『シアターは大騒ぎ』

『恋に落ちたひねくれ者』

『お気に召すまま』
〜アリオス&コレット〜その2



   *

 アリオスとの甘い戯れの翌日から、アンジェリークのロザリンドは一気に輝きを増していった。
 恋する者の演技というものは、恋をしたことのない者には、なにぶん表現が難しい。特に燃えるようでいて初々しい恋を経験したことのないものにとっては。
 アンジェリークは、ようやく一目惚れとは、一目で相手を夢中にさせるには、どれぐらい輝きを持たなければならないかを、知った。
 そのせいか、最初のロザリンドとオーランドーのシーンでは、アリオスに何も言われることがなくなってしまった。
「良い感じだな。俺がオーランドーでも、おまえのロザリンドには惚れるけれどね」
 アリオスが言ってくれた一言は、役者にとっては最高の賛辞に値する一言だ。これ以上のものはない。
 アンジェリークは心から嬉しくて、最高の笑顔が込み上げてくるのを、止めることは出来なかった。
「有り難う。私がロザリンドでも、あなたのオーランドーには一目惚れをするわ。これは本当」
 アンジェリークも素直にアリオスに賛辞を送る。こんな事を言うのは新参者では生意気かもしれないが、心からそう思っていたのだから、それをあえて口にした。
 最も、アリオスであるならば、たとえオーランドーとロザリンドでなかったとしても、恋には落ちていただろう。
「サンキュ。今度は男装をして、上手く攪乱してくれ」
「はい! 総てのひとが魅了されるようなロザリンドを演じて見せます」
「その意気だ!」
 アリオスが『じゃじゃ馬ならし』の稽古を見に行っている間も、アンジェリークは決して手を抜くことはなく、しっかりと男装のロザリンドを演技し続けた。
 もう、先輩座員たちも何も言わない。
 恋の力で、しっかりとした演技力を身につけてきたアンジェリークを、とやかく言う輩など存在しない。それほど、ロザリンドが板に付いてきた証拠だった。
 アリオスが帰ってきて稽古を見てくれると、その輝きは余計に散りばめられた星のようになる。
「よし、最後のシーン。八方まるく治まるシーンだな」
 アリオスのかけ声の下、役者たちがスタンバイに入る。
 ラストはロザリンドがオーランドーの前に、真実の姿を現すシーンだ。その気品を前面に出し、美しいロザリンドであらんとしなければならないシーンだ。
『御前にこの身を捧げます、私は父上のものでございますから。あなたにこの身を捧げます。この身はあなたのものでございますから』
 アンジェリークが跪くと、アリオスもまたその手をしっかりと握りしめてくれる。
『目に見える姿形、それがそのまま真実なら、あなたは確かに私のロザリンド』
『あなたが父でなければ、私の父はございません。あなたが夫でなければ、私に夫はございません』
 今までで一番滑らかに、アンジェリークが演じるロザリンドは愛らしく、品良くラストシーンを勤め上げる。
 ラストのロザリンドの口上も、ただ読み上げるのではなく、観客にきちんと呼びかけるように、話しかけるように言う。
 客席と舞台を一瞬にして一体化させた瞬間でもあった。
「よし、、オッケ!」
 アリオスは手を大きく叩き、それまでと、役者に演技を止めさせる。
「これなら観客からきちんとチケット代を取っても、満足して貰えると思うぜ。みんな良くやった。後は衣装を付けての総仕上げの稽古のみ」
 誰もがホッとしたように肩を下ろしている。アンジェリークもその表情にいくらかの緊張を見殴らせながらも、かなりホッとしていた。
「良かった…」
「良かったわよ、今日のあなたは、今までにないロザリンドだった。観客も喜ぶわ」
 昨日、あんなに揶揄するような眼差しを向けていたベテラン女優が、今日はアンジェリークに優しく肩を叩いてくれた。
 良かった。きちんと勤めを果たせたような気がする。
「よく頑張ったな。おまえはその実力で、座員みんなを黙らせたんだからな。全く大した女だぜ」
 最後に稽古場に残ったアリオスが、アンジェリークの肩を叩き、労いの言葉をくれる。
「有り難うございます。だけど、まだまだです! 総稽古までに、もっと上手く鳴っておかなければ、この暖かな光もしぼんでしまうでしょうから」
「そうだ。その通りだ。おまえも随分と建設的な考え方が出来るようになってきたな」
「アリオスさんに教えられたことがきっと大きいんです」
 アンジェリークはしみじみと言い、アリオスに笑いかける。
「じゃあ、休憩を取ったら、仕上げの稽古をするか」
「はい」
  アリオスがいたからここまで来れたのだ。アンジェリークは感謝をしながら、最後の稽古に向けて、全力を尽くすことにした。

 ふたりでする稽古だが、アリオスはオーランドーのみならず、女役のシーリアまで、アンジェリークの為に演じてくれる。
「おまえは、やはり男装のシーンの中に滲ませる、女心を表現するのが苦手みてえだな。シーリアのシーンは合格だが、オーランドーに見せる凛々しさの陰に隠れる女らしさを演じるには、少し色気が足りねえかもな」
「色気…」
 アンジェリークは口にしてみた後に唇を噛んだ。確かに、今までは色気があると言われた試しは、一度たりとも無かったわけだから。
「どうすれば出るの?」
 アンジェリークは教えを請うように、アリオスを見つめる。思い詰めたように、アリオスの瞳を射抜いた。
「  色気は…、恋をすれば出る。情熱的な恋をすれば、自然と身に付くものだ。出し方も解るだろう」
 アリオスが思い切り抱きしめてくる。アンジェリークはその力強い抱擁に、激しく喘いだ。
「ロザリンドがどうして男装をしているにもかかわらず、あれほどの愛らしさ、かわいらしさを出せたか解るか?」
「…恋をしているから?」
「その通りだ。ロザリンドはオーランドーに恋をしているから、彼の前で、男のなりをしていても、恋するが故の色気や色香が出た」
 アリオスはアンジェリークをいつもの三倍以上の力で抱きしめ、その頬にキスを送った。
「誘惑してやるよ。ロザリンドがオーランドーに求めたようにな」
「やあっ…」
 アリオスのオーランドーよりも冷たい唇は、首筋に降りてくる。焦らすように、舐め上げ、キスの雨を降らせていく。
「アリオスさん…」
「『さん』はいらねえ  」
 アリオスは仰け反るアンジェリークの華奢な躰を支えながら、稽古着からちらりと見えた鎖骨を愛しげに舌で愛撫をした。
「あっ…」
「今の声、すげえ、色っぽいぜ…」
「だって…んっ!」
 余り大きな声を出すことは、他の座員が練習しているかもしれないから出来ない。アンジェリークは奥歯を噛みしめながら、じっと声を出すのを耐え抜く。それでも信じられないぐらいに翻弄されて、肌がざわめき、喉が声を出して欲しいとわめき散らしているような気がする。
「我慢するな、もっと良い声を聴かせろよ」
 スウェットの上から、太股をまさぐられて、アンジェリークは堪らなくなり声を上げる。
 目を閉じると泣いてしまうぐらいに感じていた。
「仕上げはキスだ」
「あ…」
 アリオスの唇が、アンジェリークの総てを征服するかのように、激しく顔にキスを浴びせかけてくる。
 耳朶も瞼も、鼻も…。アリオスにキスを盗まれていない場所はないぐらいだった。
 でもとっておきの唇は最後。
 それが何だか悔しくて、アンジェリークは堪らない。
「…アリオス、キスを…、キス…」
 堪らなくなって、アリオスにキスを強請ると、容赦のない暴君のようなキスを投げかけてきた。
「…あん!」
 これがアリオスの本当のキスなのだと思った。甘くて激しく、そして嵐のようなリアルなキス。これがアリオスなのだ。
 唇を覆うように重ねられて吸い上げられた後、舌が柔らかな場所を割って入ってくる。もう、アンジェリークの舌はアリオスの舌を知っていて、ぎこちないが絡めていく。
 もうずっと熱が冷めないぐらいに激しいキスが欲しい。アンジェリークは心からそれを求めながら、アリオスを抱き寄せた。
 舌を絡み合いながら、お互いの思案祖も、唾液も全部奪ってしまう。それぐらいに、キスだけでさえも、征服してしまいたくなる。
 酸素が欠乏して唇が離れても、またアリオスの唇はアンジェリークを求めてくる。
 もっと欲しがって欲しい。もっと欲しい。
 お互いの利害が重なった時に、大きな爆発を産む。
 唇の端を噛まれ、頭の芯が痺れるぐらいに大きなうねりが躰を襲った。
 アリオスにしがみついているだけでは足りない。
 ようやく唇を離され、アンジェリークはアリオスの胸に大きな息を吐いて倒れ込んだ。
「  顔を上げてみろよ」
 アリオスに言われておずぞうと上げると、ぷっくらとした唇や、快楽で涙が滲んだ濡れた瞳を見つめてきた。
「色気は合格だな…。だが、不合格」
「え!? どうして?」
 アンジェリークはアリオスが言っている意味がわからなくて、首を傾げる。一体、何を言いたいのかが解らない。
「俺がいねえとおまえは色気が出ねえみてえだからな」
「それは、否定しません」
 アリオスがキスをしてくれたり、抱きしめたりしてくれなかったら、きっと色気は出なかっただろう。アリオスがいるからこそ、甘い色気も出る。いなければ、ロザリンドを上手く演じることは出来ない。
 やはり未熟だ。
 アンジェリークは急に胸が締め付けられて、泣き出したくなった。
「やっぱり、私はダメかもしれない。だって、アリオスがいないとちゃんと色気が出ないなんて…」
「今はそうかもしれねえが、きっと、ちゃんと出るようになるから、心配するな。俺がもっともっとおまえを艶やかな女にしてやるから。この手で」
 アリオスは頬を撫でながら、今までで一番慈しみが深い声で呟く。もう一度聴いてみたくなる声だ。いや、何度と無く聴きたくなる声なのかもしれない。
「うん…」
「その手伝いをずっと俺にさせてくれねえか?」
 アンジェリークは、最初、アリオスが何を言っているのか判らなくて、きょとんとした顔をした。
「ずっと、アリオスさんが傍にいてくれるの?」
 そうだったら嬉しいと想いながら、アンジェリークは首を横に傾ける。
「ったく、このあんぽんたん!」
「いたあいっ!」
 アリオスが突然頭を軽く叩いてきたものだから、アンジェリークは本当に驚いてしまった。何で叩かれたかが解らずに、アンジェリークは大きな瞳に涙を滲ませる。
「おまえ、いい加減に気づけよ? 演出を担当しているだけじゃ、ここまでしっかりと練習に付き合うバカはいねえはずだぜ? おまえをずっと手元に置きたいから、そう思うんであって」
 アリオスは呆れて物が言えないとばかりに、溜息を吐くと、アンジェリークを眼差しで捕らえた。
「  こんなに俺がおまえにキスばかりをしたのはどうしてだと思ってた? ん?」
「あ、アリオスさ…、アリオスは、演出家だし、女優さんにも持てるから、私はつい、女の子には誰でもするのかな…って…」
 そこまで言って、アンジェリークは涙が流れていることに気が付いた。自分が言ったことで、こんなに泣けてしまったことなど、今までなかった。
「…やだ…私ったら…」
 ぽろぽろと零れた涙に、アンジェリークはどうしようもなく哀しくなった。
「…ア、アリオスが、他の女の人とそんなことをしていたら、やっぱり…嫌だ…」
 アンジェリークは想像するだけで、言葉にするだけで哀しくなってしまい、大粒の涙をめいいっぱい流す。
「おまえが泣くぐれえに嫌なことは、俺はしねえ。他の女にも、おまえみてえにしていたら、俺はとんでもねえロクデナシってことになる。俺はキス魔でもロクデナシでもなんでもねえからな。おまえだけに、入れあげた。こんな事は後先の女にもしねえ」
 アリオスはとても苛立たしげにしていたように見えたが、キッパリとアンジェリークに言い切ってくれた。
「  それって…私のこと、好きって事? 大好きって事?」
 アンジェリークは早口で言うと、アリオスの目の周りがほんのりと赤くなる。
 良い風に考えても良いのかもしれない。
 この少しひねくれ者の大人の男性は、いつもストレートにものを言ってはくれない。だから今回も期待を持って良いのかも。
 焦れるような沈黙に包み込まれ、アンジェリークは心が逸るのをなんとか押さえ付ける。
「そうだ、おまえが好きだ」
 アリオスはすこし破れかぶれになったように言ったが、そのまま抱きしめて、熱い熱いキスをくれた。
「アリ…っ!」
 今までのキスに増して、今回のキスは熱くて素晴らしい。夢見るキス、これぞ恋人同士のキスだ。
 アンジェリークは今までのように、ぎこちのない動きをせずに、アリオスを力一杯抱きしめる。
 温かくて愛しい想いが体中を駆け抜けて、アンジェリークを幸せにしてくれる。
 お互いに空気が吸えないまでキスをした後、アリオスは耳朶に熱い唇をつけた。
「  愛しているぜ? アンジェリーク」
 ずっと欲しかった言葉。きっとロザリンドもオーランドーから直接欲しかった言葉に違いない。
 どんな恋する乙女にも、宝物になりうる魔法の言葉。
 アンジェリークもまた、アリオスにおまじないのように呟いた。
「私もあなたを愛しているわ、アリオス  」
 ふたりはお互いに顔を見合わして笑うと、更に足りないとばかりにキスをする。
 アリオスのキスは、本当に何度しても足りない。アンジェリークは心から、初めてのとっておきのキスを楽しんでいた  

   *

「おい、今回も俺をメロメロにして、骨抜きにしてくれよ?」
「解ってるけれど  」
 アンジェリークはそこまで言うと、アリオスを上目遣いで見た。
「…アリオスに、色気を注入して貰わないと、私、上手くあなたを誘惑することが、出来ないんだけれど?」
 ふたりきりのバックステージで、アンジェリークはたっぷりと甘えるように言う。勿論、その願いを叶えることを、アリオスがやぶさかでないことぐらいは、アンジェリークは重々承知している。
「しょうがねえな。これも舞台の為だからな。ったく、仕方のねえ相手役様だ」
 アリオスが苦笑をしながら、頬に手を当ててくる。
 オーランドーの扮装をするアリオスは、中世の騎士様そのものでとても素敵に感じる。
「こうしたのはアリオスじゃない?」
「まあ、そういうことにしておいてやるよ。ここはおまえに花を持たせてやる。それが男ってもんだろ?」
 アリオスはクスッと笑うと、アンジェリークの唇に自分に唇を近付ける。
 あの厳しい演出家であるアリオスが、こんな素敵で艶のある甘い表情をするなんて、きっと誰も想像出来ないだろう。だが、それもまた事実。
 ふたりは唇をしっとりと重ね、初日が上手くいくことを祈った。
 強引だけれど優しきキスが、唇に刻まれる。息をしようと唇を開けば、もう舌を受け入れたのと同じ。アリオスの舌がねっとりと優雅に絡みつき、快楽の園に連れて行ってくれる。
 ムスクと衣装の古めかしい香りも悪くない。
 アリオスにキスをされるだけで、自分が世界で一番素敵な女の子になったような、そんな気分になる。
 今この瞬間、アリオスの腕の中にいる間は、アンジェリークは間違いなく世界で一番素敵な女の子。
 きっと誰だって、そう。好きな人の腕の中にいる時が、世界で一番幸せなのだから。
 キスが終わった後、アンジェリークは暫く頭がぼんやりとして、立っていられなかった。
 ただ、アリオスに縋り付くだけの、可愛い女になる。
「今日の舞台、大成功だな。おまえは最高に可愛いロザリンドを演じられるぜ。それぐらい、おまえは可愛いよ」
「…有り難う。アリオスも文句なく素敵! 世界で一番素敵なオーランドーに決定よ」
 ふたりが見つめ合ったタイミングで、開演のベルが鳴り響く。
「じゃあ後で、アリオスオーランドー様」
「じゃあな。アンジェリークロザリンド!」
 ふたりはそれぞれの役になりきり、持ち場に散る。
 オーランドーとロザリンドとしてステージ上で大いに暴れ回った。
 アンジェリークが苦手だった、男装のシーンも、女性客を中心に「可愛い!」とやんやの喝采を浴びるのは勿論、オーランドーが怪力の力士であるチャーリーを投げたオスシーンなどは、やんやと喝采が上がった。
 そして  
 アリオスとアンジェリークの恋と同じように、オーランドーとロザリンド、更に他の3組の恋のさや当ても無事に丸く収まるラストシーン。
 アンジェリークの力量が問われる、長丁場の口上だ。
 客席には、レオナードとエンジュも仲良く手を握り合って観劇しているのが見える。
 総ての恋人たち、夫婦、愛という名の繋がりのある者たちに、アンジェリークは口上で語りかけた。
『何とぞこのお芝居が、そしてあなた方のおしどりぶり、あなた方とご婦人方の双方にご満足頂けますように。  こうして頭を下げてご挨拶を申し上げれば、お別れの言葉ぐらいは、掛けて下さいましょう』
 長い口上を最後まで言い切り頭を下げると、会場はやんややんやと喝采の嵐で、スタンディングオベーションが巻き起こっていた。
 アンジェリークは嬉しい溜息を小さく吐きながら、オーランドーに扮したアリオスを、ちらりと見上げた。
 その顔には満足する仕事をした者だけが出来る、最高の達成感が滲み出ていた。
 全員で手を繋いで大きく礼をした後、一旦カーテン袖に引っ込んだ。
「初日にしては大成功ね」
「そうだな」
 アリオスはアンジェリークと手を繋いだまま、カーテンコールに向かう。
 誰もが主要キャストの名かむつまじさに、目を細めて、温かな拍手をくれた。
 観客の声援に応えて手を振りながら、アリオスが小さく耳打ちしてくる。
「ロザリンドとオーランドーがアーデンの森の魔力で結ばれたように、俺たちもまたその魔力にかかってしまったみてえだな」
「え?」
 顔を合わせた瞬間、唇を重ねられた。
 人が見ているのに。
 そんなことが気にならないぐらいに、3秒後にはアンジェリークもキスに夢中になっていた。
 もう観客の大きな拍手は聞こえない。聞こえるのは自分たちの吐息だけ。
 ふたりはしっかりと抱きあって、達成感を味わっていた  

 翌日のアルカディアタイムスの一面を飾ったのは、ふたりのキス写真であったことは、言うまでもない。
 これもアーデンの森の魔法。

         THE END
 劇中劇・ウィリアム・シェイクスピア作『お気に召すまま』
 新潮文庫『お気に召すまま』福田恆存訳より抜粋。




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