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アリオスが毎日足を丁寧にメンテナンスをしてくれる。そのお陰でバレエをしっかりと踊ることが出来る。アンジェリークには全くもって有り難い話だった。 「アンジェ! 公演ポスターとチケットが出来上がったって!」 「ホント!」 レイチェルに言われて早速見に行く。バレエ団の附属学校の公演なので立派なものではなかったが、それでもアンジェリークにとってはかげかえのない物だった。 「今回すごくステキでしょう? だってさ、うちのメイン公演を手掛ける先生が特別にデザインしてくれたんだよ!」 レイチェルのとびきりに興奮をした言葉に頷きながら、アンジェリークは更にポスターに陶然と魅入った。 前回のアンジェリークが踊っている姿がフィーチャーされている。これほどご機嫌なことはない。 これならアリオスに見せても恥ずかしくないと思った。治療のしがいがあると、少しは思ってくれるかもしれない。 「これ、一枚貰っていって構わないかな。チケットも買うから」 事務員に申し出ると快諾してもらえ、アンジェリークはそれを大切に直した。 アリオスに渡したい。渡して、是非見に来て貰いたい。 心を込めてバレエを踊ろう。これがラストチャンスなのだから----- 練習が終わり、アンジェリークはひょっこりとアリオスの病院に顔を出した。アリオスは診察が終わったばかりのようで、どこか疲労が見え隠れしている。 「こんばんは、アリオス先生」 「ああ。練習の帰りか?」 「はい。チケットとポスターが出来たのでお届けに来ました」 「サンキュ」 アリオスは眼差しに涼しげな笑みを映し出すと、ポスターとチケットを受け取ってくれた。 アンジェリークはほっと胸を撫で下ろす。アリオスが受け取ってくれなければ、どうしようかと思ってしまった。 「この踊っているのおまえさんか」 「はい。今回はフィーチャーして頂いているみたいで、凄く嬉しいです」 アンジェリークは弾んだ声でアリオスに一生懸命説明する。キャストを指差し、ひとりずつどんな役をするのかを、説明した。 「おまえさんの役は結構大きいんだな」 「だから最高のバレエをお見せしたかったんです」 アンジェリークはニコリと微笑んだ後、アリオスを真っ直ぐ見つめた。 「アリオス先生のお陰でそれが叶いそうです。どうも有り難うございます」 「そいつは良かったな」 「だから、成果をしっかりと見にきて下さい!」 アンジェリークは深々と頭を下げると、アリオスに強くお願いをした。 「日付が微妙何だが…、おまえさんの折角の招待だもんな。善処する」 アリオスは改めてチケットを見て、頷いてくれる。笑みが入り交じっていたので、アンジェリークは前向きに捕らえた。 「さて、そろそろ良い時間だよな。送ってやるから待ってろ」 アリオスは時計で今の時間をしっかりと確認すると、頷く仕種をした。 「アリオス先生はこれでお仕事はおしまい?」 「ああ。無事に開放だ。無罪放免」 アリオスは大きく伸びをすると、「着替えてくる」と言い残し、一旦診療室を出た。 ひとりになったアンジェリークは、床をきゅっと鳴らせてバレエを踊る。 少しの暇も今は惜しい。こうして復習をしておかなければ、かなり不安だった。 エチュードを踊っていると程なくアリオスが診察室に現れ、拍手をしてくれた。 「上手いもんだな」 「有り難うございます」 アリオスに手放しで褒められるとやはり照れてしまう。アンジェリークは頬を赤らめて、俯いた。 「じゃあ行くか。将来のプリマ」 アリオスに言われて、アンジェリークは一瞬淋しげな笑みを浮かべる。 ”プリマ”。 ずっと子供の頃から憧れだったが、それはもう見果てぬ夢だ。終演を迎えようとしている。 「じゃあゆっくり帰るか」 「はいっ!」 ふたりで並んで歩くだけなのに、なんて温かいのか。 秋の深まりと共に、空気も張り詰めた冷たさを持つようになってしまったが、アリオスといればそんなことは気にならなかった。 「寒くなってきたな」 「そうですね。ラーメンでも食べたい季節です」 「バレリーナには大敵だろう? 夜食のラーメンは」 アリオスは含み笑いをしながら、アンジェリークの体形をちらりと見る。アンジェリークはほっそり体形ではあるが、胸が標準よりは大きい為に、バレエを踊っているようには見えなかった。 「食べても太らないんですよ、私は」 「胃下垂かよ」 「そうです。だから助かっているところもあるんです。皆みたいに、ハードなダイエットをしなくてもいいし…」 アンジェリークは常にそれだけは得をしていると思っていたので、アリオスに自慢げに話す。 「食い過ぎた分は胸についてしまっているんじゃねえか?」 アリオスにからかわれて、アンジェリークは真っ赤になった。 「そ、そんなことはありませんっ!」 拗ねるように唇の先を尖らせると、アリオスの笑みを余計に誘った。 「おまえさんを持ち上げる男は大変だろうな?」 「今回は”エトワール”のところはソロなんです。だからリフトアップは関係ないです。あ、でも、いつもリフトアップしてくれるのは、女の子なんですけれどね! 今回は彼女が王子様の役です」 アンジェリークはくすくすと笑いながら、おどけて男役のふりをする。アリオスは愉快そうに眺めてくれた。 「だったら、素敵なプリマ殿にラーメンでも奢ってやるかな」 「ホントに! 凄く嬉しいですっ!」 ラーメンは大好きなので、アンジェリークは手放しで喜ぶ。今日も沢山踊ったので、お腹もペコペコだ。 「美味しいところですか?」 「敬語を止めたら教えてやる」 アリオスの何気なく言った言葉に、アンジェリークはドキリとときめいて、その顔を見上げた。 「アリオス先生は私の脚をメンテナンスしてくれているもの。そんな不遜なことは絶対に出来ません」 「絶対に? 飯がかかっているのにか?」 アリオスは意地悪にもからかうような笑みを含んで見つめてくる。 「うー」 「とびきり上手いんだけれどな。特にチャーシューが絶品なんだけれどな」 ちらりと見つめられて、堪らなくなる。アリオスの言い方が、また食欲をそそってくれる。 「最高級のやつを使っているんだけどな」 もうダメだ。 「行くっ! 美味しいラーメン食べたいっ!」 「よし」 アリオスはさりげなく手を引いてくれる。 「しっかり離すなよ。アンジェリーク」 「うんっ!!」 アンジェリークはアリオスにしっかりと捕まると、絶品のラーメン屋に連れて行って貰った。 ラーメン屋さんは古びた感じがしたが、アンジェリークはお洒落なところよりもこういった雰囲気の店が好きだった。 「アリオス、オススメは?」 「醤油豚骨のチャーシュー麺だな」 「じゃあ私もそれにする!」 「オッケ」 アリオスはアンジェリークの分も注文してくれたので、楽しみも倍増する。今から割り箸を用意するほどだ。 「楽しみ!」 「ラーメンぐれえで喜ぶなんて、おまえは安上がりだな」 「美味しいものを食べるのは大好きなの〜」 アリオスに素直に接するだけなのに、ときめきで色めいてしまう。アンジェリークは鼻唄を歌いながら、浮かれぽんち状態でラーメンを待った。 ラーメンは直ぐに出て来て、これがひとくち食べるだけで、抜群の美味さで驚きを隠せない。麺の茹で具合も、汁の絡み具合も、最高だった。 「美味しい、替え玉いけるぐらい!」 「流石にそれは止めろよ。いくら胃下垂でも、バレリーナなんだからな」 アリオスに笑いながら指摘され、アンジェリークは真っ赤になる。流石に替え玉は止めようかとは想った。 「あんまり食ったら女の王子様は上手くリフトが出来ねえだろうが。俺だって無理だ」 「え!? 私、重かったっ!?」 アリオスは少し考えるような深刻な表情になる。 「腕が折れるぐれえに…」 「うっ、嘘よね…?」 「嘘だ」 アリオスが可笑しそうに種明かしをするものだから、アンジェリークはぷんすかと湯気を立てる。 「もうっ!乙女になんてことを言うのよ! 太ったかと思って、一瞬、シンパイをしちゃったじゃない!」 「怒るなよ。チャーシュー食って機嫌を直せ」 「チャーシューぐらいで、機嫌は…」 ぶつぶつ言いながら、アンジェリークはチャーシューを口に入れる。その瞬間にとろとろに形相が崩れた。 「美味しい!!」 先ほどまでアリオスに怒っていたことなんて忘れるほどの恵比須顔になった。 「おまえ良い顔をするよな。ほら、もっと食えよ」 「うん。有り難う」 本当にとろける美味さのチャーシューと麺を一緒に食べると絶妙なハーモニィを醸し出す。こんなに美味しいラーメンを食べた根は初めてだて、アンジェリークは想った。 結局、あまりにもの美味しさに、汁の一滴すらも余すことなく食べてしまった。 「美味しかった〜!」 「そいつは良かったな。俺もおまえみてえに美味そうに食ってくれたら本望だぜ」 アリオスは本当に喜んでくれた様子で、笑ってくれていた。 ラーメンを食べた後、アリオスはアンジェリークの自宅前まで送ってくれた。 「有り難う、今日は本当に嬉しかった。ごちそうさま」 「あんなんでおまえが喜んでくれるなら嬉しいぜ。俺としてもな。じゃあおやすみ」 手を振ろうとして、アンジェリークははっとする。アリオスの唇が近付いて来たのだ。 頬をかする唇は、少し冷たくて、想いの他に柔らかかった。 「おやすみ」 淡いムスクの香りと共に離れていったアリオスは、アンジェリークの魂レベルまで印象を深く刻んでいた。 |
| コメント 文章修行のために書いた一品。 あはは〜な出来ですが、愉しんで頂けると嬉しいです。 直ぐに終わります。たぶん(笑) |