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夕食後、アリオスの熱を計ってみると、アンジェリークが来た時に比べて、かなり下がっていた。 「良かった! 平熱ですよ!」 アリオスもホッとしたかのように頷く。まだ少し顔色が悪いものの、かなり改善されているのは確かだ。 「明日はとても大切な用があったからな。助かった。今晩ぐっすり眠れば、きっと大丈夫だ」 アンジェリークは笑顔で頷きそれを請け合う。 「やはり沢山栄養を取って眠るのが一番です。アリオスさん、私の為に頑張って下さっていたとお聞きしましたから…」 アンジェリークは瞳に涙を貯めて、俯きながら切なそうに呟く。するとアンジェリークの髪をアリオスがそっと撫でて来た。 「おまえのせいじゃねえよ。俺は何時だって忙しいんだからな。気にするな。おまえのお陰で、すっかり良くなったしな。アンジェリーク、良い看護士になれるぜ?」 頬に触れて来たアリオスの指先は、本当に優しくて温かい。 「有り難う…、アリオスさん」 「礼を言うのはこっちだろうが、ったく…」 アリオスは苦笑しながら、アンジェリークを見つめてくる。その異色の眼差しはとても神秘的だが温もりがある。 「…ビタミンたっぷりのデザート作ってますから、今夜はそれを食べて寝てくださいね。汗を流すシャワーぐらいなら構わないと思いますから、気持ち悪かったら、シャワーを浴びて着替えてくださいね」 「サンキュ。至れり尽くせりだな」 少女のかいがいしい世話が、アリオスの中のウィルスを撃退してしまったようであった。 結局、アリオスと話をしたり、かいがいしく世話をしているうちにかなりの時間になってしまい、アンジェリークは深夜近くに帰宅することとなった。 「じゃあ、アリオスさん、私帰ります」 「もうかなり遅い。今日は俺が送っていってやれねえから、泊まっていけ。帰るのは明日、朝食を済ませてからにしたらいい」 時計を見ると、確かにアリオスの言うことは一理ある。明日の朝の彼の状態も見たいということもあり、アンジェリークは甘えることにした。 「じゃあ、客間を使わせて貰いますね」 「ああ、そのほうが良いだろう」 アンジェリークは頷くと、一旦アリオスの寝室を辞して、寝床の準備をする。こうしているのが幸せでしょうがなかった。 準備が終わると、アリオスのところに寄り、寝かせる。 「明日は大事な用事があるんでしょう? お早くお休みになって下さいね」 「ああ。じゃあ寝る。おやすみ」 「はい、おやすみなさい」 アリオスの部屋の周りの電気を静かに消し、アンジェリークはシャワーを浴びにバスルームへと向かった。 久し振りに使うアリオスの家のバスルームは、緊張と懐かしさが交差する。 アリオスが側にいる。それだけで白い肌は粟だつ。 明日はあしながおじさんに会える日…。 ちゃんと綺麗にしてお会いしたいけれど、何だか凄く緊張してしまう…。 アリオスさんが側にいるから…。 私が一番大好きな男性が側にいるから…。 一緒にいた頃は、これが日常であったはずなのに、どうしていまはこんなに胸が騒ぎ立てるの? きっと、あの時よりも、もっとアリオスさんへの”好き”が大きくなっているから…。 アンジェリークはアリオスへの想いの甘酸っぱさに、白い肌を茜色に染め上げていた。 風呂から上がり、そっとアリオスの様子を見に行く。すっかり眠っているようだ。 それに安心して、細々とアリオスの風邪が治るために、音を立てずに世話をする。 額の冷却シートをそっと丁寧に張り替えてやり、空調を快適な温度に調節し、かつ部屋が乾燥しないようにと、濡らしたタオルを何 枚かハンガーにかけて湿度を保ってやる。しかも湿度機も忘れてはいない。 「これでいいかな…」 アンジェリークは満足そうに何度か点検をした後、ほくそ笑む。これで完璧だと思いながら。 アリオスの様子を部屋を出る前に確かめた。寝息も規則正しくなっている。これで明日の”大事な用”もこなすことが出来るであろう。 ホッとして微笑むと、アンジェリークはアリオスの頬にそっと甘いキスを送った。 「おやすみなさい、アリオス…」 アンジェリークは笑みを浮かべると、一旦客間に引き上げた。 やはり寝床に入ったところでは、うまく眠ることは出来ない。 アンジェリークは携帯電話を取り出し、あしながおじさんからのメールを読み返していく。 きっと死ぬまで、メールのやり取りが入ったこの携帯電話を廃棄することはないだろう。 沢山過ぎる温かな想い出が詰まっている。 アンジェリークは感慨深い気分で、丹念に読み返した。そして最後のメールに差し掛かったとき、謎解きのことを思い出す。 「このメール、何の変哲もないような気がするのよね…。かと言って、何でも仕掛けがないようにも見えないし…。暗号なんかが組まれていたら、私にはお手上げだわ…」 斜めで見たり、メモで書き出したりしても全く解らない。 煮詰まったところで、少しアリオスの様子を見に行く。 「ちゃんと苦しくないかな…」 そっとドアの隙間からアリオスの様子を覗き込む。安らかそうにしていたので、アンジェリークは安心した。 アリオスさん…。どんな夢を見ていらっしゃいますか? 部屋に戻り、アンジェリークは再び寝床に入る。明日のことを考えると少し興奮気味で寝付くことが中々出来ないが、備えるならば寝ておなければならない。アンジェリークは何とか”眠る”ことを自分に言い聞かせて、無理矢理目をつむる。 メールの秘密も解明したかったが、頭がごちゃごちゃしてしまうし、流石に徹夜は肌のためにどうしても避けたかった。 どうせ、明日には全て解ることなのだから…。 色々考えているうちに、アンジェリークは何とか眠ることが出来た。 翌朝はいつも通りに目が覚めた為、アンジェリークは先ずはアリオスの様子を見に行く。 何とか一晩、乾燥は免れたようで、心地良い状態が続いている。 湿らせていたタオルがからからになっていたので、また少し湿らせてやる。起きたときの水分補給のために栄養ドリンクを準備し、枕元に置いた。 その後に、ダイニングキッチンを温かくしながら、朝食であるお粥を作り始める。 買ってきた梅干しを食べやすく刻んだり、漬物や、鰹節を用意して、白粥でも食べやすくした。 後は、具だくさんの野菜の食べやすくたっぷりと入った味噌汁。完璧だ。 「アンジェリーク」 いきなり声をかけられ、振り返る。いつの間にかアリオスはシャワーを浴びていたようで、こざっぱりしていた。 「すっかり良くなった。シャワーを浴びてすっきりだ。有り難うな」 何時は隙のない弁護士の姿を見ているが、今日のアリオスはとても温かな雰囲気があった。 「飯はいつものようにここで食う。もう随分と良くなったみたいだからな」 「どうですか?」 アンジェリークはごくごく自然にアリオスの額に手を延ばす。 「大丈夫ですね。もうすっかり良くなられたみたい…きゃっ!」 突然、アンジェリークはアリオスに腕を取られて引き寄せられてしまう。余りにもの早業に、息が乱れる。 「アリオスさん…んんっ!」 唇が力強く重なってきた。強引さは否めないが、それでもアンジェリークは嬉しかった。 あの時こっそりとキスをした時よりも、当然のごとく素晴らしく感じた。 温かなアリオスの唇が、しっとりと包み込んでくる。それがアンジェリークに陶酔を呼び寄せる。 温かなキス。夢に見ていたよりも幸せなキスは、まるで潮が退くように離れていく。 「サンキュ、俺からの御礼というより、くすりだな」 アンジェリークは恥ずかしさの余り耳まで真っ赤になり俯く。嬉しかったが、それを上手く言葉で表現することが出来なかった。 「さあ、飯を食おうぜ」 「はい」 余りにも照れくさくて、食事を準備していてもドキドキしてしまう。 嬉し恥ずかしの朝食タイムであった。 「美味いな、おまえの飯。だから早く元気になれたんだろうな」 アリオスのたった一言の賞賛であっても嬉しくて、笑みが零れ落ちる。食事の時に笑えるのは、アンジェリークには久し振りのことであった。 朝食を食べ終わり、片付けが済めば、アンジェリークは行かなければならない。”あしながおじさん”と約束しているからだ。逢ってうんと礼を言わなければならないから。 「アリオスさん、それじゃあ私、行きますね。用事があっても余り無理はされないで下さいね」 「ああ、解っている。ホントにサンキュな。おまえがいたからここまで快復出来たんだからな。礼をしなくちゃならねえよな」 「礼なんてそんなこと…」 アンジェリークはそこまで言って、アリオスを潤んだ瞳で見上げる。 「…もう一度、キスして下さいますか?」 アンジェリークの囁きに、アリオスは僅かに瞳を細めた。 無言でアンジェリークの頬を両手で包み込むと、腰を屈めてゆっくりと近づいてくる。 そっとはにかみながら瞳を閉じた。 今度は支配するようなものではなく、甘くはかないキスが降りてくる。 アンジェリークはうっとりとロマンティックで幸せな気分に浸っていた。 「あ…」 唇が離れれば、喪失感のあまりに、アンジェリークの唇から溜息が漏れる。 「…有り難うございます…」 「こんなお礼なら何時だってしてやるぜ」 アリオスの甘い微笑みが、今のアンジェリークには切なくて、僅かに頷くことしか出来なかった。 「じゃあまた遊びに来いよ」 「はい。アリオスさんもまたお会いしましょう」 アンジェリークは深々と礼をしてから、アリオスのマンションから出ていく。また会えるのは解ってはいるが、どこか切ない気分だった。 家に戻ると、早速風呂に入った。やはりあしながおじさんに逢うのならば、しっかりとお洒落をしなければならないと思う。 肌を磨いたり、服を吟味したりして自分の出来る範囲内での最高のお洒落を施した。 何度も何度も鏡と睨めっこをして、ようやく外見を調えられた。 やはり時間や予算の都合で着飾ることは出来なかったが、それでもアンジェリークには充分であった。 時計を確認して、いよいよ出発をする。 どうかあしながおじさんが、素敵な方でありますように…!! アンジェリークは逸る心を抑えながら、あしながおじさんとの再会を夢見ていた。 約束場所にアンジェリークは少し早く着いた。 不意に携帯を開けると、あしながおじさんからメールが来ている。 またすっぽかしかもと思うと、少し切なくなった。 メールを詠んでアンジェリークは驚いて息を飲む。 アンジェリークへ。 私はおまえの直ぐ後ろにいる。 振り返るために心臓がばくばくと主を立てる。 ゆっくり、ゆっくりと流れるように振り返った。 「……!!!」 次の瞬間にはアンジェリークは言葉がなかった。驚き過ぎて呼吸をすることすら忘れていたかもしれない。 目の前に立っているその男性は、確かにアンジェリークが良く知っている男性だった。 携帯電話を片手に、憎らしく微笑んでいる。確かに自分はこの微笑みが大好きだったのだ。 「アンジェリーク、俺が”あしながおじさん”であることを、気付かなかったのかよ? 考えれば解るはずだぜ? 最後にあんなに解きやすい謎解きメールを送ったのにな」 目の前にいる男性はそう言って、屈託無く笑った。 そう潤んだ瞳に映るのは、アンジェリークが誰よりも愛して堪らないアリオス----- 確かに言われてみれば、アリオスに繋がることばかりだ。少し考えれば、”あしながおじさん”イコールアリオスであることは解ったはずだ。 わたしのあしながおじさんは、いつも傍にいてくれたんだ…。 アリオスさんだったからこそ、私が落ち込んだときに、いつも励ましてくれたんだ…。 「…あなたがあしながおじさんで良かった!」 アンジェリークの表情が幸せの泣き笑いになる。 もう何も迷わない。 ただ答えは、その胸に飛び込めば良いだけ。 「アリオス…!!」 誰かが見ている。そんなことは関係なかった。 アンジェリークはアリオスの胸に真っ直ぐただ飛び込んでいく。 それをしっかりと受け止めてくれるのは、逞しい腕だ。 「アンジェリーク、早くおまえが気づいてくれたらって、ずっと待ってたんだぜ?」 「まさかと思っていたから…」 「あの、謎解きのメールを出してみろよ」 アンジェリークは言われた通りに、その回を出してみる。 「これはな、最初の字を縦に読むんだよ」 「え…」 アンジェリークは最初の文字だけを指でなぞりながら、言われた通りに読んでみる。 アンジェリークへ。 理由があるのならば、もう一度逢う約束をしよう。 お互いに逢っていろいろ話をしよう。 素晴らしいひと時を過ごす待ち合わせ場所は、エンジェルストリートの天使の像の前で、日曜日、午後2時に。 「あ・り・お・す…。アリオスだわ!」 「正解」 アリオスはアンジェリークの大好きな甘さの含んだ不敵な笑みを浮かべると、ぎゅっと強く抱きしめてきた。 「アリオス…」 「アンジェリーク…。前に訊いたよな? ”あしながおじさん”のラストはどうなるかって?」 アンジェリークはしっかりと頷く。 「じゃあ、改めて訊いていいか? ”あしながおじさん”のラストはどうなる?」 「ジュディはペンデルトンと二度と離れることなく結婚して幸せに暮らすのよ」 アリオスは頷くと、アンジェリークの感激に潤んだ瞳を覗き込んだ。 「俺たちのラストシーンも同じにしねえか?」 ふたりは見つめ合う。 そう。答えなんか決まっている。 「うん! もっと素敵なハッピーエンドに…!」 ふたりは誓いを立てるかのように唇をしっかりと重ね合う。 ここが街中であろうと関係ない。 ようやく実った純愛なのだから------- その後、ふたりは小説と同じように結婚をした。 アンジェリークはマンションを出て、アリオスのところで幸せに暮らしている。 継母とその弟の判決も下り、 今は刑に服している最中であるという。 |
| コメント 終わりました。 延びてどうなることかと思いましたが(苦笑) これで完結です。 有り難うございました。 |