HOW TO STEAL A KISS

5


 アリオスとするキスは、悪くない…。
 それはタテマエで、実のとこれ大好きだったりする。
 アリオスが言うリアルなキスというのは、いったいどのようなものなのだろう。
 世界が一変するような甘いキスは、何時することが出来るのか。
 アンジェリークはアリオスの唇を見つめながら、ぼんやりと考えていた。
「何だよ、俺にキスして欲しいのか? こんな居酒屋で」
 アリオスにニヤリと恥ずかしい笑みを浮かべられ、アンジェリークは眉を曲げる。
「そんなわけないです」
 図星に似た指摘だったので、アンジェリークはごにょごにょと言葉を濁した。
 キスはしてもらいたいけれど、ときめくロマンティックなものが良いだなんて、中々言えない。
「…おまえの顔に、ムチャムチャ俺とキスがしてえって書いてあるぜ」
「私の顔にはホッケが食べたいって書いてあるんです! おろしぽんずホッケ!」
「お待ち!」
 タイミング良く、ホッケが目の前に置かれてしまい、アンジェリークは目を点にする。
「グッドタイミングです」
 アンジェリークが照れ隠しをするように笑うと、アリオスが意味深な笑みが浮かんだ眼差しを浮かべてくる。
「ホッケとキスしたかったんだろ? しろよ」
「意地悪!」
「さては、俺とキスをしたかったんだろ?」
 アリオスが誰にも聞こえないような小さな声で囁くものだから、アンジェリークは真っ赤になる。
「かいかぶり過ぎ! だって、愛しいホッケちゃんを、私は食べたいだけだもの…」
「おまえを食べたいって言ったら?」
 低い艶が詰まった声をアリオスが囁くものだから、アンジェリークは胸の奥が切なく痛むのを感じる。ズキュンと胸にキューピッドの矢が刺さった感じだ。
「あ、私はホッケを…」
 全くどうしていいかが、アンジェリークには解らなくて、ホッケの身を何度もいたずらに解してしまう。
「…ホッケ、ぐちゃぐちゃになるぜ」
「あ、うん! いっぱい、いっぱい食べよう!」
 アンジェリークがわたわたとホッケを口に運んでは、酷くハイテンションで「美味しい!」と連呼すると、アリオスがくつくつと喉を鳴らして笑う。
「んなに美味いかよ。ホッケ」
「もっと美味しい魚を食べたいな!」
「子鰺の塩麹つけはどうだ?」
 アリオスは笑いを抑えながら、メニューを見て提案してくれる。
「じゃあそれを!」
「京都の漬け物つきのお茶漬けもな」
「それは後でね! 締めよ」
「はいはい」
 アリオスは直ぐに美味しそうな魚を注文してくれ、アンジェリークはそれを楽しみに待つ。
「おまえがキスしたいのは、今は魚か?」
「そうよ」
 アンジェリークは涼しげに言うと、魚をもりもりと食べる。
「だったら、俺からのキスはいらねえよな」
 アンジェリークは、それは困ると、かなりの勢いで顔を上げた。
「あ、あの、アリオス」
「おまえ、すげえ形相で顔を上げたな? 俺のキスは大好きだってことだろ? 素直に認めちまえよ」
 アリオスは笑うのを堪えるかのような顔をしている。
 本当にこの男が憎らしくてしょうがない。
 どうして、ひとが恥ずかしいことを、いけしゃあしゃあと悪びれずに言ってのけるのか。
 アリオスの野放図さに、アンジェリークは拗ねた。
「…アリオスのキスとお魚は、別の次元よ。お魚は美味しい。アリオスのキスはその…」
 アンジェリークは素直に言いたくない乙女心も働いてしまい、更にもじもじとする。
「俺のは濃厚ロマンティック! 特濃牛乳よりも深みのあるキスだろ?」
 アリオスが自信たっぷりに言うものだから、アンジェリークは益々恥ずかしくなってしまった。
「牛乳のこくはこくで…」
 大人の男性相手に、アンジェリークはなんとか頑張ってみるが、中々上手く渡り合えない。
 何せ相手は、百戦練磨の香りがする男なのだから。
「素直じゃねえよな、アンジェは」
「これでも素直なほうなんです!」
 対抗出来る技なんて持ち合わせてはいない。
 ティーンエイジャーの恋は、いつだって一生懸命なのだから。
「そんなに認めたくなかったら、ひとつ提案だ」
「提案?」
 含み笑いが消えない永遠のイタズラ好きのイメージがあるアリオスの提案。アンジェリークは身構えてしまい、声を裏がえさせてしまった。
「俺からはおまえにキスはしない。今度はおまえから俺にキスをすんだよ。おまえが、一番気に入っているキスを、俺に教えてくれ」
 このびっくり仰天なアリオスの提案に、アンジェリークは茫然と口を大きく開けた。
「あ、あのですね…」
 あたふたしてアリオスを見るが、僅かに眉を上げるだけ。止める気は更々無さそうだ。
「おまえがどんなキスで欲情をするかを、俺としても知りたいところだからな。やれよ」
 アリオスがそっと顔を近づけてきたので、アンジェリークは羞恥の余りに俯いた。
 脈が速いのも、鼓動が凄いことになっているのも、総て耳に届いてしまっている。
 アンジェリークは深呼吸をする度に、ときめきで酸欠になってしまうのではないかと、真剣に思った。
「おまうからキスをしてくれねえ限り、俺からは絶対にしねえぜ」
 口角を上げて笑うアリオスは、本当に悪魔に見えた。
 なんて凄い提案をしてくるのだろうか。
 アンジェリークはまた酸素を肺に送った。
「…ここじゃ、ひとがたくさんいるから、無理よ…」
「上手く逃げたな?」
 アンジェリークはあっぷあっぷしながらなんとか言ったのに、アリオスの余裕はかなり大きい。
「じゃあ、飯をきっちり食ったら、おまえが好きそうな、ロマンティック溢れた場所に連れていってやるよ」
「…うん」
 何時もなら、素敵な場所でもときめくはずなのに、今日は何だか激しい緊張に襲われる。何だか目眩がしそうだった。
 アリオスとキスが出来ない。
 アリオスのキス中毒なアンジェリークには、由々しき死活問題だ。
 アンジェリークは唸り声を上げながら、勇気を必死にかき集めた。
「ホントにキスしないといけない?」
「おまえからしろ。じゃねえと認めねえ」
 アリオスはきっぱりハッキリ言う。
「ホントにしないとダメ?」
「しつこいぞ、おまえ」
 アンジェリークはわざと甘えるように言ったが、アリオスはうんざりとした顔をする。
「男に二言はねえよ。おまえから俺にキスをする。受けるばっかじゃなくて、自らすることで、キスをする側のことが解るだろ」
「…うん」
 アリオスの言葉は一理あるような、ないような。
 アンジェリークは言葉を詰まらせる。
「…アリオス基準で私のキスを見ないでね。だって、凄く馴れてて、色んなひととキスをしてるから…」
 煮え切らないようにぼにょぼにょとアンジェリークが言うと、アリオスは鋭い眼差しを向けて来た。
「俺は色魔なんかじゃねえぞ」
「解っているけれどね…」
 アンジェリークはまた溜め息をはく。
「やってみたら案外素敵で、おまえははまってしまうかもしれねえぜ?」
 アリオスはそんなことを言ったが、アンジェリークはとうていそんな気持ちにはなれなかった。多分、恥ずかし過ぎて、アリオスのようにはなれない。キスを楽しむなんて、到底出来ないであろう。
「ほら、食っちまえよ。おまえの大好きなホッケ」
「アリオスは、キスするなんてたいしたことじゃないって、思っているでしょうけれど、私にはそういうわけには」
「注文に、キスの塩焼きが追加か?」
 アンジェリークが顔を上げると、馴染みのヴィクトールが立っていた。
「ああ、鱚の塩焼きを頼む」
「あいよ」
 ヴィクトールが注文を取って行くと、アンジェリークはほっと胸を撫で下ろした。
「有難う…」
「キスぐれえで恥ずかしくなるなよ」
「私には大問題だもの」
 アンジェリークがこんなに切なく思っているというのに、アリオスが笑っているから余計に腹が立った。

 追加注文の鱚まで食べて、ふたりは店を出る。
 アリオスが連れていってくれるロマンティックな場所とはどんなところなのだろうか。
 アンジェリークは興味を注いでいた。
「どれぐらいロマンティック?」
「おまえがしょんべんちびるぐれえ」
「もう! お下劣ね!」
 アンジェリークはアリオスに向かって頬を膨らませたが、彼はただ笑うだけ。それが少し悔しい。
「マジでロマンティックだからな。覚悟しろよ?」
「どうだか」
 はすっぱな口をきくと、アリオスがふざけたように抱きしめてくる。
 それがくすぐったくて、甘い味がした。
「度肝抜かれるなよ?」
 アリオスに手を引かれて、アンジェリークはぽてぽてとついていく。
 着いたのは高層ビル。そこのエレベーターに乗せられる。
「どこに行くの?」
「ナイショ」
 グゥイーンと重たい音を静かに響かせて、エレベーターは上がっていく。
 突如、アリオスに目隠しをされた。
「ちょっと!」
「いいからこのままでいろ…」
「アリオス…」
 アンジェリークは目隠しをされたまま、ただじっとしている。中々動くことが出来ない。気圧のせいで、耳が痛くなる。
 緩やかにエレベーターが止まり、チンという軽々しい到着を示す音が、鳴り響いた。
「ほら、前に進め」
「はい」
アリオスに言われ、静かに慎重にエレベーターを出たところで、目隠しが外された。
「わあっ!」
 目の前に広がるのは、360度の大パノラマ。
 宝石を敷き詰めたような夜景が、本当に美しい。アンジェリークは大きな瞳で、星降るような夜景を見つめた。
「凄い! 凄いロマンティック!!」
 アンジェリークは興奮を抑え切ることができずに、激しくジャンピングをする。
「度肝抜かれただろ?」
「うん!」
 本当にこんな高いビルの展望台なんて、素敵過ぎる。
 しかも、周りには誰もいないときている。
「これなら、俺にキスが出来るだろ?」
 アリオスは意味深に笑い、アンジェリークは唇を尖らせるいつもの仕種をする。
「…目、閉じていてよ」
「こうか?」
 アリオスは小意気に瞼を閉じてくれた。
 それを確認すると、アンジェリークはもうひとつ注文をつける。
「屈んで」
「ああ」
 アリオスが長い足を屈めてくれた。
 これで準備万端だ。
 アンジェリークは、先ほどよりもかなり酷い胸の鼓動を確かめながら、背伸びをする。
 緊張して、喉がからからだった。
 アリオスに唇を近づけて、重ねる。
 電流が全身に走り、ばら色に瞼の奥が染まった。
 アンジェリークは、キスによって世界が一変するのを、たった今体験した。
コメント

性懲りもなく、ロマンティックコメディをまた。
愉しんで読んで頂けると嬉しいです。
キスをテーマにしたお話し。




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