前編
桜の蕾を見ながら、アンジェリークはときめいた気分になる。色めく春の到来に、心が弾まないわけがない。 春に向けて恋が出来るだろうか。もっとときめくことが出来るだろうか。 アンジェリークがずっと桜を見つめていると、聞き知った声がするのが解った。 「何だアンジェ、んなところで桜の花と睨めっこをして。おまえがいくらそれを見つめたって、桜は時期に来なければ咲かねえよ」 ご近所のアリオスが、余りに情緒なくからかったものだから、アンジェリークはぷっくりと頬を膨らませた。 「アリオスは解っていないの! 乙女のロマンティックなんて、あなたにはどうでも良いことでしょ?」 ぷいっと顔を背けても、アリオスは笑ったまま。背中の雰囲気で解る。 「おまえもう春だぜ。ふぐの季節は終わりだ」 「きゃあ、何するのよっ!」 いつもの心おきないアリオスのからかいが始まる。アンジェリークは栗色の天使の輪が光って健康的な髪を、アリオスにぐちゃぐちゃにされて、すっかりご機嫌ななめになる。 折角きちんとブラッシングしたというのに、これでは台なしだ。 「もう、やめてよね!」 アンジェリークが嫌だ嫌だとばかりに子猫のように頭をブルブルと振ると、余計にアリオスは笑った。 「おまえホントに小さな犬か猫みてえだな。ったく、可笑しいやつだぜ」 アリオスがじっとこちらを見つめてくると、ふと目を細めてくる。その雰囲気は、どこか切ない重みを持っていて、アンジェリークをはっとさせた。 そこにいるアリオスは、どこか他人のもののように思える。アンジェリークが全く知らないアリオスがそこにいる。まるで最初から、アンジェリークのいる世界とは、関係ない。 「アリオス…?」 そっと名前を遠慮がちに呼ぶと、アリオスは目覚めたばかりのように、目を大きくさせた。 「アリオス、どうしたの?」 「ああ。栗まんじゅうの時期はまだ先だと考えていただけだ」 言葉の内容はアリオスらしく不真面目なくせに、声のトーンには感慨が彩られている。 だが、それもアンジェリークは自分がからかわれただけだと思い、また拗ねた。 「もう! アリオスはふざけてばっかり!」 「おまえ相手に真剣な思考をしてみろ、脳みそが溶けちまう」 アリオスは意地悪に言い捨てながら、ニヤリと微笑んだ。 「アンジェ、おまえも桜の蕾から見ていたところをみると、さては桜のつぼみを取って喰おうとでもしていたのか?」 「いくら食いしん坊でも、そんなことしないもん!」 「さくら餅やさくら茶とか食ったり飲んだりしてるじゃねえか」 ああいえばこう言うとばかりに、ふたりはテンポ良く会話を進める。それがとてもアンジェリークにとっては楽しかった。 「さくら餅とかさくら茶とかは確かに大好きだけれど、私はもっとロマンティックな気分に浸っていたの! アリオスとは違うんだから!」 「ロマンティックって何だよ?」 アリオスは言ってみろと勧めるが、その瞳の奥は、アンジェリークをどうからかってやろうかと算段しているのが解る。 「春になったら、きっとロマンティックなことが起こるだろうって、思っていただけなの! 新しい恋がやってくるとかー! あ、今度、レイチェル主催でエンジュと一緒に、フルーツパーラーコンパに行くの!」 アンジェリークがむきになって言うと、アリオスの瞳の奥にある、意地悪な悪魔の部分がひょっこりと顔を出して来た。今のアリオスの視線は、正直言って恐い。 「フルーツパーラーコンパだ!? ガキらしいあほくせえ場所だぜ」 けっと鼻で笑うアリオスに、アンジェリークは眉間に深いシワを寄せる。唇まで尖らせて、不快感をあらわにしていた。 「アリオスはどこでやるのよ! どうせいやらしいキャバクラとかなんでしょ!」 「俺様は大人なんだ、解るか? 栗まんじゅう。俺はもっとお洒落でスマートな場所でコンパは開く。ああいうのは、ムードが大事なんだよ」 アリオスの声が低くなり、邪悪な雰囲気を醸し出している。アンジェリークはそれに負けないように、何とか踏ん張った。 「で、オスカーさんと一緒にお姉さんを侍らせて喜ぶんでしょ!? それに比べると、私たちはなんて健全なのかしらって思ってしまうわ。だって昼間にフルーツパーラーだもん!」 「だったら、おまえとその友達を、俺様たち主催のコンパに参加させてやるぜ? いかに健全か、教えてやる!」 アリオスが挑発をするかのように言えば、アンジェリークは更に刺激される。アドレナリンが放出され、臨戦体制になる。 「いいわよ! 受けてたつわよ!」 「こっちはすげえメンバーで行くからな? おまえら乳臭え女子高生を、丸め込んでやるから覚悟しろよ?」 「アリオス。それは犯罪だって!」 ふたりは喧嘩ごしのやり取りを終えると、まるでファイターのように握りこぶしをぶつけて、お互いに闘うことを誓いあった。 「じゃあな、アンジェ。俺はおまえみてえな女子高生とは違って、自営の建築士様だからな。暇じゃねえから、仕事に行くぜ」 「とっとと行きなさいよ!」 アンジェリークが邪険に送り出すと、アリオスは不敵笑うのが、気味が悪かった。 アリオスと逢えば、こんなやりとりばかりだ。アンジェリークは大きな溜め息をついた。 心地が良い、幼なじみならではの気取らない関係が、アンジェリークにはくすぐったくて心地が良かった。 レイチェル主催のコンパの日、アンジェリークは可愛いとっておきのワンピースを着て出掛けた。 友人たちには絶賛されて、それはそれでとても嬉しかったのだが、何故か男の子たちとは上手く立ち回れない。 パフェも美味しいし言うことはないのに、心がときめいたりはしゃいだりしない。全くの平常心と言っても良かった。 まるで楽しくない。 同じ男性なのに、アリオスと一緒にいれば楽しくて、コンパ相手ではそうじゃない。それが不思議でしょうがなかった。 「アンジェ、楽しい?」 いつものように余り笑わないアンジェリークに、レイチェルが気を遣って聞いて来てくれる。 「楽しいより、美味しいかな。それだけ」 「エンジュはどう?」 「アンジェに同じ」 結局、何も盛り上がることがないまま、コンパはお開きになってしまった。 健全に午後6時には男子高生とは別れ、とぼとぼと帰る。 「ねえ、二人とも、アリオス主催の大人の男との食事会に参加しない? ご飯代はただだって! 早めに始めて終わってくれるって」 アンジェリークは探るように言い、ふたりを見た。 「行くっ!」 声が揃って即答だった。これにはアンジェリークも呆気に取られてしまう。 「ねえ、リモージュ先輩も呼ばない? きっと来てくれるかも!」 エンジュの提案に、来てくれれば華を添えてくれそうだと、アンジェリークは思い頷く。 「じゃあ、先輩には私から連絡しておくから、宜しくね!」 「うん、解った。有り難う、エンジュ!」 アンジェリークは、コンパというよりも、とても楽しそうな食事会になると、顔をニンマリとさせた。 家に帰ると、アリオスが何故かいた。何でも家のキッチンを改装するのにあたり、両親がアリオスに頼んだらしい。 「おかえり、不良娘」 「アリオスにそんなことは言われたくない」 アンジェリークが膨れっ面で言うと、そのまま横を擦り抜けていく。 「コンパはどうだったんだよ? アンジェ」 「アリオスには言わない」 「そんな状態なら、きっと何にもなかっただろう」 「ほっといてよ」 アリオス相手だと、素直な気持ちが言葉になってぽんぽんと出てくる。これがまた気持ちが良い。 「あ。うちの最強女子高生軍団のメンツは四人だから」 「うちは、俺、オスカー、宇宙開発関係の研究員、後はレストランのオーナーシェフ。怱々たる面々だろ? 俺は建築士だしオスカーは司法修習生だしな」 アリオスはアンジェリークに参ったかとばかりの眼差しを向けるものだから、あくまでクールを装う。 「そうなんだ。私達も凄いから覚悟してよ」 「ああ」 アリオスが眉を上げたものだから、アンジェリークはその横をわざと背筋を伸ばして擦り抜ける。 だが、その表情はにんまりとして、チーズ売場に迷い込んだ子ネズミのようだった。 アリオスと話すのはとても楽しい…。 どうして? これって何か特別な魔法なのかしら…。 |
| コメント 少し短い短編シリーズを書いてみたかったので〜。 次回に続く〜。次回で終わります。 |