HOW TO STEAL A KISS

6


 リアルなキスはロマンティック。そこに心があれば尚更。
 アリオスから唇をのろのろと離しながら、アンジェリークはぼんやりと考えた。
「…これがリアルなキス?」
「おまえはそう感じた?」
「…うん」
 アンジェリークは遠慮がちに呟く。するとアリオスは僅かに微笑んでくれた。
「おまえがそう思うならそうだろうが、俺としては、もっと深いのが欲しいけれどな」
 アリオスはアンジェリークの細い腰を腕で抱き寄せ、より近づけさせる。
「…もっと深いものって?」
「練習すればいい。こうやって…」
 今度はアリオスが唇を近づけてくる。アンジェリークはうっとりとした気分になりながら、瞳を深く閉じた。
 アリオスのキスは例えるならば、極上のブランディ。しかも究極まで酔いしれることが出来るもの。
 アンジェリークは期待を持ってアリオスのキスを待ち受けた。
 しっとりとアリオスのやや固めの唇が、アンジェリークを包みこんでくる。
 アリオスのキスは、すればするほどにロマンティックな香りがする。
 アンジェリークはしがみついて、一生懸命それに応えた。
 酸素を奪われる。限界まで深いキスをして、アンジェリークは頭の端がくらくらするのを感じる。
 唇を離された後、アンジェリークは深い溜め息をついた。
「これが本当のキス?」
「だから言っただろうが。あのキスは、本物じゃあねえって」
「…うん」
 アンジェリークは真っ赤になりながら俯き、反省をする。
 でも譲れないところもある。
「…だけど、あれが私のファーストキスだったのよ…」
 拗ねるように言うと、アリオスは頬に手を当ててくる。とても温かくて、アンジェリークは深く深呼吸をした。
「最初に唇を重ねたから、それがファーストキスだとは、限らねえだろう?」
「え?」
 アンジェリークは驚いてアリオスを見上げる。
 アリオスの瞳は、山奥の湖のように深い色を湛えている。
「アリオス…」
「おまえにとって、本当に心を通わせてキスをした相手が、ファーストキスの相手だ。それは変わらない。だから俺がした人口呼吸や、練習は  おまえにとっては、リアルな意味でファーストキスではねえかもしれねえからな」
「それって、本気でそう思っているの?」
 アンジェリークは泣きそうになりながら、アリオスを見上げた。
「ああ」
 アリオスはきっぱりと深いテノールのラインで呟く。アンジェリークは胸が押し潰されるような気分になった。呼吸が上手く出来ない。
 呼吸が上手く出来ないせいで、アンジェリークの瞳からは涙が零れ落ちた。
「おい…! どうして泣くんだ」
 アリオスは悪態をつきながら、軽く舌打ちをする。苛立っているのが、アンジェリークには解った。
「アリオス…には、何でもないキスでも、私にはかなり何でもあるキスだったりするのよ…」
 アンジェリークは鼻をすすりながら、絶望的な気分で呟く。喉をひくひくと鳴らすしかなかった。
「俺にとっては何でもねえと、本気で思っているのかよ?」
 アリオスは更に不機嫌な声で呟き、アンジェリークは躰を小さくさせた。
「…だって、アリオスは私なんかに比べたら、経験豊富だし、何をやらせてもそつなくするし…」
 アンジェリークは鼻をぺしゃんこにしながら、卑下して呟いた。
「おい、アンジェリーク、んなことばっかり言っていると、お尻をぺんぺんするぜ!」
 アリオスがキツイ調子で言ったせいで、アンジェリークは更に萎縮してしまった。
「アリオス…」
「こら、んな目をするな。マジで怒るぜ?」
 アリオスは鋭利な眼差しをアンジェリークに向けるなり、腰をきつく抱き寄せてきた。
「きゃあんっ!」
 アリオスは宣言通りに、アンジェリークの小さなお尻を何度も叩いてくる。
痛いのか、それとも気持ちが良いのかがよく解らない。
 アリオスはお尻を叩く度に、アンジェリークのそこを持ち上げるかのように撫でつけていたから。
「アリオス痛い!」
「おまえが変なことを言うから悪い」
 アリオスは容赦しないとばかりに、アンジェリークをしっかりとお仕置きしてくる。
「…へ、変なことなんて、いっ、言っていないよ…? だってホントのことを…」
「ホントじゃあねえから、怒っているんだろ?」
 アリオスはあくまでお仕置きを止めることはしないようだ。
「アンジェ、おまえのその性根を叩きのめしてやりてえよ。どこをどう履き違えて、んな思考になるかをな!」
 アリオスが余りに腹を立てるので、アンジェリークも次第に腹が立ってきた。全く、どうしてこねくりまわしてやろうかと、本気で思った。
「どこをどうしなくったって、事実を言ったまでよ! ア、アリオスは恋愛ゲームには慣れっこかもしれないけれど、わ、私はそういう訳には、い、行かないんだから…。まだ、馴れてないし…」
 アンジェリークは余りに恐ろし過ぎて、アリオスの瞳をまともに見ることが出来ない。息が詰まりそうになるから。
「アンジェリーク! おまえはどうしてんな考えになるんだよ! 俺がんなに、恋愛ゲームを楽しんでいるかのように見えるのかよ!?」
「たああっぷり、楽しんでいそうです!」
「そいつはどうも!」
 ふたりはお互いに息を乱しながら、言いたいことを言い合う。
 重い沈黙の後、アリオスがアンジェリークの肩をがっしりと握った。
「な、何よ…」
「ちゃんと俺の目を見ろよ」
「…見たくない」
「見ろ!」
 何度か押し問答をした後、ふたりはまた喧嘩を始めた。
「俺は色魔なんかじゃねえからな! ほいほい誰とでもキスなんかしねえ!」
「したじゃない!」
「誰と?」
「私と!」
 アンジェリークは大声どいきり立ちながら勢い良く言う。
「俺は誰でもほいほいキスなんかはしねえ! おまえが好きだからしたんだ!」
 アンジェリークは一瞬、時間が止まったような気がした、
 アリオスが何を言ったのか。
 思い出そうとするだけで、ドキドキする。
 アンジェリークはアリオスをほうけた顔で見つめることしか出来ない。
「アリオス? 今、なんて…」
 今度は逆の意味で上手く呼吸が出来ずに、アンジェリークはこう言うのが精一杯だった。
 神経質に瞬きを繰り返してしまう。
「聞いてなかったのかよ?」
 アリオスは億劫そうに言う。
「…聞いていたけれど…、何だかハッキリしないの…。ホントにそんな夢のようなことを言われたのかなあって…」
 アンジェリークはアリオスの眼差しを覗きこむと、答えを知りたくなった。
「男に二言はねえよ」
「お願いします。もう一度…」
 アンジェリークは素直に頭を潔く下げた。
「解った。こっちへ来いよ」
「うん」
 アリオスが手招きしたので、アンジェリークはそこに行く。
「ほら、こっちだ」
 アリオスの唇が、アンジェリークの耳に触れる。耳が熱を帯びた。
「…俺はおまえのことが…」
 そこまで言って、アリオスの声が更に低くなった。アンジェリークは背中が心地良く震えるのを感じる。
「…おまえのことが…」
 鼓動が激しくなり、深く深呼吸をした。
 アリオスはどこまで焦らすのだろうか。心臓が今にも飛び出てしまいそうになるのに、肝心の一言を言ってはくれない。
「アリオス…」
 ねだるようにアンジェリークはアリオスに言う。
 するとアリオスはフッと笑った。
「…アンジェリーク、おまえを愛している」
 アリオスの言葉が胸にじんと染み込んでくる。
「おまえは?」
 アンジェリークは頬を染めると、アリオスに手招きをする。
「耳貸して?」
「ああ」
 アンジェリークはアリオスの耳元に自分の唇を触れさせる。
「…わたしも、あなたのことが…」
 ここで深呼吸をする。焦らされたから、あえて焦らし返してみた。
「焦らすなよ」
 アリオスが甘い苦笑いを浮かべるものだから、アンジェリークも小悪魔のような笑みを唇に浮かべる。
「…アリオス、私も世界で一番あなたが大好き。愛して…ます」
 恋の言葉を言いきってしまうと、アンジェリークは真っ赤になって俯いた。
 やっと言えた…。
 そんな充実感がアンジェリークを包み込む。
「告白後の最高のキスをしてやるよ。俺もおまえもこれがファーストキスだ」
「うん」
 アリオスと顔を突き合わせる。
 やがて極上のキスが、アンジェリークの唇に舞い降りた。
 闇には輝くばかりの光の宝石。
 そして、空には珍しく白いものが、祝福の花びらのように舞落ちてくる。
 アンジェリークはアリオスとしっかりと抱き合いながら、本当の意味のファーストキスを知った。
コメント

性懲りもなく、ロマンティックコメディをまた。
愉しんで読んで頂けると嬉しいです。
キスをテーマにしたお話し。




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