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どうして自分がデビュタントに選ばれたのか。アンジェリークは疑問附を心に付けたまま、アリオスを見た。 「どうして私なんかをデビュタントに選んだのですか?」 こちらがじっと真剣に見つめると、眼差しはその想いに応えてくれる。だが言葉は本心を語ってはくれない。 「”私なんか”なんて、自分を卑下する言葉は、今後一切使うな。禁止する」 アリオスの冷たい一言が、アンジェリークの胸に染み込む。厳しく光った眼差しは、まるで師のように見えなくもない。 「アンジェリーク。おまえは栄えあるデビュタントボウルのデビュタントに選ばれた。今はそれだけを考えて、デビュタントになる為にあらゆる努力をしなければならねえ」 「…あらゆる努力って解らないです、どんなものか。ダイエットをするとか?」 アンジェリークは思い付くままに言ってみた。本当にどれぐらいのレベルで頑張ったらいいのかも、検討がつかなかった。 「アンジェリーク、おまえにはやることが山ほどある。ダンス、マナー、教養、立ち振る舞いに至るまで、楽しく勉強させてやるから、楽しみにしているんだな」 楽しく勉強。そう言われても、アンジェリークはぴんと来ない。むしろ貧困な想像力では、厳しいレッスンの様子ぐらいしか思い浮かばなかった。 「おまえならやれる。必ずな。だからデビュタントに選ばれたんだ」 「だけど、私以外にも相応しくて綺麗な女性はいっぱいいるでしょう?」 アンジェリークは心の奥にもやもやとしたものを抱きながら、アリオスに迫る。 「うちの会社の社員は、デビュタントになる為には、些か年を食い過ぎているからな。デビュタントは名前の通りに、社交界にデビューする訳だから、みずみずしいティーンエイジャーがいいんだよ」 「私が選ばれたのは、若さだけですか?」 「いや…。それはひとつの要素に過ぎねえ」 アリオスはそこまで言った後、わざとらしく視線を時計に落とす。タイミングが良いというのは、まさにこのことを言うのだろう。 「さて、細かい話はおしまいだ。早速だが、ダンスのレッスンを準備している。ダンスはダンスでも、社交ダンス的な優雅なダンスだ。 そのレッスンが終われば、とっておきのご褒美をやるから楽しみにな」 アリオスはニヤリと魅力的に笑うと、ブザーを押して秘書を呼んだ。 「アンジェリークをダンス教師がいる会議室に案内してくれ」 「畏まりました」 きりりとした女性の声が聞こえたかと思うと、美しいまだ年若い女性が姿を現した。 余りに優雅で落ち着いているので、アンジェリークはぽかんと口を開けてその姿を眺めた。 「私は総帥管理スタッフのロザリアです。それではアンジェリークさん、早速だけれど、ダンスのレッスンに参りましょうか」 「あ、はい!」 有無を言わせないようなロザリアの視線に、アンジェリークはついつい頷いてしまう。全く眼差しの威力は恐ろしいとすら思った。 ロザリアに連れられて、アンジェリークはレッスンに向かっている。 つい二時間前までは、ごろごろしながらポテトチップスを食べていたというのに、今や優雅なダンスレッスンに向かっている。 人間の運命は、ほんの数時間で劇的に変わってしまうものだと、つくづく感じた。 「こちらですわ。これからみっちりとお稽古して頂きますので、そのつもりで宜しくね」 キラリとロザリアの眼差しが不敵に輝く。説得力があり過ぎる鷲のような瞳に、アンジェリークは遵わずにはいられなかった。 ダンスレッスンが始まった。 楽しいダンスではなく、一種のスポーツ的な要素が含まれる為に、アンジェリークはがちがちになってしまった。 しかも生まれてこの方、優雅なダンスなどしたことがないのだ。喜びを現す為に、自分で勝手に作った”変な踊り”は別だが、型はまりの優雅なものは全く踊れない。 緊張しながら、アンジェリークはレッスンを受けることになった。 「一応ね、デビュタントボウルの前には、デビュタントの為に、社交界が主宰のレッスンが開かれるのだけれど…」 ロザリアは言葉を濁しながら、アンジェリークのダンスぷりをじっくりと見る。 「あなたじゃ…、デビュタントボウルのレッスンだけでは、優雅に華麗に…見せられないかと思うわ」 ロザリアの笑顔は言葉通りに引き攣っていた。 というのも、先ほどからアンジェリークのダンスの仕方といえば、まるで柔道のかたのように見えたのだ。 「…へ、へんな踊りなら、得意なんですけれど…」 アンジェリークは苦笑しながら、いつも友達の前でする優雅だとは程遠いダンスを披露した。 「…あなた、それは演芸場でやってちょうだい」 案の定、アンジェリークの変な踊りは、淑女であるロザリアには却下であったようだ。 くたくたになるまで、ダンスレッスンをしたのに、全く上手くならない。アンジェリークは自分のセンスのなさに、頭を抱えたくなってしまった。ロザリアはそれ以上のようだった。 「やっぱり、付け焼き刃なデビュタントは無理ですよ」 「総帥が決められたことですから、私はそれに遵うまでですわ。優雅になるには広いお心をお持ちになるのが大切だと思いますわ。頑張って下さいね」 「はあ…」 ロザリアの完璧スマイルの前では、もう何を言っても無駄のような気がしてくる。アンジェリークはただ笑ってごまかすことしか出来なかった。 ロザリアに連れられて総帥アリオスの待つ部屋に入ると、堂々とした風格で待ち構えていた。 「アンジェリーク、ダンスは格闘技みてえだったらしいな」 喉をくつくつっ鳴らしながら愉快そうに言うアリオスが、アンジェリークには恨めしくてしょうがない。 「優雅なダンスなんて…、嫌いです…」 「だろうな。俺だって嫌だからな」 アリオスは鼻を鳴らしながら言うと、珍動物を見るような眼差しでアンジェリークを捕らえて来た。眼差しの意味あいは凄く嫌な感じだけれども、瞳自体はとても魅力的だったので、アンジェリークは逆らうことが出来なかった。 「さて、ここからはご褒美だ。ロザリア、アンジェリークにしっかりと準備をしてやれ」 「はい、畏まりました」 何の準備なのかとアンジェリークが首を傾げていると、ロザリアに手を取られた。 アンジェリークは毛を逆立てた子猫のように戦き、飛びのいた。 「さあ、ご褒美への準備を致しますわ!」 「あ、あの…!」 アンジェリークはどうしていいかが解らずに、おろおろとするばかりだ。 「行って来い。姿形もセレブなデビュタントになって来い」 アリオスに何度も振り返ったが、ただ笑って見送るだけだった。 「さあ、綺麗にしましょうね! プロのメイクアップアーティストも準備しているから。お化粧品を使ってアレルギー反応があったことはある?」 「化粧品は、ヘチマ化粧水しか使ってないですから…」 「んまっ! それでそれだけ綺麗なお肌というのが、とても羨ましいわね」 ロザリアの絶賛にも、アンジェリークはから笑いを浮かべることしか出来ない。 どれぐらい綺麗になるのか未知数のせいか、不安と期待がカフェオレのように混じりあっている。 ロザリアに手を引かれて、アンジェリークはドレッサの前に座らされた。その姿は、まるで散髪屋に連れていかれた小さな子供のようだ。 「さてと! アルヴィースの名前に恥じないように、綺麗にしようか!」 極楽鳥のような派手な髪が印象的な青年が、からっとした夏の青空のように底抜けに明るい笑顔を向けてくる。 「…私でも綺麗になれますか?」 「ダメだよ。そんな卑屈な言葉は。この可愛い唇に、これ以上は言わせない」 綺麗にネイルアートされた指先で唇を押さえられて、ドキドキする。 アリオスと同じことを、この青年も言う。アンジェリークはそれが綺麗の素なのかと思った。 「ね、卑屈な言葉や気持ちはね、女の子をブスにしちゃうんだよ。自意識過剰ほどみっともないものはないけれど、スマートな謙遜と卑屈は違うの。覚えておいで。女の子はみーんな宝石なんだよ。磨けば光るのに勿体ない! だから私は君が綺麗な宝石になるお手伝いを少しだけさせてもらうからね」 「オリヴィエの指先は魔法だからね。楽しみにしていなさい」 ロザリアの一言にアンジェリークはしっかりと頷く。日頃、肌の手入れに無頓着なアンジェリークはオリヴィエがどれほどのメイクアップアーティストであるかは、知るよしなどなかった。 「じゃあまず、元々綺麗な肌を更に磨いていこうか。先ずは、ハーブスチームを当ててしっかりと毛穴を開けてから洗顔」 顔に気持ちの良いミストスチームが噴射され、アンジェリークは余りの気持ち良さに、目を深く閉じた。 暫く当たった後、今度は洗顔。 「基本的にはね、洗顔フォームも基礎化粧品は、人肌に温めて使うと効果があるよ。洗顔フォームも手の平でしっかりと温めてから、泡立てる。ほわほわになったところで顔を泡で覆って、柔らかい感じで洗ったら洗い流して」 オリヴィエに言われた通りにやると、本当に美しく突っ張らずに洗い上げるこてが出来た。 それからは、基礎からメイクアップまで、器用な手つきでやってくれ、髪を品よくアップまでしてくれた。 完成時に自分の姿を見て、アンジェリークは驚きの声を上げたほどだ。それぐらいに素晴らしい。 「後はドレスだね。私の仕事はここまで。ロザリア、バトンタッチだよ」 「はい。有り難うございました!」 アンジェリークは深々と礼をした後、ロザリアにドレッシングルームに連れていかれ、白い上品なワンピースに着替えさせられた。 もう着せ替え人形も同じ。 ここまで綺麗にして貰った後、ようやくアリオスの元に戻る。 訳が解らない間に、綺麗にされたと言っても過言ではなかった。 「アリオス総帥、アンジェリークさんです」 ロザリアがドアを派手に開けた瞬間、アンジェリークは息を飲む。 そこには洗練されたタキシード姿のアリオスがいた。 |
| コメント アリコレの社交界シンデレラものです。 年始のロマンスです。 |