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余りにも静かすぎて、アリオスは目覚めた。 昨日、激しく愛した恋人が隣にはいない。 それだけではなく、あの子猫も一緒にいなくなっている。 アンジェリークのいつもの場所はすでに冷たくなっていた。 時計を見れば、九時前になっている。 「アンジェ?」 アリオスは取りあえずあたりにあるジーンズだけを穿いて、キッチンに向かって歩いていく。 いつもなら、アンジェリークがぱたぱたとしている時間に、全く静まりかえっていた。 「買い物か?」 最初はそう思ったが、テーブルの上に乗せられた二通の手紙に、事態は変わる。 「アンジェ・・・」 手に取ってみると、一通は”アリオス様”もう一通は”退職願”と書かれていた。 アリオスは慌ててこれらの封を開け、中身を読み始める。 アリオス様、短い間でしたがお世話になりました。 アシスタントとして押しかけて半年。 未熟で失敗ばかりの私を我慢して使って頂きまして、有り難うございました。 モデルとしてもカメラマンアシスタントとしてもご迷惑をおかけする前に、退職させて頂きたいと思います。 突然でごめんなさい、有り難うございました。 アンジェリーク。 アリオスの表情がどんどん厳しくてくもりがちになる。 続いて個人的に宛てられた手紙を開く。 アリオス様。 今までご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。 あなたの”恋人”気取りになっていた私を許して下さい。 あなたと過ごした日々は凄く幸せで、これ以上ないと言うほどのものでした。 幸せな贈り物を有り難うございました。 あなたのそばにいたくて、わがままにも押しかけてばかりでごめんなさい。 ようやく、あなたも私と言う名のお荷物が取れるかと思います。 これからは、自由に楽しく、あなたの本当に好きな方との時間を持って下さいね。 短い間でしたが、本当に有り難うございました。 アンジェリーク。 アリオスは手紙をぎゅっと握り締めると、すぐに電話の前に向かう。 誰だ!? アンジェに色々と吹き込みやがって! アリオスは怒りに任せて受話器を取ろうとしてはっとする。 まさか、あいつ、あの時俺がオスカーと話していたことを、聞いていたんじゃ!? 俺は、あいつをこれ以上誰の目にも晒したくなかっただけだ・・・。 だからこそ、誤解を解いてやらねえといけない。 アリオスは心辺りはあるが、直接の連絡先が判らない為、遠回りをしなければならなかった。 アンジェ、おまえが逃げるなら、今度は俺が追いかける。 おまえは、俺が初めて真剣に思った相手だから・・・。 「アンジェ、本当にいいの?」いきなり押しかけてきた親友を、レイチェルは切なげに見つめる。 「うん・・・。だってアリオスには私はお荷物なんだもん・・・。他にもっと好きな女性がいたら、アリオスにはそっちを選んで貰いたいんだもん。私なんて、モデルとしてもアシスタントとしても、全く駄目だったのに、アリオスのおかげでここまで来れた。だから、もう足枷を取ってあげなきゃ」 わんわん泣きながらアンジェリークが言うものだから、レイチェルは深く溜め息を吐いた。 「そんなに好きなら、どうして離れるのよ・・・」 「好きだから、大好きだから!。離れなくっちゃならないのよ!」 アンジェリークの独自の理論に、レイチェルは眉根を寄せる。 「アンジェ、でもアリオスはアナタが考えているようなことはないかもしれないでしょ?」 「でも、アリオスは言ったもの・・・。私をモデルとしても、アシスタントとしてもスタジオに連れていきたくないって・・・!」 「アンジェ・・・」 レイチェルはアンジェリークの肩を軽く抱きながら、宥めるように背中を軽く叩いた。 アリオスのことだから、アンジェを誰にも晒したくなくて、独占したいからだけだと思うんだけどな〜。 レイチェルは冷静に分析しながら、親友には落ち着いてから話そうと思う。 今は何を言っても無駄なのは判っているから。 「アンジェ、落ち着くまでここにいてもいいよ」 「うん、有り難う・・・。アリオスには言わないでね? 心配かけたくないから」 「判ったわ」 レイチェルはしくしく泣いている親友を取りあえずは寝かせて、落ち着かせることにした。 そのタイミングで電話が鳴り、レイチェルは慌てて出た。 「はい、ハートです」 「アリオスだ。そこにアンジェがいるだろ?」 いきなり名乗って用件を言うアリオスは少し鋭くて、レイチェルはやはりと思う。 「いるけど、渡さないわよ」 「泥棒」 「ったく大人気ない・・・」 レイチェルは呆れたように、今日何回目か判らないような溜め息を吐いた。 全くカップル揃って人騒がせである。 「アンジェを返してくれねえなら、実力行使までだ。迎えに行く」 声のトーンでアリオスがアンジェリークを心の奥底から求めているのが判る。 「そんなことをすれば逃げるわよ、あのコ!」 レイチェルの言葉が利いたのか、アリオスはしばらく押し黙った。 「とにかく、今はあの子はいっぱいいっぱいだから、そっとしてあげて。落ち着いた後でもアンジェが欲しかったら、ちゃんと言葉ではっきりと、あのコを愛していることと、もう放さないことをちゃんと言うのよ!? それを言わないと、ちゃんと戻ってはもらえないわよっ!」 アリオスはしばらく受話器の前で何も言えなかった。 一番大切な存在だということは、伝えなくても判ると思っていた。 だが現実ではそうでなかったようだ。 「何も言わなくても判るっていうのは、アナタの身勝手な幻想よ! 誰だって言葉で示してもらえないと不安になるわよ。だからちゃんと伝えるのよ。端から見れば、アナタがアンジェにめろめろなのは凄く判るけれど、当の本人は判ってないんだから! それが出来るまでは、アンジェは返さないから」 「おいっ!」 アリオスが言う前に、レイチェルは強引に電話を切ってしまった。 「ったく・・・」 受話器を元に戻すと、アリオスは溜め息をひとつ吐く。 アンジェに愛を示してやる方法は、俺には写真しかない。 最 撮った一連の写真を入れたアルバムを、アリオスは出してきて見つめる。 どれも、アンジェリークのイキイキとした姿を素晴らしく美しく残していた。 アリオスはそれに”愛のある風景”と名付けて、今度の個展に出品することにする。 これが俺流のおまえへの愛の告白だ。 アリオスはすぐに招待状をレイチェルに送り、来たる日を待つことにした。 「アンジェ、アリオスから個展の招待状が来てるよ」 「行きたくない・・・」 アリオスが個展の準備をしているのは、アンジェリークはもちろん知っていた。 だが、今更どの顔をさげてアリオスに逢えばいいのだろうか。 落ち着けば落ち着くほどそう思う。 行きたいがそれゆえに切なくて堪らなくなる。 離れれば、離れるほどアリオスが好きになる・・・。 「私も一緒に行ってあげるからさ。行かないより行く方が後悔はないと思う」 アンジェリークはレイチェルを見つめながら、切なく膝を抱えていた。 個展の開催終了に近い日に、アンジェリークはこっそりと個展に行った。 誰もが知っている広告写真にはアンジェリークがモデル時代に出演しているものもある。 奥に進むに連れて、エリザベスのヌードもあり、アンジェリークは胸がきりきりと痛んだ。 だが一番奥に進んではっとする。 アリオス…!!! そこにはモノクロームのアンジェリークの自然な姿が子猫と共に写真に残されている。 光と影が生き生きと表現されている。 これが愛でなくて何だろう。 最高の愛の告白ね。 まいったな。 レイチェルですらもそう思わずにはいられなかった。 写真自身でアリオスがどれほどアンジェリークを愛してるかが伝わってきた。 レイチェルは横にいるアンジェリークを見ると、泣いているのが判る。 最後の写真は、恋を無くし掛けて寂しげな様子が風景だけで表現されている。 そして------ 最後の写真に差し掛かった時、アンジェリークはとうとう大泣きを始めた。 それはモノクロームの写真に、真新しい猫の首輪とリングが写っている。 -----Will you merry me? アリオスっ!! アンジェリークが涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた瞬間、アリオスが目の前に立っていた。 「返事は? アンジェ」 憎らしいほどの笑顔に、アンジェリークは泣き笑いの表情になる。 「アリオスっ!!!!!」 広げられた腕に、アンジェリークは何のとまどいもなく飛び込んでいく。 これが返事の総てだった。 「ごめんなさい!!」 「いいんだもう。俺こそすまなかったな? おまえをひとに晒したくないって言ったのは、これ以上綺麗なおまえが世に出るのがいやだっただけだ。 それと誓うぜ。 おまえと出逢ってから、俺はおまえ以外の女に触れていねえ。 おまえみてえな最高の女がいるのに、どうして他の女を触れられるんだ」 「アリオス…」 アリオスを間近で見ると、幾分かやつれているのが判る。 きっと、ずっと誰にも触れず、同じだけ苦しんで待っていてくれたのだ。 「アリオス…。もう何も言わないで…。戻っていい?」 「ああ。でも一言言わせてくれ。 ------愛してる」 アリオスはアンジェリークをしっかりと抱きしめ、ふたりは人目をはばからず甘いキスをする。 もう二度と離れないと誓いながら------ |
| コメント 以前描いたアリオスカメラマン、アンジェアシスタントのお話です。 急に書きたくなりました。 完結です。 甘いお話になりました。 |