Dreaming Etoile

1


 目覚ましが鳴ったのは、キスをしようとした瞬間。
 当然夢の話だ。
 アンジェリークは今朝、久しぶりに素敵な夢を見た。
 眩しい光りに包まれて相手の顔は見えない。ただ白い服を着ているだけしか解らなかった。
 だが、自分はこの人が大好きだという自覚が、不思議なことにアンジェリークにはあった。
 シンプルに、夢の中の恋人はロマンティックに大胆に迫ってくる。
 「好きだぜ?」
 その瞬間、目覚ましが鳴った。
 全く勿体ないことをしたものだ。もう少しで、素敵な夢見るKISSが、文字通り夢の中でできたかもしれないのに。
 溜息を吐き、大きく伸びをした後、アンジェリークはベッドから思い切り下りた。日差しを遮るカーテンを大胆に開ける。
 今朝は窓から通り抜ける日差しが柔らかくなり、空気がぴんと張り詰めている。秋の気配が色濃くなっているのだ。秋の朝は、ひんやりとした落ち着いた『大人の朝』に思えた。
 この時期になると、なぜだか人肌が恋しくなる。手を絡めたり、脚を絡めたりしたくなる。当然相手などはいないが。
 だから、あんな夢を見たのかもしれない。
 時計を見るといつもの時間。アンジェリークは制服に着替えた。ブラウスに袖を通すと、ひんやりとして肌に気持ちが良い。更衣の頃は暑くてしょうがなかったのに、たった二週間でちょうど良くなった。全く、季節の移ろいは、アンジェリークの乙女心よりも早い。
 しっかりと頭が起きる為に朝食を食べ、レディでは当然の歯磨きと顔を泡立て洗顔すれば、はい完成! あ、ローションを塗って、リップでアクセントを付けるのを忘れていた。
 いつでもどこでもある、朝の風景。
 家をいつもの時間に飛び出して、走って学校に向かう。
 ここまでは何時もの風景、何も変わらない日常だった。
「あっ!」
 ただ走っているのに夢中になって前が見えていなかった。
 厚いものにぶつかるなり、バランスを崩す。視界がぐるぐると揺れて、気がついた時には地面を見ていた。
「あつっ!」
 見事に転んだ。それも酷く。朝からなんてついていない。
 視界を少しばかり上げると、脚が見えた。
 少し考えると事実が見える----人にぶつかって転んだのだ。
 背中に汗が流れて、嫌な気分になる。正直、気まずい。だがここはグズグズしていられない。素直に謝るのみ。
「す、すみませんっ! 不注意で…」
 相手の顔を見て謝ろうと、ゆっくりと視線を上げていく。
 驚いた。
 口をあんぐりと開けたと言ってもいい。
 ぶつかった相手は精悍で整ったボディラインの青年。だが『マッスル! マッスル!』ではなく、直線を描く逞しいラインは、まるで彫刻。
顔を見ると益々驚いた。
 綺麗と男らしさが程よく入り交じった、正に精微な顔。
 瞳は厳しさが映りこみ、冷たさを感じさせる。鼻梁は高く鼻筋もすっきり。鼻も小さめ。唇は薄くて情が無さそうに見えるが、綺麗だ。
 じっと観察するように見つめられて、アンジェリークは胸の鼓動が激しくダンスするのを感じる。青年の顔が、シャツから覗く鎖骨が、怒涛のように意識に流れ込んだ。
 舌の根まで渇く衝撃。
 朝陽を弾いた銀の髪も、翡翠と金が対を成す宝石のような瞳も、総て鮮烈な色で眼差しに焼き付いた。モノクロ映画ばかりを見ていて、初めてカラー映画を見たような衝撃。
 世界がビビッドな総天然色の世界に変貌。今まで生きて来た世界が、陳腐なモノクロームに思えた。
「おい、大丈夫かよ!?」
 声もまた躰から溢れるような甘いテノール。顔に合っている。それどころか、声を聞くだけで、何だかそわそわした。セクシィ過ぎて、自分のエロい部分を刺激されているようだ。
 顔が熱くなった。
「おい!? 何ぼーっとしてんだよ! 栗!」
 栗だなんて失礼な。だがアンジェリークはもっと失礼なことをしていた。青年がずっと手を差し延べていてくれたのにも関わらず、ぼんやりしていたのだから。
「あ、あの! どうも有り難うございますっ!」
 陽射しに透き通るぐらいに美しい手を取る。肌を触れ合った瞬間、パルスが跳ね上がった。このままでは血管や心臓が壊れてしまうかと想うほど、スピードは勢い余っている。
 顔まで影響を受けて、耳の中まで真っ赤になっていた。
 力を込めてぎゅっと青年の手を握り締めると、想像出来ない程の強さで引き上げられる。
 力に乗ろうとして、アンジェリークは激痛が走るのを感じた。
 足首に力が入らない。痛い。
 転げ回って、大きな声で叫びたいぐらいに。
 顔をしかめて、アンジェリークは痛い足を浮かせて、片足だけで立った。”けんけん”状態だ。犬ではないが。
「どうした!?」
 青年の綺麗な眉が酷く潜められる。どこか怪訝さを感じた。
「…痛くて…」
 痛みとは別に、青年とより近い目線でいることが、呼吸を速め、アンジェリークは旨く表現出来ない。
「…痛い? 足がか?」
 素直に頷いた。嘘をつく理由も婉曲する理由も何もない。
「足、捻っちまったかもな。酷い転がり方をしたからな。木から落ちる栗みてえに」
 栗。
 確かにアンジェリークの髪色は栗色。顔立ちもわりと幼い。だからといって栗はないだろう。栗に手足が生えた姿の自分を、思わず想像してしまった。
 ちょっと滑稽。いやだいぶん滑稽かもしれない。
「栗じゃないです!」
 口を尖らせながらぶつぶつとさりげなく拗ねてみた。だが、青年には全く効かない。
「足、くじいちまったかもしれねえな」
 アンジェリークの表情などまるで見てはおらず、青年の眼差しは足首に集中していた。
「足触るぞ」
「え!? やだっ!」
「ガタガタ言うんじゃねえ! 診療出来ねえだろうが!」
 冷たい顔にぴったりとばかりに、青年はどすの効いた鋭い声でアンジェリークを叱責する。そろは抜群の効果で、アンジェリークは肩を縮こませた。
 青年に結局は従い、少しばかり躰を緊張させながら、診察を待つ。
 掌もなにもかもが熱い。
 恥ずかしいのか、ときめいているのかすら解らない。
「診るだけだ」
 青年の眼差しは厳しく、アンジェリークの足首を真剣に触診する。直ぐに結果は出た。
「いひゃいっ!」
 悲鳴にも似た声がアンジェリークの唇から漏れる。完全に足首を捩ってしまっていたのだ。
 涙が流れるぐらいに痛い。
 足の痛みと胸のときめきが交互にやってきて、呼吸が速くなった。相手は真剣に足首に触れているのに、そこから熱が入り緊張する。
「捻挫か、最悪、骨にひびが入っているかもな」
「ひび!?」
 青年の指摘に、アンジェリークは背筋がしゃっきりと伸びる。鼓動が嫌な感じの音を奏でていた。
 足首にひびなど入ったら大変だ。捻挫でも辛いのに。
 泣きそうな顔をしていると、青年は益々眉間に深いシワを刻んだ。
 感情の含んだ眼差しがぶつかり合い、会話をしている。
「夜勤明けだがしょうがねえ」
「えっ!?」
 目を丸くしている暇などないぐらいに素早く、青年に抱えられ、しっかりとした肩に乗せられてしまった。
 早業。
「手当てしてやる」
 見ず知らずの相手に、手当てなんてしてもらいなくない。恥ずかしいし何よりも不安が頭を擡げる。
「がっ、学校の医務室ど…っ!」
「学校の医務室は応急手当てしか出来ねえだろうが。大人しくしろっ!」
 男の叱責は強く、抵抗できないものがある。恐怖が先行し、アンジェリークは畏縮した。
 夜勤とか言っていたので、ひょっとすると、しなくても、「ホスト」かもしれない。整った容姿を見れば見るほど、そう思えて来た。
 アンジェリークがぐるぐると頭の中で色々と考えている間、青年は長いストライドで、かなり進んでいた。
 目前に見えた建物に、アンジェリークは青年を疑ったことを深く反省する。
 見えたのは大学病院。
 アンジェリークの街の”白い巨塔”。
 青年は正面入り口から堂々と中に入り、無言で突き進む。
「アリオス先生その子は!?」
 看護士の女性がぱたぱたと駆け寄り、牽制するようにちらりとアンジェリークを見つめてきた。媚びた嫌らしい眼差しに、アンジェリークは辟易する。
「酷く転んで怪我をした。手当をしたらすぐに帰る」
「私がやります!」
「いい。俺ひとりでやるからおまえは構わねえ。とっとと仕事に戻りやがれ」
 アリオスは低い声で不機嫌そうに呟くと、看護士を置き去りにして先に進んだ。
「い、いいんですか!?」
「こんな怪我、俺一人で充分」
 随分と自信家だと想う。きっぱりとした態度を見ると、揺るぎのない何かを持っているのだろう。
 一番奥にある、アリオスは外科用の診療室に無造作に入ると、直ぐにアンジェリークを硬くて白いベッドに寝かせた。
「足が擦りむいたのもついでに診てやる」
「有り難うございます」
 アリオスは慣れた手つきで手指を消毒し、先ずはひざ小僧に作った大きな擦り傷を診てくれる。
「フン、たいしたことねえ傷だ」
「でも痛いです!」
 ひざ小僧がじんじんと痛い。傷の部分の汚れを丁寧にアルコールで拭き取ってくれたが、かなり染みた。
「先生、痛いですっ!」
「ガタガタ言うな。これぐらいは我慢しろ」
「ふえー!」
 アンジェリークは涙を滲ませて、頭を突き抜けるような痛みに耐え抜く。
「アリオス先生は、何科のお医者様?」
「外科」
 何気ないように言い、アリオスは治療を続ける。医師だと解ってほっとすると同時に、ホストと間違えてごめんなさいと心の中で何でも謝った。
「あ…っ!」
 突如、アリオスの舌がアンジェリークの膝頭を舐める。余りに突然の行為に、アンジェリークは全身に旋律を覚えた。
「…せんせっ!」
「これで治ったぜ」
 ニヤリと深みのある素敵な笑みを浮かべられて、アンジェリークは頭から湯気が出るほど真っ赤になる。
「さてと問題はこの足首だな…」
 再度様子を診て、アリオスの顔付きは厳しいものになる。アンジェリークは表情を見ながら、内心ハラハラしていた。
「恐らく骨は折れていねえと想うが、酷い捻挫なのは確かだな…」
 アンジェリークはビクリとする。不安が渦巻き、落ち着かなくなる。
「先生! 私、バレエをやっていて、もうすぐ”エトワール”をやるんです! お願いです! 何とかなりませんか!?」
 一生に一度だけのお願い事。
 アンジェリークは真摯に願った。
コメント

文章修行のために書いた一品。
あはは〜な出来ですが、愉しんで頂けると嬉しいです。
直ぐに終わります。たぶん(笑)




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