後編
恋をするともっと綺麗になれるの? アンジェリークは耳が五月蝿くなるぐらいに、鼓動を激しくさせてアリオスを見た。 綺麗な指先が、アンジェリークの手を掴む。 「返事は?」 「あ、う、あの…」 「返事は”はい・いいえ”しかねえだろ」 アリオスに鋭利な氷のような声で指摘され、アンジェリークは何も言えない。返す言葉に苦慮するというのは、全くこのことだ。 「さあ、どっちだ?」 優しく響く低いテノールで囁かれれば、答えは決まってくる。今のアンジェリークには「選択の余地」なんて、ありはしなかった。 「あ、あの、”はい”で…」 戸惑いつつ紡いだアンジェリークの言葉に、アリオスの口角が僅かに上がる。それがまた意地悪風なのに、魅力的だ。 「だったら、この後、デートをしようぜ?」 「お、お仕事は!?」 全くこのひとはどこまで衝動的なのかと、アンジェリークは想う。 「仕事はおまえで完了。レイチェルには、スタッフに伝言を伝えて、次の回はタダにしてやるさ」 アリオスはアンジェリークの腰を掴むと、強引に立ち上がらせた。 「あ、あのお…」 アンジェリークは色々言いたくて、アリオスを上目使いで見たが、何も言わせないとばかりに、アリオスが手を引っ張ってきた。 「行くぜ。これからおまえはもっと綺麗になる」 アリオスのように自信のある言い方をされると、アンジェリークは自分はまんざらでもないのではないかと、思ってしまう。 裏口からそっとアリオスが外へと連れていってくれる。 アンジェリークは何だか素敵な気分になり、アドベンチャーを感じた。 これぞロマンだ! アンジェリークはそれぐらいの勢いだった。 外に出ると、肌に刺激する風がかなり冷たい。ちくちくして、アンジェリークは肩を竦めた。 「先ずはちょっとばかり変身をして貰わねえとな」 「もう、変身しましたよ?」 「制服のままはな、ちょっとな」 アリオスが意味深な眼差しを向け全身を見てくるものだから、アンジェリークは少しばかり気後れをしてしまった。 「おかしいですか?」 「少しだけ、メイクをしているから、それに似合うものをしねえとな」 アリオスはそれだけを言うと、サロンから少し歩いた海辺に佇むブティックに連れていってくれた。 スタイリストにしても一流の腕を持つアリオスは、アンジェリークの雰囲気に合わせたコーディネートをしてくれる。 それは少女らしく愛らしいもの。決して、背伸びをしているふうには見えない、等身大のアンジェリークを現したものだった。 鏡を見るだけで、自分でも充分に魔法がかかっているのが解る。 シンデレラが魔法をかけられた時、こんな気持ちだったのだろうか。 ぴったりと服が自分に治まり、アンジェリークは驚いていた。 メイク、ヘアスタイル、服装。 トータルコーディネートされて、アンジェリークは自分がリアルに綺麗になったような、錯覚を覚えた。 店を出て、アリオスにまたしっかりと手を握られる。 冷たい風が吹きすさぶのに、何故か温かい。 港から吹きおろす風は、塩の濃厚な香りがした。 「ヘア、メイク、ファッション。後、綺麗に必要な要素は内面。優しさと豊かな表情。そして」 アリオスはアンジェリークをちらりと見つめる。 「知性」 「ちょっと! アリオスさんは、私がバ、バカと?」 確かにアリオスよりは深みのある知識はないかもしれないが、それなりに勉強もしている。 「バカ。俺が言っているのは、通り一遍の知識じゃなく、人間が生きていくために必要な知識や、誰とでも広く交遊関係をもつことが出来るような知識! おまえなら色々吸収出来そうだからな」 「が、頑張ります」 アンジェリークはがちがちに構えながら、アリオスに頷いた。 「よし。沢山色々な本を読んだりするのはいいことだからな。誰とも爽やかに会話が出来るのは、スマートで綺麗な女の条件。狭い世界でデッカイ顔をして固まっていたって、たかが底は知れている。それよりも、もっと広い視野を持てよ。それと笑顔!」 アリオスはアンジェリークのむにむにとした頬を思い切り抓ってくる。正直、痛かった。 「いひゃい!」 「そうやって、表情豊かになるのもいいことだぜ?」 アリオスがニンマリと笑ってきたので、アンジェリークは拗ねたように口を尖らせる。 「アリオスのバカ、バーカ」 「どの口と躰が言っているんだ?」 「うひゃひゃ!」 アリオスに躰ごと抱えられて、アンジェリークはくすぐったさの余りに、声を上げて笑った。それでもアリオスは、容赦なく攻撃してくる。 「いやあん!」 「さてと、知識を埋め込むばしょに行くぞ!」 アンジェリークはアリオスに抱えられたまま、どこかに連れていかれた。 「図書館!」 「本は手軽なおまえの先生だ。小説だろうが、絵本だろうが、何でも好きなものを読め。タイムリミットは1時間!」 「はあい!」 時間が限られていたので、とりあえずは簡単に読めるものとばかりに、アンジェリークは詩集を選んだ。自分でもこんなリリックな趣味だとは驚くほどだ。 だが、活字を読むと、気分が安らいで、沢山の綺麗な言葉が心に齎された。 アリオスとふたり並んで静かに本を読む。アンジェリークは最高の贅沢をしているようにすら、感じた。 じっくりと本を読むのに夢中になってしまい、アンジェリークはタイムリミットまでは、瞬く間に時間が流れたような気がした。 「時間だ」 「もう!」 名残惜し気な顔をすると、アリオスはフッと優しい笑顔を浮かべてくれた。 「また来て、じっくりと本を読めばいい。本は何時でもおまえを待っていてくれるから」 「はい!」 アリオスといると、静かな時間であっても素敵な瞬間に思えるのは何故だろうか。 「じゃあ、次は楽しいところに行くか? 映画とか。昔の」 「昔の映画! 大好き!」 アリオスは僅かに眉根を下げて、笑ってくれた。 「極上のを見られるかもな。夕暮れの野外の映画館だ。公園で週末になるとやるんだよ」 「はいっ!」 夕暮れの野外映画館に行くのはとてもワクワクする。アンジェリークは、夕焼けを見ながら、アリオスに捕まってスキップしていた。 野外映画館のある公園に着くとに着くと、移動型の回転木馬も来ていた。 アンジェリークは様々な乗り物に興味を示して、きょろきょろする。 「今日は、クラシカルな映画が広場でやる。ロマンティックな映画かもな」 アリオスとふたりでポスターを見て、頬をゆるませる。 「あ! 今日は”昼下がりの情事”だ! 見ます! 私、オードリー大好きなの!」 「じゃあ、そこで映画を見ながら、温かいもんでも食うか?」 「嬉しいです! でも、それって、綺麗になるのに、関係あるの?」 「大有り」 アリオスは何かを隠しているように含み笑いをすると、アンジェリークを引っ張り広場の売店に向かう。 「美味いおでんでも食って、はふはふ味わおうぜ」 「うん! おでん大好き!」 売店で、ふたりの好きなおでんの具を選び、温かなヤキソバも注文する。お供は、アリオスは熱いお酒、アンジェリークは緑茶の 温かいの。 ふたりして、スクリーンが置かれている広場で、一番見やすい位置を確保する。 「やっぱり寒いせいか、かなり空いてる」 「だな。お陰で良い位置確保だ」 「おでん食べよう! ヤキソバ食べよう!」 「おまえはロマンティック映画より、食い気かよ」 箸を割りながらアンジェリークがニコニコすると、アリオスは苦笑する。 「良い映画に良いごはん! これ最高!」 アンジェリークはご機嫌に詩を読むように言うと、早速箸をつっこんだ。 「卵頂きっ!」 「俺は大根!」 箸をゆらゆら揺らして、ふたりでおでんを突き合う。 そして野外スクリーンには、ロマンティックな映画。 これほど素敵な瞬間はないと、アンジェリークは思った。 「ヤキソバも早く食わないと伸びてしまうからな」 「うん! 食べる! 食べる!」 アンジェリークはアリオスが持つ皿から、しっかりとヤキソバを奪い取り、腹に納めた。 「美味しい! どんなレストランよりも!」 「そいつは大袈裟じゃねえか?」 「絶対にそうよ!」 苦笑いをするアリオスに対して、アンジェリークはしっかりと主張する。 「だったらいいかもな。おまえは凄く良い顔をしているし」 「綺麗になった?」 アンジェリークはどうしても知りたくて、アリオスにせがむようにしてきく。 「まあまあだな。良い表情はしているぜ? 確かにな」 「有難う」 アリオスに無理矢理言わせてしまったのではないかと、一瞬でも思ってしまったが、良い言葉をかけて貰えるというのは実に嬉しい。 アンジェリークは嬉しくて、アリオスに笑いかけた。 「おら、折角の映画がこれじゃあ見られねえぜ。前向け」 「はあい」 食事を楽しみながら、アンジェリークはスクリーンに集中する。すると、アリオスが柔らかな笑みを浮かべてくれたのが解った。 たらふく夕飯を頂いて、スクリーンに集中していると、突如、冷たい雫が頬を伝う。 「やべえ! 雨じゃねえか!」 アリオスはアンジェリークの手を取ってくれると、コートの中に入れて雨を凌がせてくれた。 「折角アリオスさんに綺麗にしてもらったのに、これじゃあ台なしね」 アンジェリークは恨めしげに暗い空を眺め、唇を噛んだ。 「いや、今のおまえは充分に綺麗だ」 アリオスが突如ストレートな物言いをするものだから、アンジェリークは目を見開く。 「アリオスさん?」 「さんはいい。アリオスと呼べ」 アリオスは些か乱暴に言うと、アンジェリークの頬を両手で包み込む。 「…アリオス…」 雨のせいなのか、感動するぐらいに甘い台詞のせいなのか。アンジェリークの瞳が水でくもった。 「俺に恋をさせたおまえは、立派に綺麗だ」 雨に濡れていても今は関係がない。 アリオスの唇が重なり、アンジェリークに魔法を刻み付けた。 「本当に綺麗な女は、化粧をしていない顔を見るだけでも、綺麗だ」 アリオスはアンジェリークの頬をそっと撫でる。 「おまえはすげえやつだ。この俺が一目惚れしちまうんだからな。言わば、綺麗にするって言うのは口実だ」 涙で曇った視界が、アンジェリークは開けていくような気がする。 「私もひとめぼれです」 アンジェリークは正直に言い、泣き笑いの顔をアリオスに向ける。 「女の子は、化粧やヘアを変えるよりも、恋をすることで、もっと素敵になれるんだ。おまえなら最高に綺麗な女になれると思うぜ。 だから、更に頑張って綺麗になれ」 「はい!」 アンジェリークはしっかりと頷くと、アリオスは僅かに笑ってくれた。 ふたりで自然と抱き合う。 アリオスとしっかりと抱擁を確かめあった。 「----俺もおまえに釣り合うようになるように、がんばらねえとな…」 アリオスは少し自嘲な笑みを浮かべると、アンジェリークの頬に手を当てる。 「一緒に頑張っていこうよ」 「ああ」 「ルージュ、落ちちまったな」 アリオスが親指で撫でるだけで、胸の奥が締め付けられる。 アンジェリークは心地よすぎて、思わず目を閉じた。 「また塗ってくれる?」 「ああ。おまえrならお安いご用だ」 アリオスはもう一度アンジェリークに唇を重ねる。 「愛してるぜ?」 「わたしも。大好き…」 たった一日で、劇的に変わってしまった。 綺麗に馴れた上に、素敵な恋人まで手に入れられた。 それはコスメの魔法? いいえ、きっと、恋する女の子だけが持つ素敵な魔法。 アンジェリークは、この魔法に負けないように、もっともっと心も姿も磨いて、素敵になろうと心から誓った---- |
| コメント 前後編の物語はおしまいです。 |