Cinderella Bowl

3


 アリオスのタキシード姿は素晴らし過ぎて、アンジェリークは口を大きく開けて、呆けた顔で見つめていた。まるで美しい景色を見て、感動しているようだ。
 とにかく、それぐらいにアリオスは素晴らしかった。
「行くぞ」
 ぼんやりとしていると、アリオスが腕を強く掴んできた。驚いて、心臓が飛び出てしまいそうだ。
 そんなアンジェリークの顔を、アリオスはニヤリとしたり顔で笑う。
「大丈夫だ。おまえのメロンみてえな胸から、心臓が飛び出ねえよ」
「なっ、何、言っているんですかっ!」
 アンジェリークは顔から火が出るような気分になりながら、チラリと自分の胸を見る。確かに標準サイズからは逸脱した大きさだが、メロン呼ばわりされる筋合いはない。しかも、アリオスは愉しそうに笑っているではないか。
 キリリと睨んでも、白目まで滲んだ恥ずかしさは、中々拭い去れるものではなかった。
 アリオスは余裕の笑み。意地悪さと大人のスマートさの中間の笑みだ。
「行くぜ。アンジェリーク。”デビュタント”に大切なものは、何事にも動揺しねえエレガントな落ち着きと、気品だ」
 更に腕に力を込めて握られ、アンジェリークは息を弾ませる。目の前がばら色に染まっていくことを、中々認めるわけにはいかない。
「ディナーでじっくりとマナーを学んでもらわねえとな」
「マナーを学ぶって、駄洒落?」
「アホか」
 アリオスはアンジェリークにツッコミを入れる代わりに、脚をすっと撫でてきた。
 息が詰まる。
「行くぜ。あくまでエレガントにな」
 パートナーがエレガントとでジェントリーじゃないとなれない。
 そんなことを心の奥底で思いながら、アンジェリークはアリオスにしぶしぶ着いていった。
 乗せられた車は、リムジンではなくジャガーで、しかもアリオスが運転している。
 少しだけホッとした。
 運転手付の大それた車に乗れる気分じゃない。まあ、ジャガーも大それた車ではあるのだが。
 それでも緊張は癒えていなくて、アンジェリークはシルクドレスの下を僅かに震わせていた。
 先ほど、あんなにアリオスに軽口を叩けたのに、今は出来そうにない。
 緊張していると、アリオスの手が腿に軽く乗った。痺れるような甘い感覚が、稲妻になって一気に駆け抜ける。
 胸が上下しながら鼓動を打ち付けていることも、きっとアリオスにばれている。
 喉の奥まで乾燥で渇いていた。
「大根もメロンも良好に育っているみてえだな」
 なんて品のないことを言う男だろうか。これではハイソサエティな場所で立ち回れるのだろうか。
 睨むと、眦に愉快そうな光を滲ませて、アリオスは大いに愉しそうだった。
 そのお陰か、緊張は少しばかり緩和されていた。

 ジャガーは、アンジェリークすら知っている高級ホテルの専用駐車場に停まった。
 掛値なしの最高級ホテル。こんな所で食事をするなんて、身構えてしまう。
「大丈夫だ。深呼吸してリラックス。人前でのレッスンは控えてやるから。部屋でゆっくりとディナーマナーや、エレガントな振る舞いのレッスンだ。ここのスタッフはみんなすげえ訓練を受けているからな。最高級のエレガンスをここで身につけろ。ドレスコードがあるホテルだからな、今日はお互いにこの恰好だ」
「はい」
 こんなホテルで、果たしてきちんとしたマナーを学べるのだろうか。きっと緊張ばかりして終わってしまうのに違いない。
 アンジェリークが背中を丸めて溜め息をつくと、アリオスが背中をぽんと叩いてきた。
「胸を張って歩くのもエレガンスのひとつだ。ほら、しっかりな」
「あ、はい…っ」
 胸を張って歩くと、いやがおうでも大きな胸が強調される。それが恥ずかしくてアンジェリークは堪らない。
「ちゃんと胸を張れよ。せっかくのメロンも台なしだ」
「メロンじゃありませんっ!」
「撓わに実っているぜ」
「アリオスさんのスケベ!」
「スケベで結構。男は皆スケベなの」
 さらりと悪びれることなく、いけしゃあしゃあと言ってのけてしまうところは、流石と言ったところだろうか。
 アリオスはアンジェリークの腰を有無言わさずに抱くと、リードしながらホテルに入っていった。
 アリオスの登場だけで、スタッフがざわめいている。本当に場の雰囲気をがらりと変えてしまう力が、アリオスにはあった。
 出迎えてくれたのは、ホテルの支配人。派手にするなと言うアリオスの言葉にも関わらず、最高にスマートな案内をしてくれた。
 美しいがこぢんまりとした部屋に通されて、アンジェリークは些かホッとする。
 大きなレストランだと課だと、人の視線が堪らない。
 アリオスといるだけで様々な視線と格闘しなければならず、正直疲れてしまった。個室に入ってしまえば、視線は少なくなる。
 用意されたのは小さなテーブル席。
 そこにはフルコース用にセッティングがされている。アンジェリークのような庶民には中々お目にかかれる機会のないしろものに、目を見張った。
 こんなに沢山のものを使いこなすと言うのは、やはり無理だ。
 途方にくれているアンジェリークに、アリオスは笑った。
「簡単だ。法則によって列んでいる。それぞれ外側から使っていく。料理によっては使うものが一本だったり二本だったりするが、スープでナイフを使うやつがいねえように、常識の範囲内で使えばいい。気をつけるのはサラダや前菜ぐれえだな。フォークしか使わなくても、大概はナイフやフォークと一緒に列んでいる。後は食べやすい大きさにして、豪快に食わなければ合格」
 アリオスがさらりと簡単なことのように言うものだから、アンジェリークも不思議と肩から力が抜けた。
「おまえは…、未成年だから、酒をどうのという蘊蓄も必要としねえしな。まあ、後は、フォーク類は落としたら拾って貰うことと、その皿を食べ尽くしたと自分で判断したら、ナイフとフォークを揃えて皿の端に置く。それだけだ」
 アリオスが言えば、総てが簡単に思えてくる。アンジェリークは思わず微笑んだ。
「笑ったほうが似合っているぜ? 栗にはな? たわわのメロンには笑顔が…」
 アリオスがまたメロンとやゆするものだから、思わず握りこぶしを振り上げる。
「エレガントな淑女は、暴力的にならねえんだよ。”デビュタント”に選ばれる女はあくまで優雅に振る舞うんだよ」
 アンジェリークは悔しさを唇に込めて、ゆっくりと拳を戻した。
「一流の味に馴れておいたほうが良いからな。しっかりと味わって、舌に味を覚えこませろ」
「はい」
 魅力的な料理が目の前に運ばれてくる。アンジェリークは不作法にも、大きく喉を鳴らした。
「俺の真似をしろ」
 アリオスが食べ始めるのと同時に、アンジェリークも食べ始めた。
 本当は一口で食べてしまいそうな前菜だが、アリオスの真似をして二つに切って上品に食べる。
 これぐらいならいくらでもばかばか食べられるのに、こんなに上品に食べるのは、些か拷問だと思う。
「美味いか?」
「とても。だけど、もっと豪快に美味しいものは食べたいと言うのが、本音かもしれません」
 アンジェリークが思ったことをストレートに言うと、アリオスは喉を鳴らして笑った。
「そうだな。美味いもんは自分で食いたいように食うのが本来の食い方だと俺も思う。だが”デビュタントボウル”には…」
「しとやかさが必要。でしょ?」
 アンジェリークが茶目っ気たっぷりにウィンクをしながら言うと、アリオスは頷いた。
「マジでおまえはおもしれえな」
「褒め言葉として取っておきますね」
「ああ。勿論だ」
 アンジェリークはぺろりと前菜を食べ終わり、次の料理を待ち侘びる。まだまだウェルカム、どんと来いと言ったところだ。
 それに気付いてか、料理はどんどん運ばれてくる。
 なるべくアリオスの真似をして、丁寧に食べることを心がけた。
「いつもはどれぐらい食うんだ?」
「わんこそばを百杯食べて、大評判を取ったことがあります」
「すげえな」
 アリオスは全く感心するとばかりに、目を見開いていた。
 アンジェリークが自慢出来る特技は、大食いぐらいなので、ここはどんと胸を張った。
「無事に”デビュタント”になれたら、たらふく美味いものを、作法関係なく食わせてやるよ」
「有り難う!」
 ご褒美が待っているのならば、俄然やる気が出る。アンジェリークはにっこりと笑いながら、アリオスの真似を巧みに続けた。

 フルコースを食べ終わり、とにかく満足することが出来た。
 一息ついていると、アリオスがアンジェリークの手を取って立ち上がる。
「立てよ。踊ろうぜ」
「あ、あの…!」
 アンジェリークに否定する時間を与えずに、アリオスは小さな部屋の中央に誘う。
 するとタイミング良く、固くはないが、優雅に可愛い音楽が品よく流れてきた。
「格式なんか気にせずに、しっかり踊って楽しもうぜ」
「はい」
 アリオスに手を取られると、本当のデビュタントで、お姫様のような気分になる。
 アンジェリークは風のように舞い、まるで自分が躰の軽く優雅な妖精にでもなった気分になる。
 アリオス相手だと、上手く踊れてしまうのが不思議だ。
 アンジェリークはいつしか、映画の主人公の気分になっていた。
 音が止み、再び心地良い静けさが部屋に戻った時は、喪失感で泣きそうな気分になる。
「まあまあ、上手く踊れたんじゃねえの?」
「有り難う…ご…」
 アリオスの唇がアンジェリークの言葉を飲み込む。
 甘美な気分に、背中に本当の妖精の羽根が生えたような気がした。
 数秒触れた後、とっておきのご褒美は、アンジェリークから離れていく。
「ダンスが上手くいったからな。ご褒美だ」
 頭がじんと痺れて、アンジェリークはどうしていいのか、全く解らなかった。
コメント

アリコレの社交界シンデレラものです。
年始のロマンスです。





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