Dreaming Etoile

5


 あのラーメン、美味しかった。
 アリオスのことを考えるだけで、胸の奥に柑橘系の痛みを覚える。
 ラーメンを一緒に食べてくれた時のあの横顔が、湯気とともにほわほわとした映像にと共に思い出される。
 アリオスの横顔がちらつく度に踊るバレエは、いつもよりも情熱的であるような気がする。
 レイチェルもそれには驚いていたようだ。
「この公演でラストなんて、ヤッパリ勿体ないよ」
「際限無く踊ることが出来る腰だったら良かったんだけれど、そうはいかないもの。小さな可能性でもあれば良かったけれどね…。足首は何とか今の先生が持たせてくれるって言っているから、頑張る! レイチェルだってラストダンスなんだからさ」
「まあ、ワタシはバレエよりも大事なものを見つけたから」
 アンジェリークはトゥシューズの紐を直しながら、笑顔とさりげなさを含めてレイチェルを見る。
 何も自分だけのことではないことを強調している。
「先生にさ、この後、きちんと踊ることが出来るか、また診て貰うことになっているの。後少し、頑張る!」
 高らかに宣言をすると、レイチェルは笑って頷いてくれた。それでこそアンジェリークだと。
「さてと通しで踊らないと!」
 アンジェリークは背筋を延ばして立ち上がろうとした瞬間、背筋に激痛が走るのを感じた。
 久々のヒートウェイブだ。
 顔をしかめると、レイチェルが顔を覗きこんでくる。
「大丈夫?」
「うん、平気っ!」
 どうしてここまで来たのに腰に激痛が走るのか。アンジェリークは唇を噛んだ。
 アリオスに相談したほうがいいだろう。安心して診察を受けることが出来る医師だからだ。
 アンジェリークは腰と足を庇いながらなんとか踊りきり、アリオスの病院に向かった。

 正直に椎間板ヘルニアについて告白をすると、アリオスの表情は堅く厳しくなった。
「最初から何か隠していると思っていたが、ヘルニア持ちだとはな…。正直、おまえの今の状態を診ると、バレエだなんてとんでもねえ状態には間違いねえ。今すぐ止めさせてえぐれえだな。これ以上になったら手術ってことになっちまうぞ」
 アリオスの声は低く、淡々としていたが、その声は厳しく、いつもからかってくる様子とはほど遠い。医師そのものだ。
「アリオス先生、お願い! 私には最後で一番大きな舞台なんですっ! あと、三日だから、後、三日だけでいいから持たせて欲しいの!」
 アンジェリークは必死になって懇願をし、アリオスに頭を下げる。本当にこれ以上のお願いがないのは解っている。
 暫く、アリオスが厳しい顔のまま黙っていたので、アンジェリークは不安に想っていた。
 直ぐに後ろにある棚から、大きな注射器の準備をし、診察机に置く。
「診察台に俯せで乗れ。痛いだとかの苦情は一切不可だ」
「はいっ…」
 アリオスが腰に痛み止めを打つのは明らかだった。アンジェリークはその痛みを充分に解っているので、奥歯をぐっと噛み締める。
「一瞬で終わるから、んなに硬くなるな」
「…はいっ!」
 アンジェリークはアリオスの指が、制服を上げ、素肌を曝す間、敏感の塊のようになっていた。
 腰の窪みを指で撫でられるだけで、胸の奥まで震えた。
「まだ注射はしていねえぜ。俺的には、おまえの腰はしっかりと大事にしてもらわねえといけねえからな。俺の為にもな」
「え? あっ…!」
 聞き返そうとした瞬間に、鋭い痛みが走る。痛みが頭の芯に突き抜け、どうしようもないぐらいに痛い。涙が滲んでたまらなかった。
「あと二日、この注射を打ちに来い。痛み止めだ」
「全然痛み止めになっていないじゃないですかあ!」
「ほら、もう終わりだ」
 アリオスに背中を優しく撫でられて、アンジェリークは桃色の吐息をはいた。
「ほら、これで明日の夕方ぐれえまでは大丈夫だ」
「有り難うございます」
 アンジェリークは涙がまだ滲むのを感じながら、アリオスに頭を下げる。これでバレリーナとしての寿命がほんの僅かだが伸びた。
「ったく、おまえは手間がかかる患者だ」
「ごめんなさい…」
「だから、ラストバレエは最後までしっかりと踊れ」
「そうします」
 一時の痛みとの引き換えで、アンジェリークは少しばかりの安楽を手に入れた。ほっと胸を撫で下ろす。
「おまえが今日は最後の患者だからな。準備しろ。美味いうどんでも食わせてやる」
「有り難う」
 アリオスが着替えに行くのを見送った後、アンジェリークは自分自身の躰を抱きしめる。
 ばら色に染まった肌は、アリオスを十二分に意識している。肌の熱さが恋の熱さに思えた。
 アリオスが好き。
 どうしようもないぐらいに好き。
 腰にある激痛が漣のように引いていくのを感じると共に、胸が甘く酸っぱい色で覆われていった。

「腰に悪いから」
 ある意味あっているような、いないような。ただの手を繋ぐ為だけの言い訳のようにも想いながら、アンジェリークはアリオスと手を繋ぐ。
「俺はとことんまでおまえに弱いよな」
「え?」
「普通、俺はここまで患者に譲歩はしねえっていうの」
 アリオスはぎゅっとアンジェリークの手を握ると抱き寄せる。突然の行為に、ときめきを感じた。
「アンジェリーク、ここまで譲歩してやっているんだから、それなりに見返りは欲しいよな」
「え?」
 アンジェリークはドキマギしながら、アリオスを見上げる。
「おまえ、俺の女にならねえか?」
 ストレート過ぎて、アンジェリークは更に胸の鼓動を高める。
 俺の女。
 ストレートに考えれば、アリオスの「恋人」だろうか。
 響きすらも大人の世界に思えて、アンジェリークは耳たぶまで赤らめる。
「まあ返事は今すぐとは言わねえが、考えておいてくれ」
 声が上手く出せなくて、遠慮がちに頷いた。
 手を繋いで、アリオスと歩いていく。ずっとこうしていられればいいのにとアンジェリークは想った。
 空を見上げると、綺麗に輝くお月様。あまりにも美しく、明るく自分たちを照らしてくれている。自分達が、幻想的な世界に迷い込み、月の子供になった気分だった。


 明日へと迫った日、アンジェリークはアリオスの元に注射を打ちにいった。
 相変わらず痛いが、アリオスが上手に打ってくれたので、以前の医者よりも痛みは少ない。
 肌にずっと触れていてくれているので、それだけで安堵を感じられた。
「痛み止めはこれが最後だからな。明日のバレエ発表会が終わったら、本格的に治療をしろ」
「はい」
「今までおまえがかかっていた医者でも構わねえだろうし、俺でも構わねえ」
 少し突き放されたような気分になったが、アンジェリークはアリオスをまっすぐ見た。
「またアリオス先生に診て貰ってもいいですか?」
「ああ。勿論」
 アリオスはふっと笑うと、髪をかきあげる。
「良い選択だぜ、アンジェリーク」
「私もそう想う」
 笑うと、アリオスが髪をくしゃりと撫でてくれる。アンジェリークはほのぼのとしたオレンジ色の感情に、幸せを感じた。
「明日だからな。今日はすげえ美味いもん食いに連れていってやるよ」

 最近、練習後に病院に立ち寄っているせいか、アリオスはよく奢ってくれる。いつも連れていってくれるお店も充分美味しいのだが、今夜連れていってくれる店は、本当に美味しかった。
 食べさせてくれたのはステーキ丼。高級肉をミディアムレアで焼き、和風のさっぱり味のたれに絡め、生姜と浅葱を乗せたもの。
 本当に美味しくて、明日はこれを活力に頑張れると思ったほどだ。
 お腹いっぱいになるほどたらふく食べた後、ふたりは店を出た。
 月は僅かにかけているが、それがまた美しさを誘う。
 心地の良い月明かりを浴びながら、アンジェリークは心まで伸びやかになるような気がした。
「アリオスって凄いね。いっぱい美味しいものを知っているんだ」
「俺は美味くて安いものを知っているんだよ」
 アンジェリークはアリオスを尊敬の眼差しで見つめながら笑う。
「明日、頑張って踊れよ?」
「うん!一世一代の晴れ舞台だもの!」
 明日でステージからは離れなければならない。それ故に、アンジェリークは懸命に頑張ろうと想っていた。
「緊張してるか?」
「流石に少しぐらいは」
 アンジェリークは笑って言ってみせたが、僅かに顔を引き攣らせる。晴れ舞台なのだから緊張するのは当然で。
「だったら俺がおまじないをしてやるよ」
 秋月夜のおまじないは、本当に魔力を持っているような気がする。
 頬に手を当てられて、アンジェリークはどんなおまじないをされるか悟った。
 キス。
 この間された頬では無い、唇へのキスだ。
「…ね、アリオス。おまじないは唇へのキス?」
「そうだって言ったら?」
「お月様が見ているもの。恥ずかしい…」
 きっと明るく輝くその光で、じっと見つめられることだろう。それは少し困る。
 頬を染めてアリオスを見ると、笑っているのが解った。
「だったら俺が月を隠してやる」
 アリオスは月に背を向けて立つと、アンジェリークの小さな唇に自分の唇を近付けてくる。
 無意識に閉じた瞳のお陰で、月の光等関係ないように想えた。
コメント

文章修行のために書いた一品。
あはは〜な出来ですが、愉しんで頂けると嬉しいです。
直ぐに終わります。たぶん(笑)




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