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私達は行かなければならなかった。 先ずはアンジェリークさんの元だった。アリオスお兄ちゃんのコネクションを使い、彼女がたまたまオフであることを突き止めた。 私達はそこに行き、挨拶をすることにした。 アリオスお兄ちゃんの産みの母親。私には感謝してもしきれないひと。彼女を軸にアリオスお兄ちゃんの人生は廻り始めたのだから。 門前払いを覚悟の上、私達は、アンジェリークさんのマンション入り口にあるインターフォンを押す。 数度押したところで、アンジェリークさんは出て来てくれた。 「何かしら? アリオスと義理の妹さん…?」 「話がある」 「手短にしてちょうだい」 モニターに映る彼女は、相変わらず大人の雰囲気を持ち合わせた女性だ。アンジェリークさんはアリオスお兄ちゃんの母親とは思えないほど、若々しくみずみずしい。 アリオスお兄ちゃんとすらバランスが取れるほどの美しさだ。 アリオスお兄ちゃんの唇がきゅっと締まった。 「…俺はこいつと結婚するつもりだから、そのつもりでな」 アンジェリークさんの表情は一切変わることがなく、ただ落ち着いている。凛とした表情が美しいと、私は思わずにはいられなかった。 「…そう、解ったわ。おめでとう、アリオス」 実の母親とは思えないほどの、淡々とした口調だった。 アンジェリークさんらしいと言えばらしい。とは言え、彼女が、”女優アンジェリーク”を演じているのは、あきらかだった。 「…話はそれだけだ…」 「…そう」 ふたりはあっさりとしていた。だがそこには確かに母と子の絆があり、私には決して入り込むことが出来ない確かなものが存在していた。 「じゃあな」 「ええ」 一連のやり取りが静かに終わった後、私は泣きそうになった。 アリオスお兄ちゃんの腕を掴んで、涙が零れそうな眼差しをごまかす。 「私がアリオスお兄ちゃんを幸福にするからね! いっぱいいっぱい幸福にするからね!」 私は無意識に力みながらアリオスお兄ちゃんに力説をする。泣きそうな私を、アリオスお兄ちゃんは逆に包み込むような眼差しを向けてくれた。 「幸福にしてくれよ、いっぱいいっぱいな。カティス、ディアの夫婦のお陰で、俺は最高に愛情が深い家庭に育つことが出来た。だからあんな家庭をまた作ろう」 「うん!」 私達の理想の家庭は、私達が育った場所。そこよりももっと幸せな場所を、私達は作り出していく。 「おまえ、また”アリオスお兄ちゃん”って言っただろう。罰金もんだぜ?」 「あ…」 ペナルティーと言う名の甘いキスを、アリオスお兄ちゃんはくれる。 早く直さなくちゃと思いながらも、快適なキスについつい失敗をしてしまう私だ。 アリオスお兄ちゃんの車にのって、今度はエンジュの言えに向かう。レオナードお兄ちゃんが先回りをして、先に交渉を開始している。エンジュはきちんとした家のお嬢様なので、お母さんとおばあちゃんが付いて行っている。 レオナードお兄ちゃんは、似合わないスーツ姿に、いつもの尊大な態度を隠しているようだ。 アリオスお兄ちゃんからの報告もあるので、私達も合流することにしたのだ。 「レオナードは上手くやっているかな?」 「大丈夫だと思うよ」 「そうだな」 アリオスお兄ちゃんは温かい笑みを浮かべて、機嫌は悪く無さそうだった。 車でエンジュの家に行き、私は改めて驚いた。白亜の豪邸で、やっぱりお嬢様なんだとつくづく思う。 ガードマンの方やメイドさんたちには、私達が来ることがきちんと伝えられていて、恭しくも歓迎された。 少し緊張しながら屋敷の中に入り、私達は合流した。 中には見たことのない美しさと優美さを兼ね備えた女性がいた。 エンジュの母親だ。いかにも上流階級の雰囲気を醸し出している。 「どなた?」 綺麗な女性が口を開いた。 「レオナードの義理の兄のアリオスと、レオナードの妹のアンジェリークです。俺達は婚約しています」 アリオスお兄ちゃんは、わざとクラヴィスさんを見つめながらいい、クラビスさんも同意とも取れるような微笑みを浮かべていた。 血の繋がりがありながら、こんなやり取りしか出来ないなんて切な過ぎた。 「…そう。私はエンジュの母のリュミエールです。宜しくね」 リュミエールと名乗ったエンジュのお母さんは、アリオスお兄ちゃんをじっくりと見つめた後、穏やかな笑みを浮かべた。 綺麗な女性だった。 そして母性と愛が溢れている。 クラヴィス三を見ていると、アンジェリークさんと共に、また彼女も愛しているのだろうと感じた。 「話は大体済んだよ、アリオス、アンジェリーク」 私達がソファに腰をかけるなり、おばあちゃんが直々に教えてくれた。 「レオナードはエンジュちゃんの家に婿養子を前提に修業に入ることになったよ。うちは、エルンストとおまえがいるから安泰だからね」 「じゃあカメラは辞めるのかよ」 アリオスお兄ちゃんの問いに、レオナードお兄ちゃんは神妙な面持ちで頷く。決意はしっかりと固まっている感がある。 「写真のことはエンジュとも色々話し合った。エンジュは”辞めなくていい”と言ってくれたが、俺は辞めようと決意した。写真はいつでも撮れるし、プロである今よりも、エンジュと幸福に暮らすほうが、良い写真が撮れると判断したまでだ。俺が保守的になんかなるのは似合わネェから、ガンガンやっていくつもりだぜ?」 「ああ」 話を聞きながら、レオナードお兄ちゃんらしい選択だと思った。 私は、エンジュは幸福者だと思いながら、ニヤニヤと嬉しく笑う。 「良かったな、八方丸く治まったようで」 「ああ」 うちの家を騒がせたハリケーンは最高の結果を齎してくれたようだ。 誰もが笑顔だ。 その中でもクラヴィスさんの笑顔がとても印象的だった。 娘と存在を識らなかった息子がこんなにも立派な幸福を掴んだことが、きっと嬉しかったのだろう。 私達はずっと目に見えない糸で繋がっていた。 これからはもっと強固な見える糸で繋がるのだ。それがとても幸せなことだと、私は感じていた。 私達はアリオスお兄ちゃんとレオナードお兄ちゃんの車に分乗し、我が家に向かう。 「アンジェ、明日から引っ越しの準備をするからな」 「…うん」 私は喉につかえるものを感じながら頷く。胸が切なくて痛い。 そんなことをたった一言で読み取ったのか、アリオスお兄ちゃんは私を見て、優しい微笑みをくれた。 「俺の我が家は、いつもおまえがいてばあちゃんがいるあの家だ。いつでも帰ってくることが出来るんだ。だから、そんな顔をするな」 「…うん…」 ”何時でも帰って来れる我が家”素敵な響きだ。 私はアリオスお兄ちゃんにとって、いつもそんな存在でありたい。心の中でつくづく想う。 「どうせさ、すぐにおまえは俺のところに入り浸るだろうしな。だけどな」 アリオスお兄ちゃんはひと呼吸を置く。 「おまえがちゃんと学校を出るまでは、きちんとしたけじめをつけたいんだよ。解るよな。それがおふくろやばあちゃん、死んだおやじやじいちゃん、後は兄弟たちに当然のことだからな」 「うん」 アリオスお兄ちゃんの男としての決意に、私は頷くしかなかった。 アリオスお兄ちゃんと離れるのは寂しいけれど、直ぐにまた一緒に住めるのだから。 「ちゃんと迎えに来るから、心配するな」 「うん…!」 アリオスお兄ちゃんが言ってくれるから心配はない。私は笑顔で頷いた。 エルンストお兄ちゃんとレイチェルの結婚式の前に、アリオスお兄ちゃんは独立をする。引っ越しの手伝いは、私が中心にしている。 私にも少しは服を送っておけということだったので、夏冬と合服を数着、下着等細々としたものを、アリオスお兄ちゃんの新居に置くことにした。 何時でもアリオスお兄ちゃんの所で泊まっても大丈夫な状態だ。 最後まで片付けを済ませると、私達はキッチンで乾杯をした。アリオスお兄ちゃんがビール、私はコーラ。 「一段落ついたね!」 「そうだな」 「寂しい?」 私はアリオスお兄ちゃんを横目で見ながら、改めて聞いてみる。 「…そうだな。もう、あんな賑やかで大騒ぎな言えには帰れねえとなるとな」 「そうね。何時でも温かい我が家だったもんね。私も、アリオスお兄ちゃんのベッドに潜り込めないのが、残念かな」 私は残念そうに素直な自分の気持ちを言う。するとアリオスお兄ちゃんは私を抱き寄せてくれる。 「じゃあ早速、潜り込んで貰おうか、新居に…」 艶やかな囁きに、私は恥ずかしながらも頷くしかなかった。 秋の晴れた日に、エルンストお兄ちゃんとレイチェルは小さな教会で結婚式を上げた。 私はレイチェルのブライズメイドを務め、花嫁さんよりも号泣したぐらいだった。 「ったく、アンジェは泣き虫よねえ!」 「だって、レイチェルがあんまりにも綺麗なんだもん!」 これにはレイチェルも嬉しそうで、頬を染めながら笑ってくれた。 「花嫁さんは綺麗だって決まっているんだよ。きっとさ、アリオスと式をする時も、アンジェは凄く綺麗で、泣いているんだろうね。多分に」 レイチェルはくすくすと笑うと、しっかりと私を抱きしめてくれる。ふんわりと花嫁さん特有の甘い香りがした。 教会の横にあるレストランで披露宴が行われ、アリオスお兄ちゃんとバンドの仲間たちは、新しい門出を迎えるふたりに、歌のプレゼントをしてくれる。 大きなプロジェクターには、この間録り終えた、エンジュが出演するプロモーションビデオが写し出された。 画面の中のエンジュは、本当に天使様のように素敵だったが、私は不思議と妬かなかった。 そんな感情にさせられないほど、アリオスお兄ちゃんの演奏は素晴らしかった。 ミュージシャンアリオスの甘いテノールは、躰の芯がとろけてしまうほど素晴らしく、感動的で泣けてくる。 演奏が終わる頃には、私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。 「…良かったか?」 いきなり声をかけられてびっくりすると、背後にはアリオスお兄ちゃんがいた。 「アリオスお兄ちゃん!」 「ちょっと来いよ」 アリオスお兄ちゃんは、私に有無を言わせないような強さで手を握ると、そっと外へと連れ去る。 引っ張られてこられたのは、先ほど式が挙げられた教会だった。 低いテノールで、私だけにラブソングを歌ってくれながら、祭壇に歩み寄る。 そこに立つと、アリオスお兄ちゃんは私をしっかりと見つめてきてくれた。 「…いつかウェディングドレスでな…」 ゆっくりとアリオスお兄ちゃんの唇が重なり、私達は神様の前で愛を誓う。 これまでは、自分たちの感情や環境に囚われていた私達が、今、一歩踏み出していく。 「愛している」 「私も、愛しているわ、アリオス…」 決して禁忌ではなくなった言葉を呟き合いながら、私達は一歩踏み出す。 いつの日にかウェディングドレスで誓う日を夢見て。 THE END |
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