Dreaming Etoile

6


 アリオスにおまじないをして貰ったから大丈夫。
 楽屋でも、アンジェリークは落ち着きを払っていた。
 美しく着飾った鏡に写る自分を見ると、いつものステージよりも更に落ち着いて見える。これもアリオス効果だろう。
「アンジェ! 今日はめちゃくちゃ可愛いじゃないの! 強奪したくなるぐらいだよ!」
 王子様に扮装したレイチェルが、感嘆の声を大きく上げてくれる。かなりの絶賛に、アンジェリークは顔を赤らめてしまった。
「レイチェルもステキよ」
「ありがと! ホント、ワタシが男なら即刻お持ち帰りだけれどなあ。まあ、男じゃなくてもお持ち帰りしちゃおう!」
 レイチェルに頬にキスをされて、アンジェリークは益々恥ずかしい。レイチェルの絶賛が本当のことならば、アリオスに益々見てもらいたいと思った。
「もうすぐステージだよ! アンジェも忙しいよ! だって、軍舞からソロまで頑張るんだからね!」
「うん!」
 レイチェルの明るい声に、アンジェリークは益々頑張らなければならないと想う。
 鏡の前に再び向かうと、更に気合いを入れて、化粧を施した。
 ふと携帯電話が鳴り、メールの着信を知らせてくれる。
 電話を手に取ると、アリオスからのメールだった。

【遅れる】
 アンジェリークへ。
 済まない、少しばかり遅れる。
 交通事故の急患が入り、今から手術だ。
 何とか間に合うように努力する。
 アリオス。

 メールを読むなり、アンジェリークの心に絶望の嵐が吹きすさぶ。
 仕方が無いのは解っている。
 アリオスは医者なのだ。
 しかも、バレエを踊れる状態では無いアンジェリークをここまでにしてくれた医師だ。
 交通事故に遭った急患を放っておけるはずはないだろう。
 頭では、理性では解っているつもりだが、心が上手く理解してはいない。
 アンジェリークは溜め息をはくと、天井を仰いだ。
 折角の晴れ舞台を、アリオスに見ては貰えないだなんて。
 そんなことは有り得るのだろうか。有り得ない!
 だが実際にはアリオスは遅れてくる。手術の種類によってはこられないかもしれないのだ。
 アンジェリークは絶望を噛み締めながら、何とか感情を踏み留ませた。
 流されないように。

「リハーサル行きます!」
 声をかけられてアンジェリークはステージに出ていく。
 ラストステージなのだから、悔いなくバレエを踊りきる為に、アンジェリークはリハーサルに取り組むことにした。

 バレエに集中したお陰で、リハーサルのダンスは上手くいった。
 アリオスのお陰でどこも痛いことはない。
 脳裏には様々な想いが去来したが、それらに後押しをされる形で、集中することが出来た。

 休憩と本番に備える為に、アンジェリークは一度楽屋に下がった。
 気になって直ぐに携帯電話を調べたが、アリオスからの連絡は一切ない。
 しょうがないと言えばしょうがないのだが、アンジェリークは哀しくて仕方ない。恋をするとどうしてこんなにも我が儘になってしまうのだろうと思った。
「アリオス…。頑張って早く来てね!」
 今、手術に奮闘するアリオスのことを想いながら、アンジェリークは祈ることしか出来なかった。

 いよいよ、本番だ。
 全員でステージにスタンバイをする。
「あ、エルンストが来ている!」
 いくら王子様役だとは言え、レイチェルも恋人の姿を客席に見つければときめくようだ。他の仲間たちも、友人、恋人、家族を見つけてときめきを見出だしている。
 だがアンジェリークには、心温かくしてくれる相手を、会場で見つけることが出来なかった。
 アリオスの為にリザーブしたシートは、満員の会場の中で、ぽっかりと穴を空けている。それどころか、そこだけが時間の流れとは別に存在しているように想える。
 取り残されている。
 そう感じるしかなかった。
 あの空間が自分自身に思えてしまい、アンジェリークは切ない。何だか、自分だけが時代に取り残されてしまったような気分になってしまった。
 重い。
 どうしようもないぐらいに気分が重い。
 アンジェリークはそんな気分を払拭し霧散させるために大きく深呼吸をした。
「本番です!」
 スタッフの声が響くと共に、アンジェリークは気を引き締める。
 ステージが開幕した。

 最初は軍舞だ。
 どうしてもアリオスの席が気になって集中が難しくなる。そこを何とか踏ん張って、最初のダンスを終えた。
 袖に引っ込むなり、アンジェリークは肩を落とす。最後だというのに、なんというぶざまなダンスなのかと。
 アリオスも今一生懸命頑張ってくれているはずなのだ。こんな状態を見せるわけにはいかない。
 いつひょっこりと現れるかは、全く解らないのだから。
 アンジェリークは動揺している自分を戒めるかのように背筋を伸ばすと、今、この瞬間だけは、全身全霊をバレエに捧げようと決める。
 今、目の前にいる観客全員がアリオスなのだ。
 アンジェリークはそう想い、ステージへと上がる。
 ラストステージ。
 自分のバレエ生活、人生の総てを賭けて。

 それからというもの、思い切り踊ることが出来るようになった。
 総ての観客がアリオスに見え、一番見せたいひとに向けて、アンジェリークはしっかりとダンスを踊った。
 美しくそして清らかに、時には情熱的に。
 偶然で出会ったのに、心から愛を捧げられる相手に出会えたことを、アンジェリークは誇りに想いながら、しっかりと踊った。
 きっとこんなに純粋な愛をアリオスに捧げることが出来るのは、自分だけであると確信しながら。
 こんなに真剣に楽しく踊れたバレエも、アンジェリークには初めてのことだった。

 いよいよ、ラスト。
 アンジェリークの『エトワール』がやってくる。
 もうこれを最後にバレエをステージで踊ることはないのだろうと想うと、かなり切なくなってしまったが、ラストだからこそしっかりとダンスをしようとアンジェリークは思った。
「ラストだね」
 出番を待っていると、レイチェルが肩を叩いて声をかけてくれる。その後ろには、沢山の愛すべき仲間が見守ってくれる。
 優しく温かな想いに包みこまれて、アンジェリークは深呼吸をする。
 頑張れる。
 一生懸命ダンスを踊れる。
 今までの集大成なのだ。しっかりとやらなければならない。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい!」
 仲間に見送られて、アンジェリークは最後のスポットライトの下に立った。

 ソロの『エトワール』
 誰もが憧れの的だ。
 バレエを始めた日から、万感に想い出が蘇ってくる。それはとても鮮やかに。
 初めて愛したアリオスの姿が、愛のバレエを踊る時に蘇って来た。
 それはモノクロームの映画に後からわざと色をつけたようなどぎつい華やかさがある。
 幻想的なブルーのライトに照らされて、アンジェリークは踊った。
 哀しみ、喜び、はかなさ…。そのようなものを総てバレエで表現する。アンジェリークはアリオスの為だけにただ踊った。
 会場からは感嘆の溜め息がうっとりと洩れ、誰もがアンジェリークの奏でる世界に引き込まれている。
 アンジェリークは幸せだった。
 幸福に満たされて踊り、もう他に何もいらないとすら思った。
 音が止む。
 総てが終わったのだ。
 同時に、空気すらも許さないような、みなものような静けさが会場に満ちている。
 時間が動き出す。
 同時に、アンジェリークに向けて最高の拍手が奏でられ、ただ頭を垂れた。
 最高のラストステージだった。
 自分なりに全力を出し切り杭はない。
 出番が終わり、ひとり舞台袖に引っ込んだ。
 深呼吸をすると、よく通る拍手が響き渡る。
「素晴らしかった」
 アリオスだった。
 白いシャツに黒いスラックスというシンプルスタイルのアリオスは隙無く素敵に立っている。
「”エトワール”を見せて貰った。正直、感動しちまった」
 アリオスが愛らしい花束を差し出してくれている。
 見ていてくれた。
 それだけなのに嬉し過ぎて涙が滲む。
 後は飛び込んで行くだけ。アンジェリークは滲んだ視界のなかで、アリオスに飛び付いて行った。
「アリオスっ!」
「俺の女になることは了承?」
「もちろんっ!」
 抱き着いたまま、唇が重なる。触れるだけのキスではなく、もっともっと深い、唾液を交換するようなキス。
 お互いに何度も貧って夢中になった。
 誰かが自分を呼んでいる声が聞こえる。だがキスを止めることは出来やしなかった。
 ライトが自分達に一瞬間だけ当たる。眩し過ぎて、アンジェリークは目を眇める。
 はっとした。
 あの夢と同じように、アリオスの顔が眩しくて見えない。
 なんて暗示的な夢。
 ふたりが出会ったのは、偶然なのではなく必然なのだということを、改めて感じる。
 運命。
 つくづくアンジェリークは感じる。
 キスを何度しても足りないくらいに「好き」を感じた。
「愛してるぜ」
 キスの合間に囁かれる甘い台詞。返したくても直ぐにキスに阻まれて返せない。
「愛しているわ」
 やっと言えた愛の言葉を囁いた瞬間、アンジェリークの世界は変わる。
 かけがえのないものを手に入れたのだ。
コメント

終わりました。
修行にならず。
またさらしに巻いて旅に出る〜。




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