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突然の招待状に、アンジェリークは目を丸くした。 まさか自分に来るとは思わないし、ましてや身に覚えもない。 今朝届いた、上質の紙で作られ、シルバーの箔押しがされた立派な招待状。 アンジェリークは何度も眺めた。 本当に何かの間違いなのかと思う。 届いた招待状は、社交界にデビューをする、『デビュタント』と呼ばれる、若い良家の令嬢の為に開催される舞踏会。俗に言う『デビュタントボウル』だ。 今までのアンジェリークの生活ぶりと言えば、こんなことに全く係わり合いのない生活だった。だから全くぴんと来ない。 何度も招待状を見ても、どうも自分とは違う誰かに送られたとしか思えない。 だが封筒に書かれた住所も名前も、完璧にアンジェリークのそれだ。パーフェクト。 「同じアンジェリークだから、住所だけで私のところに来たのかも…」 そうしか考えられないぐらい、アンジェリークは社交会と縁遠い庶民の生活をしていた。 「この差出人に間違いですって手紙をきちんと書いて返送しないとね! 向こうも焦るだろうけれど、デビュタントボウルまで三ヵ月あるんだし、大丈夫でしょ!」 アンジェリークはのほほんと、再生した紙を取り出して、間違いである旨をしたため始めた。 不意に玄関先のインターフォンが鳴り響き、重い腰を上げて立ち上がる。アンジェリークの住む家は狭いので、直ぐに玄関先だった。 にも関わらず、何度もインターフォンが五月蝿いぐらいに押される。 「五月蝿いねなあ、これがピンポンダッシュだったら怒るよ」 嗜みとばかりに、アンジェリークはドアの確認窓から、そっと外を覗きこむ。すると立派なスーツを着た、かっちりとしたスタイルの青年が立っていた。雰囲気からしてきまじめなのは直ぐにでも解る。 ドア越しに確認を取る。 「どちら様ですか?」 「そちらに届いたかと思います『デビュタントボウル』の招待状についてお話が」 男は、小さな窓から見えるようにと、しっかりとした身分証明書を提示してくれている。アンジェリークは有名な企業な社員だということを確認して、ようやくチェーン越しで応対する。最近はせちがらい世の中なので、これぐらいはしっかりと防犯をしておかないと、やっていられないのだ。 「解りました。待っていて下さい」 アンジェリークはてっきり謝って配達されたものを取りに来たのだと思い、招待状を男に渡した。 「これを取りに来たんですよね? 間違いだからと、お返ししようと思っていたところなんですよ」 アンジェリークが招待状を差し出しても、青年は受け取らなかった。それどころか柔らかい笑みを浮かべている。 「それは間違いではありません、レディ。あなたはアルヴィースグループに特別招待されたのですよ…」 「わ、私が?」 アンジェリークは全く大企業とは面識はないし、突然そんなことを言われも困ってしまう。 「そのデビュタントボウルに是非あなたに出て頂きたく、こうしてお迎えに上がった所存なのですよ、レディ」 アンジェリークは驚いて、ただ口をあんぐりと開けるだけだ。 疑り半分、興味半分で、目の前に立つ青年を見つめた。 「どうか、お話を聞いては頂けないでしょうか…。私はフランシスと申します。アルヴィース総合病院のメンタルケア部門を任されていると共に、癒しグッズの開発をしています」 立派な名刺を受け取りながら、アンジェリークは頷いた。 詐欺にしては身なりはきちんとしている上に、身分証明書もしっかりとしているものだ。 アンジェリークはようやくチェーンを解除し、ドアを開けた。 「あなたに是非デビュタントになって頂きたいと、総帥が言っております。お話だけでも聞いて頂けますか? レディ」 青年はあくまでソフトな語り口で上品だ。そのうえ、外をちらりと見ると、アンジェリークでも名前を知っているような高級外車がでんと構えて停まっている。 「総帥が本社でお待ちになっています。お越しくださりますか?」 疑おうと思えば、疑えるが、笑えるぐらいにきちんとした身分提示がされているし、態度も滑らかだ。 これなら信じるしかないだろう。 それに、どうしてこの招待状が自分のもとに届いたのか、アンジェリークには興味があった。 「じゃあお話だけでも」 「良かった…! あなたに断られてしまったら、総帥がきっと哀しむでしょう。有り難う。助かります」 青年は心からの礼を述べてくれると、アンジェリークを外へと導いた。 「お車を用意しておりますから、どうぞ」 がっちりとした高級外車に気後れしながら、アンジェリークは乗り込むことにした。 座りごこちはふわふわしていて、妙にお尻がもぞもぞと動いて座りづらい。アンジェリークは何度もお尻を浮かせた。 「落ち着きませんか? もうすぐ総帥の待つ本社です」 ハイウェイを下りると、そこはコンクリートジャングル。オフィス街だ。 その中でも特に立派で高いビルの駐車場に車はゆっくりと入っていく。 余りに立派過ぎて、アンジェリークはあんぐりと口を開け、ほうけた顔をする。 正に、社交界と言った言葉が似合う世界と言っても良かった。 「ここの役員室に総帥がお見えです」 青年は何事もないように言ったが、重大なことのように思え、アンジェリークは慌ててしまった。 「どうして総帥なんて偉いひとが、私にデビュタントボウルに招待しようとするのですか?」 「…さあ、詳しくは私もよくは…。お会いになれば、総帥自ら説明して下さるかと思いますよ。自信をお持ちなさい」 「はあ」 アンジェリークが腑に落ちないまま、車から降ろされて、エレベーターに乗せられる。セキュリティが厳しいのは、青年のロック解除の仕方で理解できた。 「総帥、アンジェリーク・コレット様をお連れしました」 「入ってくれ」 フランシスに促されて、アンジェリークはゆっくりと部屋に足を踏み入れる。 全面の大きな窓が目に飛び込み、冬の柔らかな日差しが目に痛い。眇るようにして見ると、背の高い銀の髪をした青年が立っていた。 アンジェリークは吸い寄せられるように、青年を見つめる。 眼差しに応えるように、青年がゆっくりと振り返る。 「では、私はこれで」 「ああ」 フランシスが早々と引き揚げてしまい、アンジェリークは眉を頼りなさげに曲げた。 視線でドアを追うと、立派なスーツを着た青年が、アンジェリークの横にやってきた。 「俺はアリオス。ここの総帥やってる」 自然に何でもないことのように言うが、アンジェリークは気後れするばかりだ。 「招待状を受け取って貰えたか?」 「あ、あの…、間違いじゃないかと…。私ではないと思うです!」 アンジェリークはどもりながら言うと、アリオスは眉を皮肉げに上げた。 「アンジェリーク・コレットはおまえさんだろ?」 「そ、そうですけれど…」 「だったら間違いねえな」 アリオスはきっぱりと言い切ると、アンジェリークの至近距離まで近づいてくる。余りに近くなり過ぎて、息が解るほどだ。 アンジェリークは心臓がゴムまりのように跳ね上がり、飛び出してしまうのではないかと危惧をするほど、激しい音で命のビートを刻んでいた。 真っ赤になって顔から熱を放出する中で、アリオスはアンジェリークの顎を指で掴む。その拍子で、顔が上に上がる。 真っ直ぐと見つめさせられたアリオスの瞳は、瞬く星よりも、自然の贈り物である宝石よりも、澄んでいる。 「おまえ、アルヴィース財閥な総力を上げたデビュタントにならねえか?」 「あ、あの…」 いきなり言われても充分に心の準備が出来てはいない。だが、否定的な言葉も口に出来なくて、アンジェリークはどう答えていいかが解らない。 アリオスの眼差しに見つめられているだけで、イエスと言ってしまいそうだ。それぐらい目の前にいる男の眼差しは、威力があった。 「あの…」 何かを言おうとすれば、直ぐにアリオスの唇がアンジェリークから言葉の主導権を奪う。 「デビュタントとしてデビュタントボウルに参加してくれればいい。悪いようにはしねえ」 「あ、あの…、私…」 アンジェリークは言葉に詰まりながら、自分の意思とは関係なく言葉が溢れ出る。 「…私…、頑張ります…」 意識のない深いところで、唇が言葉を紡ぐ。 「サンキュな。それでこそアルヴィースが総力を上げて選び抜いたデビュタントだ」 何かを言いたいはずなのに、唇からは音にはならない空気が漏れるだけ。 その瞬間唇を奪われた。 世界が一気に変わり、風景が華やぐ。 アンジェリークの人生の華々しい扉が開かれた。 |
| コメント アリコレの社交界シンデレラものです。 年始のロマンスです。 |