろうが、どこだろうが俺達はずっと一緒だ。地の果てまでもな…」 「アリオス…、有り難う…」 アンジェリークは嬉しそうに微笑んだが、既に今までのような力はなかった。 「…病院に行こうか?」 これには切なそうに、アンジェリークは首を振る。 「…保健もないし…」 「金なら俺がちゃんとしてやるから、心配するな」 アリオスの気持ちが嬉しくて、アンジェリークは瞳にうっすらと涙を浮かべる。それは純粋で宝石のように美しかった。 「…有り難う…、だけど…、女神様が起こされたこの病は、お医者様にはどうにも出来ないことだわ…」 烈しくも苦しげな息遣いをしながら、アンジェリークは哀しげに呟く。切なさがアリオスの心にも響き、辛くてたまらなかった。 「…だったら、だったらどうしたらいいんだよ!?」 アリオスの叫びは、魂から搾り出された慟哭の叫びとなる。 「…そばにいて…。アリオスがそばにいてさえくれたら…、こうして抱きしめてさえくれたら…、私は幸せだから…」 アンジェリークのはかない笑みを見ていると、胸の奥が締め付けられそうな気分になった。 「…ずっと…、ずっと、こうしていて…。夢だったの…。病院のベッドに縛り付けられていた頃から、どうせ死ぬんだったら、愛する男性に抱かれて死にたいって…。最初はダメだったけれども、今度はちゃんと叶えることが…出来るよ…。大好きなあなたの腕の中でこうしていられるなんて、女冥利につきるでしょ…」 アンジェリークは安心しきったような、悟り切った瞳でアリオスを捕らえる。 「…アンジェ…」 アンジェリークの瞳から零れ落ちた瞳を人差し指で掬いながら、柔らかな頬を撫でた。既に頬も冷たくなっており、アリオスはそれが切なかった。 アンジェリークが更に呼吸を苦しそうに浅く烈しく始める。 「苦しかったら、話さなくていいから…。アンジェ…」 一生懸命な少女を、アリオスは力強く抱きしめた。 「…アリオス…、歌…歌って…。観客は私だけの…、小さな…、小さな…、コンサート…、して…」 「アンジェ…!!」 「…お願い…」 アンジェリークの声は既に力のない小さなものになっていたが、その願いと想いだけはアリオスにしっかりと伝わる。 瞼が深くおり、意識もなくなりつつあるアンジェリークだったが、それでもアリオスは聴いて欲しかった。 「解った…。歌を歌おう…。おまえだけの為に…」 アリオスはアンジェリークをしっかりと腕で支えると、唇を耳元に宛てて、甘い声で歌い始める。全ては愛しくて溜まらない、たったひとりの少女の為に…。 愛は永久(とこしえ)の奇跡----- 「女神様に、この天使長ジュリアス、曲げてお話があります。我々大天使の代表として、私、クラヴィス、リュミエールが参りました」 「女神様は謁見の間でお待ちになっておられます。奥にお入り下さい」 補佐官ロザリアは解っていたかのように頷くと、大天使三人を招き入れた。 謁見の間まで歩く間、いやがおうにも緊張が包み込む。 「待っていましたよ。あなた方は、アンジェリークの為にお見えになったのですね」 まだ幼い容貌をした女神は、柔らかな笑みを称えて、ストレートに言い放った。 「はい。アンジェリークが将来の女神候補と識って、そこを曲げても、お願いに上がりました」 いつもは冷静沈着な天使長ジュリアスが、今日に限っては感情を出した陳情になっている。 女神はただ冷静に、大天使たちの様子を伺っていた。 「あなた方がおっしゃりたいことは解ります。アンジェリークを天界に呼び戻さずに、人間として、アリオスと共に、音楽を通して、人々に愛を与えるようにして欲しいと…。そういうことね」 「その通りです、女神様」 ジュリアスはしっかりと頷いて見せる。 「彼女がやがてあなたたち天使を統べる人物として相応しいと解っていても、そう言うのね」 「…勿論…」 クラヴィスはいつものように深みのある微笑みを浮かべて、探るように女神を見つめた。 「アンジェリークとアリオスは…、またとないふたりだと想うのです…。私達、天使すらも持ち得ない深い愛情を、きっとふたりは 私達に見せてくれると…。現に私はそれを見せ付けられました」 リュミエールは淡々と、しかしどこか慈悲深い声で語る。女神はそれを一生懸命聞いてくれた。 「あなた方の言いたいことは非常によく解ります…。しかし…」 ここまで言いかけて、女神は表情をはっとさせる。 「みんな、耳を澄ませて」 女神が囁くと、大天使たちが耳をすます。 すると、神聖な愛に溢れた声が聞こえてきた。誰もの心を癒す歌に、女神は大天使すらも聴き入る。 「…素晴らしいわ」 女神ですらも感服する歌声は、決して少女のそれではなく男性のそれだ。 その歌声が誰かは、直ぐに解った。 アンジェリークによって愛を識ったアリオスの、魂から搾り出され声での歌は、感動を与えるものであった。 女神は穏やかな笑みを浮かべると立ち上がる。 「…リュミエール、アンジェリークを迎えに行きなさい」 「女神様!」 リュミエールは切なそうな表情を女神に向ける。どの大天使たちの表情も強張った。 「…アンジェリークの生身の躰は衰弱しています。衰弱しきる前に迎えに行くのです。彼女の躰を完全な生身の少女にし、元の家族と暮らせるように、アリオスと愛し合えるように、下界に戻しましょう…」 大天使たちの表情が明るいものに変わる。 「有り難うございます!」 リュミエールは瞳に涙を浮かべながら、深々と頭を垂れた。 「アリオスの歌に免じてです。アンジェリークが次期女神には違いはありませんが、人間の一生は、私達に比べたら、僅かな時間ですから、それぐらい待つことが出来るでしょう…。 リュミエール、アンジェリークをお迎えに行きなさい」 「はい、有り難うございます」 リュミエールは笑顔で頭を下げると、先に謁見の間を辞する。 「…また、ひとつの愛の奇跡を見せて貰えそうね」 ニコリと微笑んだ女神には、屈託がなかった。 何曲か歌を歌い終えて、アリオスははっとする。 そこには、天使リュミエールの姿があった。アリオスはアンジェリークを離さないように、護るように抱きしめる。 「何しに来た!」 アリオスの異色の眼差しは、切れるようにリュミエールを睨みつけた。 「そんなに睨まないで下さい…。確かに私はアンジェリークを迎えに来ましたが…」 そこでアリオスの腕は更にアンジェリークを抱きしめる。 「アンジェを取り返すなら、俺を殺して行け…!」 魂の奥から搾り出された深い声に、リュミエールは優しく微笑んだ。 「物騒なことを言わないで下さい。私は、あなたが思っている意味で、アンジェリークを連れに来たのではないのです…。アンジェリークを人間に戻す為に迎えに来ました…」 アリオスの眉が怪訝そうに動く。 「…そうやってアンジェを奪って行くのかよ」 「そうではありません。天使から再び人間になるには少しばかりの奇跡を起こさなければなりません。あなたにアンジェリークは必ずお返ししましょう…。 私の命を賭けて、彼女を預かります…」 アリオスはじっとリュミエールを見た。初めてアンジェリークに逢ったときと同じように、瞳は澄み切っている。 …信じないわけにはいかねえじゃねえか…。 「…アンジェをあんたに預けるぜ。あんたを信じる…」 アリオスはそれだけを言うと、意識を失っているアンジェリークをリュミエールに差し出した。 「この状態のアンジェを助けてくれるのは、女神様とやらしかいねえだろうからな」 「…アリオス…」 リュミエールはしっかりと頷くと、アンジェリークをアリオスから受けとる。 「確かにアンジェリークをお預かりしました。あなたの元に人間として彼女をお返し致しますよ」 しっかりとリュミエールは請け合うと共に、アリオスに微笑んで見せた。 「では、あなたがあまり寂しくないように…、早く返しますよ。待っていて下さい」 リュミエールは一瞬のうちにアンジェリークと共に光に溶けて行く。 「アンジェ!!!!」 陽炎の中に光る宝石のような光を見つめながら、アリオスは思慕のあまりに絶叫した。 必ず…、必ず帰ってきてくれ…!!! 暫くして、アンジェリークが帰った天界があるだろう空を見上げる。 晩夏の空は、今まで気付きはしなかったほど蒼く澄み切っていた。 アンジェリークがいなくなり、間もなく4か月になる。すっかり寒くなり、世間はクリスマスムード一色だ。 華やかなイルミネーションの中で流れる音楽は、アリオスがアンジェリークを想って作った曲ばかりだ。 アリオスはと言えば、信じてずっとアンジェリークを待ち続けていた。 アリオスの心は昔のようにからっぽではない。いつか愛する者に再び出会える希望に溢れている。 いつも空を見る度に、天使がそこにいると感じる。それだけで癒された。 クリスマスイヴの早朝、アリオスは公園の”天使のベンチ”に向かう。誰が名付けたか、いつしかアリオスとアンジェリークが出会ったベンチはそう呼ばれるようになっていた。 今朝は誰もいず、アリオスはたったひとりでベンチに腰をかける。 冬の澄んだ空気が逆に気持ちが良かった。 不意にどこからか、澄んだ歌声が聞こえてくる。 まさか…!!! アリオスは全身に震えを感じながら、ベンチから立ち上がると、朝もやの中に目を凝らした。 そこには、確かに見覚えがあり、何よりも見たかったシルエットが浮かび上がる。 感動と様々な感情が交差して、アリオスは駆け出していた。 「アンジェ!!!」 現れたのはやはりアリオスの白い天使だ。 記憶の中に済んでいたのと同じ声で、同じように栗色の髪を揺らして、こちらに走ってくる。 「アリオス!!!」 ようやく、今、再会することが出来た。 お互いに愛しい者と手を取り合い、今、しっかりと抱き合う。 もうお互いに離れないとばかりに抱き合い、温もりを確かめあった。 「…アリオス、帰って来たよ、人間として帰って来たよ!」 「おかえり、アンジェリーク」 長く離れていた月日を埋めるかのように、アリオスはアンジェリークの唇を奪う。 深く貧るようなキスの後、お互いに笑いあった。 「冷てえな、おまえ…。もっと温め合わないとな」 「…うん!」 何度もキスをして温めあった後、アリオスはようやくたったひとつの言葉を囁く。 「愛してる…。もう二度とおまえを離さない…」 「アリオス! 愛してるわ。もう離れない」 お互いに再び誓いのキスを交わし合う。 何度も、何度も。 「気付いたら、私、家のベッドで寝かされていたの。以前と同じ家族で、私は元気な女子高生に戻っていたの。ただ、家がこの近くに変わっていたの…」 「…奇跡だな」 アリオスは生きる奇跡アンジェリークを抱きしめずにはいられない。そしてアンジェリークもまた、アリオスをしっかりと抱き合う。 「これも女神様や大天使様のお陰だわ…」 「そうだな…」 ふたりは抱き合ったまま空を見上げて、女神と大天使たちに祈りを捧げる。 それに答えるかのように、教会の鐘が神聖にも鳴り響いた。 愛は素晴らしきとこしえの奇跡…。 THE END |
| コメント 「Tears In Heaven」とうとう完結です。 純粋な想いの恋物語の完結です。 最後までお読み頂きまして本当に有り難うございました。 やっぱりアリオスとアンジェは幸せにならないと決まり悪いですね。 |