『恋に落ちた俺様』
『じゃじゃ馬ならし』
〜レオナード&エンジュ〜その2
* 何だか魔法にかかったように、すんなりと芝居が出来るようになった。 相変わらず、ペトルーキオーがカタリーナのお尻を叩くシーンは、相変わらず派手だ。それどころか、どんどんとエスカレートしているかもしれない。良い方向に。 その上、余りにも芝居に熱中してしまい、自分がカタリーナなのかエンジュなのか、解らないところまできてしまっている。 『さあカタリーナ接吻をおくれ』 レオナード扮するペトルーキオーが、強引に抱き寄せてキスをしてくるシーンに、レオナードは本当にキスをしてきた。 「…んっ!」 今まではするふりをしていただけなのに、今度は全くの本気だ。これにはエンジュも驚いてしまった。 だが唇を塞がれて、息を呑むヒマなんてありはしない。舌まで入ってきて、レオナードはキスのものを楽しんでいるようにすら見えた。 余りに深いキスでそのまま溺れそうになったところを、エンジュは思い切りはねつける。 胸を思い切り押す強い勢いに、レオナードは、倒れ込んでしまった。 「いてェ!」 だが、そんな事には怯んではならない。自分は強引に婚約を押しつけられた、カタリーナなのだから。 エンジュはぷいっとそっぽを向いて、見事に退場した。 「よし! エンジュ、良くなってるぜ!」 アリオスの声ではっと我に還り、エンジュはレオナードを見た。少し、痛そうな顔をしている以外は元気だ。あんなに体躯が優れているのだから、か弱い女であるエンジュが突き飛ばしたぐらいでは、きっとびくともしないはずだ。 エンジュはとりあえずの出番を終えて、ホッと息を吐いた。 「ひでェな」 レオナードは悪態を吐きながら、当然とばかりにエンジュの横に腰を掛ける。どっかりと腰を据えた後、レオナードはちらりとエンジュをみた。 「すげェ痛かったぜ。俺様はか弱いからなァ。ったく、弱々しい俺様にあんなことをするなんて、エンジュちゃんは、全く罪な女だなァ」 「痛くなかったくせに。だって、レオナードさんがあんなところで舌なんか入れるから…、私…そのビックリしちゃって…」 想い出しただけでも顔から火が出そうになる。エンジュはまだ唇に残る官能の感触を想い出したくなくて、なるべく違ったことを考えようとした。だが出来ない。こんなに間近にレオナードがいるのだから。 「だって、あれぐれえは当然じゃァねえか。恋人同士だったら」 レオナードの辞書には、きっと反省だとかそんなものはないに違いない。まったく悪びれることなく、いけしゃあしゃあと言ってのけるのだから始末には負えない。 「私たちは恋人同士じゃないじゃない」 「ペトルーキオーとカタリーナのことを言ってる。俺たちは今、この役を真剣にやっているんだからなァ」「また役のせいにする!」 エンジュはレオナードの思い切り睨みを利かせて、目線をわざと逸らせた。 「おお怖いなァ! エンジュちゃんは!」 ふたりで、ペトルーキオーやカタリーナも真っ青のやり取りをしていると、アリオスがその前に立ちはだかるのが解った。 「おまえら、いい加減にしろ! 真剣に稽古中なんだからよ」 アリオスは鋭い声を出してはいるが、その顔は全く怒ってはいなかった。他の座員の手前、怒ったのだということは明白だった。 「へいへい、演出家先生、すまんこって」 レオナードの声は全く持って感情が入っておらずに、棒読み。これが本番の舞台であったら、大根役者は決定だろう。 「すみません」 エンジュはきちんと低頭低身で謝ったが、レオナード同様に腹の中では舌を出していた。 再び稽古に入り、エンジュはレオナードに引っ張って貰いながら、舞台を作っていく。 レオナードが大きい胸でどんと受け止めてくれるから、エンジュはのびのびと演技をすることが出来る。 ぶつかって受け止めてくれる器がレオナードにはあるから、頑張ることが出来るのだ。 今はまだ胸を借りる段階かもしれない。だが、いつかは、レオナードと対等に渡り合うことが出来る女優になりたかった。 問題の最後のシーンが始まる。 エンジュは昨日コーヒーショップで濃密に覚えた台詞を、忘れてはいなかった。例え短い時間であったとしても、中身の濃い時間は、決してエンジュを裏切ることはない。 きちんと、一言一句間違えずに、愛情と感情を込めて、エンジュは言葉を発する。舌の滑りも良かった。 『 その従順な証拠に、もし主人が望むのなら、あたしは踏みつけられても構わない!』 言えた! 言えた事への感動に震えていると、横にいるレオナードがよくやったとばかりに笑っている。 『おお、それでこそ女! 接吻をしておくれ!』 レオナードもペトルーキオーのように、愛情を持って台詞を繰っていく。広げられた腕に遠慮無く治まり、またキスシーンだ。 稽古場がシーンとなる。 また、レオナードはエンジュに対してリアルなキスをかましてきた。 この男は、所も構わずキスをしてくる。 演じて真剣になっているからキスをする 確かに優秀で立派な舞台人なら、それぐらいはするかもしれない。 だが、エンジュにとってそれは耐えられないことだった。 レオナードには、エンジュとしてキスをして欲しい。私だけキスをして欲しい。 突然、エンジュははっとしてしまった。 こんなことを望むなんて。 そうだ、私はレオナードにどうしようもなく恋をしている。 カタリーナがペトルーキオーの粗野な優しさに恋をしたように、自分もまた、どうしようもなく強引で俺様だけれど根が優しいレオナードに、とことん恋をしてしまっている。 カトリオーナとペトルーキオーの恋と、自分たちの恋がクロスオーバーして、見事にぴったりと重なっていることに、エンジュは今更ながらに気が付いた。 好き。どうしようもないぐらいにレオナードを愛してる 恋しくて涙が込み上げてきた。 だがここで泣いてしまうわけにはいかなくて、エンジュはなんとか退場のシーンまで我慢をした * ひとり居残りをして、エンジュは一生懸命レッスンに励む。 レオナードに認めて貰いたい。いつか対等になりたい それだけを胸に頑張っている。 乙女の成長には、やはり恋の力は不可欠だ。 一生懸命、ひとりで躰の動きの切れや、台詞の響きをチェックしていると、稽古場の引き戸が開いた。 「まだ、練習をしているのかよ」 太く低い声に振り返ると、そこにはレオナードが帰り支度をして立っていた。 相変わらずマフィアだ。全身黒ずくめの塊のようだ。しかも今夜羽織っているコートは、だらんと長い上に、彼の髪と同じ色のファーが付けられている。 「あ、レオナードさん。もう少ししたら帰りますから、お先にどうぞ」 「あァん? 俺様はそんなに冷たい男じゃねェぜ。付き合ってやるよ。こんな遅くに、お前みてえな若い女をひとりにしておくわけにも、いかねェからなァ」 「有り難う…」 レオナードは稽古着などが入った自分のバッグを部屋の隅に放り投げると、コートも脱ぎ捨て、エンジュに近付いてきた。 「俺がいた方がいいいだろ? 何せお前のからみのあるシーンは、殆ど俺が相手をしているからなァ」 レオナードは俊敏で動物のようにしなやかな動きで、直ぐにペトルーキオーに変身する。 僅かの仕草をするだけでもここまで絵になる舞台俳優は、珍しいと思った。 「コーヒーでも飲むか? 一服して始めたほうがいい。俺が淹れてやるよ。頑張ってるエンジュちゃんの為になァ」 「有り難うございます」 レオナードは稽古場の奥にあるパントリーに向かい、コーヒーを淹れに行ってくれる。 その間、エンジュは少しばかりの休息を取った。 伸びをしたり、窓の外をご機嫌に眺めたりしてリラックスしていると、レオナードが温かなコーヒーを持ってきてくれた。 「熱いからなァ。気をつけろよ」 「うん、どうも有り難う」 ホルダーにセットされたプラカップの中には、とても良い香りがするコーヒーが入っている。 「芝居とコーヒーは同じぐれェに自信があるからなァ。俺様は、駅前のあのコーヒーショップ以外は、コーヒーとは認めていねェ。俺様が淹れたコーヒーに勝てるもの以外はな」随分と自信家なんだ」 「その通り」 エンジュはお手並み拝見とばかりに、レオナードが心を込めて淹れてくれたコーヒーをしっかりと口に含んだ。 苦くて香ばしい味が、口の中いっぱいに広がる。濃厚で、唸るほどの美味しさだ。あのコーヒーショップと匹敵する味。いや、エンジュにとってはそれ以上の味のように感じた。 「すごい! 美味しい!! レオナードさん、プロになったら!」 「俺は芝居のプロだけで充分だぜェ、エンジュちゃんよ」 レオナードは不適な笑みを浮かべながら、言葉尻に困ったようなニュアンスを滲ませる。 「そうですよね。舞台俳優として、超一流だもの。でも、それぐらいに、レオナードさんのコーヒーは美味しかったんですよ!!」 「サンキュな。だから俺様も他人に淹れて貰う気にはなれないんだよ」 「なるほど」 確かにレオナードの気持ちはとても判る。これほどのコーヒーを淹れられるなら、他の者が淹れたものなど、かなり味気なく感じるだろう。 「俺様がコーヒーを他人に淹れて貰うとしたら、あのコーヒーショップのおやぢと、心から求める相手だろうな…」 心から求める相手 エンジュは心に少しばかり暗い影を落とした。 それが自分であればいいのに。だが、そんなことは、きっとあり得ないだろう。少し、寂しかった。 ふとレオナードの横顔を見ると、整った顔が少し切なさを帯びている。 それを振り切るように、レオナードは飲み干したホルダーを床に置いた。 「さてと。エンジュ、お前は練習しねェといけねェことがあるからなァ」 「練習?」 「ああ。まだまだぎこちねェとこ、あるだろ?」 レオナードは煙草が切れたようで、それを口に含みながら、何気なく言ってきた。 「ぎこちないところは全部です」 ほんとうにそうなので、エンジュは言葉を淀ませながらも、正直に言う。 「まァ、そうかもしれねえが、特にラヴシーンに照れがあるよなァ。まァ、カタリーナは乙女だから、照れがあってもぎこちなくても構わねェんだが」 レオナードはそこまで言ったァ濾、紫煙を宙に大きく吐いた。 「最初のシーンはぎこちなくてもいいんだが、ペトルーキオーに調教をされて、貞淑で物わかりの良い妻になった時のキスは、甘くて歓びが溢れていると思うが、どうだ?」 「ち、違わないとは思います…」 「だろ? だからここは少しばかりレッスンをしねェといけねェよなァ」 「レッスン?」 「こっち来いや?」 どんなレッスンが始まるのか解らずに小首を傾げたまま、エンジュはレオナードに近付いていく。手招きをされたままに行くと、腕の中に閉じこめられた。 「きゃあんっ!」 ぐっと引き寄せられたので、エンジュは抵抗の甘い声を上げる。いつもの倍はきつい抱擁をされて、エンジュは喘いだ。 「レオナードさん…」 「これぐらいしても、お前には足りねェかもしれねェなァ」 レオナードは携帯灰皿で、とっとと煙草をもみ消してしまった後、その灰皿も手から下ろして、エンジュ専属に腕を開けた。 「これでお前専属だ」 「専属って…」 「ラヴシーン専属」 レオナードはにしゃらと笑い、エンジュの顔を大きな手で包み込む。 「お前はキスシーンがすげえドヘタだからなァ。コの辺りで、俺がしっかりと訓練しねェと、これからの舞台も差し障りが出るだろ?」 「そ、そんなことをしても、差し障りなんて…んっ!」 別段抵抗する気なんて無いくせに、エンジュはついつい形だけの抵抗をしてしまう。その直後に、唇はしっかりと塞がれた。 しっとりとした唇に、練習で冷たく冷え切った唇を温めて貰うのも良い。 エンジュは深く瞳を閉じた。 カタリーナもこうして大好きなペトルーキオーから、少しずつキスの味を教わっていったのだろうか。 レオナードに舌の動きは、いかにも優しかった。舌先で唇をなぞった後、エンジュの唇が花のように開くまで、辛抱強く待ってくれた。 舌があくまで欲求不満のようにゆっくりと唇の中に押し入った後からは、俄に激しくなった。 「ん、んっ!」 唇から喘ぎ声が漏れても、それは総てかき消される。呼吸すらも、全部レオナード色に染め上げられ、コントロールされた。 舌は嵐のように蠢いて、エンジュを陵辱していく。 一つずつステップを踏んで教えるように、舌の動きを上手く絡ませてくれた。 途中で呼吸が苦しくなり、頭がぼうっとしてくる。下半身の力すらも奪われ初めて、エンジュはレオナードに縋り付いた。 レオナードの鍛えられた首に両手をぐるりと巻き付けて、一生懸命自分の躰を支えた。いいや、支えて貰ったと言った方が良かったかもしれない。 キスだけなのに、どこか高みに飛んで行けそうだ。自分の背中に羽根が生えて、エンジュは今女としての自由を手にした。 「ああ…ん…」 時折、呼吸が出来るようにレオナードの唇が少しだけずれて離れるのだが、一呼吸を置けば、また激しく奪われる。 それを何度か繰り返して、ようやく最初のレッスンが終了した。 「一回目、おしまい」 唇を離されて、額を軽く付けられても、エンジュの激しい胸の鼓動は治まることを知らなかった。何度も上下して、胸ごと揺れている。 「本物のキスだぜこれが。愛情を持ったキスを何度も繰り返すたびに、女は大人になって綺麗になる」 「レオナード…」 確かにそうかもしれない。カタリーナが女になれたのも、このようなキスの教育があったからかもしれない。 このキスの教育によって、カタリーナは女としての自由を得たのだ。きっとそうに違いない。 それをラストシーンで表現しなければならないのだ。 「じゃあ、もっと高度なやつな」 「うん」 今度は少し頬を染めて、レオナードをキラリと上目遣いで見ることで、同意を表した。 レオナードの唇が近付いてくると、エンジュはこれ見よがしに大きく深呼吸をする。それを見る鳴り、レオナードは唇を顔の直前で止めて笑った。 「気合い入ってるなァ」 「き、気合いとか…、そんなことじゃありません。ただ…」 「ただ?」 「ただ、息が続けばいいなあって!」 これにはかなり可笑しかったらしく、レオナードは更に大袈裟に笑った。 「お前らしいぜェ、全くなァ!!」 「そこで大笑いしないで下さい。い、一応、舞台女優だから、肺活量には自信があるけれど…、その…」 エンジュは恥ずかしくて、それ以上何を話して良いかが解らなくなってしまう。 「解った。お前のその自慢の肺活量が枯れてしまうぐれェの濃厚なキスを一発かましてやるよ!」 「あ、いやん…っ!」 レオナードは噛みつくようなキスをしてくる。今度は先ほどのように甘いものではなく、些か激しさに満ちたものになる。 唇の端を噛まれると、その部分が鈍く痺れて痛気持ちが良い。涙が滲んでくれるほどキスが良くて、エンジュはもっと欲しくて自ら積極的に求めた。 それに応えるかのように、レオナードはエンジュのほっそりとした腰を抱き寄せて、躰も唇もぴったりと密着させてくる。 舌はエンジュが気持ち良く感じる場所を的確に押さえ、貪欲に動いた。 直ぐに深呼吸をした空気だけでは足りなくなるぐらい、濃厚なキス。 舌をお互いに絡ませないと、安らぎや高ぶる感情を共有することなんて出来ないことを、エンジュはキスを通して知った。 キスは不思議だ。肉体のむき出した部分が重なることによって、天にも昇る気持ちになってしまうとは。 唾液を交換し合い、また共有することによって、相手がかけがえのない人物になっていく。 熱っぽいキスに、視界がけむり、いくら空気を吸い上げても酸欠になるぐらいにまでされて、ようやく唇が解放された。 「…凄いね、ペトルーキオーとカタリーナのキスって…」 胸で呼吸を激しくしながら、エンジュは頭をぼんやりさせる。レオナードに支えて貰えなければ、到底立ってはいられない状態だった。 「…そうだな」 レオナードは言葉を慎重に選ぶように言う。 「レオナードさんはこの役は何度目なの?」 「俺か? 『じゃじゃ馬ならし』に出るのは5回目。2回はルーセントショー、後3回はペトルーキオー」 「じゃあ、後の2回のカタリーナに同じレッスン…したの?」 胸の鼓動が嵐のように動いている。だが、エンジュは訊かずにいられなかった。喉がからからに渇き、掌にじんわりと汗が噴き出してくる。 レオナードの返事を待つ間、エンジュにとっては試練の時間だった。 「 いや、俺様はそんな面倒臭ェことは普段はしねェ。それにお前以外は、ずっとベテランだったからなァ。マジキスしなくっても、充分に観客には説得力があった。お前しかしてねェよ。とてもシンプルな答えだろ」 「ホントに?」 エンジュは熱くなった洟をすすりながら、念を押すように言う。 「マジだ。何度も言わせるな」 「うん、ごめんなさい」 「お前、いっつも謝ってばかりだな」 「そうね」 洟を啜りながら誤魔化すように笑うと、レオナードの大きな頬がエンジュを捕らえる。 「今度は、お前からキスをしてみろよ?」 「え!? 私からキスをするの?」 いきなりのレオナードの申し出に、エンジュは仰け反ってしまいたくなる。 こちらからキスをするなんて。そんなこと初めてだから、上手くできるか自信がない。 「カタリーナは自らペトルーキオーにキスが出来るようになっていったんだぜェ」 「また、カタリーナを引き合いに出す」 エンジュは拗ねるように言った。全く、レオナードときたら、いつも芝居を引き合いに出して、キスをしてくるのだから、狡い。 「おら、俺のカタリーナ、ケイトちゃん、キスはくれないのか?」 「都合が良い時だけ、ペトルーキオーになるんだから!」 レオナードは、怒って少しばかりひねているエンジュの腕を、やんわりと掴んだ。 「ほら、ご主人様にキスは?」 「しょうがない…わね」 エンジュは瞼を震わせながら目を閉じ、レオナードの唇に、ちょんと触れる。それだけでもかなり勇気のいる行為だった。 「はい。これでおしまいよ!」 「俺様はまだもの足りねェんだけれど」 「え!?」 腕を掴まれたままそのまま引き寄せられて、今度は濃厚なものを一発お見舞いされる。 レオナードのキスはとてもロマンティックで素晴らしくて、お代わりが何度も欲しくなるのは、ナイショ。 ぷっくらと艶やかに腫れ上がるまでキスをした後に、レオナードは腕の中で夢見るように抱きしめてくれた。 「あ…」 「お前、いい加減に気付けよな。俺がこんなに求めていることを」 レオナードの声は低く、どこか切羽詰まったものが感じられる。エンジュは心臓の鼓動を爆破させるように跳ね上げさせ、レオナードの鼓動と自分のそれを無意識に重ねた。 「 俺様がここまで真剣に付き合って、近付いて、キスまでしてるのに、目の前の女はその行為に気付かねェんだからな…。ったく…!!」 レオナードは深く悪態を吐くと同時に、エンジュを思い切り強く抱きすくめてきた。それは、今までの数倍の強さで、息が出来ないほどだ。 「レオナードさん…」 さんはいらねェ! お前を俺のものにしたくて、ここまで調教しているのに、気付け!」 レオナードの強い調子の言葉だって、今は『ハレルヤ』に聞こえてしまう。エンジュは頬を染めて、レオナードを見上げた。 「 私はじゃじゃ馬だもの、もっと、もっと、しっかりと手綱を持って調教をして貰わないと困るわ。だから、ちゃんと手綱を握っていて?それが出来るのは、レオナード、あなただけだもん」 エンジュは背伸びをすると、もう一度レオナードに口づける。たっぷりの愛情を込めて。 今度は片恋をしている少女のものではなく、立派にひとりの女としてのものだ。 「ちゃんと調教出来たみてェだなァ」 「調教なんて、出来ていないわよ。これからよ。それにご託なんていらないもの」 エンジュは笑いながらレオナードの唇を自分の人差し指で捕らえる。 「だって恋の告白に必要な言葉は、いつの時代もたった一言よ。『愛している』 そう言えばいいのよ」 エンジュはシンプルかつ大胆な告白を、目の前にいる愛すべき俺様にしてみせる。 「 愛しているわ、レオナード」 とても単純だけれども大切な告白。エンジュはレオナードに愛を込めて呟いた。 レオナードの瞳もまた、柔らかさを帯びて、エンジュに優しい小春日和のような光を投げかける。 「 愛してるぜ。エンジュ」 たった一言を言えば、もう無駄な台詞は何一つ必要ない。 ふたりはしっかりと抱き合った後、シルエットを一つに重ねる。 恋人になって初めての愛の共同作業を、窓辺の月に見守られながら行った * 「おい! エンジュ、コーヒー!!」 「はあい」 こしきゆかしい衣装に身を纏いながら、エンジュはレオナードの為に淹れたコーヒーを手渡す。 「サンキュ」 コーヒーを一杯飲んで、舞台の初日を乗り切る腹づもりなのだ。真剣にコーヒーを飲むレオナードの姿は、本当に隙なく素敵だ。これも惚れてしまった弱みなのだろうか。 「おら、サンキュ! 舞台の上でな」 「うん!!」 ふたりはお互いにエールを交換し合い、素晴らしいステージになるように力を尽くす。 最高のペトルーキオーとカタリーナになる為に ふたりが最初に絡む、お尻を叩く有名なシーンは、大いに盛り上がった。 日頃のストレスを発散するかのように、持ち味を活かした演出に、誰もが小気味の良い笑いを浮かべている。 ラストの台詞もエンジュはよどみなく、そして愛を込めて見事に決めた。 『おお、それでこそ女!! さ、接吻してくれ、ケイト!!』 ペトルーキオーの台詞が入り、いよいよふたりの集大成のキスシーン。 誰もが固唾を呑んで、恋人同士のリアルなキスを楽しんでみているかのようだ。 深くそしてこなれたキスを交わし、エンジュは背中で、貞淑になったカタリーナを表現する。 その深くて溜息が出そうなうっとりとしたキスが終わると、観客からは、やんやと喝采や口笛が飛んだ。 とうとうペトルーキオーの最後の台詞。カタリーナの腰をしっかりと抱き、高らかに宣言をするシーンだ。 『さ、ケイト、いよいよお床入りだ。お前たちふたりは泣き寝入り。三人同時に結婚したが、勝ったのは俺様ひとり。では、みなさんおやすみなさい!』 手を上げて堂々と退場していくふたりに、割れんばかりの拍手が巻き起こった。 舞台袖で、ふたりは、残った男優ふたりの台詞に耳を傾ける。 『よう! 大いにやってくれ! とにかく、ひねくれ者のじゃじゃ馬を、馴らした、ペトルーキオーの手際は見事だ』 『不思議だよ。失礼な言い方だが、ああもおとなしくしてしまうなんて』 「だってよ。確かにエンジュ、お前も相当なじゃじゃ馬だったからなァ」 「失礼ね、もう!」 エンジュがじゃれるようにからみつくのを、レオナードをしっかりと捕らえる。 「ペトルーキオーも俺様も、結局、賭けには見事に大勝ちした」 「それもこれも、結局女が賢いからでしょう?」 エンジュが茶目っ気たっぷりに言うと、レオナードは目をスッと細めて笑った。 「全くその通りだぜェ」 ふたりは舞台袖でしっかりと抱き合ってキスを交わす。 嵐のようなカーテンコールが起こっても、幸せな恋人同士はなかなか出ては来なかった THE END 劇中劇・ウィリアム・シェイクスピア作『じゃじゃ馬ならし』 新潮文庫『じゃじゃ馬ならし/空騒ぎ』福田恆存訳より抜粋。 |